All images: MOMAT Pavilion designed and built by Studio Mumbai at The National Museum of Modern Art, Tokyo 2012.8.26 – 2013.1.14. Photo: Masumi Kawamura
柴原聡子(以下、SS) それでは鼎談に移ります。牧さんは中谷さん、坂口さんの発表を聞いてどのように思われましたか。
牧紀男(以下、NM) まず坂口さんの話ではライフラインからの独立を目指しているのではないかという印象を受けました。ある建築の先生が、災害後の住宅を見て、土木が担当する電機、水道、ガスが切られると建築、住宅が存在しないのだと気づいて悔しいとおっしゃっていました。そうした中で最も強いのが車です。防災のパンフレットには、災害に備えてラジオを持っていてくださいと書かれていますが実際のところ、車があればラジオを聞けるし、暖も取れるし、ライトだって点きます。実は車がすごく重要な意味を持っているのです。昔の住まいが熱源も水も自分たちの中で完結させていたものを現在の住まいは失ってしまっている。こうした住まいの独立性というものが坂口さんの話の中で非常に面白いと思いました。要するに、現在の住まいは不完全なものになってしまっている。それは坂口さん的に言えば、物理的な面であり、中谷さんの話の中にでてきた、屋根裏に先祖がいて、真ん中に物があり、一番下に私たちの生活があるという面、こうしたものをある程度外部化し、住まいが持っていた機能が失われていっている。もしかするとそれが、住まいに対する記憶であり、愛であり、「つくること」といったものが失われていくひとつの原因なのかもしれないと思いました。
SS それでは坂口さんは牧さん、中谷さんの発表にどのような感想を持ちましたか。
坂口恭平(以下、KS) 興味深く聞かせていただきました。僕は建築とは全然違うところからやっていて、先程車の話がでましたが、100Vの家庭用電源ではなく、自動車では12Vの電化システムが取られていることを指しています。路上生活者はバッテリーを元にした12V電化システムを登用することで、自家発電もできるし、インフラフリーの状態で電気が使えている。しかし、それが家にはまったく使われていません。普通、電気を引っ張ってこないと家が建てられないと考えますが、実はそうでもないのだと信じています。とはいえ、中谷さんの話を聞いて、家の持っている宇宙のようなものはまったく考えていなかったので、そういう側面からも調べてみたいと思いました。
今回の災害後に建てられた仮設住宅にはほとんど人が住んでいなかったにも関わらず、非常に高いコストをかけられて、そうじゃない場合はバラックになってしまうと聞いています。バラックと仮設住宅の間の建築というのについてはちょっと考えています。もちろんそういう意味でモバイルハウスをつくっているということもあります。
SS それでは中谷さんに話を伺い、これまでに出てきたテーマについて詳しく話していきたいと思います。
中谷礼仁(以下、NN) 実は僕も早稲田で石山修武さんの洗礼を受けた世代なので、坂口さんにはかなり共感するところがあります。もちろんずれているところもあるので、今日はそのずれた部分について3つのことを話しあうことができたら良いかなと思っています。
まずはカーバッテリーの話です。カーバッテリーというのは、要は12Vの世界。アンペアについては少し考えなければなりませんが、大きな家電を使わなければ、ほとんど12Vの枠内で収まります。ノートブックもいける。そこに蓄電技術をはめ込めば、5、6割の生活ができるだろうということはなんとなく分かります。昔、コルゲートハウスの提案者である天才エンジニア・川合健二の「200℃の世界」という論文を読んで感動したことがあります。そこには、人間が基本的に使っている熱源は、200℃までで事足りる。それをうまく回収して、循環利用すれば、ほとんど足りてしまうのに、なぜこんなにも高熱型のエネルギー文化ができたのかという問題が指摘されています。坂口さんのモバイルハウス以上に技術的な側面で可能性があるのは、そういうエネルギーの適正化という問題ではないかと考えています。まずはその辺り、坂口さんのエネルギー論のようなものがあればお聞きしたいのですが。
KS 僕はまったくエンジニア関係ではないので、12Vについて研究していたわけではありません。ですから、12Vのエネルギー論が書けるかというと、ちょっと怪しいです。しかし、実際に使っている人がいたということと、車にも使われています。だから、12V製品を生産しながら、12V電源の開発が進めば面白いと感じています。
NN 電力の問題にしても、本来であれば12Vくらいで済むものを、100Vや200Vといった政府が決めた基準の中で、我々がそれをダウングレードして使っているということですよね。これは、少し話をずらすと、『独立国家のつくりかた』で書かれていた生存権の問題、また、建築基準法の問題の重なりと似ている気がしました。つまり、生存権という問題において、12Vというものが、最低限の生活を送りながらiPhoneが使え、自分が何かを発信できるといった存在権利まで含めた電力であると。また、建築基準法に関していえば、住宅をつくりたくて建築学科に入った人がなぜか卒業して、高層ビルや大工場をつくっているということ、僕もそういう現実に違和感を持っていて、それらはすべて関係しているのではないかと思います。そういう意味で、生存権の問題と建築基準法というある種の基準、現在はそういったものの誤差やギャップがあまりにも激しいと思っています。生存権の考え方を中心に教えてもらえますか。
KS 生存権について書きましたが、これはどちらかというと、そもそも当たり前のことを考えたいということが強くありました。普通に考えてみると、お金がないと家が持てないということ自体がおかしいのですが、家賃を払うことに疑問を持っている人のほうが少ない。電気に関しても、コンピュータは12Vで動くにも関わらず、何か線引きがなされている。「電気とはこういうものである。家とは土地に定着しているものである。お金がないと家がなく、生きていくこともできない。」こうしたことはすべて連関していると思っていて、それらについてすごく当たり前に考えてみたのです。すでに実践している人を元にして考えていると、いわゆる家がなく、12Vで過ごすという生の在り方が実はこの日本にだって存在はしている。しかし、それはホームレスと呼ばれ、どうやらその見え方がおかしい。では、そういうものをどうやって伝えることができるのだろうかと、そういうことをずっと考えています。
NN 一方で、牧さんは坂口さん的な思考を持ちながら、非常に行政に近いところで日夜健闘しています。そこでは坂口さんと同じようなことを考えながらも、違うレイヤーでものを考えていかないといけないということがあるのではないでしょうか。
NM どこが違うのかよくわからないのですが、もしかして私が考えているのは、災害後というある非日常なのかもしれません。坂口さんがホームレスという言葉を使いましたが、実は災害で住まいを無くした人のことを英語では被災者[victim]ではなく、ホームレス[homeless]と言います。災害に遭い、仮設住宅というかシェルターに住んでいる人々をホームレスと呼びます。ホームレスになったときの住み方、生き方、生存の仕方に関して、坂口さんがおっしゃったところに非常に共感を持っています。
今回の原発事故以来、電気というもののもつ重要性は誰もが認識したと思います。実は電気はすべての根源というか、例えば、電気がないと今どき水も上げられませんし、熱源に関しても、ライターを持っている人も少ないから火だって点きません。電気というものが法律であり、制度であり、国家であるというようなイメージすらもっています。要するに、電気を押さえる者がすべてを押さえるという、電気の仕組みがそれ以外のすべてを決定するようにも考えられる。中谷さんが話している仕組みというものを、そういう電気という視点から考えると、どのように見えるのでしょうか。
NN まず、牧さんはオール電化の住宅に住んでいて、今回は非常に大変だったと伺っています。「千年村」で千葉県のことを調べていたときに、明治時代に地域の電力発電会社ができたとか、そういう話を知るんですよね。今みたいに発送電が一体化するのは戦争中のことです。それまでは、千葉県のある沼でメタンガスがいっぱいあるから、それを使って電力を発生させて売るとか実際やっていた。それが普通でした。つまり、場所によって異なる発生源による電気を地産地消のような形で賄っていたということです。そしてこの事実は、なぜそれができなくなったのかという問題に突き当たります。電気というものが自然的なエネルギーとして存在していたにも関わらず、あるときからそれが社会的なエネルギーになった。ここが大きな問題だと思います。今回の原子力規制委員会などの問題に関しても、なぜか社会的な問題、あるいは国家的な問題になる。原発を止めるということが、なぜ国家的な問題になるのかについては、いまここであまり考えたくないですけれども、なぜ電気が国家的なものになったのかという経緯は極めて重要です。
NM 坂口さんが話しているのは、電気からの独立、電気国家からの独立なのだろうかと考えると非常に面白いし、分かりやすいかと思います。
NN 坂口さんの場合は電気からは独立しないが、しかし、電気国家からは独立するということでしょうか。
KS そうですね。僕は12Vの生き方を選択肢として増やしたいのです。元々僕自身、原発について何もやっていなくて、たまたま3月3日に上関の原発を見てから興味を持ちはじめました。だから、そういったものに対して抵抗するというよりも、選択肢を増やして、もっと自然な在り方として電気を使えるように、12Vの生き方というものが普通に知識として存在していれば良い。そのことを伝えたいという方が強いです。独立するというよりも、電気というものも自分たちで組み合わせれば使えるようになること、それこそ電気だけじゃなくて、家まで自分たちでできたら面白いと思っているんです。家は自分たちのやり方で建つものであると。だから、建築家がつくるものとそうじゃないものに分けるよりも、建築家の職能自体もそういうところのグラデーションをちゃんとコーディネイトするようになったら面白いと考えています。
NN まったく同感です。おそらく牧さんや僕なんかも、そういうグラデーションをつくる方法を構築しようとしています。それを政府に納得させるには時間がかかるけれども、例えば個人的な活動はできる。そういう意味では、グラデーションは既にもういろいろ存在していると思いますし、坂口さんのような考え方を持った人もおそらくいろんなところにいるような気がします。『独立国家のつくりかた』を読んで、ひとつ気になったのは「独立」という問題です。ゼロセンターにも行き、坂口さんの弟子であるヨネさんと一緒にいろいろとまわりました。ヨネさんは熊本大学の建築学科出身なんですよね。なんとかそういう別の方法、オルタナティヴな建築の技術を活かした活動を模索しているとおっしゃっていました。これは政府がやらないから自分でやった、自分のできる範囲でやったということからすれば、これはきちんとした憲法的理念に基づいた「代行政府」というふうに言った方がいいのではないかと。独立するというよりも、今までのシステムをもう少し柔軟に使えないのだろうかという問題の中から発生していると思うのですが、その辺りいかがでしょうか。
KS 「独立国家」とは書いていますが、僕の場合は、物事自体を変えるというよりも、同じものをぜんぜん違う角度から見ようとしているということに近いと思います。
NN 熊本には潜在的に豊かな自然、おいしい水があって、空き家があって、そこに入ってもらいたいという人もいる。そこに、独立した閉鎖的コミューンのようなかたちではなく、普通にその場に住みたいという人たちのハブとして「ゼロセンター」があるという感じが、ヨネさんの静かな活動から見えました。本だけ読んだときには、何か諍いが起きているのではないかと思って心配したのですが、現地に行って、そんなことはない印象を受けました。
KS そうですね。僕らの場合は共同体をつくるというのとは、ちょっと違うと思っています。違う角度から見た方法、視点がそこにあり、その視点に対して興味を持っている人が集まっている。でも、それは別に信者というわけではありません。今やっていることが、建築家の新しい在り方を提示できているかどうかというと僕にもわからないですが、ひとつの方法として可能性はあると思います。
SS それではここで、会場からの質問を受け付けたいと思います。
質問者1 坂口さんの本のなかに、基礎工事に対して生理的に嫌悪感を抱いたという箇所がありましたが、そこのところをもう少し教えていただけますか。
KS 僕は大学在学中に授業に出るよりも、大工さんのところへ修行に行っていたので、そのときに現場を見るわけです。そこで、建物を建てるときに土をすごく掘り、ミキサー車でコンクリートを流し込み、鉄筋を入れるのを見て、生理的におかしいと感じました。誰もおかしいとは言わないけれど、大工さんに聞いてみると、「たしかにいらないっていえば、いらないんだけど、決まりだからそのまま進めている」と言うんですよ。僕のなかでは、決まりよりも自分がおかしいと感じる直感の方を信じていて、そういうことをずっと考えていましたが、それはもちろん建築基準法だから変えられないわけです。それ自体をそういうものだとして了解するのではなく、疑問として自分のなかに残っているものが今の自分の活動、執筆に繋がっています。そのときも書きましたが、法隆寺は石の上に木が乗っているだけなんですよ。だから、そういうものも可能性としてあるのではないかと、未だに考えています。
NM 『建築雑誌』という雑誌で「動く建築」を取り上げたときに法律を調べました。*2日本の建築基準法は、基礎があることが建築であり、基礎がないもの、例えばモービルホームとか船家といったものは対象外なんです。本来住まいというのはモバイルホームもあるし、船の上に住むこともあるはずなのに、建築基準法が規定する建築、それは基礎があるものだということになっているのです。仮設住宅にも基礎はなく、丸い杭を使っています。仮設建築物という規定では、基礎がないけれど、正しくは2年経つと基礎をつけないといけない。この頃は別の法律で基礎をつけなくてもその期間を延ばせるようになりましたが、1991年の雲仙普賢岳の噴火災害のときは2年を超えるときにぜんぶ基礎を打ち直しました。これがいわゆる建築基準法の建築という定義なのではないでしょうか。
*2 建築雑誌2012年7月号 特集:動く建築—災害の間(あわい)に
NN ということは、建築の背後にあるのは、その空間というか土地を私有、所有する誰かがいて、そういったものと建築が分ち難く結びついていて、それを国家が保証するということで、そこにコンクリートの基礎が必要だということですね。
NM そうですね。ただ、坂口さんは基礎が嫌いとおっしゃいましたが、土台をつくって、その上にモバイルホームを置くという場合はいかがですか。
KS 建築を建てるための土台、盛るというのはありだと思います。ただ、その在り方が真四角のコンクリートのブロックになっているのがおかしいんじゃないかと思っているだけです。
NN あとは、川合健二式のコルゲートタイプの家を自力でつくった人がいて、そのときにそれが家ではないという理由で、水道、電気、ガスを送れないと主張する行政側と一悶着あったそうです。そういう意味では、定着しないものにはインフラを提供しないという考え方がある。世界各地で遊牧民が差別されているのもこの辺りに関係しています。これを批判して行く必要があると思いますね。日本の伝統に動かないものもたくさんあるんだから。たとえば神社に本来基礎はなかった。神社本殿の土台を見ればわかりますが、動けるようにできています。なぜかと言うと神はたまに歩き回って、みんなに幸福を与えるからです。基本的に神社は神輿を担ぐのと同じ、動くものをモチーフにしているから基礎がないわけです。しかし、動くと所有性が認められないというのは、そういった神社、神の遍在性との基本的な矛盾としてあるともいえます。
質問者2 今回の講演自体が、スタジオ・ムンバイの建物のなかで講演されているということで、この建物に対しての講評をしていただけないでしょうか。この「夏の家」はインドでつくったものをここまで持ってきているということで、ある意味モバイル化された建物だと思います。そういった視点で何かお話していただけますか。
KS 写真を数点しか見ていませんが、かなり仮設なんだと思いました。もうちょっと家みたいなもの、屋根や壁があって普通に覆われているかと思っていました。サイズの感じがあんまりよくわからないですが。
NM 私はふたつのことがいいなと思いました。ひとつは決まっていないこと。先程も照明をそこのところにはめましたが、場面に応じて自分たちで考えて、いろんなかたちで使えるのかなと。例えば、その辺りに幔幕を張ってみようかなとか、この上に電気がつけばきれいかなと考えます。要するに、何もなかったところにこういう柱がたくさん建って、それによってこの場所をどう使おうかといろいろ考えられる。自分でいろんなことができるのがいいですね。もうひとつは、あの2階の部分でしょうか。以前、パプワニューギニアの海岸に津波があり、その後訪れてみると、みんなマングローブで組んだ3階建ての家をつくっていて、なぜ3階にするのかと聞いたところ、「高くて遠くが見えた方が気持ちがいいじゃないか」と返事がありました。上に登って、高いところから見てみたいという欲望があって、あの2階建ての部分にもこの後登りたいと思っていますが、そういうところもすごくいいと思いました。
NN ここに使われているインディアン・チークはすごく硬い。日本のわれわれにとってみれば、使いたくても使えない材料で、工具も特別なものが必要でしょう。この「夏の家」は仮設と言いながら、実はかなり精度が高い建物で、特にブランコに使っている金具は、スタジオ・ムンバイの人たちが彼らの工房でつくったものだけど、極めて精度が高い。そういう意味では、インドの生活様式をかなり緻密に発揮しているという感じがして、侮れないと思いました。ただ、それが逆に弱点かなという気もします。例えば、スリランカにはジェフリー・バワという建築家がいますが、彼は日本の建物でいうと、数寄屋というか、野木を使うのが巧い。モダニズム的な平面だけど、製材していない丸太なんかを入れながら、ヴァナキュラーな巧さを持っている。バワに比べると、「夏の家」は切れ味が良すぎるのではないかという気がします。
SS スタジオ・ムンバイが最初にこの敷地を見に来たときに、今和次郎を紹介したところ、非常に気に入って、影響を受けたそうです。今和次郎は日本の民家や船小屋、そういうもののちょっとした場面をいろいろとスケッチしています。窓越しに中と外の人がしゃべるために、家の外に腰かけが置いてあるスケッチを代表のビジョイさんがとても気に入っていました。おそらく、今回窓辺の空間みたいなものがたくさんちりばめられているのはその影響ではないかと思いますが、今がスケッチした建物をたくさん訪れている中谷さんからはどのように見えますか。
NN 彼らのつくり方がわからないので比較できないところがありますが、基本的に伝統建築では図面を描かないですよね。図面があるのは設計士を食べさせるためで、そこに法的な問題や契約関係を入れることで何百万円かを設計士に払うというかたちで展開しているので、本当に家をつくるためには図面はいりません。セルフビルドで、メモ書きはするけど、図面をつくる必要はまったくありません。日本の民家も基本的には図面がありません。先程見せた船小屋は、ベルトコンベヤを道として使ったり、電信柱を船小屋のなかの柱にしたり、そういう再生産の経緯が偶然にも存在していることがとても重要です。図面を描くとそれが消えていってしまう場合がある。図面が必要なのは、契約とか裁判といった問題、社会的な問題だけなので、自分でつくろうと思ったら、そういうものは無くてもいいんだという考え方は、普遍的なテーマとして常に検討されるべきです。
この「夏の家」を建てるために寸法が入った図面がないと聞きましたが、それは、大工の腕が良すぎるのかもしれません。もうお亡くなりになった大工の田中文男さんは「堂の技術、小屋の技術」ということを言っています。これは民家のことを考えるときに非常に重要なので説明しておきますが、堂というのはお寺などの堂、宮で、小屋はバラックなど自分たちでつくれる範囲の話です。実は、日本の民家は外側は小屋の技術、つまりみんなでつくれるレベルでできています。仏間や座敷といったものをつくるときだけ大工を呼ぶんです。われわれとは逆の考え方なんですよ。これは結構重要なことで、素人とプロをどのように共存させるかというときの序列がわれわれに無意識にできているんです。
SS ありがとうございました。それでは最後に3人から一言ずついただいて終わりにしたいと思います。
KS はい。とても面白かったです。モバイルハウスにもまだ不完全、未完成なところがあるので、いろいろと参考になりましたし、エネルギーに関してもいろいろと考えていきたいと思いました。
NM 私は防災研究所というところで災害の研究をしていますが、今後30年の間に、東京や関西、西日本で大きな地震が起きる確立が非常に高いと言われています。そこでキーワードになるのは、本日の話にも出てきた「動けるかどうか」ということ。これは建築的に動けるかどうかということだけではなく、東京を離れて、他で仕事を見つけられるのかとか、「動けること」が非常に重要なことになってくるのだろうと思います。今回の東日本大震災の被災地でも人口がすごく減っています。もちろん、「千年村」を守る役割の人もいるかもしれませんが、そこから出て、別のところで新しい生活を始めることが決して悪いことではないと思うことが重要なのかなと。それが生き残る術ではないでしょうか。日本はずっとそのようにして生き残ってきましたし、今でも曳家というものがあり、これは動かせるけれども基礎がある。防災、災害という観点から見ると、戦後は災害の少ない時期だったんです。戦後に変わってきたいろんなことをもう一度疑わないといけないのだろうと思います。
NN ゼロセンターでヨネさんと話して、どういう人が定住できて、地域に溶け込むことができそうかと尋ねたときには手に職を持っている人だと言っていました。サラリーマンの方だと奥さんだけは移住できるけど、自分自身は動けない。やっぱり自分の手に、仕事としての固有性を持っている人は溶け込みやすいかもしれないと言っていたのが印象に残っています。坂口さんとはスカイプではなく、直接お会いしてみたいと思いました。
SS 今回は「動く家、仮の家」というタイトルの元に進めましたが、牧さんは移動という手段、中谷さんは千年続いている村、坂口さんはまず自分が生き延びるためのやり方をそれぞれ考え、どう生き延びていくかという、原理的な話に展開しました。生きるための術を自分で考えるということが切実な問題として私たち個人にも突きつけられているのではないか、そして、お三方の方法がそれぞれ異なるように、それぞれがさまざまな方法を見出せるのではないかと、そのようなことを考えるきっかけとなれば幸いです。本日はありがとうございました。
連続レクチャーシリーズ「青空教室」―考える、つくる、動く、またつくる
第1回(前半)|第1回(後半)|
夏の家 MOMAT Pavilion designed and built by Studio Mumbai
会期:2012年8月26日(日)–2013年5月26日(日)
会場:東京国立近代美術館 前庭
http://www.momat.go.jp/
特設ウェブサイト「夏の家」(仮)ブログ:http://www.momat.go.jp/momat60/studiomumbai/
Lecture@Museumシリーズは、美術館で行われた講演を、関係者の協力のもと、ART iTが記録、編集したものを掲載しています。
ART iT Archive
ビジョイ・ジェイン インタビュー「ものを建てる、関係を築く」(2013年2月)
スタジオ・ムンバイについて 文/日埜直彦(2013年2月)