21:再説・「爆心地」の芸術(2) 『じ め ん』

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©片岡陽太

夢の島にある多目的コロシアムで『フェスティバル/トーキョー11』初日、飴屋法水/ロメオ・カステルッチの公演を観たあと、列をなして帰路を急ぐ人たちからひとり離れ、僕は夢の島をもっと奥へと進んでみた。そこからが、僕にとっての飴屋法水『じ め ん』の始まりだった。
公園を横断すると、比較的広い道に出た。まったく人工の直線道路。人気もまったくない。街頭が舗装路を照らしているだけだ。さきほどまで沢山の人たちと観劇していたのが夢みたいだった。手持ちの線量計は0.14マイクロイシーベルトを示していた。
第五福竜丸記念館は、「そこ」にあった。むろん、夜も9時を過ぎたこの時間では閉館していて当然だが、それでも水路に面した庭と散歩道には出ることができた。そこで僕は、先の公演でもモチーフとして扱われていた第五福竜丸のエンジンが飾られているのを見つけた。訪ねたのは二度目だが、屋外をゆっくり見てまわるのは初めてだった。近くには桜が植樹され、脇には「21世紀を平和の世紀に」と書かれた記念碑が立っていた。桜を植えるとき、かつて被爆した第五福竜丸を背に、皆で祈願したにちがいない。だがでも、この願いはかなわなかった。21世紀は放射能の世紀になってしまった。この言葉と出会ったとき、これが今回の公演から僕が得た最初の風景とわかった。

水辺に立って彼方を見ても、港の照明があちこちで瞬く他は何も見えない。まったくの闇だ。が、その方角は公演の終わり際、強烈な光で照らされていた。まるで火に吸い寄せられる虫のように、いつのまにか僕はそちらの方向を目指し歩いていたことになる。「そこ」に第五福竜丸展示館があることは知っていた。が、光の放たれた方のさらに先、海の彼方に直線を引けば、かつて第五福竜丸が被爆したマーシャル諸島のビキニ環礁に届くことを知ったのは、ツイッターでフォロワーの方々とやりとりしてからのことだった(筆者補足・公演終了後、飴屋本人に聞いてみたところ、光源は複数あり、そのなかの一点の延長線上にビキニ環礁があるわけでないことを確認した)。

僕は、この公演で、いろいろ手を尽くされ演出された仕掛けや、あどけない子どもたちの演技、昭和天皇やキュリー夫人を始めとする「著名人」たちの登場は、けっきょく、「ここ」に来場したひとりひとりが、この場所が「どこ」であるのかを知るための伏線にすぎないと感じていた。だからこそ、公演の「終り」は、別の何かの「始まり」でなければならない。たとえば夢の島は、1950年代に岡本太郎が都市計画として第二東京の構想を練り、既存の首都に不満を持つ輩がどんどん移り住み、元の東京と対極主義的にぶつかりあって、新たなエネルギーを生み出そうと唱えた場所でもある。

同時にそこは、太郎の盟友であり生涯のライバルでもあった建築家、丹下健三が、水平軸と垂直軸で構想された「海上都市」を構想した場所にもあたっている。対して太郎は、それに先立ち、すでに「夢の島は動物園だ!」と喝破していた。丹下の超合理主義に対して、太郎は、徹底的に無意味で「ベラボーなもの」をつきつけていた。この対立はそのまま、大阪万博での「大屋根」(丹下)と「太陽の塔」(太郎)との激突に移して考えることができる。丹下の活動に象徴される1960年代の前衛的な都市計画運動、メタボリズムの集大成が、大阪万博で丹下がプロデュースした壮大な「大屋根」だとしたら、それに無様な穴を開けブチ壊しにしてみせた太郎の「太陽の塔」は、まぎれもないアンチ・メタボリズムでもあった。が、ふたりの闘いは、実は「夢の島」を舞台に、すでに前哨戦が始まっていたとも言える。

家に戻ると、僕は早速調べてみた。公演のなかで、みずから姿を現した飴屋は、すでに故人となった自身の父が元、電力会社の社員で、送電塔の設計者であったことを観る者に伝えた。ここ東京湾の埋め立てを推進したのは、実は終戦後まもなく東京電力を始めとする9つの電力会社体制を築いた、松永安左エ門だった。松永は「電力王」「電力の鬼」の異名を持つが、美術の世界では古美術のコレクターとして広く知られている。松永は役人嫌いでも有名で、戦中には軍閥の追随者と成り果てた高級官僚たちを人間のクズと罵り、大問題になったという。戦後、電力事業の一括支配を画策する官僚に反発してGHQと直接交渉し、ついに分割案を認めさせた(電力会社による地域独占で非難される現体制だが、さらに悪いシナリオもあったのだ)。しかし、そうすると飴屋自身も、この「電力の鬼」と無関係ではいられない。かつて国民に電気を運んだ塔を設計した人の子が、そのトップに君臨した人物が埋め立てた夢の島で、原発震災下のいま、原子力をモチーフに屋外劇を演じる−−−−なんという奇縁なのだろう。
 
いずれにせよ、この土地は人工の地面なのだ。公演のなかで子どもの手でシャベルを使い掘り返されたことに象徴されるように、一皮剥けば、そこにはとんでもない数のゴミの塊が詰まっている。なかには、想像を絶する汚染物質も埋まっているにちがいない。いや、あの第五福竜丸そのものが、夢の島に捨てられていた巨大な「粗大ゴミ」だったのだ。偶然、ここを訪れた都の職員が発見し、保存へと動き出したにすぎない。

では、『じ め ん』とはいったいなんだろう。最初に気づくのは、文字のあいだに開けられた二つの空隙だ。ここで、かつて飴屋が「9・11」のビル崩落や、不在となった父の喪失をあらわすため、「バニシングポイント」(消失点)から文字を脱落させ『バ    ング  ント』展として構想し、会期中、みずから箱の中に姿を消したように、今回の空隙にも、きっと何かの意味があるはずだ。
僕はツイッターを通じて、この謎をめぐって、いろいろな人と会話をしてみた。が、空隙を埋める言葉はどうしても見つからなかった。そのうち僕は、この空隙は伏せ字ではなく、ふたつの「穴」なのではないかと思い当たった。前作『わたしのすがた』でも、飴屋は廃校となった学校の校庭に、大きな穴を掘っていた。つまり『じ め ん』のこの空隙は、「地面」という、厚みのない境面を介して地上と地下が繋がってしまった様を、文字を使って置き換える記号的な操作なのではあるまいか。


©片岡陽太

そういえば公演のなかでも、しばしば、空を見上げる演出がされていた。コウモリが飛び交い、月が昇り、直下で木星が輝き、ときたまヘリコプターがよぎる夜空は、数日後に台風の襲来を控えているとは思えない静けさだった。そして直下には無数のごみを抱き込んだ「島」がある。この天と地を繋ぐために境面としての「じめん」に穴をあけること。地面に穴を穿ってゴミをむき出しにし、直接、この土地から大地と空と繋げること。そうして、両者の混合物としての『じ め ん』としか呼びようのないものを描き出すこと。きっとそれが、本公演の目指すところであったにちがいない。そういえば、今回の原発事故でも、空から降って来た放射性物質で空と大地とが繋がり、地「面」が汚されたのではなかったか。
 
奇しくも、公演のあった夜は、森美術館での『メタボリズムの未来都市』展のレセプションが行われる日にあたっていた。かつて、人工の土地を「様々なる意匠」で構想したメタボリズムの回顧展が、同じ人工の土地でも、超高層ビルの広大なワンフロア上で実現したのに対し、僕は、かつて太郎が「動物園」と呼び、メタボリズムの本当の主舞台でもあった夢の島で、地べたに座り込み、『じ め ん』と名付けられた世界と対面していた。そういえば、丹下健三晩年の代表作は、六本木ヒルズ同様、超高層のツインタワー、東京都庁であった。その意味でメタボリズムの運動は、21世紀を迎え、ここ東京では、超高層ビルディングの乱立という別の解法に至ったのかもしれない。けれども本当の人工土地は、依然として夢の島という「じ め ん」に留まり続けている。そして、今年生誕100年を迎え、かつて第五福竜丸をモチーフに巨大な被爆図を描いた岡本太郎とともに、「明日の神話」へと向かって開かれるのを待っている。「核戦争=原発事故」の後になお続く、「明日の神話」という、人類の新しい「闘技場=コロシアム」へと姿を変えて。

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