
ART iT SANAAのパートナーである妹島和世さんがキュレーターを務めている今回のヴェネツィア・ビエンナーレ建築展は『People Meet in Architecture』というテーマですが、西沢さんは今回のビエンナーレにどの程度関与していますか。
西沢立衛(以下、RN) 『People Meet in Architecture』は妹島さんがディレクターをしていて、僕はアドバイザーという形で参加しています。どの作家を招待すべきかリサーチして、同じくアドバイザーの長谷川祐子さんと妹島さんの3人で出展作家を選んでいきました。アイディアのひとつに、建築家だけでなく、アーティストや、エンジニアなど、色々な人に参加してほしいということを考えました。出展作家の何人かには実際会いに行って、交渉や打合せをしました。
ART iT 西沢さんにとって、このテーマはどういうことを意味していますか。また、なぜ今回のビエンナーレにふさわしいテーマだと思いましたか。
RN 人間の社会や価値観というものは、時代に応じて変わってきて、そうした変化にあわせて建築も変わってきました。建築は人間や社会の価値観と呼応するようにその姿や在り方を変えてきたし、これからも変わっていくでしょう。僕が思うには、新しい建築を考えることと、新しい人間の価値観を考えることは、非常に近いことなのです。タイトルを『People Meet in Architecture』というものにしたのは、そのことと関連があります。新しい時代の価値観と、それが要求する建築、環境というものを考えてみよう、という思いがタイトルに入っています。
ヴェネツィア・ビエンナーレは、世界中からいろんな人が参加する国際的な展覧会として最大規模のものですが、人間による建築の使い方は、時代によっても違うけれども、地域によっても大変違うものです。アフリカ人と中国人では一言で住宅といっても、同じ住宅を指していない。このような多様性は、世界史というものが始まって以降のことだと言えます。地域史の時代は、そういう多様性は問題にならなかった。『People Meet in Architecture』の多様性は、各地域、各文化の人間が参加する、非常に現代的な多様性だと思います。


ART iT それはSANAA設計事務所の建築に対してのフィロソフィーにも繋がっていますか。
RN そう思います。やはり僕らは「人間が建物をどう使うか」という視点から建築を考えてきました。人間と建築がどう関係するのがすごいのかということ、それは僕らの設計アプローチでもあります。その意味でも、今回のテーマはわれわれが考えてきたことそのままと言えます。
人間の使い方によって建築はすごく変わります。人間が空間を使うという単純なことが、建築の創造的な部分を決定的な形で変えてしまうことが、しばしばあります。例えばローマ時代、民主的なコミュニティが始まって、パンテオンのような円い建築が出てきた。あらゆる神様がパノラマ式に並ぶということが起きる。そこにはまさにその時代の人間の価値観、社会のあり方というものが出るわけです。
しかしそれは、パンテオンだけではなくても、法隆寺であっても同じことです。人間の、その時代の価値観というものが、建築を作るのです。
ART iT パンテオンが民主主義的な建物ということでしょうか。
RN 民主主義ではありません。ローマは政治形態としては独裁政治に近いものでしたが、でも社会としてはずいぶん民主的なものでした。たとえば、ギリシャのパルテノン神殿などは、神々のものです。基本的に人間のものではないわけです。でもローマ時代になって、建築は人間のものになった。あのような不思議な建築は、まさにローマの社会が作ったのです。
ローマ時代まで遡らなくても、たとえばルネサンスでもバロックでも、ル・コルビュジエの建築をとっても、人間の新しいライフスタイルや、社会の価値観みたいなものが新しい建築を要求するし、新しい建築が新しい人間の価値観を要求する。そういうダイナミックな関係がずっと続いてきたし、それはこれからも続くと思います。
ART iT 多様性や歴史を考えたとき、世界中の作家が参加する美術展のビエンナーレでさえも、モダニズムに繋がるある種の現代美術の物語に従っていると思います。こうした傾向は建築展からも感じられますか。
RN 建築の方がよりモダニズムの問題に戻るような気がします。建築からすれば、アートの方がより多様で自由なアプローチがあるようにも思います。ただ、モダニズムの問題にいくことが、多様性を否定することになるとは、僕は思いません。むしろモダニズムは、多様性というものをはじめて世界的に示した運動だったからです。建築の場合でいうとフランク・ロイド・ライトが、他方にコルビュジエやアスプルンド、サーリネンのような人がいて、テラーニがいてという、全然違う建築的可能性が全世界的に引き起こされました。これらがすべてモダニズムに入っているということはすごいことです。モダニズムという概念が間違っているのかというくらい明らかに違う独創性の人々が存在する、モダニズムの大きさを感じます。世界というものがいかに広範で多様な広がりを持っているかということを示したのがモダニズム活動なのです。もちろん、モダニズムは世界を統一するインターナショナルスタイルという側面もありましたが、同時に、モダニズムを通過することで、地域というものの多様性が理解できるようになった。


ART iT そういう意味で、今回の日本館のトウキョウ・メタボライジングというテーマについてどのように考えていますか。また、今回の作品は過去のメタボリズム運動にどれくらい言及していますか。
RN トウキョウ・メタボライジングというものは、コミッショナーである北山恒さんの思想で、僕自身はあまり代弁すべきではないと思います。僕がかつて設計した森山邸という住宅が、北山さんの理論に合っているということで、北山さんからの要請をうけて、森山邸の模型を出品します。
ART iT 西沢さん自身の作品はメタボリストの建築をとくに参照しているわけではないということですか。
RN 参照していません。メタボリズムを参考にしたり、引用したことは一度もないし、今後もないと思います。
これは僕の誤解かもしれませんが、トウキョウ・メタボライジングという北山さんの理論は、60年代のメタボリズムとは直接の関係はあまりないのではないかとも思います。北山さんが言おうとしていることは、東京がどうやって作られていくかという理論で、そういう現代都市東京と現代建築との関係です。東京という都市は、マスタープランニングがないまま、民間パワーで作られてきたところがあって、つまり、ここの土地の山田さんとこっちの土地の田中さんが全然別のことを考えていて、違うものを作って、それがどんどん続いて、都市になっていくという、驚きの生成原理です。みんな勝手にばらばらにやっちゃっていいというものです。これは都市の歴史上かつてなかった生成原理だと思うのです。東京では他にもすごいことがいろいろ起きていますが、北山さんはそういうこと全般について、トウキョウ・メタボライジングと言っていると思うんです。王様も、都市計画家もいないのに、街全体が成長・変化してきたという歴史的事実についてのモデルです。従って、いわゆるメタボリズムグループの活動とは直接関係していないと思うのです。むしろ、逆ではないかとすら思います。
ART iT しかし、北山さんはメタボライジングシティという彼のアイディアを説明するために、日本館のステイトメントの最初の部分でメタボリストについて言及していますよね。
RN おそらく、北山さんが言いたいことというのは、60年代のメタボリズムグループが建築モデルでやろうとしたことは、実際には実現されなかった。実例としては、ひとつの街の中で建築1件か2件程度しか実現されなかったけれども、しかし都市レベルではものすごい規模で起きた、ということだと思います。でも僕の考えでは、そもそもメタボリズムグループというものは、あまり日本的でない運動で、日本の歴史の中ではむしろ珍しいものだったと思います。


ART iT 先ほど西沢さんのお話にもありましたが東京は民間の力によって発展してきました。北山さんはもうすこし強調して、「偏在する弱い力(徹底した民主主義)による都市風景」と言っています。ただ、その弱い力は単に資本主義の装置である可能性もありませんか。
RN 日本は資本主義ではないと思います。資本主義というのは、資本が本当にすべての中心になる、たとえばニューヨークとかアメリカとかを言うのだと思います。ニューヨークでは、お金持ちは本当にお金持ちになりますし、そして、貧乏な人は地獄の底まで落ちるということが起きますが、日本はそこまで起きない。資本がそこまで人間の人生を左右しない、原動力になっていないと思います。
もともと日本では住宅というのは生涯に3軒作るものでした。建設費が安かったから、マイカーみたいに、自分のライフスタイルに合わせて作り替えるものだったのです。10代で結婚して、夫婦のために小さい家を作る。そして子供が生まれてから、次に大きい家を作って、そして、子供がまた10代になるといなくなって、また夫婦は40代くらいで2人きりになって、また小さい家を作るという自分のライフスタイルに合わせて家を作り替えていた。それが可能な建設コストというか、安価な建設費、そういう社会が出来ていた。一方でその根底には土地を持って、家を建てるということが伝統になっていたのではないかと思います。
でも一方で、土地を各国民に売却して所有させるような仕組みにしたことは、もちろんデモクラシーの結果でもあるわけですが、資本主義的やり方であることも確かですね。
ART iT 塚本由晴さんのペットアーキテクチャーという概念は、大きなビルの隣に小さな一軒家などがあるといった東京における現象を説明しようとしていますね。ただし、なぜこうした現象が起こるのかを考えると、広い区画を扱える主要なデべロッパーと狭い土地しか扱えない個人との資本の関係があるのかもしれません。
RN そういうこともあると思います。でも、小さい一軒家の横に超高層ビルが建つという現象は、資本主義的発想から起きた現象、ということではないと思います。フランスの住宅地でも、土地は誰でも買えますが、でもフランスでは、こんな風景は起きない。やはり日本人は、隣に無関心ということが強いと思うのです。自宅の目の前に、自分の住環境を脅かすような奇天烈な建物が出来ても、みんな感心して眺めているような国です。それが自分のプロパティを侵しているとは彼等は思わない。フランス人だったら大変です。横にこんな曲がった建物が出来たら、みんなで反対運動を起こします。だからそれは、土地に値段がついているかいないかという、制度の問題だけではないと思いますね。
ART iT 同様にメタボリズムシティは保存が許されないと言えるでしょうか。皮肉にもメタボリズム建築の代表的なひとつである中銀カプセルタワーの取り壊しに対する小さな反対運動もありました。
RN 東京にいると、人々が環境にあまり興味を持っていないことを、しばしば痛烈に感じさせられます。東京は、環境に関心がない人々が作った環境なのです。たとえば、荒野にひとりで住むよりも10人でさらには100人で住んだ方が、いろいろいいことが多いわけです。でも、東京ではそういう考え方はあまり強くなくて、むしろ彼等は、一緒に住んでいるけれども、隣がいるとは思っていない。そしてそれが、この街を活性化する原動力のひとつになっている。隣になにが建ってもいいという自由を作っていて、それが街をすごいものにしてきたし、原宿とか渋谷の中心地は到底住めるものではないですが、でもそれがある種のすごみ、活力みたいなものになっていて、住んでみたいとも思わせる、不思議なものになっている。


ART iT このような状況下において、現代建築は未だに政治的な表現の可能性を持ち得ると思いますか。
RN さまざまな形ではあるけれども、必ず政治的な表現とならざるをえないと思います。さきほど話に出たパンテオンではっきりしたのは、空間というのがひとりのものではないという、みんなで体験するというものだということです。これはすごいことで、もともと「体験」というのは、個人のものであるはずなのに、パンテオンみたいな大きな空間を作ると、「みんなで体験する」という状態が生まれる。洋服とか携帯とか、靴とか、メールとか、そういうものは、各々で体験するものですが、建築はみんなで体験する、一緒に存在するという不思議な感覚を作れるのです。
また、建築というのはみんなで作っていくもので、一人で自分のためだけに作る、誰にも影響を与えずに作る、というのは無理なのです。集団である以上は、政治的でない建築表現はありえないと思います。
ART iT 西沢さんが設計するときには、どれくらいそのような建築の政治側面を意識しますか。
RN やはり図式というのは考えますね。建築は、個人のものでもあるけど、みんなのものでもある。例えば建築というのは人間の人生よりも長いです。人間の人生は50年80年ですが、建築の寿命はもっと長い。建築というものは、ひとりの人間のために作れない。いろいろな人間のために作る。いろんな人間に対して提案的でないといけないのです。そういう意味でも空間図式というのが重要なテーマになると思います。
トップページ, 豊島美術館, 模型, Courtesy 西沢立衛建築設計事務所.
西沢立衛 インタビュー
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