エルネスト・ネト インタビュー

コミュニティ、コミュニケーション、リレーション
インタビュー / 大舘奈津子


A vida é um corpo do qual fazemos parte, 2012
TorusMacroCopula, 2012©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat, Courtesy of Espace Louis Vuitton Tokyo

ART iT 今回、ここ、エスパス・ルイ・ヴィトン東京での個展『Madness is part of Life』で発表した作品について、話していただけますか。

エルネスト・ネト(以下EN) 今回は3センチの編み目でスタジオの人間がすべて手作業で編んでいます。極めて伝統的な手法で、私も祖母から学んだような技術です。この作品に使われている糸の色はすべて自分で決めました。50%がポリプロピレンで、50%がポリエステルです。ポリプロピレンで1色、ポリエステルの方は2色あり、1本のひもに3色あることになります。これはベースがピンクで、シャンパンカラーと青の組み合わせですね。緑なら違う種類の緑が混ざっています。そうやって色々な組み合わせをすべて自分で考えました。だいたい150くらいの組み合わせを考えたでしょうか。その中から作品に使うものを選んでいます。従って、色遣いにはかなり時間をかけました。

ART iT 以前の伸縮性があるナイロン生地を使った作品よりも、より色に意識が向いているということでしょうか。

EN 今回のこのボールもパントーンで色を指定して購入しました。色に名前もつけています。これは「ゴールデンクリーム」これは「オイルイエロー」などといった具合に。これらのニュアンスがあるボールの色は中から見るのと、下から見るのでは色がまったく違って見えます。同じ色なのに、ここにあるこのネットの効果でまったく違う色に見えるのです。その効果を非常に嬉しく思っています。この作品を制作している間は常に色のことばかり考えていました。

ART iT かぎ編みという手法をつかったのはなぜでしょうか。

EN まず、上から吊るして、人が乗っても十分耐え得るものとして、かぎ編みという形式を選んでいます。ヘイワードギャラリーの展覧会では、スイミングプールをつくりましたが、そのときにカギ編みを使いました。水圧に耐え得るものとして最適だったからです。それより前の1994年にもこの技術を使って作品を作っています。そして、あるとき、長い間、作品に使用していたナイロン生地を、スキャナーを使って拡大したときに、このカギ編みの構造ととても近いことに気がついたのです。こうしたふたつの素材の関係性を非常に興味深く感じました。その他にも、スーパーボールやスタイロフォームを使った作品を作っていましたし、スパイスや砂も使いましたがすべて顕微鏡で拡大すれば同じ様な構造を持っているのです。そうしたところに共通点があります。
そしてスタジオの皆がテーブルに向かって編んでいるという意味である種の共同体がここでも生まれているとも言えます。つまりコンセプトのみで、誰かに作らせているわけではなく、この作品は共同作業の産物なのです。

ART iT 共同作業や共同体といえば、以前、知人よりあなたがオーガナイズするリオでのパーティーが素晴らしいと聞いたことがあります。あなたの作品は、単なる参加型の作品というだけでなく、作品を通して人同士の関わりやコミュニケーションの場所を創りだすということが非常に重要であるように思えます。

EN そうです。それは私の作品において非常に重要ですね。私はこの世界が大好きなのです。自然はもちろん、人間も人間が作ったものすべてが大好きです。もちろん、それと同時に嫌いなものも沢山ありますけれどもね。基本的には人が好きなので人と会うことを楽しんでいます。アイディアを交換しあうことができますし、特にパーティーのような楽しい場所では、どんな人でも素直に、人と知り合え、話し合うことができ、より生き生きとすることができると思っています。

ART iT リジア・クラーク、エリオ・オイチシカの作品にはご自身でもお話しているように、素材面でも、コンセプトの面からでも影響を受けていると思いますが、こうした参加型の作品というのは、ブラジルの風土が生んだものと理解してよいでしょうか。

EN ブラジルの文化的環境が大きく影響していると思います。ブラジルにはヨーロッパ、アフリカ、アジアから渡ってきたインディオもいます。こうしたブラジルの特有性については私自身もよく考えています。ブラジルでは、サンバで遊んでいるときに、楽器を弾く人が中央に、周りに歌を歌う人、リズムをとる人、踊る人などがいて、ひとつのサンバという環境を作り出します。ヨーロッパで生まれたクラシック音楽のコンサートは、舞台の上で演奏家が演奏に専念し、観客は観客席から演奏を静かに見守りますし、ロックミュージックのコンサートでも、観客は観客席で歌ったり踊ったりしますが、ミュージシャンは舞台の上です。これはキリスト教の影響があるのではないかと思っています。宗教的な制度の中から生まれてきたものではないでしょうか。
ブラジルでは参加をするというのは自然の中から生まれてきています。常に皆が参加する状況が存在し、また芸術もそうした中から生まれたものです。文化的、精神的な背景はそこにあるのです。また、私たちの社会には上下関係がありません。皆が平等に近い形です。
また、芸術というのは、一般に手で触れてはいけないとされています。価値があるものであればあるほど触れません。それゆえ、芸術作品には時に額に納められ、ガラスケースに納められる、セキュリティがしかれるなど保護されているものです。そのように隔離すればするほど、芸術作品自体に価値がある、とされています。経済的な価値として重要になります。西洋文化、さらに言えば新保守主義の中で、芸術作品の経済的価値がより重要視されていると思います。
ブラジルの人間社会と文化においては、参加や共生ということが重視されています。特にリオでは、そうした参加や共生といったことが文化に強く根付いています。例えば、海岸もひとつのコミュニティを生みます。浜辺では人々はほとんど何も身に付けていないので、皆がより容易に、無防備にひとつになれる要素を持っており、そうした共同的な社会活動をすることができます。それと同時にリオにはファベーラという貧民街があります。それもひとつのコミュニティです。法的には認められていないコミュニティではありますが、その中ではとても良い関係を保つことが出来ます。例えば芸術でいえばトーテムといったようなものです。周りがそこに集まるのではなく、トーテムではあるけれども、皆が混ざり合うといったような場所です。

ART iT ヘイワードギャラリーで行った展覧会は、あなたの作品が持っている特性、つまり人々を参加へと誘う公共性にあふれたものでした。それは美術館が公共の場であるということを再認識させるものであったと思います。一方で、このエスパス・ルイ・ヴィトン東京は、誰でも入ってくることはできますが、高級ブランドの店舗ビルの上階に存在することから、結果として限られた人のための空間であると思います。とするならば、このような場所で制作する作品はどのようになりますか。あなたの作品において展示空間の社会的意味は重要だと思いますが、だとすれば、展示する作品を決定する要因はどのようなものになるのでしょうか。

EN 私はすべての人たちが芸術に触れる権利があると思っています。裕福な人、貧しい人そして住んでいる場所に関わらず、芸術作品に触れる機会は平等に与えられるべきです。ここ、エスパス・ルイ・ヴィトン東京は天井も高く、すべてガラス張りのアートスペースです。この作品はこの場所に合わせて、1年前から構想を練り制作しました。ここはガラスを通して東京の街と一体になれるという意味で非常に魅力的な場所です。ここが社会の中でどのような位置を占めている場所なのか、私は知りませんが、すべての人がエレベーターのボタンを押してここに来てくれることを望みます。物理的に不可能なことはわかってはいますが、気持ちとしては、この作品の入口になっている先の部分がそのまま階段をずっと1階まで降りて、店の入口まで到達し、誰もがそれを上がってここまで来てもらえればいいな、楽しいだろうなと思っています。ここに来る人たちの財布の中にお金がいくら入っていようが、銀行にいくら貯金があろうが、どのようなバッグを持っているのか、などそのようなことを全く意識しないで入って来ることができる場所になり、この場所に対する先入観を壊すことができたらとても素晴らしいと思います。私は今回、この店舗の5階に行く機会がありましたが、すこし恥ずかしく、萎縮してしまいました。店員の方々が皆、インカムをつけ、ガラス張りのケースが置いてあり、セキュリティが非常にしっかりしています。非常に保護された場所であると感じました。その中で私の作品が、ひとつのカンフル剤の様に、社会的な制約を壊すことができたらよいなと思い、こうして来場者が平等に参加できるような作品を制作しました。


Top: A vida é um corpo do qual fazemos parte, 2012 Pedras, 2012 ©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat, Courtesy of Espace Louis Vuitton Tokyo. Bottom: O Bicho SusPenso na PaisaGen, 2011 Installation view at Hiper Cultura Loucura en el Vertigo del Mundo, Faena Arts Center, Buenos Aires, 2011 Photo: Ernesto Neto

EN 実は、ちょうど今日、友人からのメールに返信したところでした。リオ・デ・ジャネイロのファべーラで展覧会を行なったことがある友人です。この作品はそうした場所での展覧会でも展示しようと思っています。
このポリプロピレンとポリエステルの糸を使いカギ編みで編んだネットの作品は、新しいシリーズなのですが、最初に作った作品は昨年、アルゼンチンのブエノスアイレスに新しく出来たファエナ・アーツ・センターで展示されました。そして同じ作品をつい2週間前に、リオ・デ・ジャネイロの中心にある廃墟となっていた駅で展示しています。その駅はちょうど街の北部と南部の境目にあり、富裕層が住むエリアと貧困層が住むエリアを繋ぐ場所です。そうした場所で展示をするのは非常に興味深いですね。言ってみれば、交渉、交流の場所です。例えば、ここの場所にしても、この作品の上まで上がれば、あなたは他の人と同等です。皆が同じように不安な気持ちでここまで上り、この場所でリラックスした気持ちになる、と同時に少し奇妙な気分がするでしょう。

ART iT 以前のナイロンを使った作品は何か包まれるような安心感がありました。今回、もちろんこの宙に浮いた場所でもリラックスはできるのですが、ある種の不安定感があります。それは意図しているものなのでしょうか。

EN もちろん、現在は何事においても安全性が言われ、発言ひとつをとってもリスクをとりにくくなっています。「これは危ないからやってはいけない」「これは政治的にまずいから言ってはいけない」というようなことです。ある種の圧力を受けながら生きているといってもいいかもしれません。
アルゼンチンでこの作品を見せたときにも、不安定性については多くの人に言われました。通常ぶら下がっているものは、鉄や金属といった硬質のものですが、これは柔らかい糸で編まれたカギ編みのネットですから不安定に感じると思います。男性的な素材であれば安定感を得られると思いますが、女性的な素材だと安定感がでないということもあるかもしれません。世界の秩序は男性的な秩序で守られていますが、バランスのとれた世界を作るためには女性的な秩序がもっと多く必要だと思います。そして人生自体が不安定なものなのですから、バランスが崩れた世界でこそ生きている実感があるのです。深刻な決断をしなくてはならない、どこに行けばいいのかなど常にそうした不安定な要素を抱えているのではないでしょうか。それが生きるということです。

ART iT 確固たるものを持たないようにしているということでしょうか。

EN ある意味では。私の作品はすべてアイデンティティについてのものではなく、関係性についてのものです。カギ編みやここで使っている色にはそれぞれアイデンティティはありますが、その色を見せるのではなく、そのパーツの関係性が何を生み出すのかということに興味があり、それを見せることを意図しているのです。
社会の中においてもお互いを探り合う関係が存在します。話をしているときに、相手はどういう人だとかどういう権力を持っているかなど探り合いの関係が社会の中にもあり、それがあるからこそ、緊張感が生まれるとも言えます。それと同じように、この作品ではそれぞれのアイデンティティがぶつかりあうことで生まれる緊張感が、さらに相互に作用することにより安定感が得られると思います。緊張感のぶつかり合いは、どこにでも必ず存在します。友人関係においてでもです。
一方で、この作品ではカギ編みの始まりというのがあります。このポイントから編み始めます。この単純な点から、詩でもあり、建築物でもあるすべてが作り上げられる。出発点はそういう意味でとてもシンプルなものです。
ここは一つの皮膚ですよね、この中にあるボールは細胞とも言えるでしょう。このふたつで我々は制限をつくっています。時間というのも制限であり、その中で私もあなたも生きています。

ART iT 今回の展覧会のタイトルは非常に挑発的でもあります。

EN 我々は現在、すべてコントロールされた世界に生きています。そうした世界では狂気がないと信じられていますが、もしそれがなければこのような作品を作ることはできなかったでしょう。この作品は私の中の狂気から出来ています。狂気がなければニーチェが話すような踊る星を生むことができなかったでしょう。
エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロという人類学者がインディオの研究をしているのですが、彼はインディオが理性を持つためにはオンサ(ヒョウのような動物)にならなければならない。インディオがオンサになったときに彼らが狂気になったというわけではなく、狂気は私たちを含むすべての人の中にある、狂気を隠すこともコントロールすることもできませんし、そうすべきでないと思います。

エルネスト・ネト『Madness is part of Life(狂気は生の一部)』
会場: エスパス ルイ・ヴィトン 東京
会期: 2012年9月29日–2013年1月6日
http://www.espacelouisvuittontokyo.com/

Copyrighted Image