イメージアーカイブ


Courtesy Dan Cameron.

大抵のキュレーターは実は奥深いところでは一種のコレクターでもある。私自身、世界で最も網羅的な現代美術のアーカイブのうちのひとつを構築することに、過去25年以上に渡り密かに関わってきたことを、つい最近になってようやく自分でも認められるようになった。普段からその補完を続けているだけでなく、美術家について詳細に調べる場合もまずはそのアーカイブを確認する。むしろ、この情報の集積をできるだけ最新の状態に保つことを何年も前から心掛けてきたからこそ、他の仕事が可能だということに気が付いた。その情報の集積というのはあらゆるものを含むが、一番うまく全体を言い表せていると思うので私はそれを「イメージアーカイブ」と呼んでいる。

私の「イメージアーカイブ」は1980年代初頭、私が駆け出しのキュレーター兼アートライターとして活動を始めた頃に誕生した。ニューヨーク市内の美術館、ギャラリー、オルタナティブな展示空間での展覧会で一見の価値のあるもの全てに律儀に足を運んでいれば、なんらかの照合システムなしには到底管理しきれないほど、現代美術についての情報が見る見るうちに集まってしまうことがすぐに明らかになった。あまりにも短い期間にあまりにもたくさんの美術に——しかも美術のシステムが激変していった時代において——直面し、毎年何百もの展覧会を見るうちに、目の前で起こっている変化の物理的な記録を残したい衝動に駆られるようになった。美術家や美術運動には流行り廃りがあったが、どういうわけか、私のアーカイブはそれらに取って代わるものとなり、それらを包含し、互いに等価なものにするという妙な効果があった。

最も重要な点は、もし私がこれから残りの人生をずっと現代美術について文章を書いたり展覧会を企画したりして過ごしていくのであれば、私自身にとってうまく機能する照合システムが必要になるということだった。「イメージアーカイブ」のアイテムを管理する上で役立ちつつ、それらが支えるはずの他のプロジェクトに割く時間を奪ってしまうほどには手の掛からない分類法を、徐々に編み出していった。私が編み出したシステムは下記のとおりである:

1) 「イメージアーカイブ」では世界中で活躍する美術家をアルファベット順に分類する。存命でない者は並行して保たれている「亡くなった美術家」のアーカイブに移動させる。今ではそこにレオン・ゴラブやルイーズ・ブルジョワがピカソやゴッホと並んで眠っている。ファイルはその作品が実際に私の注意を惹いた美術家だけのために作られる。現在、およそ1400件存在する。条件はそれだけで、ジャンル、祖国、世代などは一切問わない。活動している時代が私のそれと重なり、作品を嫌いではない全ての美術家のためのファイルが作られている。興味が多少そそられるけれどまだ専用のファイルを作るところまでは達していない美術家のための補助的な箱も二つ三つある。その側には匿名の作品や詳細の分からないイメージ(特に写真)、あるいは一度しか注意を惹かれたことのない美術家によるものとされているイメージのための掲示板を設置している。

2) 個展を訪れると必ずその美術家による作品の図版が掲載されている印刷物を持ち帰るように心掛けているが、それらは行く行くアーカイブに収められる。自宅や事務所で郵便物を開封するとき、作品図版の載っている広報用の葉書はアーカイブ用に分けておく(私と職場を共にする人は段ボール箱が定期的に溜まってはニューヨーク州北部へと消えていくことに慣れていく)。古い新聞や美術雑誌に私が作品に興味を持っている美術家に関する記事が載っていれば、それもアーカイブに収める。アーカイブに追加するものは何もスキャンしない。全ての資料が私の手元に渡ったそのままの状態(コピー、新聞用紙、厚紙)で保存されている。

3) 数年前、「亡くなった美術家」のアーカイブ以外にいくつか特定の主題に基づいた、「イメージアーカイブ」への補遺としてのアーカイブを作った。その中で一番大きいのが「グループ展」のファイルだ。そこには世界中での他のキュレーターが企画したグループ展の広報用の葉書や出品目録が何百点も入っている(私が彼らの真似をするとしたら、せめて知らずにやってしまったという事態は避けられる)。また、「イーストビレッジ」や「政治と美術」などといったメタ主題のファイルもあるが、それらは年々大きくなっていっているように思える。更に、過去数十年の間の発展を追うジャンル別のファイルもある。「建築」、「映像」、「ダンス」、「舞台」、「文学」、そして——これがこの中では最も大きい——「音楽」だ。

しかしこの「グーグル時代」において、一体なぜアーカイブを続けるのか? 一時、特に品薄だった数年の間に、全部まるごと捨ててしまおうかとさえ考えてみることもあった。でもそれはあまりにも自己陶酔的だ、強迫観念に突き動かされるな、都会の変人の恐ろしき貯蔵行動にそっくりではないかと思い止まった。それに、1987年に初めてマッキントッシュSEを購入してからずっと前進し続けてきた者としての視点もあった。デジタル革命は全てを変えるはずだったのではないか? もうすぐ指一本動かせば全ての情報が手に入るようになるはずではなかったのか?

このアーカイブの作業が私の脳による美術の処理そのものを形成しているという見え透いたことは置いておくとして、このアーカイブの存在がいかにありがたいものかを明確に示すキュレーションのプロジェクトが近年、ふたつほどあった。2005年、まだニュー・ミュージアムに在籍していた頃、『East Village USA』という巨大なグループ展を企画した。その展覧会は1980年代のピーク時をたどるもので、45人以上の美術家による作品を展示した。この展覧会のための調査は手元にあった殆ど全ての単独の美術家のファイルだけではなく、当時のイーストビレッジの美術についての記事も読み直すことから始まった。ニコラス・ムーファレッジ、ゲイリー・インディアナ、ロバータ・スミス、カルロ・マコーミック、ポール・テイラー、そしてコリンズ&ミラッツォらによる記事だ。更に私はICAフィラデルフィアからリンボー・ラウンジまで、イーストビレッジをテーマとしたその時代の全ての展覧会のチラシや目録を持っていた。アーカイブへの私の関心は自分たちの段ボール箱を手放したがっていた幾人かの仲間たちにも知られていたため、会場の一つの階をまるごと埋め尽くし「壁紙」となることさえできるほど大量の資料が手元に集まった。実際、その20年前にギャラリーで開催された展覧会の広報資料をスキャンしたものが、イーストビレッジの美術家たちの肖像写真による関連展示の背景幕の役割を果たした。

そして2008年にはオレンジ・カウンティ美術館にピーター・ソールの50年の活動を振り返る回顧展を企画するべく招聘された。これはアメリカ美術の近年の動向のコンテキストにおいてソールの位置づけを再考したい——これはソールを脇役から主役へと押し出すことを意味する——という私の生涯の望みが成就したプロジェクトだった。「イメージアーカイブ」を確認したところ、最初からソールの積極的なファンだったおかげで、何十枚もの葉書だけでなく、展覧会カタログ、記事、目録やアーティスト本人のメモなどが年月を経てたくさん集まっており、しかも写真、スライド、ポジフィルムなども多数蓄積していたことが判明した。展覧会のための初めての打ち合わせの際、彼の活動について視覚資料の点で私の方が彼自身よりも遥かに網羅的な記録を保持しているとソールに認められた

デジタル革命にさえも置き換えることができないのが明らかになったということもあり、ここ数年になって、私はようやくこのコレクションをもっと公にする決心がついた。今では若いキュレーターたちに、彼らが自分なりのアーカイブを構築できるまでには、つまり自らの記憶の推移に踊らされることになると説明している。これは彼らが10年以上活動を続けた時点で問題になる。作品自体と同様に、一時的な目的で作られた過去の印刷物のアーカイブとは当時の美術の研究をする人にとって有用な調査の道具であるだけでなく、次第に新たな価値が生まれてくる。例えば、未来の歴史家が、史上最大規模の増幅を経験している20世紀末から21世紀初頭の美術界がその関係者たちの目にどう映っていたか調べる場合、極めて大事な情報源となる。しかし私はこれをコレクションと呼び続ける。「イメージアーカイブ」は、隔離された媒介的な美術作品と、始まりも終わりもないデジタル化されたデータベースの情報の超媒介的な吸収との間の中間的な領域に存在するのではないかと思うからだ。

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