no image

清水穣 批評のフィールドワーク 55(最終回):インヴェンション — 松田啓佑「stabilization 3」@eN arts

Keisuke Matsuda Untitled, 2015 「モノの秘密は、それらの表現つまり表象的な形態にあるのではなくて、反対に、それらの圧縮と、変形(メタモルフォーズ)のサイクルのなかへの拡散にある。実際、表象作用という罠から逃れるためには、二つの方法がある。[…] 二つView More >

no image

清水穣 批評のフィールドワーク 54:「沖縄」と「肖像」 — 石川竜一の『Okinawan Portraits 2010-2012』

石川竜一『Okinawan Portraits 2010-2012』より 石川竜一(1984-)のポートレートについては、すでにこのコラムでも言及したことがある(第48回「日本の肖像」)。肖像作家の才能とは、同一性(identity)ではなく同等性(sameness)によって写真View More >

no image

清水穣 批評のフィールドワーク 53:墓としての写真 — 松江泰治の『JP-01 SPK』(後編)

さて、もうひとつ、この写真集の中で印象的な「逸脱」が、斜めの構図であり、それはJP01-73とSPK44134の2点だけに該当する(*1)。繰りかえせば、斜めの構図とは、画面全体の前面化の代わりに、空間的な奥行き、「彼方」を感じさせる構図であった。それはJP01-73(空撮)ではView More >

no image

清水穣 批評のフィールドワーク 51:墓としての写真 — 松江泰治の『JP-01 SPK』(前編)

松江泰治の新作写真集『JP-01 SPK』(赤々舎、2014年)は、題名のシティコードが示すとおり、札幌という一都市に捧げられた本である。が、対象を一都市に絞ったせいか、そこには本来の松江スタイルからの興味深い逸脱が見られる。 左:「SPK35243」 右:「SPK44134」 View More >

no image

清水穣 批評のフィールドワーク 50:唐津から、唐津へ — 梶原靖元の冒険(後編)

「当時と同じ素材と焼成」などと聞くと、どれほど大変な制作プロセスかと想像してしまうが、梶原メソッドはつねに明快で合理的である(*1)。考えてみればあたりまえなのだが、どんな古窯でも一定の生産システムとして稼働していた以上、非合理に長い焼成時間(三日三晩徹夜!など)や面倒くさい手順View More >

no image

清水穣 批評のフィールドワーク 49:唐津から、唐津へ — 梶原靖元の冒険(前編)

日本の現代陶芸は、1920年代から30年代にかけて展開した二つの運動、すなわち柳宗悦らの民藝運動(柳宗悦『陶磁器の美』1922年、『工藝の道』1928年)と、荒川豊蔵、加藤唐九郎による桃山陶復興(荒川豊蔵による筍絵陶片の発見1930年、加藤唐九郎『黄瀬戸』1933年)に発しているView More >

no image

清水穣 批評のフィールドワーク 48:日本の肖像 Japanese Portraits — 石川竜一、内倉真一郎、原田要介

かつてのコンポラ写真 — ストレートなスナップショットであると同時に、それが写真である事をさらけ出している写真 — の隔世遺伝的な発現として、安村崇(1972-)から前回の武田陽介(1982-)あたりまでの世代の作家たちの傾向をネオコンポラと呼んだことがある。ネオコンポラの一つのView More >

no image

清水穣 批評のフィールドワーク 47:自閉と距離、あるいは箱の中の光と紙の上の光

武田陽介(1982-)は、2007年、08年と連続してキャノン写真新世紀の佳作に入賞し、2009年に個展デビューして以来、徐々に頭角を現し、現在最も注目を集めている写真家の一人である。3月から4月にかけ、東京の4箇所(タカ・イシイギャラリー、タカ・イシイギャラリー モダン、空蓮房View More >

no image

清水穣 批評のフィールドワーク 46:陶土と形態 — 隠﨑隆一「事に仕えて」展評

菊池寛実記念・智美術館は、東京のホテルオークラの隣にある、2003年4月に開館した比較的新しい美術館だが、興味深い企画展の数々によって、すでに陶芸ファンにとっては見逃せない場所である。目下そこで、現代の備前焼を代表する作家としてつとに名高い、隠﨑隆一(1950-)の過去30年の仕View More >

Copyrighted Image