大竹伸朗 インタビュー(2)

邂逅が生む衝動
インタビュー / 大舘奈津子

大竹伸朗 インタビュー(1)


Mecon, 2013. Photo : ART iT

ART iT 立体作品はどういう考えで制作されていますか。

SO 1988年に最初に立体を作ったときも、自分が手を加えないものを組むことを意識しました。その意味では『日本景』に対する考えと似ているとも言えます。すでにあるものを形から立体的に組み合わせたときに、全く違う世界が立ち上がる面白さ。最初はゼロから立体を作ろうと思って試したけれど、まったく上手く行きませんでした。 そうしたとき、宇和島で漁船をもらったのです。その漁船を解体し、それも解体したままの形で、色もそのままで、そのものには手をつけず組みかえをした、というところから立体作品は始まっています。

ART iT 先ほど日本景もコラージュだ、とおっしゃっていましたが、広い意味でのコラージュが、立体においても「組み直し」という、同じ考え方で実践されている。それが、「直島銭湯 I ♥湯」(2009年)や、ドクメンタ(13)での「モンシェリー/自画像としてのスクラップ小屋」(2012年)にも繋がっている、ということですね。


Both :Naoshima Bath “I♥湯” (2009), photo:Osamu Watanabe, Courtesy of Naoshima Fukutake Art Museum Foundation

SO 「組み直し」ということ一言では言い切れないとは思いますが、コラージュ的なアプローチはそれぞれに共通する点だとは思います。
また「直島銭湯 I ♥湯」も「モンシェリー/自画像としてのスクラップ小屋」も、自分の中では建築という認識ではありません。共に最終プランももともとなく、基本構造だけを元に、現場でこちらの希望に添うものを探しそこで偶然出会うものを使って組み立てていく。
いわゆる建築のように、ゼロから新しいものだけをつかって、建物を立ち上げていくということではなく、そこにあるものを組み合わせていく。そういう意味で、それを極めた形が去年ドクメンタ(13)で発表した「モンシェリー/自画像としてのスクラップ小屋」です。あれは、カールスアウエ公園に設置され、そこに参加したアーティストのために建てられたプレハブの小屋と、その中に大きな本を置くことだけは最初から考えていたので、本は日本から持って行きましたが、大半はすべて現地で調達したものを使っています。今までドイツに長期滞在した経験がなかったこともあって、ドイツは環境問題に厳しいといったイメージが強く自分が求めるような物はないかもしれないという先入観を持っていましたが、結果としては求めるものは十分すぎるほど手に入れることができました。どんなところにでもゴミはあるのです。
ただし、いいゴミに行き着くには、そのための「正しい人」に出会わないといけない。だから、今回協力してもらった現地のスタッフ2人との出会いは特に重要でした。ぼろぼろの鉄板、と言葉で言ったとしても、イメージをしっかりと共有できなければ先に進まないどころか到底こちらが望む作品からは遠のきます。
初対面のドイツ人と言葉の壁を越えて、それが出来るのがという不安はあったけれど、実際にはそうした問題は全くなく非常に幸運でした。2カ月弱といった制作期限が決まっていたので、そうした現場でイメージを共有できる人の存在はとてつもなく大きかったです。

ART iT 参加が決まってから、ほぼ1年と数ヶ月と聞きました。短期間で決めなくてはいけないことも多かったのではないかと思います。

SO ドクメンタの参加が決まったのはちょうど3.11の直後で、いろいろ考えるところがありました。あの出来事を見たら、明治維新から平成まで続いてきた自分が生まれ育った東京という街のひとつの流れに決定的なピリオドが打たれたという気がしました。放射能問題にしても、人間がまったく力が及ばないところで宇宙が動き、住んでいる世界が簡単に壊れてしまう感覚、仏教でいうところの無常観を強く感じました。でも、自分は被災者でなく、部外者であり、それをテーマにすることは考えられなかった。一方で、震災とドクメンタの参加の決定が重なり、絶対的なアウェーで中に飛び込むという境地におかれ、自分としては前に進む以外ありませんでした。物がつくれなくなったなどそういうことを言う余地すらなく、自分に何ができるのかといったような自問すらできない状況でした。


MON CHERI: A Self-Portrait as a Scrapped Shed, 2012, Dimensions variable, Mixed media, timber, electronics, sound, steam, Photo : ART iT

ART iT ドクメンタ(13)での「モンシェリー/自画像としてのスクラップ小屋」は、あの均質的なログハウスを全く違うものにしてしまったという点で非常に印象的でした。あのログハウスは、均質的なものであるにもかかわらず、妙な存在感がある故に、手をつけなかったアーティストの作品は、吸収されてしまったように見えました。そんな中、ある種異彩を放っていたとも言えます。

SO ドイツ、しかもドクメンタで、という圧倒的アウェーのなかで勝負するという気持ちで、異常にテンションが高かったから、一緒に働いてくれたドイツ人ももしかしたらそういう気持ちに圧倒されたのかもしれません。最初はもちろんお互い探り合いでしたけれど。
でも、ヨーロッパというのは一切意識しないで、たとえ宇和島で制作したとしても同じ作品ができたと思うし、そういう作品を制作した。それが遠く離れた地でどう見えるかということにも興味がありました。
宇和島のサイレンを流して、日本語の看板をかけて、ヨーロッパ、そしてドクメンタということを意識しないで制作する。日本の曲をかけていたのは、自分にとっては日本を意識したというよりは、日本で制作してもそれがもっとも自然な流れだからです。作品の内容や制作という意味においては欧米を意識しない、そのことは自分にとって非常に重要でした。
制作する上で自分が制作する環境や文脈に合わせてしまったら、自分が見えなくなってしまう。もし、それで反応がよかったとしても、それはそれらに合わせたからだという思いが残ってしまう。
そういう選択肢がでてきてしまうと大事なことが見えなくなってしまう。ひとつの基準を得るにはどこでやろうが自分ができるものを正直な落としどころでものを作る、それが評価されなければそれまでだし、反応があればそこで何かしら共通するものがあるということがわかる。

ART iT 今回のヴェネツィアはそういう意味では現地で制作したものではないのですが、何か得たものはありましたか。

SO 初期の頃というのは自分の感覚で、あらゆる印刷物を自分で貼るというのが基本的な姿勢だったわけです。 あらゆる印刷物、というのはもちろん不可能ではあるけれど、自分の感覚でピックアップし、それを全て貼るという感覚。それを久々に思い出しました。
さらに、20代の時に自分が強く持っていた気持ちとして、絵というのは自分のコンセプトとか技術以前に、紙や鉛筆などといった、マテリアルに対する愛情が必要だということがあります。一枚の紙が愛おしいと思えるとそこに何かが起きる。大量に買ってどんどん捨てていくような、タダの紙だと思っていると、一枚の紙がどれほど愛おしいかという感覚を忘れてしまう。そして、それがあるとないのでは作品の質が大きく違ってくる。そうした気持ちを思い出しました。
それはスクラップブックにおいても同じで、自分が思う「密度」が生れるためにはものに対する愛情が必要なのです。そういう意味で、特に今回のヴェネツィア・ビエンナーレには深い愛を感じる作品が沢山あり、そういう場に参加できたのはよかった。愛情をもってものを作るというのは自分にとっても原点であったにもかかわらず、すり減ってきていた部分でもありました。そこを思い出せたという感じです。
自分の作品だって他人にとってみたらただのゴミにすぎないかもしれないけれども、例え世間で「ゴミ」とされるものとの出会いによってとてつもない制作衝動が起きる場合がある。そうして出会い拾ったものをどう満足がいく形に成仏させてあげられるかどうか、すべては瞬間的な愛にかかっているのかもしれません。

all images ©Shinro Ohtake

Copyrighted Image