第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ ヤエル・バルタナ(ポーランド) インタビュー


Production photo from Mur i wieża (Wall and Tower) (2009). Photo Magda Wunsche & Samsel. All images: Unless otherwise noted, courtesy Annet Gelink Gallery, Amsterdam, and Sommer Contemporary Art, Tel Aviv.

 

ART iT あなたのこれまでの作品は、イスラエルの社会と政治の側面についての考察を見せるものでした。現在は、ほぼフィクションとしてのポーランド・ユダヤ新生運動(JRMiP)について、三部作からなる映像作品の最終作品の完成に向けて制作を続けています。まず、今回、ヴェネツィア・ビエンナーレでポーランドの代表作家となったことはあなた自身の作品の見方やナショナルアイデンティティについての考え方に影響を与えましたか。

ヤエル・バルタナ(以下YB) 私が作り出すフィクションが現実の状況にとても近くなったとは言えますが、私の作品に対する見方が変わったとは言えないでしょう。長い間、私はもっと直接的に現実に近づくためにアートワールドが持つ幻想を超えて進むことに興味を持ってきました。ポーランドを代表するアーティストに選ばれたことによって、アートと現実もしくはフィクションと現実の間の境界線を越えることが許されたとも言えます。私のビジョンや幻想を現実化させること、アートというツールを通して現実の問題を扱うことを実現できたことが、ある意味私にとって最も大きな成功であります。

 

ART iT そしてJRMiPはひとつのプロジェクトという形を超えて残っていく様相を帯びてきましたね。

YB はい、2012年にベルリン・ビエンナーレの一環として、ベルリンで会議を開きます。今回ビエンナーレのアーティスティックディレクターをつとめる、ポーランド人のアーティスト、アルトゥール・ジミェフスキとコンセプトについて現在話を詰めているところです。JRMiPはたくさんの好奇心を引き起こしています。今年の2月、ベルリン国際映画祭でJRMiPについてのプレゼンテーションを行なった際、多くの観客から具体的な質問を受けました。例えば、JRMiPは所有権の問題をどのように扱うか、などといった質問です。現実の問題に対する処置についての真剣な要求があり、この運動に対する非常に高い期待を感じました。しかし、このアイディアの背後にあるメタファーや象徴性といったことを維持するのが非常に重要で、故に最も大きな挑戦は現実とフィクションの間の正しい境界線を見つけることと、この両方の世界を扱う方法を見つけ、その方法をうまく利用することです。
この運動のメンバーは必ずしもユダヤ人というわけではありませんし、このプロジェクトをポーランドのユダヤ人の問題と限定することは意図していません。これはかなり特定の研究事例で、ヨーロッパと中東における社会変革と移民の問題を反映するもっと世界的な問題や、他者と生活することの可能性と不可能性について、さらにはどこにでも存在し、現在増加しつつあるナショナリズムと人種差別の問題などに言及しています。私にとって、イスラエルとポーランド、もしくはユダヤ人とポーランドの間の歴史と現在の状況といった非常に具体的なことを扱うことは戦略的に非常に重要でした。でも、このプロジェクトは他の国にも共通した話を扱っているのです。

 


Both: Video still from Mary Koszmary (Nightmares) (2007). Courtesy of Annet Gelink Gallery, Amsterdam, and Foksal Gallery Foundation, Warsaw.

 

ART iT あなたの作品は観客からある種の反発を呼び起こす効果があります。特定の主題であるが故に、そして、構成においてプロパガンダ映画の戦略を用いているからです。作品「Mary Koszmary」[悪夢](2007)や「Mur i wieża」[壁と塔](2009)の主題に同調するのも、監督の視点に完全に同調するのも難しいと思います。しかし、実際、国籍と内在する問題に対する観客自身の立場における反応を即座に引き起こし得るものでもあるわけです。それが作品の目的なのでしょうか。

YB 国籍というものを再考することは完全に私にとって過去十年来の最も主要なテーマでした。ナショナリズムを通じてアイデンティティを構築する問題と、それがどのようにして象徴化され、伝えられたかという問題です。ナショナリズムは所属という感覚を生み出す想像が生み出した、操作的な方法で、JRMiPも同じ方法をとっていると思います。しかしながら、私はファシストの美学が元になった要素を使ってファシズムを批判しているのです。多分これは観客を困惑させるかもしれませんが、私は支配的ではなく、楽観的な状況を作り出すことを望んでいます。私自身、プロパガンダの美学は非常に力強く、直接的で、伝達力に優れていて、シンプルなものだと思っており、作品を一定のレベルで理解してもらうことを可能にするものだと思っています。同時に、これらのイメージは我々の共通の記憶に刻み込まれており、まったく違う悲惨な記憶とも結びついています。これらの関係をぱらぱらとめくってみせることも私の戦略でもあるのです。そうすることによって、芸術的な要素は生き残っていくのだと思います。芸術においてのみ、このような方法で感情を混ぜあわせることができるのではないでしょうか。

 


Both: Video still from Mur i wieża (Wall and Tower) (2009).

 

ART iT あなた自身は例えば「Mur i wieża」のような作品にどのように同調しますか。

YB この映像作品は批判です。これは好ましいはずのユートピアが悲劇という結果になることへの批判です。国家の悲劇、特にイスラエルの場合において、ユダヤ人にとっての安全な場所をつくろうというユートピア的なアイディアにおける悲劇が、多文化の完全な抹消へと導いたということを強調していると思います。このプロジェクトはヨーロッパと中東のイメージの背後に光る鏡のようなものとみなしています。私の希望はそれをさらに、私自身の批判性という立場だけでなく、ベルリン・ビエンナーレの会議を通じて、何かを提案すること——まず政治が単に政府の領域に留まるべきではないことを提案すること——を考えています。

 

ART iT あなたが受けた質問「JRMiPはどのように所有権を扱うか」という質問から提案されたように、300万人のユダヤ人にポーランドへの帰国を促す提案のとてつもなさは、政局のデフォルトのシナリオを受け入れてしまう安易な自己満足を強調しているようにもみえます。ポーランドのリベラルな人たちにとっても300万人のユダヤ人の帰国を促すというアイディアをまったく受けいれられないであろうことは自然な反応だと思えます。

YB このプロジェクトに対しては、右も左も狂信的な人たちは非常に腹を立てていました。ポーランド人からもイスラエル人からも、このプロジェクトを字義通りに受け取った人たちからたくさんの批判を受けました。中にはこの提案が実現して、急に大量のユダヤ人がポーランドに戻ってきて、領土や仕事を引き継ぎ、経済を運営していくことにおびえている人たちもいました。そして、イスラエルではポーランドに向けてユダヤ人達がイスラエルを離れることが、パレスチナ人たちが戻ってくることへの突破口となるかもしれず、そういう意味においてもこのプロジェクトにはもうひとつの帰国の権利の側面が含まれているのです。

 

ART iT あなたの初期のビデオ作品は、人類学的もしくは構造的な構成となっていました。その後、「Summer Camp」(2007)を制作した頃、家屋破壊に反対するイスラエル委員会のメンバーがイスラエル当局によって破壊されたパレスチナ人の家を再建するところに同行し、より映画的言語へシフトしていきました。いったい何がきっかけだったのでしょうか。

YB 非常に難しい質問ですね。多分プロパガンダ映画に非常に引きつけられたことと関係があるのだと思います。ずっと長い間、私はこれらの初期のプロパガンダ映画——特にシオニストの映画ですがそれだけでもありません——との対話を作りたいと考えていました。なぜなら、それらの映画は美的に非常に強く、さらにそれがイスラエル国家の悲劇を直接的に議論するひとつの方法になりうると考えたからです。そして「A Declaration」(2006)という映画でその試みを始めました。ある男がヤッファの港にあるアンドロメダの岩まで舟を漕ぎ、そこに立っていたイスラエルの旗をオリーブの木で置き換えるという内容です。これがプロパガンダ映画を扱って、ナラティブな方法で抽象的な要素をより少なくしようとした最初の試みでした。そこから少しずつ、ゆっくり発展していったのです。

 


Top: Video still from A Declaration (2006). Bottom: Video still from Summer Camp (2007).

 

ART iT この三部作の最後の作品となる新しい映像作品では何か違うことを試みるのでしょうか。

YB まず最初の二つを見ずして、新しい映像作品を見ることは不可能だと思います。
なぜなら、この作品はJRMiPのリーダーの殺害、彼の死についてのものであり、ヨーロッパへの帰還というアイディアをより複雑にする試みだからです。ここではより多くの声——シオニストの声までも——取り入れており、600万人のユダヤ人の亡霊についての話すといった別のレイヤーも含まれています。

 

ART iT この映像作品に参加した俳優たちとの関係はどういったものなのでしょうか。

YB 「Mary Koszmary」の中で、ユダヤ人に帰国するように訴えるスピーチをしているのはスラヴォミール・シエラコウスキーですが、彼は俳優ではありません。彼はアクティビストであり、ジャーナリストでも哲学者でもあり、ポーランドで新左翼を作ろうとしている人です。私がポーランドでリサーチをしていた際、現状をまったく別のものに変革することを信じている協力者を探しました。彼はプロジェクトを信じてくれ、ユダヤ人と他の少数民族の帰国が文化のために必要だと心から信じていました。なぜなら戦後、ポーランドは非常に均質的な社会になってしまったからです。私にとって、彼は俳優ではなく、彼こそがフィクションの中と同様に現実の生活でもこの問題を扱っている顔であり中心人物なのです。従って、先ほども話したように、私にとってフィクションと現実の間の境界線はとても細いのです。新しい映像作品については、ホロコーストの生き残りである人物にスピーチをしてもらうようにお願いし、少数派とされている美術史家で少数民族がポーランドで一緒に暮らしていける可能性について話す人を呼びました。このプロジェクトに関わっている人は皆、実際に実現可能だとは必ずしも信じていなくても、私が何をしようとしているか理解しています。

 

ART iT この10年間、あなたは作品を通じてナショナリズムの問題と向かい合ってきました。どうしてそうしたことが必要だと感じたのでしょうか。

YB イスラエルに関していえば、ナショナリズムの危険性は多くの人々が洗脳され、非常に閉鎖的で順応的な考え方をする傾向がありました。非常に単純化されているのです。彼らは複雑なことは理解できないし、他者の視点も理解できません。ある意味、傷ついた精神であり、とても恐るべきもの、とても攻撃的で暴力的で極端な力を支えるものです。他の国はそれぞれ確実に自分たちで守ることができると思いますが、イスラエルの状況はユダヤ教の考え方を超えて領土問題へ発展・離散しています。イスラエル国家の創設と共に起こった変化などは私にとって、他のどの国よりも複雑なものなのです。私は自分の作品を通じて、これらの問題について学び、より感情的に開放的であろうとしてきました。教訓的にみえたとしても、それは議論を呼び起こすためのものです。私は自分の作品が挑発的になりうることを知っていますが、私が侮辱されたとしても、人々がこの問題について話すきっかけになるのであれば、社会の多様性を見ることが叶うと考えています。今の時点ではこうしたアプローチを続けていくことを約束することはできません。しかしながら、今のポーランドでのプロジェクトに関して言えば、イスラエルと非常に特殊な形で関わっている国で仕事をするのは非常に面白いです。多くのイスラエル人にとって、ポーランドは一番大勢のユダヤ人が殺された場所であるが故に、未だホロコーストを象徴する国であります。私はもちろんこれは非常に大きなリスクを伴うプロジェクトだと自覚しています。ときどき、私は自分自身が殺されるのではないかと恐怖を感じることもあるのです。

 

第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ『ILLUMInations』は6月24日から一般公開。会期は11月27日まで。

 


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ヴェネツィア・ビエンナーレ——ILLUMInations: 第54回国際美術展

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