束芋

オリジナリティは「何を選択するか」に現れてくる

手描きのドローイングと浮世絵を思わせる色や線を用いた映像インスタレーションで、現代の日常風景、日本の象徴的イメージ、そして近年では内面世界を表現する作家が、デビュー10年目を迎える。節目の年に行う最新の個展では、5点の新作映像インスタレーションの展示と、関連イベントとして劇団やダンサーとのコラボレーションを試みる。展覧会タイトルに込められた、自身が抱く世代感とその創作観について語る。

聞き手:編集部


『束芋:断面の世代』展の目次的作品。個人の趣味によって集められた家具たちはそれぞれの部屋に押し込められ、それらが部屋の所有者のキャラクターを浮き上がらせる。浮き上がるキャラクターや集合住宅という形態、隣り合う空間に存在する個々人、また、その集合といったコンテンツが、展示される全ての作品の導入となる。
(『束芋:断面の世代』展 作家による解説文より転載)

——まず、今回の個展のタイトルについて。なぜ『断面の世代』としたのでしょうか。

いわゆる「団塊の世代」という言葉から名付けました。普段から団塊の世代の方々と接する機会が多く、彼らの世代と自分たちの世代の対比、またその共通点について考えていました。そのひとりが前衛芸術集団・ゼロ次元の加藤好弘さんです。彼らは自分たちとはいろいろな意味で対照的な位置にいると言えますが、その内面に潜んでいるものには共通点を感じる部分もあり、目指すものはどちらも同じなのではないかと感じたことがきっかけです。

——団塊の世代と聞いて思い浮かぶのは、1940年代後半に生まれ、高度経済成長期に青年期を迎え、学生運動を経験した人々ですが、そういった社会、政治的な面も関係しているのでしょうか。

今回は社会学的な側面とは切り離して考えています。70年代後半に生まれた私たちの世代は「個人」で何でもできると思っている節があります。ただしパソコンのように様々なツールが開発され、個人でできる作業が増えた分、逆に何でもひとりでこなさなければならないという面もあります。それに対して、私の考える団塊の世代の特徴は、「集団」を重視することです。いまと違って分業しないとできないことが多く、物作りもそれぞれの分野のプロフェッショナルが集まって複数で作り上げたのではないかと思います。太巻きにたとえて言えば、具のひとつひとつが職人たちであり、それらを束ねる「のり」の役割の人がいて、ひとつのかたちになっているイメージです。一方私たちは、太巻きの一切れとして成立している、つまり「断面」の世代だと思うのです。個人ですべての作業をこなした結果できあがったものは、集団によって作り上げられたものとは異なり、その断面は一見同じのように見えるかもしれませんが、じつはその中に多様な個性が存在しているのです。「団地層」(2009年)はまさにそういった今回のテーマを象徴するイメージです。

日常の断面に世代のアイデンティティを見いだす

このようなことを考えるきっかけとなったのが、横浜美術館で開催された『GOTH –ゴス–』展(08年)への参加です。たとえば「ゴスロリ」の服装をしている人たちは、他の人から見ればどれも同じに見えるかもしれませんが、それぞれが自己のアイデンティティをいかにして表現するかを考えているわけです。同展の「生と死」というテーマ自体はとりわけ新しいものではないという指摘もありましたが、そうした普遍的なテーマに対するアプローチの仕方には、それぞれの時代によって違いがあり、またそれを考えることが重要だと思います。

——以前と比べて、作家たちも表現する選択肢が広がっているということも言えるのではないでしょうか。

以前の世代の作家たちは一から生み出すパワーを持っていましたが、現在はまったく新しいものを根本から作るのは難しい。ひとつひとつの作業はすべて「コラージュ」であり、それぞれのパーツは既存のものですが、それで良いと思っています。受け取り方やアウトプットの方法にはまだまだオリジナリティが出てくる可能性があると思うので、自分は制作の過程にパワーを使いたいのです。オリジナリティは「何を選択するか」に現れてくると考えています。

現代社会では隣り合う部屋同士でも全く交わらない人生が存在することもある。塊の中に在りながら、個の尊重を重視し、尊重の表現として無関心を装う。実際に触れる距離に居ながら、情報を集積することでその感触を想像して満足するような関係。
(『束芋:断面の世代』展 作家による解説文より転載)

「断面の世代」同士が異ジャンルコラボに挑む

——今回は、会期中に行う演劇/ダンス/音楽界の表現者とのコラボレーションも特色ですね。

幼なじみの山本麻貴さんが所属する京都の劇団WANDERING PARTYの『total eclipse—トータル・エクリプス』(07年初演)は、展覧会のコンセプトを構想する上で重要な契機になっており、今回その再演を依頼しました。導入に新作の映像を用いる予定です。

ダンサーの康本雅子さんとの出会いは、イスラエルのバットシェヴァ舞踏団の作品を観に行ったときでした。それからご本人の舞台を見せていただいて、今回一緒にダンスライブをやらないかと持ちかけました。今まで彼女が表現したことのない、違和感のあるようなものができればいいと思っています。

——ダンス・ライブのタイトル『油断髪』は、どのような意味があるのでしょうか。
 
『油断髪』というのは造語で、すきのある女性をイメージして付けました。これは挿絵を手がけた新聞小説『悪人』(吉田修一著、06〜07年に朝日新聞にて連載)の登場人物で、すべてにおいて中途半端な女性、金子美保をモチーフにした作品です。以前「おばけ屋敷」(03年)という作品に音を付けてもらったエレクトーン奏者のTuckerさんにまず音を作ってもらい、それからインスタレーションとして作った映像をライブ用に組み直し、それとはまた別に作った映像を、ダンサーにあてる照明のような形で舞台に映したいと考えています。

私の場合、これまで常に外部からのオファーによって、表現したいものが形になっているので、縁あって繋がった人たちに興味があります。また、アーティストとして10年目を迎え、他ジャンルの人とコラボレーションをしたいという思いが出てきました。自分にとって新しい表現が作れたら、と思っています。

新聞小説『惡人』の登場人物、金子美保がモチーフ。彼女は、私自身が出会った多くの女性のようでもあるし、多くの人が出会った私自身のようでもある。物語からは見えない彼女の人生を、想像し作り上げる。繰り返される断絶を表現したい。
(『束芋:断面の世代』展 作家による解説文より転載)

たばいも
1975年兵庫生まれ、長野在住。99年京都造形芸術大学芸術学部デザイン科卒業。卒業制作「にっぽんの台所」でキリンコンテンポラリー・アワード最優秀作品賞受賞。国際展では横浜トリエンナーレ(2001年)、サンパウロ・ビエンナーレ(02年)、シドニー・ビエンナーレ(06年)、ヴェネツィア・ビエンナーレ(07)に参加。近年の個展に『ヨロヨロン 束芋』展(06年、原美術館)、『TABAIMO』(06〜07年、カルティエ現代美術館、パリ)がある。

横浜美術館開館20周年記念展『束芋:断面の世代』
12月11日(金)〜2010年3月3日(水)
横浜美術館
http://www.yaf.or.jp/yma
束芋動画インタビュー(公式サイトより)
http://www.youtube.com/watch?v=ELvPXiwjrac

関連イベント
ダンス・ライブ 康本雅子×Tucker×束芋『油断髪』
12月25日(金)19:30〜(定員280名)*チケット販売状況は会場へお問い合わせ下さい。(横浜美術館 電話:045-221-0300)

劇団WANDERING PARTY『total eclipse—トータル・エクリプス—』
2010年1月16日(土)14:00〜/18:30〜、17日(日)14:00〜(各回定員240名)

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