ザハ・ハディド死去(1950-2016)


国立21世紀美術館(MAXXI)Photo: ART iT

2016年3月31日、現代建築における最も有名な建築家のひとり、ザハ・ハディドが心臓発作のため、フロリダ州マイアミの病院で死去したと、ザハ・ハディド・アーキテクツが明らかにした。65歳。

ザハ・ハディドは1950年バグダッド生まれ。レバノンのベイルート・アメリカン大学で数学を専攻。72年にサダム・フセイン政権下のイラクからロンドンへ移り、英国建築協会付属建築学校(AAスクール)で建築を学ぶ。レム・コールハースの設計会社OMAを経て、79年に自身の設計事務所ザハ・ハディド・アーキテクツを設立。83年、香港ヴィクトリア・ピークのレジャー・クラブ建設のための国際コンペティションに勝利し、国際的に注目される(※事業者の倒産により建設中止)。幾何学的な曲線や直線、鋭角が織りなす流動的でダイナミックな建築の形態は、なかなか実現に至らず、ペーパーアーキテクトとして知られていたが、93年にドイツのヴァイル・アム・ラインの「ヴィトラ社消防署」を皮切りに数々の建築を実現し、2000年代にはオーストリアの「ベルクイーゼル・スキージャンプ台」、アメリカ合衆国の「ローゼンタール現代美術センター」(2003)、イタリアの「国立21世紀美術館(MAXXI)」(2009)、「広州オペラハウス」(2010)、ロンドン五輪に使用された「アクアティクス・センター」(2011)、「サーペンタイン・サックラー・ギャラリー」(2012)、アゼルバイジャンの首都バクーの「ヘイダル・アリエフ・センター」(2013)などを手掛けた。現在も建設途中のプロジェクトも数多くあるが、出身地のイラクに自身の建築を残すことはできなかった。

一方、男性優位の建築界において、ザハ・ハディドの残した功績は大きい。2004年には女性建築家として初のプリツカー賞を受賞。その後も高松宮殿下記念世界文化賞(2009)や2度の王立英国建築家協会(RIBA)スターリング賞(2010、2011)といった数々の賞を獲得し、今年2月にも女性建築家として初のRIBAロイヤルゴールドメダルを受賞している。

日本国内で手掛けた仕事に、内装や店舗デザイン、展覧会場設計、仮設のシャネル・モバイルアートパビリオンがあるが、本格的な建築は実現していない。2012年に、2020年開催予定の東京五輪の主会場となる新国立競技場基本構想国際デザイン・コンクールの最優秀賞に選ばれたものの、計画は2015年に白紙撤回されることとなった。2014年には東京オペラシティ アートギャラリーにて、アンビルトの時代から新国立競技場の応募案から当時最新の計画までを展示する大規模な個展を開催した。


広州オペラハウス Photo: Ming Wong

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