元永定正死去(1922–2011)


Sadamasa Motonaga, Work (Eau) (1956/2010). Installation view, “Il gruppo Gutai,” Museo Cantonale d’Arte, Lugano, Switzerland, 2010-11. Photo: ART iT

2011年10月3日午後9時42分、関西を拠点とする抽象画家の元永定正が、前立腺がんのため、兵庫県宝塚市の病院で死去した。88歳。葬儀・告別式は親族のみで行なった。後日、お別れの会を開く予定。連絡先はモトナガ資料研究室(兵庫県宝塚市社町4-104)。喪主は妻で画家の中辻悦子。

元永は1922年、三重県上野市(現・伊賀市)生まれ、三重県上野商業学校卒。卒業後一度大阪で就職するが、郷里に戻り、郵便局員、工員、店員など職を転々としながら漫画家を目指す。郷里の画家・濱邊萬吉に師事して油絵を始め、1952年、神戸市東灘区に転居し抽象的なオブジェや平面作品を作り始める。1953年の兵庫県芦屋市展に油彩画「黄色の裸婦」を出品しホルベイン賞を受賞。同作に注目した前衛美術家・吉原治良の誘いにより『真夏の太陽に挑む野外モダンアート実験展』に参加し、ビニールに着色した水を入れて木の枝から吊った作品などを出品する。

1955年にリーダーである吉原の誘いで前衛美術グループ「具体美術協会」(1954–72)に参加(1971年まで)。水の作品のヴァリエーションや煙を用いた舞台上のパフォーマンス作品などを発表し、絵画作品、オブジェ、ハプニングと幅広く活動する。1958年に元永の作品特有の抽象形態「かたち」から絵具がはみ出したことをきっかけに、日本画の「たらし込み」の手法に着想を得て、偶然性を活かした絵画作品を作り始める。傾けたキャンバスに、予め描かれた下絵の「かたち」に沿って絵具を流す躍動的な絵画によって国際的にアンフォルメルの画家として注目され、戦後日本の前衛美術の代表的な作家の一人となる。

1966年から67年に掛けてジャパン・ソサエティーの招聘でニューヨークに滞在し、その後ヨーロッパにも渡る。渡米後はアクリル絵具やエアブラシを用いた詩的な抽象絵画を作るようになる。1970年頃からユーモラスな抽象形態やタイトル、明るく豊かな色彩が特徴的な、「ファニーアート」とも呼ばれる作風を確立する。1970年代からは版画、映画、陶芸、絵本、カーペインティング、タピストリーや椅子のデザインなどと、活動領域が更に広がる。絵本作家としての活躍は特に広く知られ、詩人・谷川俊太郎作『もこ もこもこ』(文研出版 1977)、元永定正作『ころ ころ ころ』(福音館書店 1984)、ジャズピアニスト・山下洋輔作『もけら もけら』(福音館書店 1990)などが代表作に挙げられる。2010年9月には再び谷川俊太郎と組んだ『ココロのヒカリ』が文研出版より刊行された。

受賞・受章は1964年の第6回現代日本美術展優秀賞、1983年の第2回芸術文化振興協会賞・第15回日本芸術大賞・第4回ソウル国際版画ビエンナーレ大賞、1986年の兵庫県文化賞、1988年のフランス政府からの芸術文化シュバリエ章、1991年の紫綬褒章、1992年の大阪芸術賞、1997年の勲四等旭日小綬章、2007年の損保ジャパン東郷青児美術館大賞など多数。1993年には第45回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。1996年に成安造形大学造形学部造形美術科教授に就任する。近年の個展には広島市現代美術館『元永定正展 いろかたちながれあふれててんらんかい』(2003)、三重県立美術館『元永定正展 MOTONAGA SADAMASA』(2009)など。2011年9月には兵庫県立美術館に野外彫刻を寄贈した。

(文中敬称略)

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