23:再説・「爆心地」の芸術(4) いわき湯本にて<2>

いわき湯本から東京に戻り、年が明けた2012年1月24日、火曜日。僕は初めて、内幸町(東京都千代田区)にあ る東京電力の本社ビルに足を踏み入れた。


撮影:編集部(2012年3月/以下すべて)

毎日、定時に合わせて昼と夜の2回行われている(*)、福島第一原子力発電所放射能漏れ事故に関する記者会見に出席するためである。むろん、僕は美術評論家ではあっても、特にジャーナリストというわけではない。もっとも、国際美術評論家連盟=AICAの会員証は持っている。あまり知られてないと思うので触れておくと、AICAの会員証はパリ本部が発行しているれっきとしたプレス・パスで、このカードがあれば、原則的には世界中どこでも、広く記者会見なるものに参加することができる。たとえ美術と関係のなさそうな機会でも、なにを美術と結びつけて取材するかは書き手の自由なので、そのことが妨げになることはない。むしろ、嗅覚の鋭いジャーナリストほど、一見関係のなさそうな分野から、本業に絡む重要な情報を嗅ぎ付けるものだろう。なにも自分がそうだと言うわけではないが、ちょうどその時期に、「3月11日」を特集する論考の執筆を依頼されていた僕は、福島第一原発が今どのような状態にあり、それが東京電力を通じてどのように伝えられているか、自分の目と耳で確かめておきたかったのだ。

ところで、プレスカードの話が出たのでふれておけば、日本で「美術評論家連盟」と呼ばれている団体の会員は、このIDカードに特化して言えば、美術評論家というよりは、美術ジャーナリストということになる。しかしながら、日本の美術評論家連盟(AICA日本支部)に、いわゆる新聞記者は入っていない。へんなのではないかと思うかもしれないが、そこには一種の捻れがある。つまり、欧米では新聞に署名記事で寄稿するジャーナリストは、圧倒的にフリーランスが多い。それは美術ジャーナリズムでも同様だ。裏返せば、こうした個人のジャーナリストは、どんな組織によっても守られていない。いざとなれば弱い。だからこそ、そうした個人が立場としては独立しつつも、連盟(アソシエーション)をなしゆるやかに繋がることで、自分たちの権利を守り、自由な報道を続ける足場が必要とされたのである。

ところが、日本では新聞記事はその大半が新聞社に属する社員の記者によって書かれており、取材の権利は個人ではなく、会社によって担保されている。だから記者は、わざわざ個人で取材や執筆の権利を主張する必要もない。逐一、構成員を確かめたわけではないので断言はできないが、欧米の美術評論家連盟には、フリーランスの美術ジャーナリストがもっと多く入っているはずである。というよりも、「美術批評」そのものが、大学や美術館に属する研究者というよりも、それらの機関からなかば独立した、ジャーナリスト的な側面を持つものなのだ。

ところが日本では、こうしたフリーランスのジャーナリストというのが、圧倒的に少ない。こと美術を離れて言えば、このところ辛辣な批判を浴びるようになった「記者クラブ」の存在によって、こうした取材機会が大手のマスコミに限定されて来たというのもあるだろう。が、フリーランス層の薄さに関しては、美術界はその比ではない。実際、美術評論家連盟のうちわけを眺めてみると、日本にあまたいる大手メディアの現役の新聞記者がひとりも属していないかわりに、フリーランスのジャーナリストもまた少数派にすぎない。会員には美術館の館長や学芸員、そして大学の研究者が多く、むしろ既成の組織に属するものが目立つ。そのこと自体、ある意味ではアンバランスなのだが、以前、あるやりとりのなかで、有力な会員のひとりが、特定の組織に所属していない会員の立ち位置を揶揄するような発言をするのを聞き、唖然としたことがある。組織に属さない個人を守るための連盟(アソシエーション)であるにもかかわらず、組織に守られた立場を誇示するなど、本末転倒もはなはだしい。もっとも、かくいう自分も、大学に籍を置く者のはしくれなので、このことについて、あらためて考えさせられることは少なくない。

なぜ考えさせられるのか。ジャーナリズムにとって、フリーランスという立ち位置は、たいへん大きな意味を持つからだ。ジャーナリズムの核心が権力の監視にあるのだとしたら、今日では、メディアも立派な権力機関にほかならない。新聞やテレビに代表されるマスメディアに至っては、ある意味、最大の権力であろう。つまり、今日のジャーナリストにとっては、こうしたメディアへの監視と批判が、きわめて重要な行動原理とならざるをえない。ここに矛盾が生ずる。広義の権力行使を監視するべきジャーナリストが、同じ機関の構成員であったり、もしくは進んでその権力行使に加わるとしたら、どうしてその偏向や腐敗を批判することができるだろうか。悪名高い「記者クラブ」も、情報の独占を云々する以前に、このような自己撞着(権力の監視が、結果的に自己の所属する組織の批判とならざるをえないために、自由なメディア批判ができない)こそが、最大の問題なのである。

もっとも、こうしたことは、美術などよりはるかに社会的な広がりを持つ時事にまつわる話であって、美術の世界に限って言えば、主催者は願っても、より多くのジャーナリストに記者会見へ参加してほしいくらいだろう。美術、とりわけアートの世界などは、権力の監視うんぬんの原理論で押し切ることが無意味なくらい、かたちをなすかなさぬかの領域なのだ。だから、たとえ多少の齟齬があったとしても、活動が多角的になることは、むしろ避けられない。極端な場合、村上隆のように、美術家が批評家を兼ね、同時にイベントの開催や画廊の運営まで本業とせざるをえないような作家も出てくる。けれども、それは決して短絡的に批判されるべきではない。むしろ、それこそが日本の美術家の真のオリジナリティなのだ。日本のような場所では、能力のある者は、やれることは端からすべてをこなす必要が、どうしても出てくるのである。

だから、問題なのは当人の自覚であろう。この矛盾をつねに意識し、そのもとでしか保てない緊張感をいかに維持するか。そして、それをバネに、そのような輻輳(ふくそう)的な状態でしか生み出せない創造性を、どこにどのように組み上げるか。逆にいったん弛緩してしまえば、すべてが「なあなあ」になってしまうし、それどころか、内輪による「原子力ムラ」ならぬ「現代美術ムラ」の巣となってしまいかねない(事実、そのような現状もないとは言えない)。

東京電力の記者会見から、だいぶ話が脱線してしまったようだが、実際には密に関係している。あの震災以後、僕らは批評や創作、報道といった領域を、新たな緊張感のもと、よりフレキシブルに捉え直し、まだ名付けられていない活動の領域へと、果敢に開いていかなければならないからだ。だからこそ僕は、被災地をことあるごとに訪ね、そこで知りえたことを自分の批評にフィードバックしていこう。いわき湯本で見聞きしたことを、さらに裏付けるためにも、僕は今日の状況について、よりジャーナリスティックに介入していかなければならない。

話を戻そう。僕は、その時期に書く震災論についての予備作業を進めるため、AICAのプレスカードや、これまで震災について執筆した掲載誌などを手に、東京電力の本社ビルへと向った。会見には18時からの夜の部を訪ねた。その際、新橋から銀座を抜けて内幸町に向かう途中、あらためて気づいたのは、東京電力の本社が立地する内幸町の周辺は、みずほ銀行やNTTコミュニケーションズなどの拠点となるビルが立ち並ぶ、日本の企業機能が集約された場所だということだ。実際、この日比谷通りをそのまま東京駅の方に向って進めば、帝国ホテルや、戦後の占領期にマッカーサーのGHQが本部をかまえた現・第一生命の本社ビル(ここが、皇室とも縁の深い上野の森美術館で毎年開催されている「VOCA展」の協賛企業であることは、美術界ではよく知られている)を経て、二重橋のある皇居に至る。意識しなければ、この界隈そのものが、近代以後、現在に至るまで連綿と受け継がれて来た、象徴的な力を誇示する場所であることなど、まったく視野に入らないかもしれない。けれども、僕はそのとき、そのことを強烈に実感した。

そうして僕は、極端に照明を落とされ、正面玄関がどこかもわからなくなった東京電力の本社ビルへと、定時の記者会見に参加するため、ひとり向かった。(次回に続く)

* 会見は、通常、昼の12時からと夕方の18時からの2回。ただし昼の会見は、土日および祝日は行われていない。

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