「墜ちるイカロス-失われた展覧会」ライアン・ガンダー展 プレスカンファレンスインタビュー

「墜ちるイカロス-失われた展覧会」ライアン・ガンダー展 
プレスカンファレンスインタビュー
2011年11月2日(水) メゾンエルメス8Fフォーラム

エルメス(以下H): 「墜ちるイカロス 失われた展覧会」と題されたこの展覧会、皆さまをどこか別の次元や時空にいざなうミステリーのような不思議な展覧会です。10周年を迎えるこのフォーラムの、過去30の展覧会になぞらえた作品もございます。
 これからライアン自身が語ってくださる言葉を手がかりに、ぜひ皆さまの想像力をフルに働かせ、その世界を存分に探検していただきたいと思います。
 それではライアン、よろしくお願いいたします。

ライアン・ガンダー(以下R):皆さん、こんにちは。すでに展覧会はご覧いただけましたか。 今回の展覧会に関しては、このメゾンエルメスフォーラムが10周年を迎えたということ、それから今までその10年間にわたって行われた展覧会とその作家の方々がいるということが非常に重要なポイントとなりました。
 そこから、今度は近年に目を移しまして、もしこの空間に別の歴史があったとすれば、実際には存在しなかったけれども、もしかしたらあったかもしれない、ここで開催されたかもしれない展覧会とは何であったのか、いわゆるフィクション的な部分での、平行線というかたちでの展覧会を考えてみる。それが一つアイデアとして浮かびました。
 そこから、どんどんと考えが広がっていきまして、アートの歴史、美術史、またフィクション的なアートの歴史、これはフォーラムのスペース、空間外の部分での歴史、それからまだ存在していない、これから先のその未来の歴史というところまで考えが及んでいきました。ですので、今回の展覧会に関しては、事実とフィクションが交差しています。
 ということで、今回の展覧会では、実在しないフィクションから生まれている作家、私がつくり出した、想像上の作家たちによる作品、それから実在する作家だけれども、将来どういった活動をするのか、それを想像力を働かせて考えていきました。私だけではなくて、ほかの人たちが考えてきたフィクションから生まれている作家というものも、この展覧会の中には含まれています。
 それから、例えば漫画『タンタンの冒険』からも引用していますが、作家のエルジェがどういったことをしたのかなと、私のほうで勝手に想像してつくった作品もあります。
 今回の展示空間、フォーラムの歴史に直結している作品としては、床に散らばっている作家たちの肖像画があります。これらの肖像画は、私自身が描いたのではなく、法廷画家が描いています。ご存じのように、裁判中法的な理由から写真を撮ることができない中、記録をとどめるための法廷画家の人に描いてもらっています。
 肖像画を見ていただければ分かるのですが、これは現在ではなくて、これから先何年後かに皆さんがどのような顔になっているのかを想定しながら描いていただいています。ですので、今の年齢よりも少し上の年齢で描かれています。作家の方々がここに来てないといいんですけれども(笑) あともう一つ、過去と直結している作品としては、これは壁の近くに置かれているサイコロです。非常に小さなものですので、見逃した方もいるかもしれません。30の展覧会一つ一つを表している記号が面のところに彫り込んでありますけれど、これは作家のイニシャルを取って、組み合わせたグラフィックです。
 それからもう一つの作品としては、これは『錬金術の箱』とも呼ばれているシリーズのひとつですけれども、これはパリのセーヌ川沿いによく並んでいる本屋のスタンドで、フタを閉めた状態になっているものです。
 この「錬金術の箱」ですけれども、中には過去のフォーラムの出展作家たちが選んだ本が入っています。ですので、タイムカプセルのような役割を果たしています。ただ、中を開けることはできません。これは完成された作品ですので、本当に選ばれた本が中に入っているかどうかというのは、見る側とそれから作家側との信頼関係というものが焦点になります。
  それから私にとってもっとも意義深い作品と言えるものですが、この作品は『And you will be changed』というタイトルが付いています。『そしてあなたは変わるだろう』という作品です。
 これはビデオ作品です。通常作品を制作していると、中には最終的にどういったものになるのかなんとなく分かるものと、まったく分からないものに分かれるのですが、今回のものに関しては、出来上がりは一つのサプライズでありました。でも私にとっては非常に満足のいく、ハッピーな状況にしてくれる仕上がりになったと思っています。
 仕上がりが満足にいったというのは、この作品の中に登場してくれているキュレーターさんの演技力に大きく依存していると思います。
 

H:今回皆さまにご紹介している展覧会がまず10周年を記念するものでありたいということが、私どもからのライアンへの依頼でした。
 そもそもライアンにこのようなお願いをした背景には、やはりライアンの今までの作品を見ていると、その中に編集者としての視点、例えば自己自身の美術史、ご自身の作品歴を編集したり、ご自身と同世代の作家さんをキュレートされたりといった、キュレーターとしての視点を非常にお持ちだなといったことから、フォーラムの過去の作品について何かやってもらったら面白いんじゃないかなということで、今回10周年の展覧会を依頼したという背景がございます。
 今、ライアンがご説明くださったように、過去のフォーラム作家と関与していたり、あとはタンタンのアルファアートの中に出てくるラモ・ナッシュさんの作品があったり、あるいはリアム・ギリックさんの将来の作品、あるいはマルセル・ブロータスさん、亡くなられてらっしゃいますけれども、彼が将来こんな作品をつくったのではないかとか、あとアストン・アーネスト、ライアンの別人格のようなものですけれど、いろんな作家のグループ展をキュレートされたのではないかというふうに感じました。その中でそれらのたくさんの複数の作家と、どういうふうにコラボレーションされたのか、どの作家の主張が一番強く、自分はこの作品をここに置くんだというようなかたちで最初にキュレーターに訴えかけてきたのかを、伺いたいと思います。

R:非常に難しい質問です。非常に奇妙なのは、今までのお話にあがったものもありますが、10人ぐらいの架空の人物というものが、私の中では出来上がっています。
 一つメリットとしては、こういった架空の人物、別名を使うことによって、いつも同じスタイルの作品ができるわけではない。だから何か一つ見て、あ、これは同じスタイルだから、これは誰々の作家のものだという、一つのシグネチャー的な部分は避けられるというメリットもあります。
 あともう一つは、毎日起きたとき、これから何かを制作しようかというときに、昨日とはまったく違ったものをつくることができるという事です。
 質問に答えることになりますが、誰が一番声を大にしてアピールしてきたかというのは、ちょっと難しいですが、私自身がこの人に嫉妬しているなと、うらやんでいるというのはこの人だというかたちでお答えします。
 そして誰かに対して嫉妬心を感じる、誰かがうらやましいなと思うのは、作家にとっては悪いことではないと思います。逆にいいことであって、アーティストである自分を前にもっと押し出してくれるような存在である、自分が何か変えたい、変化が欲しい、もっと前に動いていきたい、そして営みとしてのアーティストとしての職業を続けていきたいということに関しては、そういった嫉妬を感じるような存在があるというのはいいことです。
 というわけで、2人の人物を4年前に私は生み出しました。1人はアストン・アーネスト、もう1人がサントス・スタンです。この2人はまったく性格も正反対であり、いわば天敵のような存在でもある。それから名前のスペルをばらばらにし、つづりを変えるによってこの2人の名前になるんですね。アストンのほうはいい人、サントスは悪い人です。
 この2人のというのは、私の視点、観点からすれば、非常に理想的な人と、それからその反対であるそれぞれの特徴を持っているわけです。1人はこの人が作家だったら自分は恥ずかしいな、こんな作品は私だったら嫌だなと思うような活動をしている作家。もう1人は、私よりもはるかにいい作家活動をしている人物。ただこれは実際不可能ですね。なぜなら私自身が架空の作家の作品をつくっているわけですから、現実には超えるなんて不可能なんです。
 私がもっともうらやましいなとジェラシーを感じる作家は、このうちの1人、アストン・アーネストです。ただ今回の展覧会にある、アストン・アーネストが登場する作品、それに関連する作品というのは『Remember this. You will need to know it later.覚えておいて、あとで必要になるから』というタイトルが付いているものです。
 ただこれは、私がアストン・アーネストに関する作品として制作したものであって、これはアストン・アーネストが死亡して、その2日後に撮影をした、彼の使っているデスク、机が被写体になったモノクロ写真です。

H:今回の展覧会が、展覧会に関する考察というのがメインとなっていまして、美術史の中でいかに展覧会というものが記憶され、再生され、また美化されてきたかということをテーマにしている展覧会といえます。
 それで先ほどライアンがお話してくださったビデオ作品は、2008年にこちらのフォーラムで行われたサラ・ジーの展覧会を、私が思い出しながら語るのですが、その中には当然美化もありますし、忘却もあります。
 ただ見ていない人に伝える唯一の手段として、言葉、そこでの映像がない状態で、抽象的に伝わっていく経験を体でしました。そのときに、過去の展覧会で一度も自分たちが見たことのないもので、非常に美術史的に有名なもの、例えばモネの印象派が生まれたときの日の出の絵とか、クロード・モネのサン・ラザールだとか、あるいはマルセル・デュシャンの『泉』といわれるのがアーモリー・ショーで発表されたとかというのは、私たちは自分のことのように覚えていて、あたかも経験したかのように熱っぽく皆さんに伝えていたり、見たこともない架空の展覧会をベースとして、いろいろなことを考えているんですけれど、ライアンさんにとって、自分にとって一番大きかった、見たこともない展覧会、自分の人生を変えるぐらい大きかった、見たことのない展覧会は、過去、あるいは未来で、何でした?

R:今の質問、非常に興味深いのは、今日午前中受けた取材、インタビューでもお話ししたことと同じだからです。
 私が大学に行ったのは、マンチェスターという町。これはイギリスの北部にあるのですが、そこは良い美術学校はなかったんですね。本当はロンドンのアートスクールに入りたかったんですけれども、どこも入れてくれなかった。私が才能がなかったんでしょうね。十分ではなかったということで入れてくれなかったんです。
 結局マンチェスターで勉強したんですけれども、マンチェスターでの美術館等々で見られるものというのは全部古い美術ばっかり。しかも、一つしかいい美術館がない。全部古いものばっかり。ですから、私が大学生のときに実際に経験した、見たものというのは、実物ではなく、本や、それから雑誌を通して見たものが非常に多かったわけです。これらは本当に二次的な証拠にすぎない。
 ですから、実際にその空間の中にどういうふうに作品が収まっているのかというのも、もちろん写真を見るだけでは分からない。立体ではなくて、完全に平面な状態で、非常に素晴らしくよく撮れたその写真を通して、その写真を見て、そこに付いている作品のタイトルを、それからコメント、こういったものを見て、そしてこういう作品があるんだなということを学んでいったわけです。
 で、一つ皮肉で、面白いのは、今私のやっている活動、作家活動というのがまさしくそのものであることです。実際にそのイメージ、映像や画像で撮ったもの、そしてそこにタイトルを付けるというかたちで見せるという、同じようなやり方になっています。
 ただこれは私だけではなくて、大半の人がこういった経験をしているのではないでしょうか?実際に自分の目で見ているのではなくて、そういった媒体を通して見ている。それから何か記憶に残っているアート作品があっても、それは実際に見たものや経験、体験したものではなくて、美術史、雑誌等々で見たものが大半だというのは、ほとんどの人も同じだと思います。
 私の意見では、どれだけ作品等々に関しての経験をしたあとに、どれだけその作品について考えさせられるのか、ということによって、その作品が成功したかどうかというのが一つ判断できると思います。
 ですから、実際にその作品をじかに経験、体験しなくても、その背景にあるストーリー、物語とか、そういったものがあれば、そういうことについて非常に考えさせられるものであれば、実際にそれを見たとか、それに触れたということは関係ないということも一つ言えると思います。
 ですから、雑誌等々で見た、実際に何か見たとか聞いたということではないけれども、それについて非常に考えさせられたということによって、作品が成功したか否かという判断がひとつできると、私は思っています。
 これの一つの例として、コーネリア・パーカーの『メテオライト-隕石』をあげたいと思います。
 ロンドンにある彼女の家の庭に隕石が落ちてきたので、アメリカのNASAに連絡をして、その隕石を宇宙に戻してもらうよう依頼する、という作品で、実際にそれが記録されているわけではありません。
 ただそのストーリーが、例えばスペインのバーに座っている人たちの間で語られていたり、また今日ここで私が皆様にお話ししているように、人々に語り継がれる事で、その作品が成功しているかどうかというのが、判断できると思います。
 ですから、私のアイデア、私の考えでは、例えばその次、翌週、来週、例えば3回でもいいから、その作品について何か思い起こされることがあったり、どこかのバーで仲間と話すような題材になるのであれば、それは十分成功した作品ではないかと思います。
コーネリア・パーカー。非常に優秀な、とてもいい作家です。

H:ライアン、ありがとうございました。

◆「墜ちるイカロス-失われた展覧会」 ライアン・ガンダー展

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