ネイサン・ヒルデン インタビュー


Untitled (2010), acrylic, silkscreen on aluminium, 86.3 x 58.4 cm. Photo Kei Okano, courtesy Nathan Hylden and Misako & Rosen.

 

動きつづける絵画の現在
インタビュー/アンドリュー・マークル

 

ART iT 初期作品とコラージュの使用法という点から始めたいと思います。そこにはステンシルや連続性といった現在のあなたの関心を予感させるようなものがあります。当時、あなたはコラージュを特別な参照領域として取り組んでいたのですか。それとも、コラージュは単に自然な展開のひとつだったのでしょうか。

NH 絵画と画像ベースの素材の両者の等価性を見つけるために、私が絵画と平行して画像ベースの素材を包含していく方法のひとつとしてコラージュはあります。初期のコラージュには特定の素材が重視されるようなことはなかったけれど、次第に選び出す新聞画像のすべてが、なにかが壊されたり建てられたりしている画像に集中していきました。ある意味では、創作過程と対応するように、創出と破壊が同時に存在しているのです。

私は、そこにものとして存在しているという意味でコラージュを物質的な素材だと見なすだけでなく、毎日の習慣としての新聞を通過していくという意味で一時的な素材だとも考えていました。そして、共有する行程を通してすべてが繋がるように、反復やある指標が続いていくことは私の絵画が展開していることとも同時進行している。ですから、視覚的類似や形式的類似に加えて、一時的なことというのもコラージュを通じて絵画へと及ぶテーマのひとつです。

 

ART iT それではあなたの絵画に見られるレイヤーやさまざまなテクスチャーの使用法は、コラージュの制作から浮かび上がってきたものでしょうか。それとも、明確に絵画的なアプローチなのでしょうか。

NH 関連していると考えることは出来るでしょうね。とはいえ、すべてがコラージュから現れてきたとするのはどうだろうと。ステンシルも使っていますし、各絵画には常に多数のものが組み合わされ、並置され、互いに重ねられています。私の絵画は視覚的には抽象的ですが、常にステンシルの陰画が包含されているという意味では、画像ベースの構成要素もあるのです。

ある時期から紙で制作を始めたのですが、重ねた紙を切り抜き、ごちゃ混ぜにしてからスプレーペイントをします。それぞれの作品は結果であり、別の作品の道具でもあったのです。

また、絵画とステンシルの関係性から展開していった彫刻も制作しています。所々切断し、絵画用のステンシルとして使った鉄板で制作をはじめました。2007年にロサンゼルスのリチャード・テレーズ・ファインアートでの個展で、ほとんど無作為に切断したアルミニウムの彫刻を二点発表しました。最近では、スタジオ内のキャンヴァスの絵画を撮影した写真に基づく鉄製の新しい彫刻を三点制作し、その絵画といっしょに展示しました。展覧会内で接する絵画や彫刻とは異なる特殊な状況で撮影されているので、これらの彫刻はある種の絵画の印象を残しています。このようにこれらの彫刻と絵画との間には、3つか4つのレベルの反復や二重化があり、ステンシルとの指標的な関係性という概念が作品自体における重要な部分をなしています。過程と存在の関係があきらかに入り組んでいるのです。

 




Top: Installation view at Misako & Rosen, Tokyo, 2010. Photo Kei Okano, courtesy Misako & Rosen, Tokyo. Bottom: Installation view of the exhibition “Getting There, In Various Order,” Johann König, Berlin, 2010. Courtesy Johann König, Berlin, and Misako & Rosen, Tokyo.

 

ART iT 象徴や指標、指示対象への興味はどのように膨らんでいったのでしょうか。

NH 指標的なるものが指示対象とそれ自体の外にあるものを繋いでいるために、いかに指示対象がオブジェの存在の矛盾であるのかを探ることに興味があるのです。一方で、そのオブジェは抽象絵画のしきたりに従い、単独のオブジェとしてそれ自体を提示し、それ自体として存在しています。しかし、その制作過程を通じてほかの作品とも繋がっている。それぞれの作品は、シリーズ内のほかの作品の徴や制作過程の形跡を作品内に保持しています。厳密にはどんな絵画にも時間感覚があり、とりわけ興味深いのは、作品の存在における矛盾や、パッと思いついた言葉で言えば存在の可動化、ほかの作品との指標的な繋がりによる存在の可動化です。

絵画の存在に対する問いは、遅延された存在という考えとともに私が常に興味を抱いてきたものです。遅延された存在とは、なにかが存在しているけれども、それに抗うなにかが外部に存在しており、単なる典型的なオブジェ以上のものを作り出す、来るべきなにかなのです。こういうことを常に学生時代に考えていて、キャンヴァス自体を使って新しい絵画を制作するという考えに至り、そして、それを押し進めることで、絵画の条件を未然に取り除いた上で、いかにオブジェを見ているのかについて考え、それが全体ではないと知ることができるのかについて考えるのに助かりました。各絵画にはステンシルによる細かな乱れが見られるでしょう。なぜなら、私はそのキャンヴァスを一年かけて描き、パターンにおける欠如を引き起こすためにステンシルの下に紙を敷いていました。その欠如部分を再び描くことも、そのまま残すこともありました。描く絵画にはそれぞれ4枚の紙を使います。それらはすべて保存しており、各キャンヴァスの失われた断片は、私の一年間の全制作の指標となると考えることもできます。

 

ネイサン・ヒルデン インタビュー(2)

 

 


 

第19回 絵画

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