今年も数多くの大型国際美術展が世界各所で開催された。パリで行なわれたラ・トリエンナーレ、第7回ベルリン・ビエンナーレ、第11回ハバナ・ビエンナーレ、マニフェスタ9、ドクメンタ13、第30回サンパウロ・ビエンナーレなど。アジア太平洋地域も第18回シドニー・ビエンナーレ、第9回光州ビエンナーレ、第6回釜山ビエンナーレ、第8回台北ビエンナーレ、第9回上海ビエンナーレなど。新たな国際展として、キエフではアルセナーレ2012が開催された。国内では通算5回目となる大地の芸術祭、越後妻有トリエンナーレ2012が開催された。
William Kentridge The Refusal of Time (2012) dOCUMENTA13. 2012
ドクメンタ13
2012年6月9日-9月16日
カッセル市内各所
http://d13.documenta.de/
今年数多く開催された国際展の中でも、集客およびメディア露出において他を圧倒したのは、ドイツ、カッセルで行なわれたドクメンタ13である。開催100日間で約86万人の集客があったとされ、前回の観客数を大幅に上回った。5年に一度行なわれているドクメンタの今回のディレクターは、第16回シドニー・ビエンナーレを手がけたキャロライン・クリストフ=バカルギエフである。
クリストフ=バカルギエフは、ドクメンタという展覧会が、戦後のカッセルで始まった経緯を踏まえ、政治的かつ社会的な展覧会としての性格を前面に出し、過去と向き合う展覧会を作り上げた。参加作家を、カッセル近郊にあるグックスハーゲンのブライテナウ地区にあるブライテナウ追憶の地に連れて行き、カッセルという街が未だに持つ第二次世界大戦という過去の負の記憶を露にし、そこからの復興、再生といったドクメンタの文脈を伝えたと思われる。
その興味深いアプローチは、いわゆるこじつけのようなテーマではなく、全体をゆるやかに結びつけることに寄与していたように思う。一方で、若手作家の中にはそれに引きずられた形で制作した作品も見られ、過去、記憶、トラウマといった資料と対峙する作品が良くも悪くも目立った。
また、バンフ(カナダ)、アレキサンドリア/カイロ(エジプト)とともに連携都市のひとつにあげられたカブール(アフガニスタン)は、アリギエロ・ボエッティという彼女にとって特に重要なアーティストを通して展覧会に組み込んだものの、彼女自身とカブールとの関係は、ボエッティのそれとは異なり、あまりに希薄に感じられた。オベルステ・ガッセ4における、アフガニスタンのアーティストの展示も、カブールの美術学校の生徒の作品展示も、それを展示すること自体に意味があるものの、作品それぞれが意図するコンセプトがドクメンタ13に、他の作品同様に組み込まれていたかどうかは疑問である。フランシス・アリスのプロジェクトについても、ドクメンタの際にプレビューがあり、カブールでも上映された映像作品「Reel – Unreel」は素晴らしいものであるが、元々パン屋だったという場所で展示した小さなペインティング作品には、どうしてもアリスの他の作品に感じるような身体的必然性を感じとることができなかった。また、マリオ・ガルシア・トレスのかの有名なHotel Oneについてのスライドショーも、ボエッティに対するアーティストの思慕は感じられ、構成も巧いが、そこから新たな理解が生み出されたかと問われると答えるのが難しい。つまり、アフガニスタンとボエッティとの関係から広がるべき、アフガニスタンとの美術の新たな関係がどうしても感じられず、観客とアフガニスタンとの距離は縮まることもなければ、当たり前だが当事者でも当事者になりうる潜在的可能性を与えるものでもなく、極めて無責任な視点のみを提供していたのではないかと危惧した。それは見る側である観客の責任ではあるものの、どうあがいてもドクメンタで提供されていた視点は欧米のものであり、カブールという欧米から(そして日本からも)遠く離れた場所への、ボエッティを通しての郷愁としか思えず、今、現在のアフガニスタンに真正面から向き合ったオベルステ・ガッセ4での展示には美術的な価値を見いだせないという、美術と政治社会の相容れない溝を逆に露呈するものではなかったか。カブールで同時開催されたドクメンタ13のアネックスを、カッセルを訪れた観客の何パーセントが見ることができたのかはわからないが、そこで発表された(とされる)作品について、発表したという事実以外に、何をもたらしたのかここで語ることは難しい。そこにはもしかしたら、カッセルだけでは見ることができなかった、ボエッティが創出したアフガニスタンと美術との関係を超える何かが生まれたかもしれないし、そしてそうであってほしいと願う。
同様にワリッド・ラードのウンテレ・カールストラッセで展示作品「Scratching on Things I Could Disavow: A History of Art in the Arab World」(2010-2012)は、アラブ世界が現在直面している現代美術の拡張について、フィクションと事実が組み込まれ、その現状を分析かつ批評する素晴らしいものではありつつ、モスクが地元の反対運動で建てられなかった場所を使い、ヨーロッパ各国の複数の文化団体からの支援で制作されたという点で、アラブ対ヨーロッパの構図が故意に作り出されているように感じた。そういう意味では、西洋の教育を受けている、もしくは現在西洋に住んでいてそうした西洋人の認識に慣れているアーティスト達は、その期待に応えるような作品を見せていた様に思える。カデル・アッティアの「The Repair」は明らかにそのひとつだろう。
一方、ウィリアム・ケントリッジの「The Refusal of Time」は、アーティスト自身が、ドクメンタの展覧会のあり方に合致した作品を制作しているが故に、ドクメンタであろうがなかろうが、その作品は朝一番で並ばなければ数十分の行列を覚悟しなくてはならないほど多くの観客を魅了するものであった。また、ジェローム・ベルの『Disabled Theater』も、開幕時と閉幕時の上演でしかなかったが人間の理性をゆさぶるほどの強烈なものであった。
日本からは大竹伸朗がカールスアウエ公園内でインスタレーション作品「モンシェリー」を発表した。カールスアウエ公園にはいくつものプレハブ小屋が建てられ、その画一さと安っぽさはおよそ美術作品を見せるのには適していると思えなかったが、大竹を含む数名のアーティストは、その小屋に手を加え、自らの作品にすることに成功した。公園内の作品で、他に話題を集めたのは、ペドロ・レイエスの『Sanatorium』(2011-2012)、サム・デュラントによる、死刑執行のための装置を組み合わせた彫刻作品「Scaffold」(2011)、ピエール・ユイグの「Untitled」(2011-12)などいずれもプレハブ小屋をそのまま使用した作品ではなかった。一方、フリデリチアヌム美術館の1階で風を起こした作品で人気を博したライアン・ガンダーの公園内の作品「Escape Hatch to Culturefield」(2012)は、地中からエミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』を想起させる音楽(そのものだとしたらあまりに工夫がない)が水色に塗られたハッチから漏れ聞こえてくるというほとんど悪い冗談としか思えないほど安易な作品であった。
13回目を迎え、ここにきて、現代美術のヨーロッパ(正確に言えばドイツ)の良心、倫理を常に具現化してきたドクメンタの限界が見えてきたようにも思える。ドクメンタ11でオクウィ・エンヴェゾーが組み込んだ多文化主義の視点は、今回はほぼそっくり抜け落ちたかのようた。やはりこれはヨーロッパの知識層が満足するヨーロッパ的視点に基づくポリティカル・コレクトネスが中心とならざるを得ないのか、という気にさえなる。
その一方で、クリストフ=バガルキエフが文化ツーリズムに陥ることなくその土地に根付いた展覧会を行なったことによって、高い評価を得たことは理解できる。ブライテナウへの訪問というアーティストの身体的体験を強いることによって、カッセルという土地をアーティストの中に内在させることには少なからず成功し、地元密着型の国際展に見られがちな、安易に地元と関連する作品を制作することを防ぐことができたからだろう。
いずれにしても、ドクメンタが始まった1955年より、移動性や情報の流動性が格段に大きくなった現代において、政治経済同様、欧米を中心としている美術の現状を認識しつつ、こうした時代に「国際」現代美術展をやることの困難さを改めて感じた。ただし、それでも、他のフェスティバル的な国際美術展を圧倒する何かが、ドクメンタには残っており、5年に一度、他に見るべきものが何もないといってもいいあの街を訪れつづけるのである。
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Tadashi Kawamata Nakahara Yusuke Cosmology (2012)
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012
2012年7月29日-9月17日
越後妻有地区各地
2000年に始まった越後妻有アートトリエンナーレは、高齢化と過疎化が進む地方を再生する目的で、そのために新たな施設を建設し、アーティストが地元のコミュニティと関わりながらプロジェクトを共同制作するという、新しいアプローチの大型のアートフェスティバルの先駆的な存在である。過去数回のトリエンナーレで、越後妻有地域に芸術祭をきっかけに、パーマネントインスタレーション作品を継続的に残していき、アーティスト、地元住民、ボランティア、ガイドと観客との間に密接な関係を作り出してきている。
5回目となる今回のトリエンナーレも、これまで同様の形式を踏襲しているが、新たな施設として、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]という美術館を開館した。過去にもトリエンナーレで作品を発表し、瀬戸内芸術祭でもパーマネントインスタレーションを発表するなど、北川フラムがディレクターを務める芸術祭には常連のフランス人アーティスト、クリスチャン・ボルタンスキーによる、クレーンによって繰り返しピックアップされる古着で構成された新作「No Man‘s Land」(2012)を含む、海外作家の作品が展示された。
しかし、今回のトリエンナーレの目玉をあげるとすれば、それは昨年亡くなった、日本で最も重要な現代美術批評家のひとりである中原佑介の思想に触れる機会を与えてくれたことだろう。山をあがったところに位置する廃校となった小学校の体育館に、川俣正が、中原個人の蔵書を収容する、頭の形をした、包み込むような構造物を作り上げた。エヴァ・ヘスからカジミール・マレーヴィチや未来派にいたるまでのアーティストやグループの作品集やカタログを精読しながら、独特の観点を持った思想家の関心事を見ることができるだけでなく、過去の美術の流れや批評の状況についても知ることができるものであった。
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Noh Suntag at “The 9th Gwangju Biennale”. 2012
第9回光州ビエンナーレ
2012年9月7日-11月11日
光州ビエンナーレホールほか市内各所
前回行われた第8回光州ビエンナーレ(2010)のマッシミリアーノ・ジオーニによる『10000の命』の展示が非常に強く印象に残っているだけに、今回の6人のキュレーターによる『ラウンドテーブル』は雑駁な感を否めないものであった。民主的に行なわれたラウンドテーブルが、結果を求めない緩やかなものであったとしても、その緩やかさ故にすべてが曇ってしまい、そこに残ったのは極めて曖昧な慣れ合いと不完全燃焼の燃えかすにすぎない。
テーマを各キュレーターに委ねたことは理解できたとしても、ビエンナーレ全体を見る上で特に障害となったのは、インスターレションとキュレーションの手法においても、最終的なコンセンサスが取れていなかったことである。前年にビエンナーレホールで行なわれた光州デザインビエンナーレの会場構成をそのまま使うというアイディアを、一度は全員合意したにも関わらず、最終的に一部のキュレーターが受け入れず、壁を作り直したという話も聞こえてきた。そうした経緯が真かどうかはさておき、結果として、会場構成においてもひとつのビエンナーレとは思えないほど統一感のないものになってしまった。とりわけホール2における二層構造は、明らかに残物としての意味しかなく、一部のビデオを見るには明るすぎ、作品を見るには暗すぎる照明とともに、何人かの例外はあるものの参加するアーティストの多くにとって不満が残るスペースであった。会場キャプションにつけられた、どのキュレーターが誰を選んだかを明らかにする色分けのシールは、キュレーターの自己顕示以外に観客にとって意味があるものだったのかは不明で、いずれにしても、一般の観客には無意味なもので、各セクションを理解する助けにはならなかった。
キュレーションにおけるコンセンサスが取れていなかった点としては、どこまでを現代美術と定めたのかがわかりにくいという点にもあった。エドワード・サイードとダニエル・バレンボイムのウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団のドキュメンタリーや、ボリス・グロイスが監修した、ロシア人の哲学者であり、亡命後はフランスで外交官を努めたアレクサンドル・コジェーヴが旅先で撮りためていた写真をスライドショーで見せるプロジェクト「After History: Alexandre Kojeve as a Photographer」など、光州ビエンナーレ全体の文脈の中での位置付けがいまひとつ明確でないまま、各キュレーターの独自の判断で組み込まれたと思われるものもあり、そこには光州ビエンナーレで何をみせるべきかという大局的な視点が、議論されなかったのではないかと推測できる。
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Tadasu Takamine Japan Syndrome in Yamaguchi (2012)
第6回釜山ビエンナーレ
2012年9月22日–11月24日
釜山市美術館ほか市内各所
「Garden of Learning」と題された今回の展覧会のキュレーターはドクメンタ12のアーティスティックディレクターを務めたロジャー・ビュルゲル。地元に何の縁もない落下傘型のキュレーターが多い国際展の現状を憂い、釜山に長期滞在をして展覧会を作り上げた。ビエンナーレ開催のための評議会を、高校生を含む地元の人間で組織し、地元に密着する問題を話し合いながら展覧会を作り上げた。「Garden of Learning」はテーマというよりも、展覧会作りのメソッドであり、その志は非常に高く、国際展のあり方に一石を投じるものではあった。
一方で、美術展単体として見たときに、今回のビエンナーレはあまりにも視覚的な魅力に欠けていた。高嶺格の「ジャパン・シンドローム – 山口編」(2012)、マティアス・ポレドナ「A Village by the Sea」(2011)、アラン・セクーラ「70 in 7」(1993)など、作品として印象に残るものはいくつかあるものの、それらは「Garden of Learning」から直接的にコミッションワークとして生み出されたものではないという事実がある。また、ドクメンタ13と同じ問題ではあるが、韓国で制作されたものはアーティストの意図にかかわらず、結果として似た作品が出来上がってしまうという、国際展におけるコミッションワークが持つ難しさを露呈してしまったように思える。
つまり、キュレーションの意図と実践の間にはいくばくかの乖離が生じていたようだ。とはいえ、記者会見で高校生の評議会メンバーが、釜山ビエンナーレについて意見を述べる姿には大いに驚かされた。こうした試みが継続されるならば、町おこしとは異なる意味で地元と密接に関わるビエンナーレが、将来的に生み出されることになるであろう。その意味で、今回のビエンナーレは、規模も小さく、極めて地味な展覧会ではあったが、新しい試みを生み出す可能性が残されていた。決して成功したとは言えず、そのコンセプトも展覧会内容も観客を困惑させるものでしかなかったが、韓国人若手キュレーター9人にそれぞれ小さなグループ展をビエンナーレの一環として企画させる『Out of Garden』という試みもそうした次世代育成という長期的観点に立ったものなのかもしれない。
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フォトレポート The 8th Busan Biennale 2012(2012/10/20)
Rosemarie Trockel, Installation View
ローズマリー・トロッケル『a cosmos』
2012年5月23日–9月24日
国立ソフィア王妃芸術センター、マドリッド
※ニューミュージアム(ニューヨーク)、サーペンタイン・ギャラリー(ロンドン)へ巡回
http://www.museoreinasofia.es/
ドイツ人アーティスト、ローズマリー・トロッケルの大規模回顧展。そのタイトルにあるように、彼女がキュレーター、リン・クックと恊働でキュレーションも手がけ、彼女の世界観を映し出した展覧会。回顧展ではあるが、その手法は独特で、トロッケル自身の作品だけではなく、彼女に影響を与えた作品や事物をときにはどちらの作品かわからないほど同等に展示している。とりわけ、フラミンゴのドローイングや蟹の剥製、昆虫が主人公の古いロシアのアニメーションなど自然科学の資料と彼女の作品を一緒に並べた展示室では、トロッケルが何に興味を持っているのか、その見方とユーモアが見えてくる、風変わりではあるが独自の強い嗜好を示すものであった。
彼女の代表的なシリーズであるニットペインティングは、アメリカ人アーティスト、ジュディス・スコットのニット彫刻作品と共に展示されている。ダウン症で生涯、聾唖だったスコットは日常にあるものを繭のように包み込む作品を制作した。そのスコットのニット作品を、トロッケルのミニマルなニットペインティングと並べることで、ニットという手法や毛糸の素材が持つ意味が浮き彫りになる。今回は展示されていなかったが、初期の彼女のニットペインティングは敢えて男性的なモチーフを扱っていたものあり、それを踏まえても、とかく工芸的かつ女性的とされるニットという手法の、様々な可能性が見えてくる。
このように、素材も手法も多岐にわたる彼女の作品を、彼女が影響を受けた作品や事物と共に見せることで、一見フェティッシュに見える彼女の作品が、独自の世界観にとどまるものではなく、それを多くのアーティストや観客と共有しようとする開かれたものであるということがおぼろげに理解できる。
その世界観は決してわかりやすいものではないが、自由な発想を促してくれるものであった。そして自主制作の冊子が多数置かれた部屋は、その秩序と調和のある世界(コスモス)がひとつの形で結集されていた。
昨年のアリギエロ・ボエッティ展に続き、素晴らしい展覧会を企画したリン・クックはこの展覧会を最後に、国立王妃ソフィア芸術センターを離れる。
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フォトレポート Rosemarie Trockel: a cosmos @ Museo Reina Sofía(2012/09/20)
Yang Fudong, Installation View
ヤン・フードン[楊福東]『Quote Out of Context[断章取义]』
2012年9月30日–2013年1月3日
OCT現代美術ターミナル(OCT当代艺术中心)、上海
http://www.ocat.com.cn/
深圳にあるOCT現代美術ロフト(華僑城創意文化園)が上海に新たなスペースOCT現代美術ターミナル(OCT当代艺术中心)をオープンした。本展はその杮落しとなる展覧会。入口を挟んで右側に映像インスタレーション、左側に写真作品を見せている。写真はこれまで制作してきた作品をほぼ時系列に沿ってみせたもの。特に注目に値するのは、中央に位置したポートレート作品である。上海市内のパークホテル(国際飯店)のプールで撮影されたものであるが、1920年代に作られたというレトロなタイル貼りのプールで戯れる女性たちの何とも言えない倦怠感が伝わる写真作品である。いかにも映画のワンシーンから切り取られたような写真は、しかしながら、ヤンの作品にしばしばあるような映像作品のスチルではなく、写真作品でしか存在しないという、時間が停止したかのような作品であった。
入口右側の映像インスタレーションは圧巻。ストーリー性を敢えて排除し、抽象的な映像とはなにかを模索するヤンの実験的な試みとして、白い家具や柱のようなオブジェを広大な台の上に配置し、30台ものプロジェクターで、過去の作品からの映像を投影する実験的なインスタレーションであった。オブジェに映った映像は当然ながら物語を追って見ることは困難で、観客は断片を追いながらインスタレーションの周りを移動しつづけることになる。そのとき、観客は映像を見ているのか、オブジェを見ているのか。物語性が非常に重要であったヤンが、それを敢えて壊そうと試みていることが興味深く、今後の彼の作品の展開が期待される。
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フォトレポート Yang Fudong: Quote Out of Context @ OCT Contemporary Art Terminal Shanghai (2012/12/05)
Installation view of “Joy in People” at WIELS. 2012
ジェレミー・デラー『Joy in People』
2012年6月1日–8月19日
WIELS、ブリュッセル
http://www.wiels.org/
2013年に行われる第55回ヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館代表に選出されたジェレミー・デラーの個展。彼が学生時代に、同居する両親の留守中に自分の部屋で開催した「Open Bedroom」(1988-1993)を再現したほか、2004年から2012年まで実現しなかったプロジェクトの資料を「My Failures」(2004-)として見せるなど、彼が興味を持ち作品制作に至った経緯も含めて丁寧に見せていたのが印象的であった。最も有名な作品のひとつである「The Battle of Orgreave (An Injury to One is an Injury to All)」(2001)に見られるように、1984年に起こった炭坑でのストライキに端を発した炭坑労働者と警察との衝突という歴史的事件を、当事者を含む地元の人々の協力で再現し、記録映像と共に構成する方法は、彼の作品を通して過去の出来事を俎上にあげ、人々とコミュニケートするひとつの形に結集する。参加を促すことで、過去の記録が蘇り、人々の口端に上ることによって、いわゆる参加型の作品が見せる人々の参加という事象とその記録にとどまらない作品の強さを見せる。そこにあるのは是非を問うという姿勢ではなく、歴史を通じて、人間を理解するという前向きな姿勢である。彼が当初より作品で扱うポピュラーカルチャーに対しても社会的事象への姿勢と同様で、決して揶揄するのではなく、そうしたポピュラーカルチャーから生まれるコミュニティが持つ可能性について言及している。デペッシュ・モードのファンコミュニティについてのドキュメンタリー(共同監督/ニック・アブラハム)『Our Hobby is Depeche Mode』(2006)は世界各国のデペッシュ・モードのファンについてのドキュメンタリーである。家族でのコスプレや、ときに西洋音楽が禁じられた国で法を犯してまで聞くなど、デペッシュ・モードにファンが見いだす象徴的意味をインタビューと映像で丁寧に追っている。ファンというひとつのコミュニティから生まれ、付加された意味を考える作品。こうした彼の人間に対するポジティブな興味がタイトル『Joy of people』に表れている。来年のヴェネツィアでのプロジェクトが期待される。