第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ ビーチェ・クーリガー インタビュー


Dayanita Singh – From “File Room” (2011), pigment print, 60 x 60cm. Courtesy the artist, Frith Street Gallery, London, and Nature Morte, New Delhi.

第54回ヴェネツィア・ビエンナーレのアーティスティックディレクター、ビーチェ・クーリガーはチューリッヒ美術館のキュレーターであり、パルケットの創設者の一人であると同時に編集長も務めており、テート・エトセトラの出版ディレクターでもある。これまでにメレット・オッペンハイム、マルティン・キッペンベルガー、ジグマー・ポルケ、フィッシュリ&ヴァイス、カタリーナ・フリッチらの個展を企画している。本ビエンナーレの企画展『ILLUMInations』の背景にある文脈についてART iTが話を聞いた。

インタビュー

ART iT ヴェネツィア・ビエンナーレには常に国別パビリオンのある種時代錯誤的な要素に対し多くの批判がある一方で、そうした文脈におけるディレクターによる企画展も問題があるのではないかという疑問があります。国際現代美術展の現状におけるある種のレファレンダムなのでしょうか。それともあくまでも国別パビリオンに対するカウンターとしてのテーマをもつ企画展として意図されているのでしょうか。『ILLUMInations』を企画するにあたり、全体的なビエンナーレのフォーマットと関連した、ディレクターが手がける展覧会のアイデンティティについてこれまで考察されたのでしょうか。

ビーチェ・クーリガー(以下BC) 今年のビエンナーレでは、鑑賞者に今現在、美術が達している場所を呈示したいと思いました。美術は思考と啓蒙の道具であるべきだと思いますが、同時にその特殊性を守らなくてはなりません。今日では、現代美術をポピュラーにするために戦う必要はありません。反対に美術を通俗化されることから守るために戦わなければなりません。美術の複雑性を破壊する事なく、美術をポピュラーにしておく必要があります。私が初めてビエンナーレを訪れた1980年以来、常にこの風変わりな構成に魅了されてきました。国別パビリオンはヴェネツィア・ビエンナーレを他とは違う唯一無二のものにしているのだと思います。これは保守的な発言として受け取らないでください。パビリオンの歴史は、国際交流に参加したいという各国の願いの象徴であって、グローバル化された文脈の中で文化的な発展を強調する方法のひとつなのです。私はビエンナーレを一種の国境のない地図として見ています。そのなかで、決まったゴールなしに動き回ることができるのです。

ART iT 企画展『ILLUMInations』では、大きな国際展への参加は初めてとなる若いアーティストが特に多く取り上げられています。あなたにとって、若いアーティストに求めているものが特にあるのでしょうか。また一方で、ギィ・ド・コワンテ、リン・フォールクス、スターテヴァントなどのキャリアがあるアーティストを含むことにより、現代の議論の場において改めて紹介されるべき、あるいは主張すべき何かを指し示しているのでしょうか。

BC 展覧会はまず私が作品を知っていて評価をしている35歳以下のアーティストに焦点を当てています。あまり評価が定まっていないアーティストに馴染みのない多くの人々に若い世代のアーティストの作品を見せたいと思いました。それより古い世代のアーティストの作品については、芸術的な議論に未だに寄与している高度に同時代的な性格を持っているため、見せるに値すると思っています。

ART iT あなたの展覧会には、相対的に見て、写真に対して直接的に関心を持って作品制作を行なっているアーティストが多いように思われます。例えばバードヘッド、シャノン・エブナー、デヴィッド・ゴールドブラット、シンディ・シャーマン、ダヤニータ・シンなどですが、こうした光を使ったメディアが、「ILLUMInations」というテーマを実現するにあたって、強調されるキーポイントなのでしょうか。写真メディアを使うアーティストの選択が、デジタルテクノロジーによって変換されつつある写真イメージの生産と評価の方法を考慮したものになっているのでしょうか。

BC デジタルテクノロジーは、イメージの世界との連結性をより強めたと思います。より若い世代がそうしたメディアの使用と影響における革新的な洞察力を我々に見せてくれます。ジェフ・ウォール以降、アンドレアス・グルスキーやトーマス・ルフ、トーマス・シュトゥルートといったデュッセルドルフ美術アカデミー出身のベッヒャー夫妻の教え子ら以降、もしくはヴォルフガング・ティルマンス以降すべて言われてきたことだと思うかもしれませんが、これらの若い世代のアーティストは、まだまだ言うべきことがあるということを見せてくれます。


上: Song Dong – Intelligence of the Poor: Living with the Tree (2005), installation with steel pipe, wooden door, wooden bed, withered tree, bed sheets, 392 x 245 x 265cm. Courtesy Pace Beijing. 下: Jack Goldstein – Untitled (1985), Acrylic on canvas, 183 x 183 x 5cm. © Gerhard Born / Ringier Collection, Switzerland.

ART iT 私が理解した限りでは、パラパビリオンの紹介は作品と構造を対にさせるもので、全体でそれぞれ4組の作家がペアになっています。このペアの選別はどのように行ないましたか?例えば、彼らの作品同士で合致する部分、もしくは対照的な部分をもとに選んだのでしょうか。それともアーティスト同士の間に既になんらかの関係性があったのでしょうか。

BC パラパビリオンは、大型の展覧会の付加的な構造を打ち破るよりダイナミックな機会を作り上げる目的で、国別パビリオンへの新たなアプローチを象徴するものです。こうして、物事は別々の方式ながら一緒になり、アーティストの間のコミュニケーションが促進されるのです。フランツ・ヴェスト、オスカー・トゥアゾン、モニカ・ソスノヴスカ、そして宗冬(ソン・ドン)に他のアーティストの作家を迎え入れられる彫刻作品を制作してほしいと依頼しました。トゥアゾンのパラパビリオンにはアシエ・メンディジバルのスライドプロジェクションが展示されてアルセナーレのどこかにおかれ、フランツ・ヴェストのパラパビリオンはインド人アーティストのダヤニータ・シンの作品を受け入れます。モニカ・ソスノヴスカのパラパビリオンの中にはデイヴィット・ゴールドブラットの写真と若いアーティスト、ハルーン・ミルザのインスタレーション1点が展示されることになっています。宗冬のパラパビリオンは、他の何人かのアーティストの作品を展示する予定です。

ART iT 今回は、残念ながらディレクターによる企画展には日本人のアーティストはひとりもいません。あなたの展覧会のためのテキストにはアルチュール・ランボーとヴァルター・ベンヤミンが引用されていますが、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』についても考えられるかもしれません。西洋と日本の美学の違いを浮き立たせるものです。谷崎にとって、近代性の光は目をくらませるようなもので、何の効果も生み出さないもの—日の目にさらすもののぼんやりさせる光です。あなたの展覧会に影があるとすればそれはどんなものでしょうか。

BC 谷崎のすばらしい文章は読んだことがあります。実際、ティントレットやジェームズ・タレル、クリストファー・ウール、マイ=トゥ・ペレそしてジャック・ゴールドシュタインといった現代美術のアーティストを紹介することは、「近代性の光の不毛さ」に対する批評の側面をみせるものでもあります。

第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ『ILLUMInations』は6月24日から一般公開。会期は11月27日まで。

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ヴェネツィア・ビエンナーレ——ILLUMInations: 第54回国際美術展

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