共再生—明日をつくるために
2009年9月5日(土)〜11月23日(月)
福岡アジア美術館および周辺地域
http://www.ft2009.org/
文:岩切みお
第4回福岡アジア美術トリエンナーレ(以下FT)が、幕を下ろした。作品の展示とともに、多くのアーティストを福岡に迎え、ぎっしりと計画された交流プログラムをこなしていく、という形態が定着しているこの展覧会の真価は、閉幕して初めて全体像が浮かび上がって来ると言ってよい。館内には、開催中に行われた交流プログラムの記録や作品が追加展示されているほか、市内の小学校で自主的に行われていたという、子どもたちが思い思いに参加作品を模した「愛宕トリエンナーレ」と称するミニ展覧会まで開催されていて、盛り上がりの一端を窺うことが出来た。
リアン・セコン(カンボジア)の作品「マカラ」を身にまとった大勢の参加者
が近くの商店街やショッピングモールをパレードした。
写真提供:福岡アジア美術館
こういった、現場ならではの熱気のようなものは、FTの最大の魅力であるように思う。展示室に静かに横たわるのではなく、常にエネルギッシュに変化していく展覧会である。今回の交流プログラムで特に印象に残ったのは、2ヶ月以上かけて市民ボランティアと作り上げたというリアン・セコン(カンボジア)の90mに及ぶマカラだ。開幕イベントとして、周辺の商店街などをパレードした。それから、銭湯でフロリズムなるお湯の音楽会を開催した野村誠と、博多部に残る家庭の8mmフィルムを収集・上映して地域の歴史に光を当てたアハ!(ともに日本)が、味わい深い活動をしていた。
野村誠「お湯の音楽会」 最終公演(2009年10月31日)は、お湯の蒸気と人の熱気でムンムンだったという。
写真提供:福岡アジア美術館
ウォン・ホイチョン「暗い穴」2009年
アジアに様々な同時代性が混在していることは、これまでのFTも伝えて来たことであるが、今回コンペを経て決定されたという展示プランは、それを実に上手く可視化していた。古アパート独特の雰囲気で充実していた館外会場、冷泉荘では、シンガポールのウォン・ホイチョンの新作が、太平洋戦争の記憶を現代にふさわしい新たな形で呈示していて、力強かった。
周知のように、ここ数年で、世界におけるアジア現代美術の状況は大きく変化した。それとともに、福岡アジア美術館の立ち位置や方向性にも、おのずと修正が迫られているように感じる。工芸的なものを内包しようとする態度や、フィールドワークを基に展覧会を作り上げていく方法論は、今後も守っていかねばならない大切なものだと思うが、現状認識はより厳しく行われる必要があるだろう。そういう意味では、今回のFTは、門を大きく開いてあらゆる現実を素直に受け入れようとしていて、好感を持った。美術市場の趨勢はともかく、現在のアジア美術隆盛の基礎作りの一端を担ったのは自分たちでもある、という自負も見え隠れする。そのうえで、蔡國強(ツァイ・グォチャン)、ナウィン・ラワンチャイクンやスボード・グプタ、マイケル・リン、黄永砅(ホァン・ヨンピン)などいわゆる国際的な売れっ子たちが展覧会に華を添えているのは、悪いことではないように思われた。特に展示のダイナミズムは、これらの作家の作品なしには達成出来なかっただろう。
黄永砅(ホァン・ヨンピン)「ニシキヘビ」2000年
ガイ&ミリアム・ユレンズ財団(スイス)所蔵 撮影:今村馨 写真提供:福岡アジア美術館
個人的には、姚仲涵(ヤオ・ジョンハン、台湾)のようなある種玄人好みの作家が、この「市民のための展覧会」に選ばれたことが意外でもあったし、彼にクロージングのパフォーマンスを任せてしまうアジ美の懐の深さに感動すら覚えた。会場に居合わせた人々は、彼が身体と光を使って奏でる轟音が、明日の扉を叩くのを聞いただろうか。
ヤオ・ジョンハンによる蛍光灯を使ったライブ・パフォーマンス。
後ろは淺井裕介による「泥絵・一本森(父の木)」2009年