ミヒャエル・ボレマンス

「静かな謎」の世界

取材・文:内田伸一
ポートレート:永禮賢

静けさを作る、という行為があるとすれば、ボレマンスの絵画はまさにそのお手本のようでもある。冷徹なまでの繊細さと、美しい暗色とを基調に描かれる人々の姿。個人的な儀式に勤しむようでもあり、日々の暮らしのある瞬間に魔法をかけられ、無限の運動を――そうとは知らされずに――繰り返すようでもある。いったい彼らは何者で、どんな物語を生きているのか。日本初個展『Earthlight Room』でも、その「静かな謎」とでも言うべき世界が展開される。

「彼らが実際に誰であるか、何をしているかに特別な意味はありません。これらはもっと普遍的、象徴的なメタファーなのです。私はさまざまな人を描きますが、どれも特定の個人の肖像としてではなく、一般的な“人間”です。何かをしたり、作ったりしている状態そのものを描いています。過去に多くの画家がそうしたように、私の作品が肖像画のような形をとることもあります。けれど、私が描くものはいわゆるポートレートではない。その形式を借りているだけです」


Fixture, 2008
Oil on canvas, 40 x 50 cm

確かに、匿名性を帯びたこれらの人々やその謎めいた動作が、ときに19世紀の肖像画のような雰囲気で描かれる点も印象的だ。

「すべてのアーティストは過去の作品から影響を受けます。ただし、リスペクトというよりリフレクトであり、リコーポレート(再統合)です。ブルース・ナウマンは過去を踏まえているけど、現代的ですよね。先日訪れた法隆寺宝物館(編注:谷口吉生設計)の建築も、とても古風かつ普遍的で、同時に現代的でもありました。良いアーティストは、過去を破壊するだけでなく、さまざまな方向に発展させることができる。アグレッシブで、革新的なものにね」

重要なのは作品を観た者がどう反応するかで、それが彼の最大の興味だという。興味といえば今回、人間の姿だけではなく、静物を描いた1枚もあったのが興味深い。


Commutation, 2008
Oil on canvas, 40 x 50 cm

「コルクの栓を、人々を描いたのと同じ室内で、同じ照明を当てて描いています。最初この展覧会では、すべてのものが同じ部屋に、同じ光のもとに置かれる、という条件でのペインティング群を考えました。『月の淡く照る部屋』という意味の展覧会タイトルは、これに関連しています。人間をオブジェのように描いて、何が起こるのかを見たかったからで、一種の実験です。今後も何らかの形で続けるかもしれません。でも、過度にコンセプチュアルな作品には、想像の余地がない。それは私がやりたいことではありません」

活動の初期から発表してきたドローイングには、よりシュールな世界観のものが多い。まるで舞台装置のスケッチのような1枚は、ミニチュア風の立体作品(「The German」)としても展示された。


The German, 2004-07
Scale model, mixed media, 35 mm film transferred to DVD

「私のドローイングは、ペインティングやインスタレーションのためのプロポーザルです。舞台装置のようだとの感想ですが、それが劇場で実現できるかどうかはどうでもいいのです。私は想像の世界が好きですし、誰かが何かを想像できたとき、それはもう現実だとも言えます。観る人が、各々の思うように観てくれればいい。筆者がいて、読者がいる、といったように。両者の共同作業で初めて作品が成立するのです」

数年前から取り組み始めたという映像作品も展示された。だが、これも彼にとっては「絵画」だという。

「映像も絵画のように展示します。最初から終わりまで観なくてもいいし、通り過ぎてもいい。暗い部屋に入り、さあ映像作品を鑑賞しますよ! といった形は好きではありません。作品が、ただ美しいものとしてそこにあってくれればいい」

その映像作品のひとつ「The Field」は、腰から下が唐突にテーブル状の平面となった少女を、静謐なカメラワークで映し続ける(同じモチーフのペインティングも展示されている)。感情を濾過されたような瞳で体を回転させるその姿には、彫刻的な要素も感じられる。

「そう、動く彫刻とも言えますね。ただし、これはただのイメージであり、幽霊みたいなもの。手にとって触れることはできません。試みに彫刻的なものも作ってみましたが、それはどうも“リアル”過ぎて、私の頭の中にある世界とは違和感がありました」

最後に、作家としての評価が急速に高まった結果、世界各都市を訪れることは制作にも影響するのかを聞いてみた。


The Feeding, 2006
35 mm film transferred to DVD

All images © Michael Borremans
Courtesy Zeno X Gallery, Antwerp and Gallery Koyanagi

「何かしらの影響はあるでしょう。そういえば、影響とは違う話ですが、こんなことがありました。今回の展示作『The Feeding』は他の作品同様、日本文化とは何ら関係なく作ったのですが、来日して訪れた天ぷら屋の調理場の風景が、この作品にとても似ていて驚きました。不思議ですね。忙しくなって何かが変わるかについては……私は展覧会のために制作したくはありません。現代作家、それも成功している作家は、どんな作品を、いつ、どんなタイトルで発表するのかなど、いろいろ言わなくてはいけないようです。でも、私はそれを考えていたら良い仕事ができない。何かに支配されずに、制作したいですね」

「静けさ」から豊潤な世界を引き出す絵画――そのつくり手らしい言葉でもある。

登録日:2008年12月10日

ミヒャエル・ボレマンス
1963年、ヘラーズベルヘン(ベルギー)生まれ。90年代よりグループ展などで作品を発表する。2004年には美術館でのドローイング作品の初個展を開催。現在はゲントを拠点に制作を行う。2008年、日本初個展となる『Earthlight Room』が、ギャラリー小柳で開催された。

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