田園に響く歌声
インタビュー / アンドリュー・マークル
(本稿は英語版を元に翻訳)
I.

II.
ART iT パフォーマンスの中にほかの人々の作品を組み込むこと、特に絵画を組み込むことについて話してきましたが、協働するにあたり、あなたは人々をなんらかの形でコントロールしたり、指示したりすることになりますよね。パフォーマンスを主宰するものとして、その役割をどのように考えていますか。
荒川医(以下、EA) 初期のパフォーマンスの多くは、自分自身でシナリオを書いていましたが、最近のミュージカル形式の作品では、従来の舞台監督に近いところに自分を置いています。一方、Grand Openingsのメンバーとのプロジェクトや光州のような協力者とともに行なうプロジェクトでは、共同ディレクターのような関係になります。このように協働相手との関係をプロジェクト毎に切り替えるのが好きですね。アートの中で自らの名の下に何かを行なうとき、あなたには主体性が与えられるし、そのような主体性はコラボレーションのような実践にも必要とされます。主体性なくして存在できませんから、そのバランスには常に気を使っています。パフォーマンス・アーティストとして、持続可能性について考えているのです。このような協働的なパフォーマンスをアートシステムの中でどれくらい長く続けることができるだろうか、と。具体はグループでも活動しましたが、程なくして個々の制作活動へと移っていきました。白髪一雄はほかのメンバーに比べて商業的な成功を収め、田中敦子は個人での活動に集中するために退会しましたが、現在のような状況なら、個人としての活動もグループとしての活動も、両方できたのではないか、と。自分自身のアーティストとしての在り方を考えなければいけないし、私自身もずっとコラボレーションに頼っていてはいけません。
ART iT あなたが実施した「Singles Night」の参加者が書いた記事やブログを読みました。彼らはその体験を楽しんだと書いていましたが、その裏には自分の居心地の良いところから外れ、少し馬鹿げている、恥ずかしいことをさせられたという気持ちも伝わってきました。こうした参加者との関係をどのように考えていますか。
EA そのような場合、人々は「サービス提供者」としてのアーティストが何かを与えてくれるという期待とともに美術館を訪れることになりますが、観客をどのように扱うかという決定はそれぞれの状況で異なるので、アーティストには必ずしもそれに応えなければならないという責任はありません。観客が期待するものをアーティストが提供するかどうかは別問題です。ここにアートが存在する必要性があるのではないでしょうか。私たちは観客を「使う」こともできるし、彼らを配置し直すこともできる。恥ずかしさは、観客とそのような関係をつくりだす道具ですね。


ART iT さまざまな協力者と制作活動をしていますが、具体に関する近年の作品は集団における振舞いを捉えなおす機会になっていませんか。吉原治良と具体のほかのアーティストとの関係を、自分自身の制作方法と比べようとしているのではないか、と。
EA どうでしょう。そういう意味では、ミュージカル形式の作品の制作における集団のはたらきも、従来の制作方法もさほど変わらないでしょう。でも、2013年のグッゲンハイムでの具体の展覧会『Gutai: Splendid Playground』で依頼されたパフォーマンスは、むしろキュレーションのような立場でした。どのように集団が一体となっていくのかを強く意識していましたね。異なる世代の参加者を呼んで、ひとりひとりに具体に関するシナリオを考えてもらいました。とりわけ、(舞踊家の)シモーヌ・フォルティと仕事ができたのは素晴らしい体験でした。主にニューヨークで活動していた頃は、日常の社会的なネットワークや生活の文脈で集団について考えやすかったですね。集団は自然に出来上がりました。ニューヨークの外でプロジェクトを行なうことが増えて、集団をつくるときに必ずしも地元の文脈を知っているわけではなくても、思い切ってやってみなければいけません。
ART iT Grand Openingsでは、メンバー全員が集団行動に対する新しいアプローチを意識的に模索していたのでしょうか。
EA Grand Openingsではどういうわけかメンバーの間で非常にバランスのとれた関係が生まれ、それぞれがそれぞれの態度を持ちつつも、ニューヨークの中で同じ文脈を共有していて、とても面白かった。しかし、ある時点で、観客はギャラリーでパフォーマンスを見ることに慣れてきて、特にニューヨークやベルリンのような都市では、ギャラリーでパフォーマンス・アーティストに何を期待すべきかわかってしまっているところがありました。だから、その文脈にたとえ一時的でも演劇の制作方法を持ち込んでみることが面白くなっていきました。その協働の形式が機能しているかどうかを常に把握しなければいけないと思っていて、もし機能していなかったら、その形式を変えていかなければいけません。
ART iT 作品をつくる上で、観客をどれくらい重要視していますか。
EA 観客のことを考える前に、作品のシナリオやダイアグラムを完成することの方が重要です。インスタレーションであれば、観客の反応を見る機会はほとんどないし、ライブ・パフォーマンスであれば、観客を何らかの形で積極的に関与させたいと思っています。先ほども言いましたが、私は観客をある状況から別の状況へと動かしたり、再配置したりすることで彼らの見方に変化をもたらしたいと考えていますね。
ART iT 作品において意図的にスペクタクル性を避けようとしているのではないかと感じるのですが、これはアンチ・イメージのような感覚から来ているのでしょうか。
EA イメージ・メイキングも大事なので、そこから逃れようとしているとは言いませんが、パフォーマンスはイメージ/アンチ・イメージというだけのものではありません。アンネ・イムホフのパフォーマンスもこのような側面から恩恵を受けていると同時にそこに苦しんでいるのではないでしょうか。一方、サラ・マイケルソンなんかのダンスは非常に身体的で彫刻的です。このような異なるアプローチが互いに対抗しつつ、作用し合うようにしたいですね。


ART iT ミュージカル形式の作品やパフォーマンスで、「素人」のパフォーマーを起用することについて聞かせてください。ほとんどの場合、「素人」の彼らは平凡で動きもぎこちなく、歌も一流とは言えませんし、また、事前に録音された曲に合わせて口パクしていることで、プロフェッショナルという考え方からさらに遠くへと離れていきます。パフォーマーの特異性を抑えようとしているのでしょうか。
EA 形式としてはそう言えるかもしれませんね。しかし、誰かがそう認識した時点で、それがパッケージ化されてしまいます。演劇では間(ま)や完成度といったものが重視されていますが、パフォーマンス・アートのいいところはそこを心配する必要がないことですね。演劇に期待されているそうしたものは苦手です。アートから来た人はたとえ役者ではなくてもパフォーマンスに参加できます。パフォーマンスはアート界の中でそこまで重要とされていないので自由があるのです。システムに亀裂が入る瞬間がいい。もしくは、少なくとも観客の焦点がばらばらになるのがいいのです。唯一の瞬間にだけ集中すべきではありません。
ART iT それもまた規範的なイメージに対する挑戦ですよね。
EA おそらくそれはパフォーマンス・アートの系譜に過ぎないでしょう。
ART iT クリス・バーデンには「Shoot」という自らの腕を撃たせる作品があります。撃たれることには特に才能は要りませんが、少なくとも異常なコミットメントが必要になる。一方、あなたの作品の場合は、誰でも気軽にパフォーマンスに参加できるようにみえるのですが、それでもあなたはパフォーマーの特異性を否定したり、疑ったりしているわけではない、と。
EA パフォーマンス・アートが嫌いな人は確かにいて、それは歴史的なパフォーマンス・アートの一部にある退屈さに関係していると思っています。スペクタクルを避けるために平凡なことをしても、それを意識した途端に作品と作品ではないものの曖昧な境界が規定されてしまいます。おそらく私はそのような規定にちょっと抗おうとしているのかもしれません。そして、抗うための装置として、観客にかなり気軽なやり方で呼びかけているのかもしれませんし、もしくは、ほとんどテクニックみたいなものですが、それがひとつの形式のようなものになったら面白いな、と。
ART iT 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの富井玲子さんと池上裕子さんによるインタビューでは、作品におけるアイデンティフィケーションとディスアイデンティフィケーションの間の力学について、具体的には、パフォーマンス・アートや日本、ゲイ、非西洋、移民といったことについて話していましたね。*1 私はあなたの作品を、たとえば、「日本人らしさ」や「ゲイ」といった概念のようなアイデンティティの問題から少し距離を置いているものだと感じていたので興味深く読みました。
EA それは私が作品の中でアイデンティティを絶えず変えていっているからではないでしょうか。昨年、ケルンを拠点に活動した画家、ミヒャエル・ブーテ(1944-1994)を中心に扱ったパフォーマンスをルートヴィヒ美術館で行ないました。ブーテはジグマー・ポルケと同世代の画家ですが、90年代から最近までほとんど忘れられていました。彼はモロッコにはまり、モロッコ人のボーイフレンドとも付き合っていました。作品もモロッコ文化の強い影響を受けていたので、彼をオリエンタリストだと思う人々がいる一方で、オリエンタリズムを超えた傾倒が窺えると考える人々もいるでしょう。私は彼とモロッコ人の恋人たちとの間に、文字どおり彼が他者の文化を内在化できたように、概念的な関係を感じ取り、そのことについてあれこれと推測し、歌うLEDペインティングのインスタレーションを制作しました。LEDを使ったインスタレーションだったので身体の政治学については少し曖昧になってしまったかもしれませんが。とはいえ、どのような作品をつくろうかと考えるときはいつでも、アイデンティフィケーションのことが最初にありますね。この作品の場合は「ゲイ」でしたが、それは西洋的なゲイの定義に対するある種の批評を伴うものでもありました。


ART iT ということは、制作過程でディスアイデンティフィケーションに向かっていくということでしょうか。たとえば、ストーンウォールの反乱を基にした「RIOT THE BAR」(2005)は、西洋における現代のゲイ・アイデンティティが形成される瞬間を扱っていますが、同時に、そのようなアイデンティティを超えていくための媒体でもある。
EA ブーテの作品や「RIOT THE BAR」では、規範的な西洋のゲイ・アイデンティティに対する私の猜疑心を表現しています。日本のゲイシーンはそのようなジレンマをすでに経験しましたが、これは90年代の終わり頃にあった問題で、「RIOT THE BAR」は当時の経験から生まれました。ある種のアンチ社会彫刻であり、ディスアイデンティフィケーションでしたね。
ART iT 「日本」や「日本人であること」も同じですか。
EA そうだと思います。上海のような場所で制作するとき、いや、日本で制作するときですら、作品は日本というアイデンティフィケーションと他者のほかのあらゆるアイデンティフィケーションとの間を動いています。タカ・イシイギャラリーで発表した作品では関西弁の字幕をつけました。英語と日本語の両方を理解しなければ、その面白さはそこまで伝わらないかもしれませんが。まさにローカルなことが完全に異なる文脈で紹介されるときに不調和、物の見方のスイッチのようなものが生じます。それぞれのカテゴリーのための、それぞれの枠組みがある。私はときどき、「彼ら」と「我々」の枠組みを絶えず行ったり来たりする動きを認識するのです。
ART iT 歴史の問題に戻りますが、歴史を扱うアーティストが歴史を更新したり、歴史を何らかの形で批評的に再検討したりする可能性を持っている一方で、ただ歴史を再利用しているだけに終わる危険性もあるのではないでしょうか。このような状況についてはどう思いますか。
EA LEDを作品に使いはじめたとき、1960年代におけるプラスチックのように、LEDは現代社会に最も強く結びついた素材のひとつだという感覚がありました。それを物質的な基盤に、歌詞を使って、WeChatみたいなものについて話す囮(おとり)として歴史を使ったら面白いと考えていました。ここに私と本物の歴史家との違いのひとつがあります。私は歴史を参照しているように見えて、実際は不安定でオープンエンドな今日の絵画の条件について話すために歴史を利用しているわけです。
ART iT パフォーマンスと言うと、どうしても身体を連想しがちですが、あなたの場合はよく器用なやり方でテクノロジーを使っていますね。「Helena and Miwako」(2013)であれば、ドローンが中心的な登場人物のひとつになっています。
EA テクノロジーは常にアートの一部でした。実験工房しかり、EAT(エクスペリメンツ・イン・アート・アンド・テクノロジー)しかり、中谷芙二子さんしかり、ナム・ジュン・パイクしかり。とはいえ、現在、テクノロジーをめぐる状況は大きな変化の時を迎えていると感じているので、重点的に取り組んだり、歴史を踏まえながら関わっていきたいと思っています。友人のニコラス・ガンバロフが、インターネットによって数え切れないほどの歴史的参照に同時に一瞬でアクセスできるようになったと言っていましたが、このような条件下での歴史の利用とは、これまでとはまったく異なるものになります。

ART iT 最後の質問になります。あなたの言語感覚がとても面白いと思っていて、それは特に「Paris and Wizard: The Musical」(2013)や「How to DISappear in America: The Musical」(2016)の歌詞にはっきりと表れています。
たとえば、「How to DISappear in America: The Musical」では、免責条項の言語に倣って、”communal under some circumstances(ある状況下の共同)”や “communal with strict protocols(厳密な手続き上の共同)”といった概念に辿り着いたり、「Helena and Miwako」では、”helicopter parenting(ヘリコプター・ペアレンティング)”という言葉とドローンの空中撮影の映像を結びつけたりしているのがとても印象的でした。一方、タカ・イシイギャラリーで発表した作品では、”Da la la Dallar!(ダ・ラ・ラ・ダラー)”というコーラスをシンプルかつナンセンスなものとして使っている。素材としての言語にどのようにアプローチしているのでしょうか。
EA 歌は即興ですね。歌の中に複雑な文脈を落とし込んでも、リズムやメロディといったものがコミュニケーションしやすくしてくれます。もちろんヒット曲をつくろうとしているわけではないので、思いついたものをなんでも歌詞に使えますし。日本に住んでいたとき、ユーミンの曲の大ファンでいつも彼女の歌詞を覚えていました。それから20歳でアメリカ合州国に渡り、日本語の能力がずれていきました。ネイティブレベルの英語を身につけるには年をとっていたので、日本語と英語のミックスが自分にとっての三つ目の言語になりました。英語で正しい散文はつくれないけど、なぜだか歌詞にはそれがちょうどよかった。歌詞はいつもアメリカ人ライターのダン・ポストンといっしょにつくりますが、私のジャパニーズ・イングリッシュと彼のアメリカン・イングリッシュのバランスがとても良くて、そのギャップによって面白さが生み出されます。それがすごくコミュニケーションに適したものになりうるので、私はときどき自分の語彙選択が洗練されないように維持しています。
ART iT 言語はあなたの作品に身体的な効果をもたらしていますね。
EA そうです。身体的という言葉が適切かどうかわかりませんが、たしかに観客とコミュニケーションをとっているとき、そしてまた、ミュージカル形式の作品の歌詞の中で、こっちに来てとかあっちに行ってとか指示を与えているような感じですね。そのように、観客がある言葉に対してどのように反応するのかについて考えています。それは私のパフォーマンスの一部で、ラジオドラマにも似ていて、音響のみを使って人々に想像させる。それはただイメージだけを見せるのとは異なる力学をつくりだしているのです。
(協力:タカ・イシイギャラリー)
*1 「荒川医オーラル・ヒストリー 2013年3月30日」日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、http://www.oralarthistory.org/archives/arakawa_ei/interview_01.php(最終確認日:2017年6月28日)
荒川医|Ei Arakawa
1977年福島県生まれ。1998年よりニューヨークを拠点に活動をはじめ、ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアルアーツを経て、2006年にバードカレッジでMFAを取得。スクール・オブ・ヴィジュアルアーツ在学中の2003年に、ユタ・クータとキム・ゴードンが企画した『The Club in the Shadow』でパフォーマンスを発表。以来、さまざまな人々との共同制作によるパフォーマンスや観客を即興的に巻き込んだパフォーマンス、LEDスクリーンを用いたミュージカル形式のインスタレーションなどを各地で発表している。これまでにニューヨーク近代美術館やテート・モダンといった美術館のほか、第30回サンパウロ・ビエンナーレ(2012)、第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ・ジョージア館(2013)、ホイットニー・ビエンナーレ(2014)、光州ビエンナーレ(2014)、ベルリン・ビエンナーレ(2016)などに参加。
2016年のタカ・イシイギャラリーでの個展『Tryst』では、5台の自立式LEDスクリーンに映し出される具体美術協会の作家5名の絵画作品が演じる、ミュージカル形式の新作インスタレーション作品を発表。また、ミュンスター彫刻プロジェクト2017では新作「Harsh Citation, Harsh Pastoral, Harsh Münster」を発表している。
荒川医『Tryst』
2017年2月10日(金)-3月11日(土)
タカ・イシイギャラリー東京
http://www.takaishiigallery.com/
展覧会URL:http://www.takaishiigallery.com/jp/archives/15525/
ミュンスター彫刻プロジェクト2017
2017年6月10日(土)-10月1日(日)
http://www.skulptur-projekte.de/