「クローゼットとマットレス」 スミルハン・ラディック+マルセラ・コレア展

【タイトル】 「クローゼットとマットレス」 
【アーティスト】 スミルハン・ラディック+マルセラ・コレア
【会期】 2013年9月4日(水)~11月30日(土)

クローゼットとマットレス

タデウシュ・カントール(Tadeusz Kantor)* とブルーノ・シュルツ(Bruno Schulz)** の著作を援用した、展覧会についてのメモ。

スミルハン・ラディック

1. 「クローゼットとマットレス」は、建築と関連づけることのできる、二つの比較的小さめの家具である。

2. 日本の伝統家屋や、チロエ島の田舎家や大きな木造教会群の線描の設計図はいずれも、古めかしいクローゼットの繊細な輪郭を思い起こさせる。薄い壁が、外側の「現実」から、薄暗い内部を隔てている。

3. マットレスは、もっと原始的な世界にその根を持っている。すなわち、羊毛、馬の毛、トウモロコシの葉、藁などが古来の詰め物として用いられていた。こういった素材に形を与えるのは、外袋と、マットレスの生地の側面を結ぶ木綿の糸だ。

4. 使われていない「クローゼットとマットレス」は無惨であり、「存在意義」がない。衣服のかかっていないクローゼット、眠る人のゆっくりとした息づかいのないマットレス。

5. いずれの物体にも、他の家具調度品にはない移動性が潜んでいる。「意に反して」家具をやっている物体と言うこともできるかもしれない。
しかし、人間の大きさを基準としたサイズであるため、それらは持続的な性質を帯びることになる……「クローゼットとマットレス」には、どこか別の場所を形成するだけの大きさがある。

ハンガーにかかった衣服の数々は、私たちの一部であり、変化、変身、異性装といった、秘められた力を持っている。クローゼットには、私たちの持ち物、思い出、過去、記憶、手紙、秘密などが収められている……。* 小さな空間に蓄えられうるありとあらゆるものが。

マットレスは、眠る人の重みを静かに受け止める遊び場だ。そこに横たわるのはただ「生命」のみ。

6. クローゼットを掃除するには、それをめちゃくちゃにしなければならない。中身を「バラバラ」にし、秘密をすっかり取り出して、冷徹な日の光にさらす。それから私たちは自らクローゼットの中に入り、虫たちの隠れる隅々を綺麗にしなければならない……。瓶の底のように、捕らえられた蠅たちが、永遠に苦痛から逃れられず、軽やかで哀れな長い単調な嘆きの中にかすんで消えていく……**

7. マットレスは、戸外に出し棒で叩いて掃除をする。打たれるたびに、マットレスの中の原始的な詰め物が記憶を取り戻し、日差しの中に古いにおいを放ち、再び呼吸を始める。詰め物の奥深くで、淡い微笑みが浮かび、葛藤が生まれ、輪郭が形を取り始める。詰め物は無数の可能性の間を揺れ動き、その可能性を秘めたマットレスの表面に不思議な震えが走る。眠る者の魂を再生させるといういつもの習慣を待ち受けながら、マットレスは何千もの優しく柔らかい曲線を描き、盲目の幻覚を作り出しながら、形を変え続ける。自らの意志を持たず、贅沢なまでに扱いやすく、女性的に柔軟で、あらゆる動きにおとなしく従うマットレスは、さまざまな決まり事の外側にある世界を形作っている……。*

8. マットレスとその上で眠る人を覗き見る時、見えるのは特別な「不在の」存在である。眠る人々は柔らかな土台の上で、人生の多くの時間を呼吸している……。夢の横たわる場所に、新しい存在の仕方が生まれる。
       「世界はこの世界だけ、他には存在しない。」
一人眠り続ける眠り人はそう言っているようだ。

清潔なシーツを敷いた、私たちの身体を受け止める大きな深いベッドが待っている。夜の豪雨が眠りの暗い塊の重みで軋む。粘りのある溶岩が岸を越え、水門を破り、ドア、古いクローゼット、暖炉から流れ出し、風がひゅうひゅうと嘆きの声を上げる。**

9. この展覧会では、マットレスは窓辺で日に干されている重たい物体だ。名前がついている。マリータ・ペナ、コラ・ラミレス、パティータ・デ・ラ・セルダ、イネス・ピライノ……。それらの上でかつて眠っていたおばあさんたちの名かもしれない。これらの物体は彼女たちの死んだ重みのしるしだ……。それらは決まった形をもたず、内部の構造もなく、一度記憶した形状を繰り返し再現するという素材の模倣性から生まれた創造物だ。**

10. 死化粧を施されたこれらの身体の無定形の詰め物に縦横に渡された木綿糸を引き締めると、原始的な素材でできた内部に圧力がかかり、無形に見えたものから「形」が浮かび上がる。無形に見えたものとは、状況あるいは偶然であるようなもの、すなわち「素材」だ。「素材」とは、この世で一番受け身で無防備な存在だ。誰でもそれをこねたり、形作ったりすることができる。それは何にでも従う。**

11. それから「クローゼット」がある。それはあまりにも大きくなったため、普通の古いクローゼットのサイズを超え、小さな館、「フォリー」と化している。その大きさのほどは、この非・居住空間内に配された椅子、流し台、コートかけのハンガーからぶら下がった「ハエ取り玉」、またこの壊れやすく古めかしい構造を支えているガラス製のピアノの脚から見て取ることができる。

12. (クローゼットが)表現や意味をもつのは
それが
……閉まっている時だけ
という意味深長な役割について考えてほしい
その時、思いがけなく、それを取り巻く意味と信望が
評価されるのだ。再確認されるのだ……
意味の尺度を変えて……
空間は分かたれ、封じ込められ、隔絶される。
そしてその瞬間に完全な模倣が始まる、
少なくとも建物の美しいファサードを真似る
素早く、やすやすと、必要なスタイルを身につける
状況の如何にかかわらず……
クローゼットの枠は
あまりに家庭的に見える内部から
着々と深く、暗くなっていく地域に向かって激しく開く。
それから……
             まるで柔らかいマットレスの上のように…
夢が進んでいく……
神秘的な雲に覆われた場所などではなく
ささやかで壊れやすい壁によって日々の現実と分かたれた場所に
……*

13. クローゼットが増え
          マットレスが増え
                 家が減ってゆく……

文中の太字箇所は、スミルハン・ラディックが下記文献(イタリア語版)を参照し、英文にて原稿に起こした文章の日本語訳。

* Tadeusz Kantor, Wielopole/Wielopole, Il Luogo Teatrale, trad. Luigi Marinelli, Ubulibri, Milano, 1981. (Wielopole, Wielopole, Teatr Cricot 2, Kraków, 1980.)
** Bruno Schulz, Le Botteghe Color Cannella, trad. Anna Vivanti Salmon, Einaudi, Torino, 1991. (Sklepy cynamonowe, Towarzystwo Wydawnicze „Rój”, Warszawa, 1933.)

「クローゼットとマットレス」スミルハン・ラディック+マルセラ・コレア展 プレスカンファレンスインタビュー

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