菊竹清訓 死去(1928–2011)

日本を代表する建築家で、建築運動「メタボリズム」の中心人物であった菊竹清訓が2011年12月26日に心不全で死去していたことが2012年1月5日に公表された。享年83歳。連絡先は菊竹清訓建築設計事務所。葬儀は近親者で済ませており、後日、お別れの会を開く予定。

菊竹は福岡県久留米市出身。早稲田大学理工学部建築学科在学中からコンペに入選するなどして頭角を現し、卒業後は竹中工務店などを経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設。1958年には東京の自邸である実験住宅「スカイハウス」を計画。1960年には生物学の「新陳代謝」の概念を、都市と建築に採り入れる独特のデザイン理論「メタボリズム」を黒川紀章らとともに提唱。1963年には出雲大社の事務棟「庁の舎」の設計により、第15回日本建築学会賞などを受賞。その他、受賞多数。

大阪万博エキスポタワー(1970)、川崎市市民ミュージアム(1988)、銀座テアトルビル(1987)、江戸東京博物館(1993)、ホテル・ソフィテル東京(1994)、島根県立美術館(1999)、九州国立博物館(2004)なども設計。1975年沖縄海洋博の政府出展海上都市「アクアポリス」の空間プロデューサー、1988年なら・シルクロード博や2005年愛知万博のプロデューサーも務めた。日本建築士会連合会名誉会長、アメリカ建築家協会(AIA)特別名誉会員。著書には『代謝建築論』『海上都市』『日本型建築の歴史と未来像』など。

(文中敬称略)

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