ニッポン国デザイン村:8

「トリックアート」に教わるもの

ひさしぶりに取れた休日、温泉にでも行こうと、とりあえず那須塩原方面にクルマで出かけると・・大震災による影響で、どこのお土産屋や観光スポットも閑散としているなか、一ヶ所だけ駐車場が満杯に近い賑わいを見せているところがあった。思わずアクセルをゆるめて近づくと、道路脇に「トリックアートの館」と書かれた大きな看板。トリックアートって、まだあったのか!と、ちょっと懐かしくなって入館してみることにしたら・・・館内は大賑わい。家族連れ、デートの若者、不倫旅行?みたいな中年カップルまで、すごくいろんなお客さんが、すごく楽しそうに館内をうろうろ、記念写真撮影に熱中している。入場料だって1300円とけっして安くはないのに、一時はあまり目立たなくなっていたトリックアートが、こんなに盛り返していたとは知らなかった。

「トリックアート」と言われても、ART iTを読まれるような方々には、まして日本以外の読者の方々には、なにがなんだかわからないかもしれない。

トリックアートとは2次元(平面)のものを3次元(立体)的に描き表す芸術です。
絵を立体的に見せるために従来用いられている技法『遠近法』・『陰影法』・『前進色と後退色の組み合わせ』(トロンプロイユ)に新しい技術とアイデアがプラスされ、かつてない意識の錯覚を大きく起こさせというもの。
この錯覚が驚くほど自然な立体感を生じさせるのです。
(公式ウェブサイトより:http://www.trickart.co.jp/

もう少し具体的に言えば、古典的な名画・彫刻・建築などを、立体的に見えるような壁画として描き、それを鑑賞者が見たり触ったり、あるいは画中の人物や背景と一体になって写真に収まったりできるという、アートをテーマにした観光スポットである。


ご承知のようにトロンプルイユ(騙し絵)は、ヨーロッパ美術史のなかで古くからなじみ深い技法であり、シュルレアリストたちがことに愛好したことでも知られている。それはもともと「眼の錯覚」を楽しむ知的な遊戯であったが、この「トリックアート」は、従来のトロンプルイユを基礎におきながら、その遊技性をさらに押しすすめ、エンターテイメントとしての「眼の錯覚」を追求した、実は日本発の技術だ。

トリックアートの創始者とされているのは、剣重和宗さんというアーティスト。1940年、山形県に生まれた剣重さんは、山形銀行を38歳で退職し、環境デザイナーとして活動を開始する。新潟県柏崎市の大壁画『創造の丘』など、環境のなかに生きる絵画作品を手がけるかたわら、名画のパロディ・シリーズなどにも挑戦、さまざまな試行錯誤ののち、1991(平成3)年に初のトリックアート・スポット『JAIB(ジェイブ)美術館』を江戸川区篠崎町に開館させた(1998年に閉館)。ちなみにJAIBは「びっくり箱」の英語「Jack-in-the-box」の頭文字を取ったものらしい。

美術界からは完全に無視されたJAIB美術館だが、テレビ、雑誌など一般のマスコミでは「新しいコンセプトの観光スポット」として、ずいぶん取り上げられていた。たしか翌年には渋谷に2号館が誕生したはずだが、それから「トリックアート美術館」は、手軽に設立できる観光スポットとして、あっというまに日本中に広まっていった。当時、日本の地方を取材で走り回っていた僕は、行く先々でトリックアートの館を目にして、不思議な気持ちになったのを覚えている。


剣重和宗はルネサンスの工房に範をとった集団制作システムをつくりあげ、驚くべき量の作品を産み出していった。モチーフの中心になるのは西欧名画だが、ユニークなのはその制作方法だ。まず材料は油絵の具ではなく、油性ペンキ! それも5色のみを使用し、その配合で微妙な色合いを作りだし、平筆一本でどんな巨大壁画をも描ききってしまう。ペンキを使うのは、いくら触られても、洗えば汚れが取れるから。その実作を目の当たりにしてみると、5色の掛け合わせとは信じがたい、微妙な色合いが見事に再現されている。

自身が創設した工房『エス・デー』を率いた剣重さんは、1990年代に次々とトリックアートの館をオープンさせていったのだが、1997年のこと、那須町に開いた『ナスティーナ美術館』に、バチカンのシスティーナ礼拝堂を原寸の5分の3サイズで再現するプロジェクトに挑戦中、事故で亡くなってしまう。夜間、ひとりで天井画に取り組んでいるときに、落下して倒れているを翌朝発見されたそうだが、システィーナならぬ「ナスティーナ」はその後、立派に完成して現在は『ミケランジェロ館』と名を変えた同館内で、いちばんの人気を博している。

剣重さんの死後も、トリックアートは工房のスタッフたちに受け継がれていったが、長引く不況のためか、前述したように一時は各地で閉館が相次いでいた。それがいまになって、このように元気を取り戻しだしているのは、個人的にはすごくうれしい。






美術館、と名がついていても、世間的には”B級観光スポット”としてしか認められていないトリックアート・ミュージアム。その生みの親である剣重和宗さんも、ついにアーティストとして美術界に認知されることのないまま、この世を去った。その剣重さんは、こんな言葉を残している——

美術館は、一部の人達のものではない。
絵心のある人も、ない人も
そして、大人も子供も
誰もが楽しめるような
もっと身近なものであるべきだ。

いまでも日本各地に十数ヶ所のトリックアート・ミュージアムが営業中だが、彼が残した工房エス・デーが那須に本拠を置くだけに、那須には『トリックアートの館』『トリックアート迷宮?館』『ミケランジェロ館』と3つの直営館がある。知性と教養あふれる美術愛好家諸氏には、いままでも、いまも、これからもまったく無縁な場所であろうが、もし機会があれば、いちどでいいから入館してみてほしい。ダヴィンチやミケランジェロやカラヴァッジオ(の複製)と、うれしそうに記念撮影に興じる若者や、歓声をあげて走り回る子供たちの姿を見てほしい。そうして「こんなニセモノに喜んでちゃダメですよ」と、彼らに面と向かって言えるかを自分の胸に問うてほしい。

極東の片隅にひっそり咲いたアダバナのようなフェイク・アートは、少なくとも僕にとっては、笑って捨てるわけにはいかない、大切ななにかを教えてくれるのである。

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