「地球を歩く 風をみる」 大久保 英治展

[タイトル] 地球を歩く 風をみる
[アーティスト名] 大久保英治
[会期] 2001年10月28日‐12月30日

地球を歩く 風をみる
加藤義夫 インデペンデント・キュレーター

18世紀後半の産業革命以降、自然と人との共生バランスは地球規模での経済行為によって崩されてきた。それに警鐘を鳴らし1960年代後半に社会に広がった自然回帰志向は、アーティストの作品にも影響を及ぼし、アメリカから始まったアースワークやランドアートが、自然を対象とした一連の大規模な表現行為として定着していく。絵画や彫刻といった従来の枠組みから解放され、現代の美術表現は多様化し、一方でアーティストが屋内外の空間を一時的に変容させる「インスタレーション」といった仮設展示が展開されてきたが、ランドアートとはいわば自然の中におけるインスタレーションワークといえるだろう。同じ頃ヨーロッパのアーティストたちも同様の試みをはじめたが、彼らの表現は決して大仰なものではなく、その作品は自然の中にささやかに溶け込むようなものであった。
1980年夏初めてイギリスに渡り、その地のランドアートに触発された大久保は、帰国後作品制作の場を自然の中に求め、創作活動を始める。山や海辺、平野を歩き、風の音を聞く。雨の日も風の日も、春夏秋冬を歩き、自然の素材を用い、体感する時間や空間をすくいあげて表現する。地球を歩くことは、大久保にとって作品そのものであり、表現者としての軌跡でもある。
本展覧会で大久保が体感し、表現した「地球の自然美」とは、光や水をまとう風であり、大地である。それらが建築家レンゾ・ピアノ、インテリア建築家レナ・デュマによるガラスブロックのきらめく光の空間に雄大な自然の鼓動と呼吸を呼び戻し、訪れた人々に自然浴を体験させる場を生み出した。氷や水の部屋にいる錯覚を喚起し、人工的な自然環境を作ることに成功している膨大なガラスブロックを積み上げた空間で大久保は、石や杉枝、竹、葉、そしてステンレススチールといった対比的な素材を使用し、空間をより際立たせる作品制作を試みた。
作品[風をはらむ]は、天井から吊るされた10メートル近い巨大な間伐材の杉枝彫刻と、床部に敷かれたステンレス板とで構成されている。杉枝は竹のように柔軟ではなく、硬く折れやすい素材だが、太陽の方向に向かって少し弧を描く特性を生かし、枝と枝とをジュートの紐で結び付け、大久保は巨大な籠状の彫刻を編んでいった。床部に敷かれたステンレス板は光と水を意味するものである。その表現は、植物が光を受けて空気中の二酸化炭素から酸素を作る光合成の原理を暗示しているかのようだ。ステンレスの水面は軽やかな枝組を映し出し、その上に浮かぶ巨大な杉のオブジェに、沈黙と静寂の大気の流れを、そして風をみるのである。
もうひとつの作品[石の森]では、約8メートルの石道とその先に集積された石の山から、煙で燻され茶褐色になった竹が立ち上がっている。古代の前方後円墳を想起させるこの作品は、生と死をいう自然の厳しさを感じさせるものだ。石は存在と重量とを伴い、揺るぎない大地と水平線をイメージさせる。竹は天空にむかって垂直方向に伸びている。それらは「水平と垂直」の出会う場、すなわち「天と地の出会う聖なる場」を意味しているかのようだ。自然の中で生かされてきた人類は、先史時代から自然の恵みも苛酷さも味わってきた。[風をはらむ]は、軽やかな優しい自然を私達に再認識させ、[石の森]は、自然の厳しさを教えてくれる。
大久保は、体験したことを目に見える表現で過去から現代に時空を超えて甦らせ、そしてその固有な空間で再構築し、見る者に追体験を促す。その作品は、自然の中に存在しているごくありふれた枝や石の美しさに目を向けさせ、自然と人の関係を問い正すものである。歩く道のりの中に自己の存在を実感し、提示し続ける大久保の自然表現に私達は、普段見過ごしている地球の美を、新鮮な驚きをもって発見していくのである。

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