Curators on the Move 3

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+侯瀚如(ホウ・ハンルウ) 往復書簡
インタビューマラソン

 

親愛なるハンルゥへ

サンフランシスコへの引っ越しは快調に進んだかな、街の印象をぜひ聞きたいものだ。僕はいまロンドンにいる。いろいろな意味で、この街と寄りを戻そうとしているところだ(1996年と2000年の2回、ここで暮らしていた)。今回は、レム・コールハースと一緒に、「インタビューマラソン」を企画した。

インタビューに興味を持つようになったきっかけは、学生のときに読んだふたつの長大な対談だ。ひとつはピエール・カバンヌとマルセル・デュシャンの【*1】、もうひとつはデイヴィッド・シルヴェスターとフランシス・ベーコンのもの【*2】。酸素みたいに新鮮で、なんとなくアートに関心が向くようになった。メディアとしてのアーティストインタビューが面白いと感じるようになったのも、長丁場の対談が面白いと思ったのもこのときだ。長期にわたって記録を採る。数年越しであってもいい。たとえばカバンヌとデュシャンのインタビューは、それぞれ長時間、3回かけて実施されたものだ。

 

コールハースとの協働

サーペンタイン・ギャラリー・マラソンも、トークショーみたいなものじゃなくて、リサーチ的な対談のつもりで臨む。レムと一緒に練り上げたインタビューは、すでに起きたことを文書に残すだけのものではない。進行中のリサーチとして、現実を生み出すものであり、展覧会や企画、出版物などにつながることになるかもしれない。インタビューの相手はアート関係者だけでなく、建築、科学、文学その他、様々な分野の人々だ。アートの枠組みを超え、他の分野へと分け入り、相互の架け橋を築きたいと考えている。

インタビューマラソンという発想は、昨年のシュトゥットガルト世界演劇祭の中から生まれた。招待を受けたものの、演劇にはなじみが薄かったから、何ができるだろうと思い悩んだ。街の形そのものが、答えをくれた。ある都市とそれを形づくる要素をどうやってマッピングすればよいか。そこに住む人々、アーティストや建築家、演劇ディレクター、科学者、技術者といった人々にインタビューを重ねればよい。目的は、その都市のいわば肖像画を描くこと。ヒントとなったのは、イタロ・カルヴィーノの小説『マルコ・ポーロの見えない都市』だった。

インタビューマラソンのポイントは、時間の長さとか参加者の人数のような事実や数字よりも、むしろゲームのルールにある。展開のルールや基準、つまりテーマ、地理的関係、空間的関係は、一回ごとに違ってくる。大事なのは、ありがちな定型を疑問視し、文化を論じる場の多彩なあり方を探っていくことだ。展覧会というものの定型が、20世紀を通じて疑問視されてきたのは明らかだとしても、討論会やシンポジウム、インタビューについては、まだそこまで検討されていないんじゃないか。今回の企画は、そうした様々な言論イベントに関して、新しい見せ方、伝え方を作り出すにはどうすればいいのか、と問題提起をするものだ。

シュトゥットガルトのときからの大きな進歩のひとつは、目下サーペンタイン・ギャラリーで一緒に仕事をしているジュリア・ペイトン=ジョーンズが関わってくれたことだ。彼女が考え出した建築分野の大きな年中行事が「サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン」で、初回は2000年だった。レムとセシル・バルモンドが今年の設計者で、アラップ社が協力している。レムは「中身のある建築」に意欲を燃やしてきた人間で、今回のパビリオンも、その中で行われる対談や討論、イベントのことを考えて設計している。

都市の概念を探るのは興味深い。前にも『Mutations』や『Cities on the Move』といった展覧会で、この問題に取り組んだ。レム、ステファノ・ボエリ、サンフォード・クインターとの議論を通じてわかってきたのは、都市の「総合的」なイメージを描くことはできないということだ。この認識から、都市の肖像画という発想に、次第に関心が向かうようになった。インタビューマラソンという発想も、そこから出たものだ。オスカー・ココシュカの指摘によれば、描かれたときにはもう都市の姿は変わっている。都市は決して眠らず、常に変化している。

マラソンが意図するのは、都市の総合的イメージを描くことの不可能性の可能性に取り組み、都市を見えるものと見えないものの両面からマッピングすることだ。ビジュアルアートや建築、文学や音楽の、尖鋭的な実験モデルを取り上げて、それら相互をつなぐ道筋を示す。過去はツールボックスとして取り扱う。現在の考古学的切片とも言うべきものを作り上げるためのツールボックス、いわばウォーホルのタイムカプセルだ。1960年代あり、70年代あり、80年代、90年代、それぞれに違うツールが詰まっている。そこに立ち現れるのは、単なる「いま、ここ」ではなく、記憶を通じてとらえられた「いま」なのだ。エリック・ホブズボームが言ったように、我々は忘却にあらがわなければならない。彼は僕がインタビューしたとき、忘却にあらがう国際的な抗議運動を実際に組織してみてはどうだろう、と示唆した。すてきな考えじゃないか。僕らのマラソンも、ささやかながら、その一翼を担うものとなり得るかもしれない。

シュトゥットガルトの場合は、アーティストのルネ・シュタブの手によるステージが、インタビュー用に特設されたが、ロンドンでは、レムとバルモンドのパビリオンが、まるごと会場になる。パビリオンの使い方はいろいろだ。インタビューや講演、イベントだけでなく(夏の間に101のイベント)、パフォーマンスもあれば、中国展や、『Uncertain State of America』展、トーマス・デマンド展なども催される。ロンドンのパビリオンでは、今回初の試みとして、展示をギャラリーとシンクロさせる。ギャラリーで開かれるトーマス・デマンド展と連動して、パビリオンの内部にも、トーマスがレムのためにデザインした特製の壁紙が貼られることになる。

 

無限に続いていく会話

様々な分野の間のつながりに話を戻そう。20世紀初めにテオドール・アドルノが、他の知識領域にも目を向けなければ、ビジュアルアートの効果をもたらす諸々の力を理解することはできないと述べている。様々な分野の間の接触地帯で、言論イベント、知識生産イベント、講演や討論会を観察してみると、聴衆が予定調和的、という場合がけっこうある。建築家が話をするときには、建築関係の聴衆がやって来る。美術関係者はほとんどいない。逆もまたしかり。インタビューマラソンでは、このクロスオーバーの欠如という問題にも取り組む。シュトゥットガルトで気付いたのは、講演者それぞれに決まった聴衆がいるということだった。今回のインタビューマラソンは、24時間ぶっ通しという形でやるから、好きなときに出たり入ったりできる。様々に違った聴衆の接触地帯にするつもりで、オーバーラップを促そうと思う。

サーペンタイン・ギャラリー・マラソンは、レムと僕と、アドバイザーチームで練り上げた。毎週あるいは毎日行われたアドバイザーたちとの会合や会話が、さらに様々なつながりを作り出し、この企画に加わってくれそうな人々へと導いてくれた。展覧会の企画が回り出すときは得てしてこういうものだが、インタビューマラソンのような言論イベントにも、同じ原理が当てはまりそうだ。ハラルド・ゼーマンのセミナー展『When Attitudes Become Form』のようなリサーチ的な展覧会で、若いアーティストが他のアーティストについて話せば、それが回り出すきっかけになる。フィリップ・パレーノなら「連鎖は美しい(la cha_ne est belle)」というところだろう。美しい連鎖、そして永遠に終わることなく、無限に続いていく会話。

レム・コールハースとコラボレーションを始めたのは——知っての通り——1997年のことだ。君と一緒に『Cities on the Move』展の準備を始め、ロッテルダムでまで彼に会いに行って、その後(というか、初対面の翌日に)香港で、例の楽しい夜を過ごしたときだ[彼は香港や中国本土出身の若い建築家たちを紹介してくれ、いくつかの住所を書いてよこした僕らはシンガポールに行って、タイスー・キムやウィリアム・リンと知り合った。それから旅は、韓国、インドネシアへと続き、アジアをぐるっと一巡りした。『Cities on the Move』が回り出したのは、レムと過ごした夜のことだ。アジア美術だけで展覧会をやるわけにはいかない、「都市」についての分野横断的な展覧会にしなきゃいけない、と目から鱗が落ちたっけ]。

展示がロンドンに移動する頃には、コラボレーションはとても緊密になっていた。ヘイワード・ギャラリーで僕らと『Cities on the Move』をやったのも、レムと彼の同僚のオレ・シェーレン(いまは中国で彼と一緒に中央電視台の仕事に関わっている)で、展示の設営の仕方を考えて、実に斬新な型を作り出してくれた。僕はレムをいわば美術の世界にいざなったわけだけど、それから2年後、今度は役回りが逆転した。『Mutations』で協働したときのことだ。フランスの都市の未来をテーマにした2000年のミレニアム展、それのキュレーションを頼まれたわけだ。レムはステファノ・ボエリ、サンフォード・クインターを含めた4人でやろうと持ちかけた。僕が『見えない都市(ルインヴィジブルシティ)』の企画を実行に移したのはそのときのことで、その一部を『都市の音(ソニックシティ)・都市の噂(ルビ:ルーマーシティ)』として見せた。レムはラゴスについてのリサーチ、ステファノ・ボエリは『Uncertain States of Europe (USE)』を展示した。

 

都市の肖像画、運動の肖像画

その後、僕はやりかけだったインタビューの企画に取り組んだ。インタビュー相手は、ゲルハルト・リヒターや、ギルバート・アンド・ジョージから、若手のフィリップ・パレーノ、ピエール・ユイグ、リアム・ギリック、リクリット・ティラヴァニまで、いろいろだ。インタビューは長丁場で数年越し、カバンヌとデュシャン、シルヴェスターとベーコンの着想がお手本だ。『Nuit Blanche』『Cities on the Move』『Live/Live』『Uncertain State of America』といった展覧会の準備リサーチで、若手アーティストへのインタビューを多数こなしたことをベースにして、相手をさらに建築家や科学者にも広げていった。他の分野へと分け入って、アーティストの様々な関心事と結び付けようとした。そうした発想から、レムと僕は共同インタビューをすることに決めた。対話が二者間から三者間になったわけだ。彼が感銘を受けたり、若い頃に影響を受けたりした多くの年配の建築家のところに、一緒に話を聞きに行った。ドイツの建築家オズワルド・マティアス・ウンガースや、磯崎新、ジャンカルロ・デ・カルロ、ヴェンチューリ、スコット・ブラウン、あるいはヴォルフガング・ティルマンスのようなアーティストに、長時間かけてインタビューした。このときの体験から、誰かと連れ立って誰かに会いに行くという発想が生まれ、以後かなり定番的にやってきた。

そして昨年、都市の肖像画をどうやって描けばいいのか、という流れから、運動の肖像画を描くことについても考えはじめた。それは複雑な作業になる。今日的に意味があり、担い手が存命で現役であるような運動を探そうとした。宣言文を出すような運動は、今日ではほとんど見られないという認識から、僕らの目はフルクサスに向いた。でも考えてみれば、こうした60年代の運動のほとんどは、主役がすでに亡くなっている。結局、日本の建築運動「メタボリズム」でやろうと決めて、当時の担い手、つまり「メタボリズム」に関わった建築家、評論家、工業デザイナーらに、3日間ぶっ続けでインタビューした。これもまたマラソン——東京マラソンだった。いずれ本として刊行される予定だ。

運動の肖像画という発想は、サーペンタイン・ギャラリーの今年のサマープログラムでも、強く打ち出されることになるはずだ。こんな具合に、サーペンタイン・ギャラリー・マラソンでのコラボレーションに至るまでには、多くの道筋があった。ダグラス・ゴードンなら、それはまだ始まりにすぎないと言うだろうけれど。

敬具 HUO

【*1】デイヴィッド・シルヴェスター『肉の慈悲—フランシス・ベイコン・インタビュー』(小林等訳 筑摩書房)
【*2】マルセル・デュシャン+ピエール・カバンヌ『デュシャンは語る』(岩佐鉄男+小林康夫訳 ちくま学芸文庫)

(初出:『ART iT』No.13(Fall/Winter 2006)

 


 

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