アローラ&カルサディーヤ:右に出る者なし


Installation view of Track and Field (2011) outside the US Pavilion at the Giardini, Venice, 2011. Photo ART iT.

今年の第54回ヴェネツィア・ビエンナーレでのアメリカ代表作家へのアローラ&カルサディーヤという選択は、いくつもの理由で非常に意義深いものがある。まず、ナウマンやルシェ、ゴンザレス=トレスらのような伝説的ともいえる重要性を持つ作家ではない作家の選出は久しぶりである。そして、アローラ&カルサディーヤも今回のアメリカ館の運営に当たったインディアナポリス美術館も、近年のアメリカ美術において象徴的な立場を築いているとは言えない。この事実は他国のパビリオンが一般的に強調する特性、つまり自国の美術における最新の展開に焦点を当てることに対する米国務省レベルでのより深い理解を示唆する。

このアプローチは一定のリスクを伴うものであり、近年、アローラ&カルサディーヤと同格のアメリカ人作家にパビリオンが委ねられた際に、そのリスクが必ずしも報われないことが証明されている。1999年にはアン・ハミルトンがアメリカ館の内壁に点字を穿ち、赤い顔料を壁沿いに滴らせ、一連の触感的なインスタレーションへと変身させたが、彼女個人の直解的すぎる手法としてメディアに叩きのめされてしまった(個人的には卓越したインスタレーションだと感じたのだが)。2003年にはフレッド・ウィルソンが現代のヴェネツィアでのアフリカ人移民の生活のシミュレーションを試みたが、彼の展示も過剰に政治的に正しいものとして酷評を受けた。実際のところ、アメリカ館が近年聖域にとどまり、とても説得力のあるプロジェクト——2009年のブルース・ナウマンのプロジェクトなどは畏敬すべきほどであった——を生み出すことに徹してきた理由はここにある。つまり、確固たる評価を得ている作家の重要な作品を展示するというアプローチをとるのは、そのアプローチはしばしば予測可能な範囲内にとどまるものの、これまでに成功してきたからであった。

ジェニファー・アローラとギレルモ・カルサディーヤがアメリカ代表作家としては初のプエルトリコ出身者であること、そして(ハミルトンはさておき)初のパフォーマンスを基礎的な要素として作品に取り入れる作家であることがメディアに取り沙汰されている。しかし、今日彼らの作品を特に意味深くしているのはそういったことよりも、題材に対する自由奔放なアプローチ、そして作品に用いるシンボルの核心を明らかにする能力である。ヴェネツィアの力作『Gloria』のうち、60トンの戦車をひっくり返して実際に使用可能なトレッドミルを上に乗せた「Track and Field」[陸上競技]は、ジャルディーニのプレビューで特に話題を呼んだ。この作品はアメリカの陸上競技の選手が使うことで本領を発揮するものであり、実際に彼らが会期中に定期的に走る予定である。


Top: Performance view of representative from USA Gymnastics with Body in Flight (Delta) (2011) in the US Pavilion at the Giardini. Bottom: Installation view of Body in Flight (American) (2011) in the US Pavilion at the Giardini. Both: Photo ART iT.

アローラ&カルサディーヤによるヴェネツィアのプロジェクトでは大勢のパフォーマーが参加しているが、彼らは通常パフォーマンスアートに見られるダンサーや俳優ではない。ビジュアルアートとパフォーマンスアートとの従来の境界線を超越する試みの一環として、アローラ&カルサディーヤはアメリカを代表して表彰台を目指して競っている(もしくは競った経験のある)一握りの陸上選手や体操選手をコラボレーターとして迎えた。どうやら、男女別々の体操のプログラムを「Body in Flight (Delta)」と「Body in Flight (American)」(2011)のパビリオン内のそれぞれの部屋で行うだけで、この選手たちの肉体的な鍛練の成果は、フォルムと動作のほぼ完璧な体現となるという考えらしい。この2点の作品では、デルタ航空とアメリカン航空との対立関係にある2社のビジネスクラスの座席を模した実物大の多色の木彫を中心として、それぞれ男性と女性の体操選手が体操のプログラムを演じる。このようなパフォーマーの選択には更に深い意味合い、つまり、高度な身体能力や大胆さの体現、そして国が過剰に軍事化されるとそういった成果も容易く見落とされてしまい兼ねないことに関するサブテキストが根底にあるのではないかと思われる。

こういった、各自の分野において非常に高度な能力を持つパフォーマーたちとのコラボレーションはアローラ&カルサディーヤの作品において極めて重要な特徴となっているが、ヴェネツィアのパビリオンにおいて何よりも驚くべきところはその作品の明確な政治的メッセージ性である。彼らがこれまでの活動において何度も扱っているテーマのひとつに、プエルトリコのビエケス島の行く末がある。ビエケス島は2003年までアメリカ海軍の軍事練習の場として使用されていたが、現在は軍用地から新たな観光スポットとしての転用が計画されている。ビエケス島の話はあらゆる意味でアメリカが今の世界において直面している武力と和解のジレンマを象徴する。つまり、イラク戦争という大惨事を巡る、権力の適切な使い方の問題である。サダム・フセインによる大量破壊兵器の開発とそれを使用する可能性についての歪曲された諜報だけをきっかけに始められたこの戦争は、何百人も何千人もの人々の命を犠牲にし、更に何百万人もの人々の居場所を奪っている。

今もなお繰り広げられているイラク戦争は、アメリカのブッシュ政権の数々の失敗の中でも最も甚だしいものとして現世代のアメリカ人美術家や知識人を悩ませているといって過言ではなかろう。アローラ&カルサディーヤはビエケス島をアメリカの政策が軍産複合体に支配されることにより生じる無駄な破壊の象徴として取り上げ、この問題をより私的な視点から捉える。これこそが彼らの抜擢が極めて重要な意味を持つ一番の理由だと言える。つまり、アメリカ代表作家としての彼らの選択は、前大統領が今やイラクの大規模な破壊としか呼べないものを正当化するために使った独断的で偏狭な弁論を現在の米国務省が拒否したと受け取ることができるのだ。


Left: Fabrication view of the work Algorithm (2011). Photo by Archive Klais. Right: Detail shot of Armed Freedom Lying in a Sunbed under fabrication. Photo courtesy Barnacle Bros Sculpture & Custom Fabrication, Inc.

こういった事由は別として、アローラ&カルサディーヤのアメリカ代表としての参加は、ヴェネツィアを訪れる人々にとって、彼らが革新者であるため重要であるはずだ。「Track and Field」ほど壮観なものではないが、「Algorithm」という作品もまた世界的な景気後退のきっかけとなった2008年の暮れから2009年初頭にかけての世界の金融市場の崩壊についての考察であるように思える。今ではこの不景気の責任は無節操な銀行家と緩すぎる規制監督にあると考えられている。それにより、膨大な負債が不安定な——多くの場合はむしろ略奪的ですらある——住宅ローンを担保とした借入という惨事に繋がった。「Algorithm」は、実際に使えるATMと機能が連結されたパイプオルガンから成る。誰かがそこから現金を引き出そうとすると、押したボタンが(アルゴリズムにより)オルガンへのコマンドに翻訳され、音楽が奏でられるという仕組みだ。宗教に代わり金が文化的崇拝の対象となっているという考えは決して新しい発想ではないが、私的な金融取引を公的な音楽パフォーマンスに変換することにより、別の意味での金融活動の透明性が最近のクライシスを防いだかもしれないことを示唆しており、今後、同じことが繰り返される事態を防ぐ役割を果たすであろう。

アローラ&カルサディーヤの作品の政治的な要素を過剰に強調してしまうことは、作品を見る大抵の人に残るであろう印象、つまりそれらがウィットに富んだ美しい作品であることを過小評価しているように映るリスクを伴う。しかし、アメリカが近年(それが現実のものであれ推定されたものであれ)軍事力を用いて弱いものいじめをしてきたことを不当とするような作品をこれほどに独特な手法(そして独特なコラボレーション)を用いて制作する、どちらかと言えばまだ真価の問われていない美術家に焦点をあてていることは、進歩と変革は可能であるばかりか、社会的な文脈で美術が機能するにあたり必須だということを暗示しているのだ。

第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ『ILLUMInations』は6月24日から一般公開。会期は11月27日まで。

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ニュース 2011年ヴェネツィア・ビエンナーレ、アメリカ館代表はアローラ&カルサディーヤに(2010/09/18)

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ヴェネツィア・ビエンナーレ——ILLUMInations: 第54回国際美術展

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