Curators on the Move 1

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+侯瀚如(ホウ・ハンルウ) 往復書簡
『Uncertain States of America』のポール・チャン

 

親愛なるハンルゥへ
昨日の晩、ポール・チャンについてちょっと書いたら、君に送りたくなった。
意見を聞かせてほしい。
ハンス・ウルリッヒ

 

「ソフトを盗めるならそうすべきだ」

オスロのアステロップ・フェーンリー美術館でやった『Uncertain States of America』展は、ある国のあるシーンを概観するという、問題提起的なジャンルに新風を吹き込んだ。政治性のある作品も多かった。米国でそうした潮流を代表するのが、香港生まれ、ニューヨーク在住のポール・チャンだ。インターネットベースの実験的な映像作品からスタートし、『サン・ソレイユ』を撮った映像作家クリス・マルケルの影響を大きく受けて、アニメーションとドキュメンタリー、ビデオエッセイがないまぜになったデジタルビデオ作品を生み出した。

チャンは僕にこんなふうに語ったことがある。「若いときには人の真似をしてみたいものだ。『模倣は危機なり』なんて言葉が思い浮かぶ。あのころの作品は、マルケルが始めた映像エッセイの真似だったと思う。僕らが話し合ったことを何もかも組み入れたようなやつさ。美の力によって、歴史や権力、政治や社会の問題を圧縮し、複雑化する。米国で暮らす異邦人の文化についての60分の長編では、移民への恐怖感を映し出して、社会問題を非日常的なこと、幻想的なことと結び付けた。いまやっているアニメーションでも、こうした発想をずっと引っぱってるんだと思う」。

ドキュメンタリーとフィクションを結び付けたクリス・マルケル。チャンの最近のアニメーション作品にも、マルケルの初期ドキュメンタリー作品の要素が残っている。アニメーションはアニメーションの、シングルチャンネルビデオは(ビデオエッセイのように)シングルチャンネルビデオの、それぞれ独特の効果を醸し出す。ブッシュ再選を受けて制作されたビデオは、アニメーションの要素もあるドキュメンタリー的な作品で、いわゆる青の州と赤の州へのアメリカの分断がテーマになっている。ドキュメンタリーとの結び付きは残っているが、大枠としてはシングルチャンネルビデオ作品だ。

チャンが制作に使うのは旧態依然たるソフトウェア。アップデートはしないことにしている。「ソフトを盗めるならそうすべきだ。もう3年はアップデートしていない。なるべく2000年当時の状態のままにしてある。ありとあらゆるものをコンピューターに入れれば、かなりのことができる。何ができて何ができないかをテストして見極めたい。そのひとつの方法がアニメーションだった」。

ドローイングというメディアでは、真実や現実についての独特の考えを、世界に引き寄せて描き付けようとする。ドローイングに傾斜したのは、今日の多くのアーティストと同様に、写真とビデオは真実や事実ではなく権力に連なるものだと考えたからだ。予算も要らない。唯一の問題は時間である。チャンの作品はパフォーマンスだと言ってよい。そう、パフォーマンス。彼の身体はできることの限界線であり、その限界を押し広げていく。

 

「失敗ほど逸脱的なことはない」

チャンはOHPと古い液晶スクリーンを使い、捨てられた旧型ラップトップのスクラップを継ぎ合わせる。元の用途とは違うところで技術を使い回すという途上国式の戦略だ。助けは求めない。「あやまちは多くのことを教えてくれる。アダム・フィリップスに『失敗ほど逸脱的なことはない』という素敵な一節がある。失敗を恐れる気持ちがねじれて、成長と変化を恐れるようになると彼は言う。だから何が何だかわからない状況に自分を放り込まなきゃいけない」。

この自作のマシン=プロジェクターによるチャンの作品には、インスタレーションの形式をとるものが多い。その語り口には世界についての批判的な視線がある。ユートピアを追い求める二人を描いたアニメーション作品『3万5000年の文明の果てに(ようやく訪れた)幸福――ヘンリー・ダーガーとシャルル・フーリエの後に』(02/03年)では、天国が惨劇に変わる。19世紀の思想家フーリエは「ファランステール」という共同作業と自由行動を基本とする社会を考案した。

ダーガーは20世紀のアウトサイダーアーティストで、その空想世界では無邪気な少女たちが暴力に倒れ、暴力に加わる。このダーガーの幻覚がフーリエの哲学と重ねられる。他の作品と同じく、ここにも身体との結び付きがある。「アニメーションが時間とともに移りゆく映像だというのなら、僕はそうした衰弱と結び付かなければならない。それを計る手段は自分の身体だけだ。衰弱は描画できない。表象があるだけだ。僕の身体がいわば衰弱のバロメーターとなって、描線の形が変わっていく」。

チャンは自分の手法を「結合解除」だと説明する。この言葉を生み出したエジプトの経済学者サミール・アミンは、中東の真の力は物々交換や交易といったインフォーマル経済のうちにあるという認識を持った。結び付く必要はない。チャンのようなインターネット第二世代は、相互の接続がいいことばかりではなく、むしろ重荷だと考えている。結び付きが多いほど、自分ではどうにもできず、予測も付かないことに縛り付けられているような気がする。チャンは携帯電話を持とうとせず、事務所や自宅の電話にもめったに出ない。

エティエンヌ・バリバールの言う中心外しや分解(レオン・ゴラブに関する拙論で取り上げた)も連想される。ゴラブとチャンにはアウトサイダーアーティストへの関心という点でも共通性がある。チャンの関心はさらに、法をものともしないアウトサイダーな活動家グループにも向かう。構図の決まりを愛するあまりそれを打ち破るアウトサイダーアーティストと同じように、そうした活動家グループは法を愛するあまり踏みにじる。チャンの指摘によれば、クイアの権利を訴えるグループ「アクト・アップ」は憲法と権利章典の言い回しを多用する。年輩の白人男性のために書かれた権利章典は、万人のために書かれたかのような約束に満ちている。アクト・アップはこれを掲げて、「あなたがたは万人は平等であるべきだと言いましたね。私はその万人です」と言ってみせる。

 

「アーティストは『敵』であるべきだ」

反グローバル化運動との結び付きについて尋ねると、チャンはこんなふうに答えた。「僕は政治の放浪者だ。ニューヨークに来た98年から99年には、シアトルがあり、反グローバル化運動が盛り上がっていた。WTOや世界銀行に対する抗議だ。僕たちはフランスで組織をつくった『ATTAC』、それに彼らの支持メディアである『ル・モンド・ディプロマティーク』に敬意を抱き、親近感を持っていた。僕は『インディメディア』のニューヨーク支部の創設にも加わったんだ」。

米国によるイラク戦争と経済制裁に反対する『ヴォイシズ・イン・ザ・ウィルダネス』との結び付きについては、創設者のひとり、キャシー・ケリーと一緒にイラクに行ったときのことを話してくれた。

「仕事をしに行ったわけではないけれど、カメラを持って行った。まだサダム政権下で政治の話はできなかったから、ポップカルチャーとかほかのことを話したんだ。グローバルなポップカルチャーはまさにグローバル。サダムの話は駄目だけど、映画監督の呉宇森(ジョン・ウー)のことなら大丈夫だ。(中略)文化に喩えて政治を語ることもできる。呉宇森の政治的傾斜の話をすればいい。撮影済みのフィルムを持ち帰ったものの、ビデオに仕立てようとは思わなかった。戦争が始まる前、上映会や反戦集会で見せただけ。みんなイラクがどういうところなのか、よくわかってなかったからね。(中略)でも戦争が始まって、占領という段になると、上映会だけじゃないぞ、という気持ちになってビデオにした。編集中は、対象に寄り添っていくというアドルノの言葉を考えていた。自分が対象をつくるわけじゃない、対象によってつくられるんだ。ビデオの中で映像がどう見えるか、それが刻々と移りゆくさまに寄り添っていく。すごくプライベートなホームムービーをつくってるみたいだった」。

ブッシュに反対してつくったシングルチャンネルビデオの最新作『やれ約束だの、やれ脅しだの』についても訊いてみた。

「敵性作品だ。僕が手がけたシングルチャンネルはどれもそう睨まれてきた。今回のビデオでも、米国の敵として認知されるだろう。今回はアウトサイドではなくインサイドの側に付いた者として。赤の州の連中、貧しい農民、人種的偏見を持った商店主の側、ニューヨークやカリフォルニアのような青の州に言わせれば、米国をめちゃくちゃにした側だ。ただ、政治家ならぬアーティストである以上、僕たちの仕事、美に関わる者として引き受けるべき責任は、敵であることに尽きる。キリスト教の考え方みたいだけれど、僕はキリスト教徒になる気はないから、そうは言いたくない。昔から言われてきたように『汝の敵を愛せ』などと言う必要はない。敵の身振りを真似て、いわば敵に成り代わってしまえばいい。敵をどうにかするには、敵と寝るのがさらにセクシーなやり方かもしれない」。

21世紀においてアートが批判的な存在たり得ると思うか、という質問への答えはこうだ。
「現在、ふたつの流れがある。シチュアショニストはある意味で『勝利した』と言えるだろう。ヴェトナム以降、いわゆる政治的アートは美術館やギャラリーから確実に撤退し、ストリートで足場を固めた。質問に対する答えは『そうだ、政治的アートはここにある。美術館やギャラリーにはないってことさ』となるだろう。レオン・ゴラブの作品のように政治的アートとして見せようとしなくても、そうしたものはいまでもあるんだ。組織づくりの中心に立った者ならわかる。労働組合が一転して、美について考えるようになったというのとは違う。要するに、美には記号に意味を与える力があることに、若い世代の活動家たちが敏感になった。その反対側、美術館やギャラリーのような制度の内部では、社会問題や政治問題に取り組むアートが、どれもこれも失望感に規定されているように思える。いまの米国はかなり失望感に満ちていて、前向きになるにしろ、後ろ向きになるにしろ、そうした失望を表明しようとする気持ちが何につけても見られる気がする。絵画にさえ、そうした失望を描き付け、目に見えるようにする政治的な力がある」。

(初出:『ART iT』No.11(Spring/Summer 2006))

 


 

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