2015年プリツカー賞


Frei Otto, Roofing for main sports facilities in the Munich Olympic Park for the 1972 Summer Olympics (1968–1972) Munich, Germany, With Behnisch + Partner and others. © Atelier Frei Otto Warmbronn All images: Courtesy of Atelier Frei Otto Warmbronn

2015年3月10日、プリツカー賞審査委員会(主催:ハイアット財団)は、自然界の構造を建築に取り入れ、超軽量・高性能な建築構造を実現した建築家/構造家として知られるドイツ出身の建築家、フライ・オットーへの2015年プリツカー賞の授与を発表するとともに、3月9日に同氏が89歳で死去したことを発表した。

今回の授賞は、オットーの死去の知らせを受けて当初の予定を繰り上げて発表され、同審査委員会は、「同賞の歴史に前例のない悲しい出来事だが、生前に授賞を報告できたことに感謝している」と述べた。オットーは同賞の受賞を喜び、「私を建築に駆り立てたのは、苦境に立たされた人々、とりわけ、自然災害や大惨事に遭遇した人々を助ける新しい建築を設計することでした。これまで続けてきたことを残された時間も続けていきたい」と語っていた。


Above: Japan Pavilion, Expo 2000 Hannover (2000) Hannover, Germany With Shigeru Ban Photos by Hiroyuki Hirai Below: City in the Arctic model With Kenzo Tange, Ove Arup, Ted Happold and others © Atelier Frei Otto Warmbronn

フライ・オットーは1925年ジーグマ(ドイツ)生まれ。第二次世界大戦中により学業の中断を迫られ、45年にフランスの捕虜となると、シャルトル近郊の収容所にて建築家として活動する。戦後、ベルリン工科大学で、ナチス・ドイツの称揚した重厚な建築とは対極に位置する軽量で、自然に開かれた、民主的な建築の在り方を研究し、54年に博士論文「吊り屋根」を執筆する。64年にシュトゥットガルト大学教授に就任すると、さまざまな専門家からなる学際的なグループで自然界の構造を研究する軽量構造研究所を設立し、その成果を建築へと取り入れていった。71年にはニューヨーク近代美術館で初の個展を開催(同企画は、その後、北米、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアを巡回)。代表作として、「モントリオール万国博覧会西ドイツ館」(1967)、構造を担当した「ミュンヘンオリンピック競技場」(1972)があり、前回の同賞受賞者である坂茂が設計した紙管パビリオン「ハノーバー国際博覧会日本館」(2000)にも構造担当として参画している。そのほか、丹下健三とも共同で「北極の街」(1971)を手掛けており、2006年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。なお、SD選書から『自然な構造体―自然と技術における形と構造、そしてその発生プロセス』(1986、鹿島出版会)が刊行されている。

プリツカー賞は1979年にハイアット財団が創設し、しばしば建築界のノーベル賞に例えられる。近年は、王澍[ワン・シュウ](2012)、伊東豊雄(2013)、坂茂(2014)とアジア勢の受賞が続いていた。

プリツカー賞:http://www.pritzkerprize.com/


Frei Otto, Nature, what is that? — living, loving, laughing Drawing, 1984 © Atelier Frei Otto Warmbronn

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