イライアス・ハンセン インタビュー

硝子を通して見るということ
インタビュー / アンドリュー・マークル


Installation view at the Yokohama Triennale 2014. All images: Photo courtesy Elias Hansen.

ART iT あなたの制作活動を調べていて、アメリカ北西部の奇妙な要素で構成されたチンキ剤のシリーズに出会しました。奇妙な要素というのは、例えば、スカジット川の水、ニルヴァーナのカート・コバーンやシリアルキラーとして知られるテッド・バンディの育った家のレンガ、コヨーテの血や種々の植物などのことです。このシリーズから、私は架空の土地、さらに言えば、瓶形のトーテムのような神話的なものを連想しました。一般的に、あなたは自分の作品をタブロー、もしくは、物語装置として捉えているのでしょうか。

イライアス・ハンセン(以下、EH) そこはチンキ剤のシリーズにとって重要な要素となりました。あのシリーズは、友人のジョー・パイクーチとの共同制作で、在来種や外来種の植物、例の建物のレンガ、動物の血、河川の水といった地理的参照物など、多種多様な要素から虚構や物語を創り出すプロジェクトでした。観客を自分自身で要素同士の関係性を創り出せるような場所、必ずしも物語が完結しているわけではないけれど、事物が互いに結びついている場所へと連れていきたいと考えていました。
展覧会タイトルは、『Truths We Forgot to Lie About』でした。あのシリーズにも嘘が含まれていましたね。当初は、あのシリーズで扱ったすべての場所を実際に訪れようと考えていましたが、間もなく、その必要性はないと気づきました。レンガを手にとり、これはカート・コバーンの育った家のレンガだと言ってみる。そう言ってしまえば、そういうことになる。これも虚構の一部ですね。また、展覧会の一部として、実際に会場の地下で密造酒を醸造したので、法的に厄介な問題がありましたが、これもまた虚構に加わりました。暴露したくないけれども、共有したいことを扱っているので、嘘を使いました。虚構ならそれが許されますから。私もジョーも、ワシントン州のスクアミシュ族居住区北西部の似たような場所の出身だったので、自分たちにとって、あの植物や河川といった地理は非常に重要なもので、また、あのような物語も重要でした。これが多種多様な要素から物語を構築するきっかけになりました。

ART iT そのようなアメリカ北西部の美学は、どれくらい意図的に作品に取り入れていますか。また、あなたの作品には、どの程度その地域が表れていると思いますか。

EH かなり大きな割合を占めていると思います。現在はアップステート・ニューヨークに住んでいるので、その割合は以前より小さくなっているかもしれませんが。今は、人に会ったり、探索したりして、新しい場所を理解しようとしているところで、いずれこの地域にまつわるなにかしらの虚構をつくるのではないでしょうか。とはいえ、この地域にも森や田舎のような北西部を思い出させるものが見つかります。身近なものや古いもの、新しいものを繋ぎ合わせて、間に合わせのものでなんとかやっていこうとする北西部の美学は、おそらく田舎そのものの美学といえるのではないでしょうか。私が惹きつけられるのは、そのようなオブジェです。美的な目的ではなく、実用的な目的のもとにつくられたことが見てとれるオブジェ。ただ実用的に機能するオブジェをつくろうとした何かが、そのオブジェを美的なものにする。それ以外にも、なにか良さそうなものをつくろうとして失敗してしまった下手な塗装作業や彫刻作業による美学というものもあって、それもまた作り手の個性を語るのです。

ART iT 虚構と(非通念的な)下位文化の間に違いはありますか。例えば、実用的な密造酒製造所や覚醒剤精製所のようなものをつくるとき、どこに虚構と下位文化の境界はあるのでしょうか。

EH 私は下位文化の虚構に取り組んでいると考えています。生来の下位文化は近づき難く、少なくとも、その世界に入るために秘密主義が要求されます。下位文化に関するあらゆる虚構があり、その世界から足を洗って体験を語る人々がいますが、しかし、いったんその世界と完全に離れて、体験談を語ろうとする場合、もはやそこには下位文化との関連性はありません。そうした話は過去のもので早くも虚構になりつつある。下位文化との密接な関係を持ちつつも語ってくれない人々に出会ったり、下位文化にまつわる話が集められたものを手にしたりするかもしれません。私が語ることは本質的に真実ではないけれど、なんらかの事実に基づいていて、自分の仕事は事実とフィクションの境界を揺さぶることです。非合法ドラッグやアルコールの密造といった下位文化の一部は、人々を混乱させる話をして、外部の人々が実際の現場に辿り着けないようになっています。

ART iT 非合法は作品のテーマのひとつですか。また、それはある種の創造のための触媒なのでしょうか。

EH そうです。北西部のほとんどの地域は、連邦政府に頼らないで生活しているというところがあります。電気を得る方法であれ、法定外の家を建てることであれ、何故か物事には昔から少しだけ非合法なところがあり、人々は少しだけ型から外れたり、時に完全に法を逸脱したりする傾向にある。払うべき税金を払わない水産業者による闇市もあります。これが北西部のアウトサイダー文化です。そこに私が本当に惹かれるものがあり、虚構を存続させるのはこのような魅力です。


Top: To be alone with you (2009), from the exhibition “Truths We Forgot to Lie About,” with Joe Piecuch. Bottom: I wouldn’t worry about it (2014), installation view at the Yokohama Triennale 2014.

ART iT そうしたものは、常に下位文化やアウトサイダーの領域との緊張関係の中で存在している現代美術という概念とどのように関係しているのでしょうか。

ET アウトサイダーに感じる魅力というものがあります。ひとたび現代美術が手にすると、それはもはや下位文化ではなくなってしまうという下位文化の虚構に戻りますが、私は絶えずそういうことを転覆しようとしていて、あらゆる真実を明るみに出したいと思っているわけではありません。私は人々を煙に巻き、虚構を維持したいと考えています。友人のジョーは、いつも自宅で祭壇とかオブジェといった風変わりなものをつくっていますが、私といっしょに展示したのが、彼の唯一の展覧会です。また、彼は素晴らしいミュージシャンで、楽曲の録音はしますが、クラブで演奏したり、アルバムをリリースしたりすることは決してありません。彼はそうしたことに全く興味がないのです。彼は以前、作品を発表して、その作品がマーケットに入っていくとき、アーティストは何かを失うのではないかと語っていました。彼は素晴らしいアーティストであり、素晴らしいミュージシャンでもありますが、自分の才能を共有したいという欲望がありません。私自身は作品で生計を立てることに問題はありませんが、彼のそういう考え方には影響を受けていると思いますし、自分自身の実践において、それは肝に銘じておこうと思っています。流通に乗らない作品をつくる本当の楽しみもあります。数年間、自宅でいじりまわした物を、スタジオに持ち込むと、それが作品の一部になるときもある。ヨコハマトリエンナーレに出品した作品も、8年かけてようやく出口を見つけたところでした。ある物を気に入ると、持ち帰って、いろいろと試してみたくなるのです。今回のインスタレーションに使ったレンズは、2007年に10個ほどつくったもので、まだ少し残っています。この厚ぼったいガラスに顔を当てて、それを通して事物を見たりするのがただただ楽しくて。ジョーから学んだのは、こうしたことですね。

ART iT それぞれの作品はどのように出来上がっていくのでしょうか。

EH 物とスタジオで過ごした時間の経過から生まれてきます。ときに私がやるべきことは、物といっしょに時間を過ごすことだけだったりします。スタジオへ行き、それらを動かしたり、眺めたり、いろいろ試してから考えはじめます。そうして、物がどのように構成されているのかを把握して、棚に置くべきか壁に掛けるべきか、それとも、テーブルに置くべきかと、設置場所を変えていきます。すぐに決まることもあれば、この過程で長い時間を費やすこともあります。こうしたアッサンブラージュは、私がタコマに住んでいたときに持っていたテーブルの上から始まりました。それらのテーブルは作業場として使ったり、日常品を置いたり、アート関係のものを置いたり、物をテーブルにくっつけたりして、私はしばしばそれらのテーブルを見つめて、その堆積物の層に魅せられていました。テーブル自体、そこに施された職人技も魅力的で、私とは異なる方法で誰かがこのテーブルに為したことがわかります。それらは非常にシンプルで実用的。ジョーとの展覧会でもそのテーブルをひとつ使いました。あのときは、シアトル美術館がその作品を購入したので、新しいテーブルが必要になって、自分でつくってみました。それから、物事がどんどん進んでいき、すべてが上手くいきました。私はテーブルをつくり、台座として使っていますが、それもある種の通過的な瞬間になります。Maccaroneで開催した2010年の展覧会では、搬入作業がはじまったところで溶接工とともに鉄でテーブルをつくり、それらを作業台として使い、その後、インスタレーションの一部としてそれらを展示しました。


Top: Installation view at the Yokohama Triennale 2014. Bottom: It ain’t what it seem (2014), installation view at the Yokohama Triennale 2014.

ART iT ガラスのオブジェの場合はどうですか。

ET あれらはほとんどファウンド・オブジェとして使おうとしています。私自身がガラス工房で制作したものもありますが、例えば、ヨコハマトリエンナーレの場合は、友人のサム・マクミレンがつくってくれました。彼とはシアトルでいっしょだったことがあり、今でもときどき電話で話して、ガラスのオブジェをつくってもらっています。彼は優秀なガラス職人なので、私が求めているものの基本的な考えを伝えるだけで、それに対して自由に取り組んでくれます。この色がいいとか、この形がいいとか、高さや幅を私が伝えると、彼は私が言及したオブジェを調査して、興味深い異なるバージョンを見つけては、作品を箱に詰めて送ってくれます。

ART iT ガラスのオブジェの形にはなにか具体的な対象はありますか。

EH 基本的には凝縮装置です。蒸留フラスコ(丸底フラスコ)や収集フラスコ(三角フラスコ)がある。ここにアルコール溶液と水溶液があるとしよう。そのアルコールが87.8℃、水が100℃で沸騰する。そこで、このアルコール溶液を87.8℃で熱していくと、気化したアルコールが別のフラスコへと伸びる曲がった管を通って冷やされて、再び液体として姿を現す。これはさまざまな化学プロセスに使用される基本的な装置です。ほかには、分液漏斗。この漏斗は上部を密封できる。油と水の混合液をこの分液漏斗に流し込み、混ぜ合わせてから分離させると、油の層の下に水の層ができてきて、機械的にふたつの液体を分けることができます。これが基本装置です。
ほかにも、シアトルの研究所で働くいとこがくれた膨大なガラス器具があります。研究所の人々はそれらを捨てるだけでも、洗浄してから大型のゴミ箱に入れなければなりませんが、私に譲ってしまう方が簡単なのです。そうして膨大な最高のガラス器具を手に入れることになりました。それに加えて、サムがつくってくれたものや、私がつくったものもあります。最近、インディアナ州にあるボールステイト大学で滞在制作をしていたのですが、私が1日に8時間から10時間作業しているところに子どもたちが見学にきました。そこで、私はより伝統的なイタリア式の形やプロセスに立ち戻りはじめました。ガラスやさまざまな吹きガラスによる形態の膨大な資料があるので、それらを試してみるのも楽しみです。例えば、小さな馬の人形。これは最終的に作品にも使用しましたが、2002年に吹きガラスをはじめたときに学んだものです。
ガラスの世界には「フリッジャー」と呼ばれるものがあって、それは彼女や自分を待ってくれている子どもへの贈りものとしてつくられる簡単なもので、小さなボトルや杖、馬、猫などいろんな種類のフリッジャーがあります。おそらく「figurine[人形]」という単語の言葉遊びだと思いますが、この馬をつくる伝統的なイタリア式の技があって、約45秒で完成します。ピンセットで口先をつまみ、たてがみをつくり、脚を引き出して、最後に臀部を切り出して、尻尾を引き出すと、小さなカールした尻尾が出来上がる。このようなフリッジャーをつくるのは、ガラスのいろんな溶解部分に対していろんな方法を使うので、ウォーミングアップにぴったりです。ガラスはすぐに冷えてしまったり、固くなったり、柔らかくなったりする。ピンセットに油分が付いていると、正確な場所を掴めないので、自分の道具がきれいかどうかを確かめる必要もあります。ポニーがつくれたら、その道具は汚れていないということになります。また、ガラスの場合、何かをつくるために一時間費やしても、それが気に食わなければ、たくさんのお金を失ってしまうだけですので、無難なものからはじめるのがいいのです。
そういうわけで、私は馬をつくって、(作品に使う)オブジェとしての妥当性が見えるまで、しばらく手元に置いておきました。あまりにも馬鹿げているように見えますが、私の作品も今ではかなり馬鹿げたものになっているので、その馬を作品に組み込んで別のオブジェにしてもいいような気がしました。大抵の場合、ファウンド・オブジェとして見られているでしょうが、ある意味ではそれが私の狙いなのです。すべて構築されているのか、すべてファウンド・オブジェなのか。どこからはじめて、どこで終わったのか。私はそういった部分を楽しんでいるのです。


Top: Installation view of the exhibition “Kodiak” at the Seattle Art Museum, 2008, with Oscar Tuazon. Bottom: Kodiak (Bedroom View) (2008).

ART iT それは理にかなっていますね。あなたが2008年のシアトル美術館に兄弟のオスカー・トゥワゾンと共同制作した『Kodiak』も、ギャラリー内に引き延ばされた巨大な木材の画像を見ても、どちらが何をしたのか、ほとんどわかりませんでした。

EH オスカーとの共同作業は、個々ではできないことをいっしょに得るためにやっています。あの展示では、オスカーがギャラリー空間に引き延ばした木材を設置するという突飛な考えを思い付き、私がそれをどのように壁に設置すべきかを解決できました。2006年頃だったと思いますが、オスカーがライプツィヒの古い石炭の炭鉱の展覧会に招待されました。それは地下約12メートルの深さにあり、彼は9メートルくらいのところから天井まで上下動する三角と平行四辺形の床をつくり、それらが奇妙に波打っているという作品をつくりたいと考えていました。しかし、彼はそれをどうやってつくったらよいか思い付かず、私をライプツィヒに呼び寄せました。それが彼との共同制作のはじまりです。トンネルに入り、彼がひもを使って、どのように木を配置したいのかを示し、私がそれを計測して、木材を切断しました。最初は彼ひとりの作品の予定でしたが、彼は私に払うお金がまったくなかったので、私の名前を作品に加えることで共同制作にしようと言ってきました。
私は兄弟間の信頼を重要だと考えています。お互いによく知っているから、私は彼のアイディアを信じることができるし、彼は私がそれをつくりあげられることを信じています。彼も技術はありますが、私の方が実際の経験があります。そして、彼がアイディアを共有してくれるので、彼のやりたいことがよくわかるのです。

ART iT 吹きガラスは確かにあなたがこれまでに学んだ分野ですが、そのような建築物の場合はどこで学んだのでしょうか。

EH 少しだけ建築現場で働いたことがあるのです。幼い頃、オスカーは絵を描いて、私は何かをつくっていましたね。私は木工、石工、ガラス製造をみっちりやって、オスカーは15歳のときに油彩画家として信じられないくらい完成していたのですが、19歳のときに油彩を止めてしまいました。理由を聞くと、あまりに数多くの道具が必要だからだと答えていましたね。イーゼルと絵具を持ち歩き、それを常々きれいにしておかなければならない。彼は引越しの度にあらゆるものを捨てる癖がありますね。だから、なにか別のことをする決心をして、それから、彼の展示は彼が手にしたものならなんでも使ってオブジェをつくるといったものになっていきました。私の仕事はもっと身体的なもので、建設とか造園でした。

ART iT あなたは多種多様な技術を習得していて、ある意味でなんでもつくりたいものをつくることができます。それではなぜ、既にかなりの時間を費やしてきたにも関わらず、吹きガラスに立ち戻ったのでしょうか。

EH それは私が学んだ中で最も難しいもののひとつなので、そこには何かがあるのです。習得までに3年から4年はかかる。溶鉄の作業とは異なり、しばらくは満足いく結果が出ず、すべて壊れてしまいます。鉄なら、なんらかの基本的な鍛造ができれば、酷い出来だとしても形は残り、完成します。それに対して、ガラスの場合、壊してしまうかもしれないし、熱すぎてオブジェ自体が折り畳まれてしまうこともあり、つくったものがゴミ箱行きになってしまう。学ぶ過程に信じられないくらいもどかしく、素晴らしいものがあるのです。見るべきオブジェが存在しないのですから。鉄だったら、自分でつくった小さい一片を手にして、それがどんなに酷いものでも見ることができるし、なかなかよかったりします。そういうわけで、このような挑戦が私を何度も吹きガラスに立ち戻らせるのかもしれません。
一方で、ガラスはとても美しいと思います。素材の密度や光との戯れ。澄んだ透明の色付きガラスは本当に素晴らしいし、不透明なものも素晴らしい。今は乳白色のガラスにはまっていて、それも透かして見ることができるのです。素晴らしいと思いませんか。根拠は分かりませんが、それが私を続けさせてくれるのです。スタジオへ行って、オブジェを拾い、それについて考えることも相変わらず好きです。そうしたことが本当に素晴らしいのです。こうしたものこそがまず、私をガラスへと導いていったのではないでしょうか。

イライアス・ハンセン|Elias Hansen
1979年タコマ(アメリカ合衆国)生まれ。現在はアップステート・ニューヨークのアンクラム在住。琥珀色や蛍光色の手製のガラスのオブジェやファウンド・オブジェを用いたインスタレーションは、実験室や一昔前の薬局を連想させつつも、機能性や商品展示の因習から逸脱し、謎めいた物語の断片を提示している。2000年代中頃より本格的に作品の発表をはじめ、ニューヨークのMaccaroneやロンドンのJonathan Viner Galleryを中心に個展を開催している。日本国内では初の展示となったヨコハマトリエンナーレ2014では、手製のガラスのオブジェを中心に木材や金属、ビニールなど異素材の既製品を組み合わせた新作を新港ピアで発表した。

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