Hanne Darboven「Fuchs du hast die Gans gestohlen / Fox, You Stole the Goose」@ TARO NASU


Hanne Darboven, Fuchs du hast die Gans gestohlen (1990) © Hanne darboven Stiftung, Hamburg VG Bild-Kunst, Bonn / DACS, London 2021 Courtesy Sprüth Magers Photography: Thomas Müller

 

Hanne Darboven「Fuchs du hast die Gans gestohlen / Fox, You Stole the Goose」
2022年4月12日(火)- 5月14日(土)
TARO NASU
https://www.taronasugallery.com/
開廊時間:11:00-19:00
休廊日:日、月、祝

 

TARO NASUでは、独自の計算式に基づいた表記システムを通じて、時間概念の表現を模索し続けたアーティスト、ハンネ・ダルボーフェンの個展『Fuchs du hast die Gans gestohlen / Fox, You Stole the Goose』を開催する。

ハンネ・ダルボーフェン(1941-2009/ミュンヘン生まれ)は、数字や走り書きのような文字、線で埋め尽くされたドローイング、イメージ、資料などの集積で構成された作品で知られる。その作品の射程は、美術のみならず、政治学、人類学、地理学、哲学、文化史など、さまざまな領域に及び、その多数が時間の視覚化を探究したものとなっている。ダルボーフェンはハンブルク美術大学(HFBK)で学んだ後、ニューヨークで1966年から68年の約2年間を過ごし、ソル・ルウィット、カール・アンドレ、ローレンス・ウィナーなど、ミニマルアートやコンセプチュアル・アートの理論と実践に触れ、その後の制作に多大な影響を受けたと言われている。一方で、手書きの数字や文字、線に見られる個や身体もその制作の重要な要素となっている。

1967年にデュッセルドルフのコンラート・フィッシャー・ギャラリーで初個展『Konstruktionen, Zeichnungen』を開催。以来、4度におよぶドクメンタ(1972、1977、1982、2002)や、ウォルフガング・ライプとゴットハルト・グラウプナーとともに出品した第40回ヴェネツィア・ビエンナーレ西ドイツ館(1982)をはじめ、『Die geflügelte Erde, Requiem』(ダイヒトールハーレン、ハンブルク、1999/ファンアッベ美術館、アイントホーフェン、1991)、『Kulturgeschichte 1883-1983』(Diaアートセンター、ニューヨーク、1996)など、国内外で多数の展覧会を開催。2009年に亡くなってからも、『El tiempo y las cosas – La casa estudio de Hanne Darboven』(国立ソフィア王妃芸術センター、2014)、『Hanne Darboven Aufklärung – Zeitgeschichten Eine Retrospektive』(ブンデスクンストハレ/ドイツ連邦共和国美術展示館、ボン、2015/ハウス・デア・クンスト、ミュンヘン、2015-2016)、『Korrespondenzen』(ハンブルガー・バーンホフ現代美術館、ベルリン、2017)など、大規模な回顧展が連続して開かれている。日本国内では、かんらん舎が80年代から90年にかけて紹介し、東京国立近代美術館も《世界劇場 79》(1980)を所蔵。2008年には横浜トリエンナーレに出品。2014年には広島のヒロセ・コレクションでも紹介されている。昨秋から日本国内3館を巡回中の『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術』にも出品されているほか、慶應義塾大学アート・センターでも「スタンディング・ポイント」シリーズの企画にて、2022年5月から作品が紹介される。

TARO NASUでの初個展となる本展では、その特徴的な制作手法である反復と変換というアイディアで構成された《Fuchs du hast die Gans gestohlen》(1990)を展示する。作品の主題となっているのは、ドイツの有名な民謡「Fuchs, Du Hast Die Gans Gestohlen」で、この民謡は日本においても「子狐」と題され文部省唱歌として勝承夫(1902-1981)の作詞によって広く知られている。しかし、ドイツの原曲の歌詞が、ガチョウを盗もうとする狐に対する飼い主の脅迫的警告を内容とするのに対し、勝翻訳のそれは穏当かつ牧歌的な情景を歌い、人間と野生の対立構図への言及を欠いたものとなっている。一方、本作品は、人間世界の幻想としての「客観の存在」に対し、時間という切り口によって懐疑を呈示し、人間の認識する現象が、視座となる人間の感情や記憶、思考の融合としての主観に他ならないという真実を、一見「客観的に」みえる数式として可視化することを試みるものとなっている。

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