新連載 編集長対談1:会田誠(前編)

日本的アートとは?

現代アートの起源は、いうまでもなく欧米にある。では、日本などの非欧米圏において、現代アートの作品を作る、あるいは観るとはどういうことなのだろう。「日本的アート」あるいは「非欧米的アート」はありうるか? ありうるとすれば、それはどのようなものなのか? アート界の内外からゲストを迎え、これらの難問について考えてみたい。

構成:編集部 協力:バンタンデザイン研究所


陣地を広げ続けていくことでしか延命できないところにアートは来ていて、保守的な意味でのアートの本道は原理的にはもう滅んでいるんじゃないでしょうか。

小崎 会田さんの作品は「最後の無頼派」とかいろいろ言われていますが、ひとつの大きな特徴として「嘘くさいのは嫌だ」という態度が、ほとんどの作品の根底に流れているように思います。作品を観る度に『裸の王様』の子供や、ビートたけしの往年のギャグを思い出しますが、まず、どんな子供だったかということから伺えますか。


「紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)」(戦争画RETURNS) 1996年 襖、蝶番、日本経済新聞、ホログラムペーパーにプリント・アウトしたCGを白黒コピー、チャコールペン、水彩絵具、アクリル絵具、油性マーカー、事務用修正ホワイト、鉛筆、その他(六曲一隻屏風) 169 x 378 cm 零戦CG制作:松橋睦生  撮影:長塚秀人

会田 子供のころは、落ち着きがなくて、授業中座っていられない、いまで言う典型的なADHD(注意欠陥・多動性障害)でしたね。いまでも基本的に飽きっぽくて同じ絵を繰り返し描くことができないので、まずイラストレーターとか漫画家にはなれません。だからいまは「アート」という領域にとりあえず腰掛けてはいますが、はっきり言ってアーティストという自覚はあまりない。例えば同級生の小沢剛や、椿昇さん、宮島達男さん、中村政人さんといったまともなアーティストたちは、アートの価値を守るとか、アートには何かしら社会を動かす力があると言いますが、自分にはアートの世界を代表する住民のひとりであるという実感がないんですよ。

欧米的なアート観からは、厳密に言えば僕の活動はアートとは呼ばれないのでしょうが、それでもいいと思っていて、「アートとは何か」とかは意識的に考えないで活動しています。今度サンフランシスコでやる展示のために7月に現地制作をするんですが、7m×15mぐらいの壁を使って、風俗とか郊外のパチンコ屋の看板広告のような、バッドテイストな日本的デザイン的なものを、嫌がらせで作って見せようと思っています。お客さん、特にサンフランシスコ在住の肌の白い方々に「げげぇ、そんなのはアートとして見たくない」と叫んでもらいたい。別にそれで欧米のアートがグラつくなんてことは絶対になくて、ただ嫌われて終わるだけとはわかりつつですが、嫌われるようなことを何度もやっていても、ときどき(欧米の展覧会に)呼ばれることもあるので、欧米のアートからは「ずれている」と思われつつも、参考までにたまには呼んでみたい、海の向こうにいるなら、まぁいっかぐらいに思われているんですかねぇ、とりあえず(笑)。

小崎 現代アートは、それまではアートと呼ばれていなかったものさえも一方的にアートと認めて、自分の領域に入れ込んでしまいますよね。例えば1920年ぐらいまでは、写真はアートと思われてはいなかった。でもいまや、現代アートの立派な1ジャンルとして認められている。現代アートが、自分の陣地を広げようとして認知し、囲い込んだ好例です。


「切腹女子高生」 1999年〜 デザイン:宇治野宗輝

会田 オタクでも写真でも、すべてを含むわけじゃないですけど、そうやって陣地を広げ続けていくことでしか延命できないところにアートは来ていて、保守的な意味でのアートの本道は原理的にはもう滅んでいるんじゃないでしょうか。微妙ですよね。アラーキー(荒木経惟)はアートに入れたけど、篠山紀信はいまのところ入れない(笑)。

小崎 これは余談ですが、荒木さんは昔、「写真は写真だよ」とおっしゃっていました。写真としてすごくパワーがあれば、別にアートと呼ばなくたっていいということですね。

会田 僕の場合、自分の作っているものが、イラストではなくアートであるための条件を備えているようにしようとは思っていないのですが、ちょっと毒があったり、一般のメディアに載せられないものが多いのは、クライアントがいない分、一般のデザイナーとかが禁止されていることもやってしまおうという、棲み分け的な意味もあったりします。本当は、料理でいえば、美味しい料理ができるなら香辛料みたいなものはあまり入れずに作りたい、と毎日思っているんです。


「巨大フジ隊員VSキングギドラ」 1993年
アセテート・フィルム、アクリル絵具、鳩目金具 310 x 410 cm 撮影:長塚秀人

小崎 現代アートの特徴のひとつに、どんなものでも美術館におけば「アート」になってしまうという、不思議な文脈主義(コンテクスチュアリズム)があります。1917年、マルセル・デュシャンが既製品の小便器をひっくり返し、サインをして展覧会に出展しようとして拒否された。その革命的行為によって逆説的に肯定されている感がある。もうひとつの特徴として、美術史への言及、つまり先行する作品に対するオマージュや、元の作品をそのまま取り入れる流用(アプロプリエーション)というものもあります。欧米の作家のほとんどはそれを意識しつつ作品を作っていますよね。

一方、非欧米圏の作家は、そのルールに即してやるというのがひとつの道ですが、それとは別に、作品にそれぞれの国や社会に固有のものを、いわばエキゾチックな意匠として加えていくというやり方もあります。日本でいうといちばんわかりやすいのが、村上隆さんでしょう。マンガやアニメや、最近では仏画などをモチーフにしつつ、作るものは欧米の「世界標準」に合わせて発表している。ところが最近では、マンガやアニメやフィギュアなど、これまでは日本固有と思われていたものが国際化していますが、そうすると作品が変わったりしませんか。


左:会田誠 右:小崎哲哉

会田 いま、サンフランシスコで発表する新作「MONUMENT FOR NOTHING Ⅲ」を構想中で、ネットから画像検索してイメージを引っ張ってこようと思っているのですが、そうやると、例えばオタク的なものやマンガというのは、日本に限定されたものとは限らないように感じます。まぁ、そもそもスピルバーグとかジョージ・ルーカスとか、キャラクター的にはバリバリオタクですもんね。

小崎 クエンティン・タランティーノとかもね。

会田 そうですね(笑)。

作品写真提供:ミヅマアートギャラリー、Copyright Aida Makoto

2009年6月20日にDAY STUDIO★100(Vantan渋谷校ディレクターズスタジオ)にて行われた対談を収録しました。

後編はこちら

あいだ・まこと
1965年、新潟市生まれ。91年、東京藝術大学大学院美術研究科油画技法・材料研究専攻修了。社会問題やエロ、グロなど多様なテーマを、精緻な描写の日本画から脱力系のドローイングまで、多彩な表現方法で作品化する。2001年より4期にわたり神田神保町の美学校にて講師を務め、現在のChim↑Pomのメンバーの一部や加藤愛は当時の教え子。06~09年、武蔵野美術大学非常勤講師を務める。近年の主な展覧会に『アートで候。会田誠 山口晃』(上野の森美術館、06年)、『Laughing in a Foreign Language』(ヘイワード・ギャラリー、ロンドン、08年)、『ワイはミヅマの岩鬼じゃーい!』(ミヅマアートギャラリー、08年)、『MONUMENT FOR NOTHING II』(京都造形芸術大学 GALLERY RAKU、09年)など。上野の森美術館にて開催中の『ネオテニー・ジャパン―高橋コレクション』展(7月15日まで)に出品している。今夏にはサンフランシスコのYerba Buena Center for the Arts(『wallworks』、7月18日〜10月25日)や、北京のMizuma & One Gallery(8月29日〜11月末予定)にて公開制作型のプロジェクトに参加予定。

次回予告

ゲスト:名和晃平
現代美術作家として、常に新たな素材や手法による作品を探求する名和晃平。メゾンエルメス8階フォーラムで開催中の個展『L_B_S』では、無数の透明な球体で覆われたシカの彫刻をはじめ、『PixCell』シリーズの新たな展開を観ることができる。また、京都にある旧サンドイッチ工場にて、アーティストランスペースの設立準備を進めている。(下記、作家によるART iT公式ブログを参照)。

ART iT公式ブログ:名和晃平
https://www.art-it.asia/u/ab_nawak/UBGrSADNdEjOpye2t8V5

*トークセッションの参加をご希望の方は、下記より事前にお申し込み下さい。
http://daystudio100.com/tokyo/script/event_detail.php?id=68
日時:7月20日(月・祝) 14:00〜16:00 定員30名
会場:Vantan渋谷校ディレクターズスタジオ

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