村岡三郎死去(1928-2013)


Saburo Muraoka, Boday Temperature, 2010, Copper, heat(body temperature), temperature controller steel, 99x41x31. Busan Biennale 2010

2013年7月3日、鉄や塩などの物質や、熱や振動といった物理現象を採り入れた彫刻やインスタレーションで知られる村岡三郎が、肺炎のため滋賀県大津市内の病院で死去した。85歳。

村岡は1928年大阪府生まれ。50年に大阪市立美術研究所彫刻部を修了すると、54年に鉄を素材とした彫刻を発表する。このとき発表された「1954年7月」は日本における熔接彫刻の最も早い例とされている。70年代以降、「生命」や「死」という人間が抱える根源的な問題を、鉄、塩、硫黄といった物質を通して問い、重力や熱などの物理現象を作品に採り入れていく。80年代半ばに採り入れられた酸素ボンベは、主要なモチーフとして継続して用いられた。
87年に大阪府立現代美術センターで回顧展『村岡三郎 1970-1986』を開催すると、90年には遠藤利克とともに第44回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館代表に選出される。97年には東京国立近代美術館にて回顧展『熱の彫刻—物質と生命の根源を求めて』を開催(翌年京都国立近代美術館に巡回)、99年には第40回毎日芸術賞を受賞する。2000年代に入っても、ギャラリーでの個展のほか、越後妻有アートトリエンナーレ2000、横浜トリエンナーレ2001、釜山ビエンナーレ2010をはじめとする国際展や国内外の企画展に参加、継続的に制作、発表を続けていた。
また、制作活動のみならず、滋賀大学(1981-93)や京都精華大学(1993-2002)の教授も歴任した。

文中敬称略

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