田園に響く歌声
インタビュー / アンドリュー・マークル
(本稿は英語版を元に翻訳)

ART iT あなたの作品の多くは美術史におけるある瞬間を再現するところから始まっています。歴史を扱うことに興味をもったきっかけ、そして、制作活動におけるテーマとして、あなたが何度もそこに立ち返る理由を教えてもらえますか。
荒川医(以下、EA) ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアルアーツに通っていたとき、ユタ・クータに教わることができたのは幸運でした。彼女のバックグラウンドは1990年代のケルンのアートシーンにあって、その頃のケルンといえば、マーティン・キッペンバーガーをはじめとするアーティストたちがアートマーケットやアート・ケルンのようなイベントに積極的に関わりながら抵抗をみせていました。それはもちろん私には届かない過去に違いありませんが、私がいっしょに仕事をしているギャラリーのひとつ、リーナ・スポーリングスもニューヨークとケルンの交流から生まれたギャラリーだったので、そのことは常に念頭に置いていました。リーナと関わったたくさんのアーティストがそうしたケルンのアートシーンの一部をなしていて、その後、彼らはニューヨークのコリン・デ・ランドのアメリカン・ファイン・アーツと仕事をしました。その一方で、オクウィ・エンヴェゾーが手がけたドクメンタ11のカタログは、日本のパフォーマンス・アートを起点とした、自分自身の「系譜」を見直すきっかけになりましたね。ケルンの影響もありましたが、もう一方で自分自身に由来するものも示したいと考えていました。白川昌生さんの『日本のダダ:1920-1970』から、具体のことやその実践を知ることで、それが現在の絵画の言説と関係していると思いました。ユタの側にいたり、リーナと活動しながら、「絵画そのものを超えた絵画」への関心や、現在のネット社会のもとで、どのように絵画そのものを推し進めていくことができるのかといったことへの興味が湧いてきました。そのような状況下で、絵画はより不安定かつ開かれたものになっていくのではないかと感じていました。パフォーマンスが常に現在時制を扱うのに対して、私は歴史性あるいはパフォーマンスとはまったく異なる制作の「時間」を持つオブジェを同時に扱いたいと考えていました。具体の実践はそこへのアプローチのひとつを提示していました。
ART iT 日本ではそのような前衛芸術と日本美術史が繋がっていないだとか、日本の前衛芸術の歴史は西洋の文脈でしか理解されないなんて良く言われますが、あなたはこのような状況をうまく生かしていると思いますか。
EA どうでしょう。2月のタカ・イシイギャラリーの展示は、西洋からの眼差しをあえて体験するものになりました。海外の眼を通して自分自身を視るような。このような仮想的な眼差しを日本に逆輸入してみました。作品のミュージカルの中で語られている事柄には、日本の研究者にとって特別なものや目新しいものはありません。日本には既に具体に関する充実した知識が蓄積されています。ですから、私の作品はもっと異なる文脈に繋げてみることに重きを置きました。日本の観客にとって、このミュージカルは具体を海外のアート・バーゼルや西洋のアートマーケットの中で文脈化しました。それを望むと望まざるとにかかわらず、より大きな文脈を通じて、アーティストがそのシステムの中に参加している現実を反映したアートフェアへの言及として利用したいと考えていました。とりわけ、パフォーマンス・アーティストはますます制度化されつつありますが、それでも私たちは懐疑的な態度を保ちつつ、システムの中でより自由に即興を繰り広げています。


ART iT これまでに、日本美術史を使って西洋美術史という「正典」に挑むことに興味を抱いたことはありましたか。
EA 私の作品は東洋と西洋という区分よりも、忘れ去られたアーティストや亡くなってしまったアーティストの「再発見」という形で、マーケットが美術史のバランスを突然変えてしまうことを問題にしています。たとえば、具体の第一世代のアーティストの作品はそれに続く第二、第三世代のアーティストの作品に比べ値段が高い。しかし、おそらく1958年以前の具体の精神はそのようなマーケットの変動の過程で失われてしまうのではないでしょうか。このマーケットの状況が美術館で並行して起きている具体の再燃と混同されることもあります。アートワールドで何かが発見されると、すぐにそれは資本化され、まるでその何かが唯一のものであるかのように扱われます。1990年代に草間彌生が再発見されて、それをきっかけに海外における日本近代美術史の普及の動きがつくられました。しかし、それ以降も数々の草間展が開催されてきましたよね。もし間違っていたら訂正してください。
ART iT そのような歴史の流通の仕方に挑戦しているということでしょうか。
EA 多少そういうところもありますが、私は歴史家ではありません。ただ、それほど知られていない日本のアーティストやアーティスト・コレクティブがもう少し理解されたらいいなと考えているだけです。パフォーマンス・アーティストと同じく、歴史の大部分ははかないもので、ほとんどアーカイブもされていない。ここにアーカイブの政治学が顔をのぞかせています。(研究者ではなく)アーティストとして、私はそれをいち早く指摘することができるのです。
ART iT しかし、正典としての歴史の修正を試みているわけではない、と。
EA 真の修正を行なうのは美術史家です。私は歴史家にはほとんど無理なパースペクティブから歴史的素材を扱っています。初期作品の「河原温のエスペラント(On Kawara’s Esperanto)」(2004)では、河原温のエスペラント語の使用法をリサーチしました。彼の世代と私の世代の違いを理解することが大事でした。私にとって、河原温は「ユニヴァーサル」なアーティストではなく、日本の戦後民主主義にきっちりと結びついた人物でした。私たちの時代とは距離感が違います。このような違いを明らかにすることに喜びを感じますね。
具体に関して言えば、その知識のほとんどを英語文献から得ました。これまでに何度か具体に関連したプロジェクトを行ない、経験とともに知識を積み重ねてきましたが、ミュージカルの歌詞に対して事実確認をしたら、すべて正しいというわけにはいかないでしょう。たとえば、登場人物「シラガ/モトナガ」が展覧会で動物の内臓を展示することについて歌うとき、どんな動物を吉原治良に提案したのか確認できなかったので、そこは豚にしておいたのですが、もしかしたら牛だったかもしれません。これは歴史研究や論文ではなく、具体において集団性や絵画制作がどのように組織されていたのかを調べる主観的な実験のようなものです。作品内の歌では彼らのマーケットにおける成功をアイロニカルに批評していますが、私は具体の初期の活動にはパフォーマンスと絵画の非常にバランスのとれた関係性があったと信じています。私には彼らがやったことに対する同一性のようなものを感じていて、だからこそ、自分に関係がある限り、私は何度もそこに立ち返り続けます。


ART iT それでは、あなたが具体に同一性を感じるのは、日本を代表する現象であるというよりもパフォーマンスの使用法という点が大きいということでしょうか。
EA 両方混ざっていると思います。国外に拠点を置く日本のアーティストには、日本とは関係のない作品制作を行なう人もいますが、私はパフォーマンス・アーティストということもあり、自分の身体の存在から逃れることができません。ですが、2014年の光州ビエンナーレのプロジェクトでは、韓国の演劇プロデューサーのイム・インザの協力で、光州の文脈と繋がることができました。彼女なしでは、光州のあの特殊な文脈に関わることができなかっただろうし、光州ビエンナーレが韓国の民主化の過程から生まれてきたことを知ることもなかったでしょう。調整役としてインザがいたおかげで、異なる文脈をつなぐ橋を構築することに挑むことができました。
現在、サージ&ステファン・チェレプニンというアーティストとともに今年これから上海で発表するプロジェクトを進めています。彼らの祖父は1930年代の中国と日本の音楽シーンとの特別な関係を持っていました。その関係は日本の帝国主義によって遮られてしまったのですが…。最近、私は初めて上海を訪れました。日中戦争が現在の中国の人たちにとってどれくらい関心があるものなのか分かりませんが、1930年代に関するプロジェクトを進める上で、その歴史を無視することはできません。キュレーターのビリャナ・チリッチといっしょにこのプロジェクトを展開するためのなんらかの繋がりを見つける必要がありますね。
アジアでのプロジェクトを依頼されることが増えることで、リサーチ型のアプローチを通じ、その地域の文脈を扱うことへの関心が増してきました。両者にとって役に立つものを提案したいと思っていますね。このようなリサーチは非常にトリッキーなので、世界中のどこだってできるというわけではありません。そこに特別な何かがなければ。
具体に関しては、こうしたことを明確に扱っていないかもしれませんが、西洋において、具体は日本美術史におけるタブララサ的なものとして現れることが多い。このような健忘症はあまりにも残念なので、日本美術史の1920年代、30年代、40年代に再接続したいと考えています。
ART iT この健忘症の責任の一部は日本の美術史家やキュレーターにあると思いますか。
EA その責任が美術史家にあるとは思いませんし、キュレーターについてもどうでしょうか。日本の美術館で開かれた美術史を扱う質の高い展覧会をたくさん目にしましたが、おそらくアーティストもそのような歴史を扱う展覧会と現在の問題を結びつけるのが苦手なのではないでしょうか。
ART iT この日本美術史における健忘症は、日本社会における第二次世界大戦の想起の問題とも関係していると思いますか。
EA おそらく日本の美術界だけではないでしょうか。たとえば、NGO、映画、文学、漫画といったより広い社会では、もっと上手く想起を扱っています。現在、国粋主義的ポピュリズムがいたるところで台頭していますが、このような政治の変化に意識的でなければいけない。ニューヨークのアートコミュニティは、ドナルド・トランプに端を発する右傾化を非常に警戒しています。昨年、オバマが広島を訪れ、安倍晋三がハワイを訪れたことすら、きわめて芝居じみていましたよね。それらはすべて象徴的なものにすぎず、もっと言えば、経済促進のためのものにすぎないのではないでしょうか。中国や韓国で制作を行なう上で、こうした新しい文脈の下に起きていることを無視したくはありません。
タカ・イシイギャラリーの展覧会でかなり具体を参照していたので、日本という素材に自意識過剰だと思った人もいるかもしれませんが、現に具体はグローバル化のための興味深い物語です。また、韓国で適切な協力者を見つけることがあれば、韓国の単色画(ダンセッファ)に関する似たような物語を扱うのではないかと思います。いずれにせよ、具体は絵画とパフォーマンスの関係性における今日的な意味を持っているのです。
ART iT 美術史からはじめて、いつのまにか歴史一般の話になりましたが、あなたの作品にもこのような傾向があるのではないでしょうか。たとえば、ユーミンや河原温を扱った初期作品はアメリカ合衆国における移民制度に言及していました。あなたは協力者にアメリカ合衆国での生活についてインタビューをして、作品と並行してドキュメントやテキストを作成しました。このような側面は最近の作品の中でも展開していますか。
EA 2013年にグリーンカードを取得して、それから作品は少しずつ変わってきました。それに現在では移民政策もより厳しくなっています。日本人の移民としての自分の立場と、トランプが打ち出した移民規制の対象となった国の人々の立場とを比べることはできません。しかし、自分自身の主観性の外に関係性を築いたり、対話から作品を生み出すような共同制作の連続から、光州のプロジェクトのようなものが出てきました。個性を崇拝したり、舞台にひとりで立つといったことには興味がなくて、常に誰かと共同でやりたいと思っています。また、私は絵画を描かないので、いつも誰かの作品を使わなければなりませんし、それが私の作品におけるアーティストの二重化を引き起こすのです。


ART iT パフォーマンスの文脈における絵画というものにそこまでこだわるのはなぜですか。
EA パフォーマンスは美術館の体制に適応しなければいけないというかなりの重圧があり、その体制のなかでいかに再現可能かということについて考えられています。ティノ・セーガルの作品なんかもそうですね。視覚芸術の世界で制度に適応したダンスパフォーマンスをたくさん見てきましたし、それらの多くは素晴らしいものでした。そうしたものの場合、作品にはコレオグラファーがいて、役者やダンサーを訓練し、何度でも正確に同じ動きを繰り返すことができるようにする。しかし、再現しづらく、それゆえにあまり美術制度に適応しないパフォーマンスへのアプローチというものもあります。美術館は現在より多くのイベントをプログラムに組み込むようになりましたが、それでもそこでは再現可能なものや収集可能なものが好まれます。つまり、現在の美術制度も依然としてオブジェやプロダクトに強く依存しています。ですから、私は絵画に関わることでパフォーマンスをそのようなオブジェ指向の体制の中に差し込もことができるのです。
私自身が絵画を描くわけではありませんが、絵画にはアーティストの態度や人生が顕著に現れるので、そのような絵画を私の作品の中に再構成したとき、私自身の主体性がはぐらかされるようなところがあるかもしれません。はぐらかされるというのはちょっと否定的に聞こえるかもしれませんが。パフォーマンスは自分の主体性を生産的にひとつにまとめてしまうのを先延ばしにするところがあるのではないか、と。そこには異なる文脈や態度が入ったり出たりする状況がある。他者に関わりながら、自己の概念が変化する状況を「パフォーマンス・アート・プラクティス」と呼ぶことに強い関心がありますね。自分自身を定義するものを明確にしていく方が、あれやこれやと自分を主張よりもしっくりきます。それはどこか時間とともに価値が変動していく貨幣のようなところがありますよね。
(協力:タカ・イシイギャラリー)

荒川医|Ei Arakawa
1977年福島県生まれ。1998年よりニューヨークを拠点に活動をはじめ、ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアルアーツを経て、2006年にバードカレッジでMFAを取得。スクール・オブ・ヴィジュアルアーツ在学中の2003年に、ユタ・クータとキム・ゴードンが企画した『The Club in the Shadow』でパフォーマンスを発表。以来、さまざまな人々との共同制作によるパフォーマンスや観客を即興的に巻き込んだパフォーマンス、LEDスクリーンを用いたミュージカル形式のインスタレーションなどを各地で発表している。これまでにニューヨーク近代美術館やテート・モダンといった美術館のほか、第30回サンパウロ・ビエンナーレ(2012)、第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ・ジョージア館(2013)、ホイットニー・ビエンナーレ(2014)、光州ビエンナーレ(2014)、ベルリン・ビエンナーレ(2016)などに参加。
2016年のタカ・イシイギャラリーでの個展『Tryst』では、5台の自立式LEDスクリーンに映し出される具体美術協会の作家5名の絵画作品が演じる、ミュージカル形式の新作インスタレーション作品を発表。また、ミュンスター彫刻プロジェクト2017では新作「Harsh Citation, Harsh Pastoral, Harsh Münster」を発表している。
荒川医『Tryst』
2017年2月10日(金)-3月11日(土)
タカ・イシイギャラリー東京
http://www.takaishiigallery.com/
展覧会URL:http://www.takaishiigallery.com/jp/archives/15525/
ミュンスター彫刻プロジェクト2017
2017年6月10日(土)-10月1日(日)
http://www.skulptur-projekte.de/