2021 #02「ドクメンタを巡るホドロジー(後)」
ドクメンタを巡る考察はマニフェスタを経由し国内の事情に向かうはずだった。およそ1年半の歳月を経て再開したホドロジーは改めて芸術を取り巻く環境を反省的に問い直していく。美術批評家の杉田敦による長編論考最新回。
ドクメンタを巡る考察はマニフェスタを経由し国内の事情に向かうはずだった。およそ1年半の歳月を経て再開したホドロジーは改めて芸術を取り巻く環境を反省的に問い直していく。美術批評家の杉田敦による長編論考最新回。
ドクメンタ15を断念した美術批評家の杉田敦は、ホドロジーという研究姿勢を確認しつつ、コソヴォ共和国の首都プリシュティナで開かれたマニフェスタに向かう。マニフェスタに関する考察を通じて見えてきたものとは。
ドクメンタを訪れるべきか訪れないべきか。継続してきた経験を手放し、異なる経路を選んだ杉田は、立ち止まり、時に過去を振り返りながら、ドクメンタを巡る別様の考察を進める。
時代を遡り、過去のある国際展で覚えた違和感をきっかけに昨年再開した「ナノソート」。ニコラ・ブリオーが「関係性の美学」の下に提示した視点を再考するために、基本的な態度をなんども確認しながら歩を進める。
現代美術を考えるのではなく、現代美術で考える実戦としての「極小の思考」。当時滞在していたポルトガルを拠点にヨーロッパを歩いた2017年の連載につづく「ナノソート2021」は、時代を遡り、過去のある国際展で覚えた違和感をきっかけにはじまる。
極小の思考はドクメンタが閉幕したギリシア、そして、詩人サッポーのセクシャリティに由来して、以後それを示すための名称として知られることになったその島に向かう。約一年にわたって続いた特別連載最終回。
パリ、ヴィラ・ワシリエフの「no hospitality, but bar」 不機嫌なバー、あるいは、政治的なものに抗するための政治 文 / 杉田敦 国際展を巡ることがヨーロッパ滞在の主な目的のひとつではあったが、もうひとつ心がけていたことがあった。展
グラーツ、ヨッヘン・ゲルツの作品があった広場 拒絶、寛容、必ずしもそればかりでなく 文 / 杉田敦 国際展が集中した昨年のなかでも、いち早く開催したもののひとつでありながら、なかなかそこに行く気持ちになれなかったのがヴェネツィアだった。ヴェルニサージュ
オラファー・エリアソンの空中回廊「Your rainbow panorama」が一際目を惹くARoSオーフス美術館 幸せの国のトリエンナーレ 文 / 杉田敦 北海とバルト海を隔てるユトランド半島の東岸に、オーフスという街がある。コペンハーゲンに次ぐ、デ
パヴェル・ブライラ「阿呆船」 愚者の船はどこに向かうのか…… 文 / 杉田敦 リスボンの中心街に清貧の人、聖ドミニコの名前を冠した、サン・ドミンゴス広場がある。サクランボのリキュール、ジンジーニャを飲ませる立ち飲み屋があり、観光客や、アフリカの旧植民地
ピエール・ユイグ「After Alife Ahead」 ミュンスター、ライオンの咆哮の記憶…… 文 / 杉田敦 ドクメンタに限るのであれば、アテネを訪ねた足で、そのままカッセルに向かうというのが一般的だろう。アテネとカッセルの間には、5月末から6月末ま
EMSTのテラスから望遠したアクロポリス アテネ、喪失と抵抗の…… 文 / 杉田敦 ギリシアを訪れたのは初めてだが、アテネはリスボンと違和感なく連続しているように感じられた。いや正確に言うと、現在のリスボンではなく、5年ほど前のと言った方がよいかもしれ