45:再説・「爆心地」の芸術(20)<やさしい美術>と鳥栖喬(後編)

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「ハンセン病療養所大島。鳥栖喬の写真。高松と船と重ね岩。」(高橋伸行のTwitterより(以降すべて)。2014年11月15日の投稿)

鳥栖喬(とす・たかし)の写真に特徴があるとしたら、それはなんだろうか。ひとつは、多くの場面が遠景だということだ。では、なぜ鳥栖は「遠く」を好んで撮ったのか。もはや答えのない問いではある。が、少なくとも、その心情については思い当たることがないでもない。瀬戸内に浮かぶ大島のハンセン病隔離施設に閉じ込められ、島から一歩も出ることができなかったかれにとって、遠方とは単に距離的に遠いだけの地点ではない。鳥栖にとってそれは、永遠に到達することが不可能な「彼方」なのだ。したがってその風景は、私たちが気軽に口にすることのできる遠方とは、まったく違う意味を持っている。カメラで撮影することは、この「彼方を手元に」たぐり寄せるうえで、とても大きな働きをなしたにちがいない。物理的な距離で隔てられていても、望遠レンズを使えば、視界はずっと近くなる。なによりプリントして手に取れるサイズにすれば、風景ははるかに身近なものになりうる。

これはとても大切なことだ。たんに記憶や記録のためだけではなく、風景を「身近」なものに変えるため、鳥栖は繰り返し、なんの変哲もない海景や星空を撮ったのではないか。写真に人間が登場しないのは、高橋の選択によるものかどうかはわからないが、少なくともツイッターに上げられたものを見るかぎり、鳥栖は(私たちがそうするような意味で)思い出や記憶の定着のために写真を撮っているように感じられない。どちらかといえば「なぜこの写真を撮ったのだろうか?」「どうしてこの場面を繰り返し撮るのだろうか?」という目的の不明さのほうが強く印象に刻まれるのである。

この目的の不明さは、鳥栖の写真を見るときに感じられる、たいへん大きな特徴だ。が、それは以上のようなことを念頭に入れたとき、私なりに理解することができる。つまり、鳥栖はなにか具体的な対象を撮ろうとしていたわけではない。もしもこの表現が強すぎるとしたら、こんなふうに言い換えてもよい。隔離施設の周辺という限られたロケーションのなかで数十年もすごせば、撮りたいものはすぐに撮り尽くしてしまう。したがって、それでも撮り続けようとすれば、同じモチーフに繰り返し向き合うしかなくなる。これはいわゆる定点観測のようなものではないし、そのような意図を示す材料は残されていない。なにより実際、実際そのような目的性をいちじるしく欠くように鳥栖の写真は見える。むしろ、限られたモチーフを繰り返し撮ることで得られる発見というような「結果」ではなく、繰り返し撮ること「自体」が目的化しているように感じられるのだ。繰り返し撮ること自体が目的化しているのであれば、事後にそれを見る者からは撮影の目的が判然としなくなるのは当然だ。写っているのは「対象」ではなく、写そうとする「行為」そのものだからだ。

もしそうだとしたら、そのような行為の代償として鳥栖が得ようとしていたのは――写真によくあるわかりやすい思い出作りのようなものではなく――遠方を身近/手元にたぐり寄せる、いわば「ミニアチュールとしての写真」だったのではあるまいか。あるいは、いっそのこと「模型」といってもいい。

このことがもっともよくあらわれているのが、星空や天体の写真である。対岸の港であれば、たとえそれが鳥栖にとっては彼岸であったとしても、私たちにしてみれば船を使って渡ることができる変哲のない風景にすぎない。けれども、その対岸にさえ生涯にわたって足を踏み入れることができない鳥栖にとっては、遠くの港の風景は、私たちにとっての星空とほぼ同じ意味を持っている。であれば、この感覚を鳥栖と私たちが共有できるのは、やはり天体写真くらいしかなかろう。


「ハンセン病療養所大島。鳥栖喬の写真。そらがディスク。」(2014年10月16日の投稿)」


「ハンセン病療養所大島。鳥栖喬の写真。」(2014年10月31日の投稿)

星空とは雨や曇りにでもならないかぎり、夜になれば毎日、目に見えている平凡な遠方の景色のひとつにすぎない。けれども、どんな乗り物を使っても、私たちは決してそこに到達することはできない。日常の一コマであるにもかかわらず、彼方という超日常的な性質を帯びているのが天体写真なのである。この意味では、病の有無と無関係に、鳥栖と私たちは天体写真を通じてこの感覚を共有することができる。もしも星空を身近なものにしようとするならば、私たちも天体望遠鏡を覗き込む<だけでなく>、そこにカメラを装着し、写真に収めるしかないからだ。なぜか。天体望遠鏡を覗き込んだだけでは、たとえくっきりと月の表面や土星の輪が見えようと、それは遠方が光学的な作用で近くに感じられているだけにすぎない。レンズから目を離せば、すぐにその像は失われてしまう。それを「模型」化し、手に取ることができるようにするためには、レンズを覗き込むだけではなく、プリントというかたちで手もとに定着しなければならない。そのことで初めて、星空は私たちにとって「身近」なものになりうるのである。

そもそも、ひとはなぜ天体写真を撮るのだろう。通常の写真と同じ楽しみがまったくないとは言い切れないが、星空や天体の不変性から考えたとき、わかりやすい目的があるとも思えない。皆が皆「観測」というような専門家的な動機で天体写真を撮っているとも限るまい。むしろそこには、遠方を手元にたぐり寄せたいというような、純粋な行為性のほうが目指されているのではないだろうか。写真の一枚一枚にいくら観測時間や方位を書き入れても、写っている星空や天体になにか大きな変化があるわけではない。地上の風景や人物の表情に比べれば、まったく変わらないと言っていいくらいだ。それでもなお、人の好奇心が天体を撮ることへと向かうのだとしたら、そこでは鳥栖とよく似た心情が生まれているように私には思われる。

鳥栖の写真を特徴づけるもうひとつの点は、画面の全般にわたって小さなチリのようなものが目立ち、独得の効果をあげていることだ。いま書いてきたとおり、鳥栖は好んで遠方を撮ったので、海で隔てられた高松港やその上に広がる青い空、とりわけ星空ではそれらのチリが星の光の粒とないまぜになって、一瞬、見分けがつかないほどである。これはいったいどうしたことか。


「ハンセン病療養所大島。鳥栖喬の写真。」(2014年11月7日の投稿)

考えられるのは、カメラをオーバーホールする機会がなかなかなかったか、もしくは現像する際に、ゴミやチリを首尾よく感光紙から取り除ける環境に恵まれていなかったか、あるいはその双方ゆえだろうか。ハンセン病を患っていることから、視力に問題があった可能性も否定できない。しかしそのいずれにせよ、もしくはなにかほかに別の理由があったとしても、これらのチリや傷にまみれた世界は素晴らしい。

そもそも、私たちの棲む世界はチリやホコリに充ちている。写真はそれらをできうるかぎり除去し、透明な視界を肉眼以上に作り出すことができるけれども、肉眼で見る世界は実は様々なノイズを抱えたまま存在している。鳥栖がそのような効果まで計算したとはちょっと思えないが、遠方さえチリやホコリにまみれた鳥栖の写真が、<写真=虚構>というかたちで隠されて来た生身の世界に、どんな写真家よりも肉薄しているように感じるのは私だけだろうか。


「ハンセン病療養所大島。鳥栖喬の写真。前後のフィルムを見るに、里帰りの道中、バスをとめて撮影されたと思われる。」(2014年10月25日の投稿)


「ハンセン病療養所大島。鳥栖喬の写真。ポポーを暗くなるまで、その3。鳥栖、最晩年の作。」(2014年10月21日の投稿)

瀬戸内という内海に浮かぶ小さな島、大島にはこうして、いまだに素性のはっきりしない、名前も仮称であろう人物の写真が眠り続けている。かれがいったい何者であったのか——その答えを知る機会も絶たれたままだ。が、この焦点の合わない存在の遠景に高橋伸行の「やさしい美術」は、襲名という大胆な方法で歩み寄り、一体化し、そこからもうひとりの鳥栖喬を生み落とそうとしている。「やさしい」とはもともと「身も痩せる」に由来する。他者に存在の半分をあけ渡すのだから、それはそうだろう。そして、おそらくはそれが高橋の「痩さしい美術」のあり様なのだ。

このような未知の存在の仕方は、チリやホコリにまみれた島や空気、海や星空のなかにしか見出しえない。私たちはひと言に「地域アート」などという呼び方をするけれど、そのような括りをすること自体がすでに誤った問いの立て方にもとづいている。瀬戸内の芸術は、そして北川フラムが夢見る美術は、おそらくはもっと生々しく切迫したものであるはずだ。

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