ヴィルヘルム・サスナル インタビュー (2)

(2) 静かな風景が語りだす 
歴史の視覚化と「絵画の精神(エートス)」について


Moscice 1 (2005), oil on canvas, 100 x 140 cm. Courtesy collection Fundação de Serralves – Museum of Contemporary Art, Porto.

ARTiT: あなたのランドアートへの傾倒を考えると、あなたの絵画作品の中でも、生まれ育ったタルヌフやモシュチチェの周りの風景や、アート・スピーゲルマンの漫画作品『マウス-アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』や、ポーランドでのユダヤ人大虐殺を描いた1985年のクロード・ ランズマンの映画『ショア』についての作品が非常に注目に値すると思います。なぜこのような作品を描きたいと思ったのでしょうか?

WS: 私は1972年に生まれたとはいえ、戦後の現実のなかで育ったと思います。第二次世界大戦の影響は私の国では逃れられないものなのです。ポーランド国内を旅行していると、記念碑が至る所にあり、この国で多くの命が犠牲になったことを実感します。それらに無関心ではいられないのです。
  でも歴史的なものを取り上げ始めたのは、それがかっこ悪いと思っている自分に気づいたときでした。それまでは、若者文化や日常というテーマに没頭していて、歴史やそれをどのように自分の作品に取り入れようかなど全く考えていませんでした。しかしあるときから、かっこ悪いと思うことをやってみたい、それまで触れてなかったテーマを扱ってみたいと思いました。実際制作してみると、あれらの絵はどうやらすでに自分のなかに存在していたようでした。

ARTiT: では、若者文化から歴史的なものにシフトしたきっかけは具体的に何かあったのでしょうか?

WS: 自分のなかで転換が始まったのは、ちょうどポーランドで歴史問題がよりオープンに議論されるようになった頃と同じ時期です。戦前、ポーランド在住のユダヤ人の数は世界的にみても多かったのですが、終戦時には完全に絶滅してしまいました。でも学校の教育では、600万人のポーランド人が戦争で亡くなったことしか教えられず、その半分以上がユダヤ人だったということについては学びませんでした。このような事実は、50年も隠されており、そのことについて誰も何も言わなかったのです。しかし、1999年と2003年の間に『マウス』のポーランド語版や、ポーランドのイェドヴァブネ村 で1941年に起きた地元住民によるユダヤ人の殺害を描いたヤン・トマシュ・グロスの本『Neighbors』のポーランド語版が発売されたこと、またランズマンの『ショア』が初めて国営テレビで放送されたことによって、ポーランド人は自分たちの歴史を違う目で見ることができたのです。

ARTiT: しかしサスナルさんの『マウス』や『ショア』に基づく絵画は、直接的にそれらのイメージを指しているのではなく、人物や顔の特徴などの詳細が消されていますよね。渦巻く緑の筆遣いの広がりの前に小さな人物が3人描かれている2002年の「Shoah (Forest)」が特にそうだと思います。

WS: もちろんそうです。『マウス』や『ショア』は重要な作品なので、こうした既存の作品を使って過去を再考したかったのです。
 最近では、ランズマンがまた話題になっています。戦争中にポーランドのレジスタンス運動の構成員だったヤン・カルスキの役割について、フランスの作家ヤニック・エネルと公の場で論議したからです。カルスキはポーランドから逃亡し、連合国にナチスの絶滅収容所のことを証言した一人です。彼は『ショア』でランズマンのインタビューを受け、今回、この小説に近い歴史書を書いたエネルの主要登場人物でもあります。この本でエネルは、ランズマンがカルスキとのインタビューを編集したと告発し、それに対しランズマンはエネルが歴史修正主義者だと言って反論しています。ここで問題となっているのが『ショア』の真実性と、フィクションとドキュメンタリーの関係性だと思います。
テレビ放送時に録画してあった『ショア』を日本に来る直前に改めて見始めました。3人の人物が森から出てくる場面になった時、あまりにも強いイメージだったため映像を見ることを止めざるをえませんでした。現在、私が制作中の新しい長編映画の台本に、森のシーンがいくつかあるので、『ショア』のあの映像を目にして「私の映画にもこのシーンは入っているべきだ」と考えました。


Shoah (Forest) (2002), oil on canvas, 45 x 45 cm. Photo A. Burger, courtesy the artist and Hauser & Wirth London/New York/Zürich.

ARTiT: では、あのシーンを10年ほど前に観たときにも感じた衝撃は今でも同じくらい強いということでしょうか。

WS: その通りです。『ショア』の面白さは非常に利己的なところにあります。ランズマンの身勝手さには感心します。
 もちろん、フランスの知識人の視点からどのように映画を作ったかという矛盾する要素や、そしてどのようにポーランドの農民に近づいて取材をしたのかなど、政治的正しさを考えると議論の余地があると思います。ランズマンは常に有利な立場にいましたし、状況をうまく利用することもできました。どのような質問をすれば自分が求める答えを得られるかわかっていました。
 いずれにせよ、この映画は芸術作品です。カメラのレンズが静かな風景をゆっくりと捉えるとき、空間がとてつもなく不吉で空虚な感じがします。そうした場所が持つ意味、歴史やその裏をランズマンが知り尽くしているところに驚嘆します。

ARTiT: そのような感情的な共鳴はあなたの絵画にも感じます。森や小さな人物からくる崇高な気持ちは、イメージの単なる再現ではなく、それ以上のものが何かあります。

WS: そうですね、私の作品の裏にはいつもストーリーがあります。なので、抽象的に見えるものがあっても決して抽象的な絵ではないのです。私は一度も抽象絵画を描いたことはありません。視覚要素の裏には必ず物語があるのです。


Shoah (2003), oil on canvas, 40 x 70 cm.

ARTiT: あなた自身の絵画作品「Maus」や「Shoah」を制作した時、元の作品である書籍、映画から自分が使うイメージを選択するために、どれくらい自分の考えを反映させたのでしょうか。

WS: そのときは直観的に反応しただけです。私はどのようなイメージが自分の興味をそそり、絵で描くことでより人の興味を引き、そしてより漠然としたものになるのかなどが、描く前から予想できるのです。また、面白いことに、絵を描く過程で様々なつながりが浮かんできます。それはまるで物語が再構成されていくよう、あるいは自分と話す言語に変わっていくかのようです。こうして作品と繋がりを持つのです。もちろん軽い主題のものもあるので、その場合は必要以上の意味を込めないようにしています。

ARTiT: 例えば 「Shoah (Forest)」と、ロバート・スミッソンのポートレートを描いた作品「Untitled (Smithson)」 (2002)と、クラクフのバーにあるトイレを描いた作品の違いは何でしょうか。

WS: 主題へのアプローチに関してはあまり変わりがありません。すでにある題材や形式で実験したいときはそこに多少違いが存在するかもしれませんが、絵に対する姿勢は非常に真剣です。完成したと思うときに、やっとその絵から離れられます。疑念があるときは決してその作品を放置せず、必ず納得の行くまで制作を続け完成させます。「作品としてはよくないかもしれないけど、売れるからこれでいい」という、ひねくれた考えを絵画に対して持ったことは一度もありません。自分は絵画に対して責任があり、絵画の精神(エートス)を信じています。


Lata Walki (2005), oil on canvas, 150 x 190 cm.

ARTiT: 完成するまで作品から離れられないという話を先ほど伺い、完成の定義が広いのではないかと感じました。例えば、テキストの入った絵画「Lata Walki」 (2005年)ですが、この作品では、最終的にキャンバスからテキストを完全に切り取りましたね。

WS:  あの制作は楽しかったです。「Lata Walki」は「長年の苦労」という意味で、くだらないポーランドの戦争映画のチャプターに出てくるタイトルでした。このフレーズがとても気に入ったので、深い意味があると思い込んでいました。何度も「Lata Walki」と絵具で書こうとしたのですが、文字がいつもうまく見えず、実際かなり苦労しました。2、3度文字を上書きしたのですが、結局諦めて最終的に文字を全部 切り取ったのです。
 最近ではますます絵の醜さ、間違いを犯すこと、崩壊させることなどといったことに惹かれています。現代絵画で自分が嫌だと思うことに対する反動かもしれません。
 絵を描くというのは困難な仕事です。私は画家だけでいることはできません。それが理由でもしかするとフィルム作品の制作を必要としているのかもしれません。私は跪いてまで絵に取りかかることや、巨匠になろうとすることに対して恐怖を覚えます。なぜならそれは無駄な努力だと思うからです。巨匠だと自分で納得するまで、そして成功して達成感に至るまで何枚絵を描けばいいのでしょうか?
 そうやって自分を慰めるよりも自分のことを疑うほうが発展的です。必ずしもアート・マーケットに対してということではなく、画家が派手で目立つ作品を作ろうとすることに対しての、ある種の反動なのかもしれません。もちろん、私は恵まれた立場にいることを十分に理解した上でこのような話をしています。

ARTiT ひとつ気になることがあるのですが、サスナルさんは大きなキャンバスをほとんど使わないのですね。

WS: 今までで一番大きな作品が2×2.2メートルだったと思います。比較的大きいサイズだと思うのですが、それ以上大きいと家のドアに入らないのでそれより大きいものは作っていません。それに巨大な作品を作ることに特に興味はありません。
 これは先ほど話したことに関連しているのですが、絵を描き始めるときに傑作が描けるとは思いません。持っているキャンバスを使って制作しているだけのことです。しかし、絵画が自分たちの世界を描写する唯一の方法だった昔の時代に比べて、大量にイメージが溢れている現代社会では絵画は特別な状況にあると思います。絵画が世の中を変えたり、人を変えたりできるというナイーブな考えを持っているわけではありません。絵画は映画のようにもう「大量破壊」の手段ではないので。 しかし、他方、私たちは自分たちを囲んでいるイメージに鈍感になって見えなくなっており、そしてあまりにも大量のイメージに飽きていて、絵画は昔の立場に戻りつつあるのかもしれません。絵画はイメージを物質的なものに変えられるからです。

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ヴィルヘルム・サスナル インタビュー
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第1号 選択の自由

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