フィル・コリンズ インタビュー(2)


the meaning of style (2011), 16mm film transferred to HD video; color, sound; 4 min 50 sec. All images: Courtesy Shady Lane Productions.

 

ポピュラリティをうつす
インタビュー/アンドリュー・マークル、大舘奈津子

 

ART iT ここまで「Marxism Today」プロジェクトの制作経緯や、過去の作品や関心との違いについて話してきました。その点に関して「the meaning of style[スタイルの意味]」(2011)もまた興味深い作品だと思います。この作品は、テーマという面ではポップカルチャーやサブカルチャーというあなたの初期の関心を引き継いでいますが、同時にほとんど破壊的なまでに洗練されたミュージックビデオの外見をとっています。おっしゃったように、この作品はアート作品として見られることを拒もうとしていますよね。

フィル・コリンズ(以下、PC) いくつかの作品はどちらともとれるでしょう。私はある特定のことを20年以上探究するという系統的なアプローチが好きではありません。なぜなら、大抵の場合、そうした還元主義の背後に商業的な責務が見られるからです。そのようなことが胸に響くことがありません。アーティストの見分けがつかないというのが昔から好きなのです。
「the meaning of style」についての話になりますが、私が2007年にクアラルンプールを訪れたとき、偶然にもとあるスキンヘッド・クラブに辿り着いたのです。以前から、不法占拠のクラブで演奏するザ・ブランドルズというインドネシアのバンドを知っていたのですが、そこにいたすべてのスキンヘッドの人々を見て、マレーシア人のスキンヘッド、それが何を意味しているのかまったくわかりませんでした。また、それがどんなものを伝えているのかも理解できませんでした。
私はそれから何度かクアラルンプールを訪れ、彼らに次のような質問をしました。マレーシア人がナチスを連想させるスキンヘッドにする意味、マレーシアにおけるそうしたサブカルチャーの起源、それらに怒りや暴力は伴っているのか、そうだとすれば、それは誰に対して向けられているのか。
しかし、これらの質問に対する解答には意外なものや説得力のあるものという明確なものはなく、ある時点で、この作品はスキンヘッドを説明するものにすべきではないと判断しました。スキンヘッドというイメージに関する作品にすべきで、1969年からの英国におけるスキンヘッドの誕生の歴史に関するものでも、マレーシアで人種暴動と同時に起こったものでもありません。英国ではスキンヘッドは労働者階級のサブカルチャーでした。当初は白人、西インド系やカリブ系の労働者階級の若者の関係性から生まれたもので、国粋主義的、極右的、ネオナチ的気性になったのは1970年代中頃のことです。あらゆる場所に常に複雑かつ魅力的なサブカルチャーが存在しています。なぜならそれはカウンターポイントとは何かに対する反ファシスト的、左翼的、進歩的もしくは急進的な解釈とともに発生するからです。しかし、もちろんそれはまたデジタル以前の完全にアナログなものです。1985年以降はどういうわけかなにかが失われています。それは既に真正なるものの再解釈のひとつであり、それこそ、スキンヘッドが常に表そうとしているものなのです。
したがって、最終的なビデオ作品では、なにか表面や美に関するもの、また、そのようなテーマについて考えることを誘発するなにか、それは解答するというよりもむしろ提案するようなものになりました。「Marxism Today」では偉大なるマルクス主義ポップバンド、ステレオラブのレティシア・サディエールと制作し、「the meaning of style」ではSuper Furry AnimalsやY Niwlのサイケデリックな天才ウェールズ人グリフ・リースとともに制作しています。ですから、音楽的にもポップミュージックのビデオに近いなにかを求めていたのです。

 


the meaning of style (2011).

 

ART iT それではこのビデオ作品における洗練さは、スキンヘッドの文化が元来英国で生まれたときの社会的歴史的文脈を伴わずマレーシアで吸収されていった方法を再生産しているのでしょうか。

PC 英国でのポップ&ユースカルチャーの解釈に関する最も影響力のある本のひとつに、ディック・ヘブディッジの『サブカルチャー—スタイルの意味するもの』があります。この本は1970年代後半に執筆され、パンクやスキンヘッドはもちろんのこと、さまざまなサブカルチャーのスタイルに言及しています。また、文化的表現や、彼らの急進的潜在性や保守的制約という存在の在り方、つまり、そのトライブに加わることは何を意味しているのか、ということをいかに有意義に解釈できるのかについて取り組んでいます。しかし、現段階ではそれは再び非常に急進的に変わってしまいました。インターネットはこうした物事がどのように壊れていくのかについてじっくり考える非常に良い方法です。例えば、エモのような場合、それは1980年代の単なるゴスの再解釈なのか、それとも私たちが想像するように他とは異なるものなのだろうかと。
もちろんマレーシアは1957年に英国からの独立を獲得しますが、ほかの元英国植民地と同じく軍隊は即座に撤退しませんでした。マレーシア人はむち打ちや暴力、教室での沈黙、文章の模写といった古典的で厳格かつ残酷な英国教育システムを経験しています。1970年代は以前として軍隊が留まっており、おそらくそこから音楽的な誘発要因が入り込んでいったのではないでしょうか。きっと英国サブカルチャー音楽が表明していた関心事が、ポスト植民地のマレーシアの亡霊や心霊現象への彼ら自身の興味と出会ったのでしょう。しかし、大抵それは中国系やインド系マレー人のサブカルチャーというよりもマレー系の人々のサブカルチャーでもあります。これは英国の白人労働者階級のスキンヘッドの立場にあたるもので、それはそれで問題なのですが、興味深いことに、このような矛盾がイメージの中心にあるのです。

 

ART iT あなたの作品が英国植民地主義という概念と繋がっていることにこれまで気がつきませんでした。2011年に第3回シンガポール・ビエンナーレで「スタイルの意味」を発表したときには、どのようなフィードバックがありましたか。

PC 確かにシンガポールにはそうしたものへの関心がありましたね。たとえ、シンガポールにはマレーシアとの間には信じられないほどの違いがあるとしても、同時に両者の間には経済的、文化的に築かれてきた関係性があります。シンガポールの非常によく知られた教育及び刑罰のシステムを再度考えると、それはまるで大英帝国時代に生まれたむち打ちなど体罰のような道理に反した植民地的幻想の根本的な延長であるかのようです。

 

ART iT そして、そうしたものが2011年のロンドン暴動に対する極端な反応として再び展開してくるのを私たちは目撃しました。

PC あの暴動は司法制度の刑罰の比重を反映していて非常に興味深い出来事でした。結果的には誰も現れませんでしたが、イングランド北部の小さな町で暴動を起こそうという呼びかけをフェイスブックに書き込んだ10代の若者が刑務所に入れられました。暴動の原因をこじつけているのではないかと感じています。もっと驚きだったのは、かなりの人々がこの暴動を理解不能なものだと感じていたことです。暴徒たちがスポーツシューズやフラットスクリーンのテレビのような消費対象を選ぶのがふさわしくないと考えられ、私にはまったく理解可能なことでしたが、間違いなく誰かがショッピングモールやスーパーマーケットに行くたびに、彼らもまた略奪を心に描いていたでしょう。それはあらゆる店舗に秘められた可能性の核心なのです。—すべての商品を持っていってしまったら……、と。それはまるでテレビ番組の“スーパーマーケットからあらゆるものを一斉に取り除く”企画のようです。しかし、この暴動は間違いなく、ロンドンの取り締まりや警察との関係の社会的表出でもあります。若者が撃たれたことに次いでこの暴動が起きたことは驚くべきことではありません。

 


Both: soy mi madre (2008), 16mm film transferred to video; color, sound; 28 min.

 

ART iT メキシコ社会における階級差を扱ったメキシコのテレノベラ(テレビドラマ)の形式を借りた「soy mi madre」(2008)はどうでしょうか。この作品ではどの程度社会批評的なメッセージをポップカルチャーに入れたのでしょうか。

PC 時折、作品から元来の衝動を切り離し、それを違う形で埋め込むことについて考えます。テレノベラは複雑ではなく、ますます人気も高まっています。間違いなくある種の娯楽の一形式なのでしょう。テレノベラにおいて、そのジャンルの娯楽性とはなんなのでしょうか。
「soy mi madre」では、不安定なセットやチープなフィルムの偽物を制作していたわけではありません。私はメロドラマや演技の感情的な歴史が提供する価値、そしてそれを使って批評を生み出すことが可能なのかどうかということを検討していました。すべてのメロドラマは社会的領域の痛みやアイデンティティの不確実性を扱っており、その内に批評を抱えているのです。例えば、なぜ私は貧乏人に生まれ、あなたは王子として生まれたのか、であったり、自分たちは感覚が麻痺して不幸にも高速道路で亡くなった母親によって生まれたときに取り替えられてしまったのだとわかったらどうなるのだろう、といったものです。
作品の準備として調べている際に、こうしたものはとりわけヴィクトリア調のメロドラマによく見られる領域でした。もちろん1980年代のメキシコのテレノベラもたくさん観ています。4、50年代のメキシコ映画黄金期の一連の作品の多くは、ハリウッドと同じセットや素晴らしい舞台を用いて、ハリウッドのドラマをメキシコという設定のもと再解釈しています。それらはある種のメロドラマ調の表現の基礎になっていったのです。1990年代まで、テレノベラは錫や銀、原油を凌ぐ、メキシコ最大の経済輸出品で、ロシア、フィリピン、バルカン諸国、中央アメリカ、ラテンアメリカ、アメリカ合衆国に売られていました。ですので、ある意味ではそれらを見つけるのは案外容易いことなのです。そして、テレノベラは本気で楽しめるソープオペラの凝縮された本質である、非常に多くの紆余曲折を備えています。私が取り組んだのは私自身がそれらを好きだったためで、それらが劣っているとか、品位のないものだとは考えていませんでした。テレノベラは今以上なものであり得るし、なぜそうならないのかと、嘆かわしい気持ちでその最も人気のある形式を考えています。

 

ART iT あなた自身のテレノベラを制作するにあたり、より批評的にしようだとか、さらには対話的なテレビの鑑賞法に取り組もうなどと考えていましたか。

PC 私たちはテレビを見る上で既にかなりの程度身につけているのではないでしょうか。それらはすべての人のテレビ鑑賞体験の一部でもありますね。「なんとかはそんなこと絶対にしない」とか「信じられない!」などとテレビを見ながら言ってますよね。そこには強い批評的な関係性があります。ニュース番組ですらそうです。本当にぼんやりとテレビを見ている視聴者でさえも、そのテレビの内容をどれくらい信じるかという、ある批評的投資が持っています。
テレフォンショッピングやテレノベル、カラオケのようなものは今以上のものになりうると考えています。それらはほとんどなんでも提示しうるのに、還元され、再生産された形式になってしまうのは不思議なことです。ポリティカル・スピーチカラオケだって可能でしょう。もしくはエイリアン・ポエトリーカラオケ。金曜に外出し、そういうことをやらない理由なんてないし、きっと面白いに違いない。その代わりに私たちがバックストリート・ボーイズとかボーイゾーンとかブリトニーを歌ってみたりして。

 


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第20回 サーキュレーション

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