「Agnosian Fields」ディディエ・フィウザ・フォスティノ展 プレスカンファレンス インタビュー

「Agnosian Fields」ディディエ・フィウザ・フォスティノ展
プレスカンファレンス インタビュー
2010年8月25日 メゾンエルメス8階フォーラム

エルメス(以下H):まず今回の展覧会「Agnosian Fields」のコンセプトについてお聞かせいただけますでしょうか?

ディディエ・フィウザ・フォスティノ(以下DDF):みなさん、こんにちは。今回、日本での初めての個展を開くことができることを心から嬉しく思っています。

タイトルになっている「Agnosian」という言葉は、脳の障害のひとつである「認知不能」ということを示していて、言い換えれば不明瞭性、不確定性、曖昧さ、の意味で私はこの言葉に非常に興味があります。人間を取り巻く周囲のことを認知することができないという状態は、現代社会のあり方を顕著に表していると思います。

現代社会はいわば「認知不能」な環境であるのではないでしょうか。情報も物も溢れかえっていて、混沌としています。私は建築家ですから、建築が人間に社会や政治、習慣を逆に認知させる能力もあると確信しており、この展覧会の延長にある社会そのもの、をテーマとしています。そういった意味でこの「Agnosian」というテーマはこの展覧会の中だけでは完結しないのです。

また、今回は二人のアーチストとのコラボレーションを行いました。
ドイツのバンドでEinsturzende Neubautenが私は好きなのですが、彼らの曲のなかに「Silence is Sexy」とタイトルの曲があるのです。そのタイトルを展覧会のタイトルにするのも悪くないかなとも思っていました。ラッセル・ハズウェル氏のサウンドスケープにも奥浩哉氏のドローイングにも呼応するからです。

彼らのバンド名を英訳すると「Collapsing new buildings(新しい建物を破壊する)」という意味で、私はこのタイトルが含有するパラドックス(逆説)が大好きです。新しく建てた建物をわざわざ破壊してしまう、といったパラドックスが好きです。建築は都市性や周囲の世界のあり方と常に関係しているべきものだと思います。

H:今回お二人の別分野のアーティストとのコラボレーションをされましたが、その発想はどこから来ましたか?

DDF:建築は展覧会で見せるには難しい媒体です。実際に、建物が建っていればよいのですが、そうでなければ写真や模型を使って説明することしかできません。
今回、二人のアーティスト、奥浩哉氏とラッセル・ハズウェル氏とコラボレーションをしたのは、二つの異なった視点から都市や建築についての考え方を見せることができるのではと思ったからです。そして、何よりも私はこの二人のアーティストとコラボレートをすることが夢でしたし、二人とも同世代のアーティストなので、親近感を持っていました。

まず、ハズウェル氏の作品についてですが、「Erase Your Head」という装置から流れる音を聴くことで、人々に現代社会を取り巻く混乱から逃れ、新しい体験をしてもらいたいと思っています。混乱から逃れるためのヒッチハイクのようなものです。
建築家は言葉を巧みに使ったコミュニケーターであると同時に、現実世界で実際に起きていることに対しては嘘つきでもあります。そんな状況を踏まえ、建築家による言葉の世界と、奥浩哉氏の描く漫画の世界がクロスしたらどうなるだろう、お互いどのように影響しあうのだろう、ということに興味がありました。奥氏のドローイングには、銀座と思われるビル群が破壊され、崩壊していく風景が非常に緻密に描かれています。それを取り巻く人々のなかには、恐怖に陥っている人もいれば、その光景に目を奪われ、魅了され、他人事のように携帯電話で写真を撮っている人もいます。「恐怖」と「驚き」、二つの感情と状況が同時に描きこまれているのです。

H:奥浩哉さんの「GANTZ」の大ファンであるだけでなく、日本の漫画が大好きだといつもお話していますよね。

DDF:フランスにはバンド・デシネという漫画の文化がありますし、私も小さいときにTVでアニメをたくさん見て育ちました。
小さいときの将来の夢は漫画家になることだったんです。建築の学校に入るとき、1年間だけやってみて、それから本当に自分のやりたいことを考えればいいや、と思っていたのですが、入ってみたら意外と面白くて結局この道に進むことになってしまったのですが(笑)
奥浩哉さんの「GANTZ」はフランスでもとても有名で、彼の卓越したグラフィックのセンスや世界観の素晴らしさには本当に影響されました。話の内容も恋愛、友情、暴力、生死、と現代の社会現象を扱っており、それはまさに哲学的なテーマといえると思います。

H:今回メインとなっている作品(ハンド・アーキテクチャとErase your head)のほかに、Agonosiaのキーワードとなるようないくつかの作品を同時に見せることにしました。
一見椅子とわからないような椅子、パフォーマンスのビデオなどです。

DDF:これらの作品群を通して、今までの私の活動や作品を理解していただくキーとなればと思いました。
作品のなかには、アルファベットが断片として床に落ちている作品は文字通りに「Estate of real / State of unreal」というメッセージがこめられています。現実、という言葉に対する興味と、建築にはつきもののEstateをもじった言葉遊びです。
自分の顔にチューインガムを貼り付けていき、やがてチューインガムに覆われたおかしなモンスターに変身していくパフォーマンスを記録したビデオ作品は、チャップリンとブルース・ナウマンへのオマージュです。
またエレベーター正面の柱の後ろには、ある建築プロジェクトの小さな模型をひっそりと置いてみました。これは石垣島で建設予定のもので、日本人クライアントのための小さな家のプロジェクトです。バカンスのための家、ということでバカンスに行くシチュエーションを想像しながら制作しました。家というのはカップルのようなものだと思っていて、
「欲望」「魅了」「嫌悪」などの交じり合ったものです。それをテーマにしました。

H:ディディエさんはアートと建築の両方のフィールドにて活動を展開されていらっしゃいますが、この両者の違いはどのようなところにあるのでしょうか?

DDF:私自身はアートの分野でも作品を発表していますが、基本はやはり、建築家である、と思っています。アートの作品であっても、建築というフィルターを通じて、どのように自分の考え方を提示してゆくかということを意識しています。
一般的にいって、美術の展覧会は一般のオーディエンス向けに作られていますが、建築の展覧会は建築家や建築関係者しか対象にしていないような気がするのです。そこが違いでしょうか。自分は建築のことをよく知らない一般の人にもおもしろいものとなるように、どのように伝えるか、を考えています。

ただ発表の仕方は違うにせよ、それぞれの分野で「ものを作る」「考える」という行為は全く同じことだと思っています。自分が建築の学生であったときにインスパイアされた人は、皆アーチストとして活躍していました。例えば、ゴードン・マッタ・クラークに大きく影響されました。彼はアーチストですが、もともとは建築の勉強をしていましたし、そういった意味でアートと建築の境界は作り手側には関係ないと思っています。


H:ディディエさんは建築家としてどのようなビジョンを持ってお仕事をされてきましたか?30代まではコンセプトを固める時期で40代から実際の建築を建てるという話を伺いましたが。

DDF:人生にプラン立てをしたことは一度もありませんが、そうですね、実際はそのような結果になりました。今まで、私に建築をお願いしようという人はそれほど多くなかったのですが、最近はおかげさまで増えてきました(笑)。実際に今まで多くの建造物を作ってきたわけではないので、そういう意味で言えば「システム」の外にいた私ですが、今では依頼をしてくれるクライアントが増えてきました。以前はクライアントがいなかった、という違いでしょうか。今後のプランとしてはモナコやリヨンでの依頼などがあります。詳細はお話できませんが、とても楽しみにしています。

今までの10年間で概念、アイディア、言葉、意味について、今まで、たくさんのリサーチをして、いろんな方法で試してきました。リサーチは建築家にとっては非常に重要なステップで、その結果40代になって、今では積み上げてきたことをゆっくりと見つめる余裕が出てきたと思います。

「Agnosian Fields」ディディエ・フィウザ・フォスティノ展

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