タイムトラベラー
インタビュー / アンドリュー・マークル

ART iT あなたは映像やインスタレーションや絵画といった異なるメディアを使って、モダニズムの遺産や、モダニズムにおける抽象、表象、実用的デザインの間に働く力学を検討していることで知られています。どのような経緯でこうした制作の形に行き着いたのでしょうか。
フロリアン・プムフースル(以下、FP) 抽象的な視覚的ボキャブラリーに関して、私は自分自身をそのような言語の話し手として捉えています。私の世代のアーティストは、必然的にモダニズムの歴史的遺産に対して、ポストモダン的な視点、「事前」と「事後」という感覚から取り組むことになりました。しかし、ある時点で、モダニズムの歴史的遺産に由来する参照の限界、「○○についてのアートを制作すること」の限界に行き詰まり、不満を感じるようになりました。現在の実践では、私が現在の作品の原点として考えられる初期モダニズムの知識、作品、その集積から始めていこうと考えています。
ART iT これまでの制作活動で、ポストモダンという立ち位置について考えたことはありますか。また、私たちは実際のところ未だに進行中のモダニズムという時代にいるのではないかという感覚はありませんか。
FP 絶対的な感覚として、私たちはアートにおいて一度もポストモダンを経験していないのではないでしょうか。過去二世紀に渡って出来上がった写真的な文化圏内で作用する作品が未だに制作されているので、私たちはポスト写真的なところにはいませんし、映画も乗り越えられていません。モダニズムに関連する数えきれないほどの文化が、同時にばらばらな形で存在していることは言えるのではないでしょうか。私がアートを学びはじめた1990年代初頭には、少なくとも既に一世代前となったモダンアートやモダニズム建築に対する大きな失望がありました。とはいえ、それはモダニズムに対して賛成か反対かを決めるような問題では決してなく、そもそもモダニズムも曖昧な言葉なので、おそらく判断を下せるものなど何もないでしょう。モダニズムから逸脱した数多くの文化が並存していることは受け入れなければなりません。私が興味を持っているのは、この状況をどうやったら描写できるのか、また、現在の状況の下でどうやって作品を実現させるかということです。
ART iT あなたの作品には、1920、30年代の日本の前衛美術やデザイン、とりわけ、村山知義や恩地孝四郎について考察したものがあり、また、彼らと同時代の民俗学者で建築家の今和次郎の「考現学」に言及したものもあります。調査の現場として、何があなたを日本に引き寄せたのでしょうか。
FP この点に関しては主観的にしか話せませんが、1920、30年代のブックデザインがきっかけとなりました。私の心を捉えたのは、その視覚言語がグローバルな言説の初期のモデルをはっきりと示すようなやり方で伝達され、変形していたところでした。
ヨーロッパ中心主義的な解釈では、モダニズムは主に(複数の)中心から移植されたと考えられていますが、私たちは非欧米の近代文化に関する美術史の議論によって、モダニズムはそれが拡散されはじめると同時に重要な交差点に遭遇していることを知っています。日本の場合、変形や翻訳を通じて、その可視性が形づくられたり、根本的なところで改革されているところが魅力的です。とりわけ、書籍文化において、実際の伝達機能の裏側に、原始的でありながら非常に明確なミニマルなグラフィック言語の存在を観測することができます。


ART iT たしかに日本では、(今日ではほとんど存在していない)あの時代に制作された美術作品よりも、グラフィックデザインや文学や詩の方が、グローバルな言説をローカルな前衛が共有していたという同時性や相互作用、そして、グローバルな視覚言語をさらに革新するためにローカルな感性を駆使していた様子をありありと伝えていますね。
FP まさにその通りです。そうしたことによってより魅力的なものになるのです。このシナリオで新旧メディアが定義された方法が、機能性という概念そのものを再定義したのだと思うのです。それが抽象的なイメージになるとき、アーティストが書籍の空間や方向性を複製性の新しい秩序に対して再定義するという変形が頻繁に起きていたのだと考えています。だから、抽象に関して言えば、私は必ずしも西洋絵画だけをその中心に据えているわけではありません。
ART iT 現在、ニューヨーク近代美術館やテート・モダンといった欧米の美術機関が、欧米の「正史」の外側に位置するさまざまなモダニズムの収集にかなり力を入れていて、それぞれの物語を支配的な物語へと吸収しようとしているのではないかという懸念があります。あなたの日本やその他の地域のモダニズムに対する関心は、欧米の「正史」を補完するものとしてあるのでしょうか。それとも、そうした「正史」を転覆する試みとしてあるのでしょうか。
FP 美術館の行動様式と、キュレーターやアーティストの実践との間には違いがあることを受け入れねばならないという意味では、私は基本的にアーティストとしての態度をとっていると考えています。あなたの質問は複雑なものですね。非欧米の前衛作品を欧米の「正史」に統合することがそれほど間違ったことだとは思いません。最近、ポンピドゥー・センターでブラジルのタルシラ・ド・アマラルやウルグアイのホアキン・トーレス・ガルシアの作品を見ることができたのは何よりでしたね。
現代のキュラトリアルというレベルに関して、私が考えている問題のひとつは、私たちが望むようなインターナショナルなものと、私たちが生産し続けているグローバルなものとの不一致のことです。歴史的な距離が開けば開くほど、より簡単に分類できそうなのですが。
ART iT もちろん、ドクメンタ12で発表したインスタレーション「Modernology」(2007)や「Cliché」シリーズの絵画、また、今回の東京での展示作品など、あなたの作品には既存の視覚サンプルをその最も基本的な要素へと還元し、その過程を通じてもともとの素材を脱文脈化するものがあります。あなたは素材としたものと結果としての作品の関係性をどのように理解していますか。
FP 場合によりますね。今回の展覧会では、伝統的な意味でのモチーフとして航海図があり、そういう絵画を制作しようと思いました。その機能性について話し合ったらどうなるだろうか。逆に、抽象的な構図に抱く期待を削いだらどうなるだろうか、と。これらは抽象がもたらす可能性で、私はあるイメージに向かって投企された、いくつかの期待の間のスペクトラムに折り合いをつけられるのです。先に話したように、私は自分自身を抽象的な視覚言語の話し手だと考えていて、この言語はひとつのスタイルや様式に焦点を当てることとは違って、私に意味と期待と可視性の間の力学を描写する道具を与えてくれます。歴史的な点をきっかけにした過去作品には、(アレクサンドル)・ロトチェンコの絵画「Expressive Rhythm」(1943)を起点とした2010年制作のフィルム・インスタレーションや、私自身の絵画と恩地孝四郎のブックデザインとを対話させたものがあります。しかし、毎回具体的な元となる題材があるわけではありません。

ART iT 今回の展示作品を最初に見たとき、私は印刷の痕跡を思い浮かべました。それから、シルケ・オットー・ナップの群島を描いた絵画との関係から、海上交通路のことを考え出して、人々が行き来する実際の海が喚起されたのですが、この体験はもちろん抽象的な表象とはまるで違うものです。その作品には、自然もしく現実に対する抽象との緊張関係が描かれていました。
FP 地図は完全に抽象的なものではありません。地図は指示書的であると同時に説明的なもので、抽象的な画というわけではありません。しかし、地図は方法として抽象を用いて、兆候に対して抱くある種の期待やそのイメージを通じて考えられうる意味と戯れるための広大な余白を与えてくれます。今回の場合、例えば、あの空間にディティールを通じて入っていくことができるでしょう。あるルートは(決して描かれていない)土地を囲む。それは指示書的に、もしくは、石膏の絵画に印刷された線という経時的なオブジェを通じて行なわれるのです。
ART iT 実際の地図のようなものを扱う場合、最終的な形にはどのように行き着くのでしょうか。
FP 半ば直感的な方法ですね。正しい場所に来るまで、モチーフを孤立させてみたり、文脈にあてはめてみたり。なぜ、その画に惹かれるのかを理解するために大量の時間を費やし、自分が使う視覚的な素材を解釈するために豊富なドローイングのプロセスを経験しています。
ART iT それぞれの作品群がその次へと積み重なっていく感覚、つまり、自分自身の言語をつくりあげている感覚はありますか。
FP 私にとって、主たる触媒は美的経験です。線的なものではありません。いつも何かが残されていて、そこから次のシチューを料理できればいいなと思っていますけど。まあ、このシリーズは私が9年前に制作した戦艦の軍事演習の絵画作品に遡ります。オランダの美術史家エリック・デ・ブロインがこの作品について書いていますが、私は平面の描写や航海の空間という問題にもっと取り組んだら面白いのではないかと考えていました。今年のはじめ、ロンドンのカムデン・アーツセンターのシルケの個展で、彼女の群島の絵画を見たとき、突然、このことについての理解が深まったような気がしました。

ART iT 先程、「経時的なオブジェ」という考えを述べていましたが、その作品の中で時間はどのように機能しているのでしょうか。例えば、あなたの「Cliché」のシリーズには、同一のモチーフで、大、中、小のバージョンが組み合わされて、なにかモンタージュされたシークエンスを示唆しているかのようでした。もちろん、個人的に実際に見たわけではなく、インターネット上のイメージを見ていたわけですが。
FP 画像とはどこに位置しているのでしょうか。それは物理的な空間と仮想的な空間を永久的に移り続けるのではないでしょうか。その画像の仮想的な空間は、時間ベースのメディアの到来によって根本的に変わりました。ハンス・リヒターは、これを「映画的な画像の構成」と呼んでいましたが、抽象というオブジェは、そもそもの発端から経時的なものなのです。
ART iT あなたは今日でもなお、モダニズムと前衛を区別する必要性があると思いますか。ステレオタイプなイメージとして、モダニズムはより知性的で、前衛はアナーキーであるという考え方があると思いますが。
FP 私にとって、前衛という言葉は、伝記であったり、作品やアーティストとそれを巡る議論の個人的な関係性、言い換えれば、主流から離れた無鉄砲なものに自らの一生を捧げている人々に繋がっています。例えば、恩地や村山というふたりは、より画期的なモダニズム、より能動的な前衛という言葉を体現しているのではないでしょうか。恩地は方法論的可能性に立ち向かい、それについて熟考し、政治的意図がそれほど持たずに方法論的可能性を実行しようとしました。一方で、村山は革命的なペルソナを抱えた向こう見ずなアーティストだったわけです。どちらも甲乙付け難く、それぞれのやり方で成功したのではないでしょうか。
フロリアン・プムフースル|Florian Pumhösl
1971年ウィーン生まれ。グラフィック連邦教育研究院とオーストリア国立ウィーン応用美術大学を修了し、現在もウィーンを拠点に活動している。前衛運動、とりわけ、グラフィック、タイポグラフィ、建築を参照しながら、絵画と映像を制作する。これまでに、第27回サンパウロ・ビエンナーレ(2006)やドクメンタ12(2007)に参加、クンストハウス・ブレゲンツ(2012)、シカゴ美術館(2012)などで発表を重ねている。昨年、シルケ・オットー・ナップとの二人展をタカ・イシイギャラリーで開催。航海図をモチーフに、石膏パネルの上に油彩をスタンプして描いた抽象絵画のシリーズを発表した。また、今年3月に開幕するPARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015への参加も発表されている。
シルケ・オットー・ナップ & フロリアン・プムフースル『距離の比率』
2014年11月22日(土)-12月20日(土)
タカ・イシイギャラリー
http://www.takaishiigallery.com/
PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
2015年3月7日(土)–5月10日(日)
http://www.parasophia.jp/