航跡が描き出す新しい時間
インタビュー / 良知暁、馬定延

2019年のヴェネツィア・ビエンナーレ韓国館の代表の経験を持つなど、韓国現代美術を代表するアーティストのひとりとして知られるナム・ファヨンは、膨大なアーカイブを基に、映像やパフォーマンスをはじめとする多岐にわたる実践を通じて、歴史の中に埋もれた過去の時間のみならず、未来に起こりうる出来事の可能性を探求してきた。近年は、ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」を複数の個人的な記憶を頼りに辿りながら、この歌が日本、韓国、北朝鮮の歴史と交差する経路を描き出した《Imgingawa》(2017)や、日本植民地時代の朝鮮半島に生まれ、西洋と東洋両方の舞踊史において伝説的な存在となった舞踊家、崔承喜の第二次世界大戦中の活動、とりわけ、そのダンスの記録に着目した《半島の舞姫》(2019)を発表。恵比寿映像祭キュレーターの多田かおりは、ヴェネツィア・ビエンナーレの韓国館で観た《半島の舞姫》において、映像の時間と空間的な構成を通じて、崔承喜の膨大なアーカイブから新しいナラティブや時間体験を導き出した手腕が、第12回恵比寿映像祭の「時間を想像する」というテーマと即座に結びついたと語っている。
本テキストは、2020年2月の第12回恵比寿映像祭のために来日した際に行なわれた同映像祭関連プログラムのラウンジセッションと、同日に収録したインタビューを基にしている。また、本テキストの作成は、ラウンジセッションのゲストであり、ナム・ファヨンの複数のプロジェクトに参加した経験を持つ馬定延に、インタビューおよび編集過程に加わってもらい、日本語、韓国語、英語を交えて進められた。
(協力:東京都写真美術館 恵比寿映像祭)

ART iT 恵比寿映像祭で発表した《半島の舞姫》(2019)は、昨年のヴェネツィア・ビエンナーレの韓国館で初公開された作品で、第二次世界大戦前から戦中にかけて、朝鮮、日本、中国、ヨーロッパ各国で活躍し、西洋と東洋両方の舞踊史において伝説的とも言える存在となった崔承喜[1] を中心に据えた回遊型のインスタレーションです。崔承喜自体が非常に興味深い人物で、あなたはこれまでにも彼女の存在について言及する作品を制作しています。作品で扱う対象として、いつ頃から彼女に関心を抱いたのでしょうか。
ナム・ファヨン(以下、HN) 崔承喜は韓国では舞踊家として多くの人に知られています。戦前の朝鮮半島で生まれて日本で舞踊家として活動したという事実とともに、戦後は越北した芸術家という側面も知られていて、どちらかと言えば、韓国あるいは東アジアの歴史と絡み合う複雑な人生を歩んだ芸術家という印象が強いです。それに対して私は、最初はそうした伝記的側面より彼女のダンスとその関連記録に興味を持ち、彼女について調べはじめました。広く知られた個人史に比べて、実際の作品に関する記録は断片的にしか残っていませんでしたが、むしろそれが創作の原動力として作用したといえます。作品内で初めて言及したのは《a garden in Italy》(2012)で、今はなくなってしまったパフォーマンスの芸術祭Festival Bo:m(フェスティバル・ボム)で発表しました。同作は、パフォーマンスのアーカイブというものがいかなる時間を発生させることができるのか、パフォーマンスが実時間に繰り広げられる臨時的なアーカイブとなることができるのかという問題意識がありました。
ART iT 恵比寿映像祭で《半島の舞姫》を、シネマのようなシングルスクリーンでの上映ではなく、複数のスクリーン、モニタを使用した形式で発表していましたが、その判断にも時間という観点が関わってくるのでしょうか。
HN 《半島の舞姫》では、崔承喜という不在の身体が歴史のなかで描いた移動の経路と未完で終わった「東洋舞踊」という形式を想像しながら、それをインスタレーションで表現しようとしました。スクリーンの配置は身体的、時間的動線というものを念頭において決定しました。
同作は「History has failed us, but no matter」というミン・ジン・リーの『パチンコ』という小説の最初の一節がタイトルとなったヴェネツィアの韓国館で初めて発表しました。三人展という条件に加え、韓国館の建物という非常に特殊な空間的制約がありました。韓国館は、プロジェクションをするにはきわめて劣悪な環境ともいえるガラス張りの明るい建築です。私は展示空間を条件にするインスタレーションの形式を重要視してきたので、むしろそれを面白いと捉えて、野外の光と風景を室内の空間、そして作品とうまく重ねながら配置しようとしました。一部の観客は気がつかなかったかもしれませんが、先ほど話したパフォーマンスの作品《a garden in Italy》の異なる形での反覆として、韓国館の野外庭園にアジアに由来した品種の花を植え、また、崔承喜の直接歌った同名の曲を30分に一度流しました。彼女が1941年以降に発明しようとした東洋舞踊の「東洋」は、大東亜共栄圏のアジアと妙に交差する様相を呈しますが、またそれは彼女が発明しようとした芸術的な領土としても存在すると考えました。


ART iT 恵比寿映像祭のラウンジ・セッションでも、ある観客から自身がバレエを習っていたという経験から崔承喜につながりを感じ、作中に出てくる「東洋バレエ」という言葉に反応したという感想が出ていましたね。また、その彼女は作中で崔承喜のダンスの全体像を見ることができず、終始手や足など断片的にしか見えないために、全体像が見たいという気持ちが生まれ、同時に、あなたが敢えて部分的にしか見せていないのではないかと感じたとおっしゃっていました。
HN あの感想は、私が意図したものを正確に捉えてくれたようで嬉しかったですね。実際、崔承喜の資料が完璧な形で残っているわけではないので、私自身もあの観客と同じような立場で断片的に接したものから全体を想像していきました。
「東洋バレエ」という言葉について、アジア圏にも舞踊は文化として存在してきましたが、それが現在のような舞台化された芸術の様式として根付いた背景には、やはり西洋からモダンダンスが流入されてきたことの影響が大きかったようにみえます。なので、そこには「バレエ」が「舞踊」と同じ意味で使われた側面があると考えます。ウダイ・シャンカールというインドのモダンダンスの先駆者も自分の舞踊を「インディアン・バレエ」と称したりしました。
《半島の舞姫》で特に注目したのは、崔承喜の第二次世界大戦がはじまっていた1941年以降の活動でした。それ以前の彼女は芸術家としてヨーロッパを巡回するなど国際的に活動し、西欧の視覚で見た東洋に対する感覚をもって帰国するのですが、日本への帰国後は強権的な政府の影響力の下で慰問公演に駆り出されることで大東亜共栄圏の構想を支援する形になってしまいました。芸術家として踊りつづけたいという欲望が一方にあり、もう一方に個人としての彼女を取り囲む非常に複雑な政治的・社会的文脈があります。東洋舞踊は、もしかしたら彼女にとって芸術的な入口であるとともに、政治的な出口だったのかもしれません。もうひとつ、当時、崔承喜について調べながら、日本が主張していた「ひとつのアジア」という概念と、西洋の見る東洋と、植民地で生まれたコスモポリタンの欲望をもつ女性の芸術家が見る「東洋」というものは、どのような部分で接点を持ち、どのような部分でずれていたのかということも気になっていました。
韓国では崔承喜は、北朝鮮との関係、日本との関係というふたつの側面において非常に論争的な存在です。戦争がはじまりから終わりへと向かう中で、彼女がどのように振舞っていたのかを調べたところ、太平洋戦争当時、中国で慰問公演をしていた頃は中国の京劇的な要素を作品に取り入れながら活動しているのですが、戦争が終わった途端に自分の舞踊はコリアン・バレエだという発言をはじめました。これは単なる転向と捉えるよりも、どちらかというと、彼女が自分の運命を予感した結果なのではないかと思っています。それまでのさまざまな活動が批判されるだろうと。そして、彼女は後に政治家となる夫・安漠とともに北朝鮮に渡ります。北朝鮮で展開した舞踊劇というものは、ある意味では彼女が夢見た東洋バレエが不完全な形で受け継がれたものではなかったのかとも思われます。


ART iT 「パフォーマンスのアーカイブというものがいかなる時間を発生させることができるのか」という問いをはじめ、「時間」への関心についてもう少し聞かせてください。あなたの制作に関するある記事の中で、「Time is a shape bender(時間はものの形を変化させる)」という言葉が使われていたのが印象に残っています。大学では彫刻を専攻していたと聞いていましたが、そこからパフォーマンスや映像に関心を持つようになったきっかけはありますか。
HN 編集過程で「sculpting time(時間を彫刻する)」と思うときがあります。回転台を回しながら粘土で素早く人体をモデリングするという課題をしたときの感覚と同じような感覚を覚えることがあります。その言葉を自分が使ったのかどうか覚えていませんが、自分の言いそうな言葉だとは思いますね。パフォーマンスや展示など、時間に形態と構造を与えていくという過程は私の芸術的実践の中で非常に重要な意味を持っています。彫刻における物質性を楽しんでいたのはたしかですが、その物質性から離れたい、物質性を捨てたいという気持ちがあり、そうして動きと時間を扱う世界に入っていきました。しかし、そこで自分が動きと時間という非物質的なものを物質化するための努力をしていることに気がつきました。これは逆説的でもあるし、興味深い状況でもあると思っています。「あなたは非物質的なものに関心がありますよね」という質問をよく受けるのですが、そうした質問には「ええ。表面的には」と答えています。「物質化する」という部分は芸術家としての自分にとって非常に大事なものです。
ART iT 時間という観点から、日本による植民地時代に建てられた近代建築の象徴とも言えるソウル駅で発表した《On time》(2012)や、2013年にFestival Bo:mなど国内外で発表したパフォーマンスおよびインスタレーション作品《Dimensions Variable》(2013)についても教えていただけますか。
HN 日本の建てたソウル駅のような近代建築の内部はすでにリノベーションされて久しいです。《On time》は歴史の痕跡が消されて、リノベーションされたソウル駅の建物に本物と似たような偽物の柱を建てて、韓国と北朝鮮までもつないでいた、ひかりやのぞみのような、当時の列車の時刻表を設置しました。列車の発車時刻が映し出されているけれども、もちろん定刻になってもそれらの列車が出発することはありません。消えてしまった運動、あるいは崔承喜の作品について話す中で「不在の身体」という言葉を使いましたが、ここでも「不在の運動」というものに言及しています。これまでの制作において、私は自分が発生させることのできる新しい時間の可能性について一貫して追求してきたような気がします。
《Dimensions Variable》とはしばしば作品のキャプションでも目にする「サイズ可変」という意味ですね。この作品はFestival Bo:m(ソウル)、パレ・ド・トーキョー(パリ)、駐日韓国文化院(東京)で発表しました。多くの場合、展示の設営プロセスのなかでアーティストは現場で待機する長い時間があります。テクニシャンやインストーラーなどの動きを見ながら、それらがある理想の一点にたどり着くための一連の動き、あるいはコレオグラフィーのようだと感じたことが、この作品の制作の背景にあります。また、もうひとつの発想として、保管する必要のない、動きでできた経済的な彫刻をつくることができないかと思いましたが、実際はそんなことにはならず、パフォーマンスの制作費用が恐ろしいものになるということを学ぶ結果になりました。



ART iT 新しい時間の可能性という観点では、昨年亡くなってしまったオクウィ・エンヴェゾーがアーティスティックディレクターを務めた第56回ヴェネツィア・ビエンナーレ「All the World’s Futures」で発表した《The Botany of Desire》(2015)などの映像作品も、異なる時間や空間を結びつけることで、そこにひとつのダイナミズムを生み出していますね。
HN 17世紀のオランダでチューリップの取引価格が急騰したチューリップ・バブルに関する書籍を読んでいる途中で、2008年のリーマンショックの関連映像を目にしました。《The Botany of Desire》では、取引の過程を描写する声と、おそらくかつて似たような状況であっただろう最初のバブル崩壊とされる17世紀のチューリップをめぐる逸話、そして、チューリップという実際の花の周辺で踊りながら情報を交換しているハチの動線という、全く異なる時間に存在する要素で組織された生態系のようなものを想像していました。
ART iT この作品をヴェネツィアで発表した年は、ソウルのARCO Art Centerで『Time Mechanics』というタイトルの個展も開催しています。
HN この展覧会で観客が最初に目にするのは《Field Recording》(2015)という作品でした。鳥の研究をしている人々がフィールドレコーディングした音のアーカイブに接する機会があり、この作品ではそれをパフォーマーに聞かせた後、鳥の鳴き声を模倣させました。この展覧会はまず人間が自然を模倣する奇妙な体験からはじまり、次に《Coréen 109》(2014)という作品へと続きます。ここで扱っているのは印刷技術の歴史を考える上で重要な、高麗時代の『直指心經』(1377)という経文ですが、実物は諸事情によりフランスにあります。実物を閲覧しようとフランス国会図書館を訪れたのですが、デジタルデータ(PDF)があることと、私が研究者でないことを理由に断られたことが制作の動機となりました。そのほか、《Ghost Orchid》(2015)では、ドイツ人をはじめとするヨーロッパの人々が珍しい蘭を収集するために専門的なハンターを各地に送るという資料から発見した手紙をもとに、植物園の中でパフォーマンスを展開したり、《The Adoration of the Magi》(2015)ではハレー彗星について扱うなど、展覧会を通じて、何らかの時差を伴いながら現世界と繋がった対象の多岐にわたる距離と時差について話そうとしました。


馬定延(以下、JM) ここで時間の話から膨大な時間の蓄積としてのアーカイブの話に展開できるかもしれませんね。
HN 私はアーカイブ自体が「time-bender(時間を変化させるもの)」だと思います。実証的資料としてだけでなく、アーカイブを未来に起こりうる事件の内在する場所とみなし、その可能性といかに遭遇することができるかということを考えています。ですから、私にとってアーカイブとは「時間の通路」として作用するものです。実証的資料体としての意味は尊重しますが、それは自分にとっては付随的なものと言えるかもしれません。
ART iT 「時間の通路」という言葉を聞いて、昨年11月に明治大学で行なわれた特別講義でおっしゃっていた、作家が意図した会場の動線とは別に、観客が異なる動線をつくっていくという話を思い出しました。[2] アーカイブを「時間の通路」と捉えたとき、同じアーカイブを前にしながら、誰もが同じ方向に進んでいくわけではないですよね。制作を進める上で、その方向性というものをどのように設定していくのでしょうか。
HN 一般化することはできませんが、私にはアーカイブに対していつも「迂回」したり「離脱」したりする傾向があります。固定された意味、実証された資料としてのアーカイブが証明することから迂回、離脱するものを欲し、そうすることによって、アーカイブ全体あるいはアーカイブされる対象を多面的に見ることが可能になると思います。《半島の舞姫》の例を挙げると、韓国では敏感な話題かもしれない崔承喜の芸術家としての側面を浮き彫りにして、芸術家としての彼女がいかに現在の芸術家としての私と出会うのかというところが頭にありました。
JM その迂回や離脱は「イムジン河」というとても強い文脈を帯びた歌に対するナムさんのアプローチからも読み取ることができますね。制作のリサーチ過程でそれぞれ異なる期待を持ってインタビューに応じた4人の個人の記憶を経由しながら、おそらく既存の「イムジン河」から期待されるものとはまったく異なる方向に作品が展開していったのを覚えています。
HN はい。固定されたものを動かすということ(mobilize)が、ひとつの方向性だと言えるかもしれないですね。アーカイブされる対象が矛盾に満ちていればいるほど、迂回や離脱の方向性が豊富にあるのだと思います。この《Imgingawa》(2017)は私にとって、とても重要な作品です。日本のザ・フォーク・クルセダーズが「イムジン河」という歌を歌いました。私自身は日本語がわからないので歌詞の意味はわからなかったのですが、そこに自分が聞き取れる「イムジン」という言葉があり、メロディがとても美しく、この歌を探しに日本を訪れ、作品制作を通じて歴史とこの歌が交差する地点を探していくことにしました。具体的には、この歌を記憶する4人の日本人の方に出会い、話を聞き、個人の歴史と歌がどのように交差していくのかを考察した映像作品になりました。2017年から2018年にかけて、この映像作品を含む個展『Imgingawa』をソウルの視聴覚(Audio Visual Pavilion)で開催しました。

ART iT ここでもう一度《半島の舞姫》の話に戻りたいと思いますが、ラウンジ・セッションのときの質問にもあったように、この作品では崔承喜のダンスの全体像は一貫してわからないままになっており、それをアーカイブの不完全性と捉えることもできるでしょう。一方で、この作品では旅行先かどこかの街中にいる崔承喜、教科書に掲載された崔承喜という形で彼女の全身が写ったイメージが、アーカイブから選びとられていることにある種の意図を感じました。
HN ひとりの人物としての崔承喜と、芸術家としての崔承喜ですね。また、垂直と水平の交差を通じて、両者の間に介在する間隙を見せようとした意図がありました。
ART iT 《半島の舞姫》をアーカイブと結びつけて考える上で、重要な要素となるのが映像の中で使われるテキストの存在ですね。ここで同作の制作にもリサーチャーとして関わった馬さんにもその点について意見を伺いたいのですが。
JM 日本の中で崔承喜の需要は高く、昔から多数の関連資料が刊行されています。《半島の舞姫》の制作と直接的なつながりはありませんが、近年も朴祥美の『帝国と戦後の文化政策 : 舞台の上の日本像』(2017)、李賢晙の『「東洋」を踊る崔承喜』(2019)という書籍が出版されています。一方、ナムさんは日本だけでなく、中国や韓国でもリサーチを重ねていて、その中で私は日本でのリサーチを手伝っていたのですが、個人的にはその膨大な資料の中から、ナムさんが何を選ぶのかに興味がありました。《半島の舞姫》は、日本の近代舞踊の先駆的存在であり、師でもあった石井漠に宛てた1956年の手紙ではじまり、他のテキストを経由して、最後に再びその手紙で終わります。
「世界は變りました。最早侵略者の横行する時代は過ぎ去りました。そしてまた、朝鮮も、中華人民共和國も、日本も、民族的自由をほつする人々が住んでいる世界の地域はどこも侵略者の立ち入る余地はもうありません。」(崔承喜、石井漠先生への手紙『世界』、1956年2月、122号、196頁)
個人的にはアイロニカルに聞こえた「世界は變りました」というフレーズを聞いて、作中で語られているのは、ふたつの時間、つまり崔承喜の生きていた歴史の時間だけではなく、ナム・ファヨンという作家自身の現在でもあるかもしれないという考えが浮かびました。たしかに引用されているのは過去の芸術家の残した記録なのですが、それを基に現代の芸術家であるナム・ファヨンが新しい創作に向かうというように、ふたりが重なり合っている。また、伝統舞踊から新しい舞踊を創作するために崔承喜の提示した指針が、舞踊のみならず、いかなる芸術の創作にも適用可能な普遍性を帯びていることに気づきました。すると、「前に歩く」「斜めに歩く」といった動作の指示が、同時に芸術家としての生き方に対する比喩にも聞こえてきました。もうひとつ、崔承喜が北支、おそらく満州のあたりの慰問公演を振り返ったテキストも印象に残っています。
「ある病院慰問の折未熟な私の踊りでありましたが、「七夕の夜」等の哀愁の漂ふ曲目を踊りました時、私は舞臺の上から、暗黒の客席からすすり泣きの聲を聞き踊る私すら胸がせまつて、涙をおさへおさへ踊りました。戦場に於てあの様な勇敢な皇軍将兵のこの涙の反面を見て、私は強さといふものがどこから来るかといふことを考へさせられ、深い感銘にうたれました。」(崔承喜、興亡一千年の神秘ー北支慰問行より歸りて『婦人公論』、1942年10月号、123頁)
舞台を観ている兵士たちがすすり泣くのを受けて、自分も涙を抑えながら踊る崔承喜、これは帝国の裏側が垣間見える場面だと思います。彼女が演じる帝国の華やかな芸術家、兵士たちが演じる勇敢な皇軍、それら固定したイメージの裏にある個人の葛藤というものを捉えているのではないか、と。また、このテキストの中の「強さといふものはどこから来るか」という箇所は、日本語、中国語、韓国語でナレーションが入っていますが、韓国語はナムさん本人の声です。このテキストは元々の文脈から離れて、芸術家が作品を制作する上で求められる強さ、あるいは生きる上での強さというものについて考えさせるものがありました。というのも、この作品の中では複数の言語が使われていますが、ひとつの言語をひとりが読むのではなく、複数の人がナレーションを務めています。ナムさんは膨大な量のアーカイブの中から、崔承喜の1人称のテキストを選び、再配置していました。この「私」という声がひとつの身体からではなく、ばらばらで複数の身体から発せられる。それは言語の違いということだけでなく、特定の「私」ではない、それぞれの「私」の物語にも聞こえてくるという感想を抱きました。この作品におけるテキストの在り方については、恵比寿映像祭での展示が決まる前にキュレーターの多田かおりさんと意見を交わすことで考えが深まりました。
石井への手紙のなかから個人的に記憶に残った箇所は、崔承喜が「長年日本に滞在中、朝鮮の舞踊家である私に對し、心から理解と聲援を下さった日本の皆様に對し、深いかんしゃの気持をもつております」と記したところです。私はそれがある種の線引きだと解釈しました。つまり、朝鮮半島は大日本帝国の一部であり、「半島の舞姫」である崔承喜を自分たちの文化遺産だと認め、彼女を愛し誇りに思っていた日本に向けて、朝鮮の舞踏家としての自分のアイデンティティを自ら主張していると。
HN おそらくその手紙は北朝鮮で検閲された可能性が高いです。余談かもしれませんが、北朝鮮に行った崔承喜を日本は絶えず招聘しようとし、彼女も日本公演を希望していたのですが、北朝鮮はそれを禁じていたそうです。本当に不思議な関係ですよね。ある意味、彼女は鏡のような存在なのかもしれません。日本であれば日本を、西洋では西洋を、北朝鮮では北朝鮮を、そして、彼女自身の欲望を含め、さまざまな欲望を映し出す鏡。ですから、資料の中の彼女の声はどこか造られた声のように聞こえたりもしました。

ART iT 最後にもう少しダンスについて聞かせてください。さまざまな文脈、さまざまな欲望の中で固定されることなく、不安定な存在としての崔承喜を思い浮かべる一方で、彼女の踊るダンス自体にそのような文脈から独立したものを想像することはできないのでしょうか。
HN コレオグラフィーは身体で記録するという意味も持っています。私はここでダンスとコレオグラフィーを分けて使っていますが、ダンスには瞬間的に消えてしまうという側面があり、私もダンスのそうした側面が好きですが、ただ、ダンスよりコレオグラフィーという装置に関心があります。《半島の舞姫》では、崔承喜が記した比較的、単純なダンスのディシプリンを提示しながら、イメージ、動き、サウンドなどを編集していきますが、私はこれをダンスではない、コレオグラフィーだと考えます。
ART iT コレオグラフィーを「未だ踊られていないダンス」と捉えることもできるのでしょうか。非物質的なものを物質化すること、不在なものを存在させることのような、コレオグラフィーにおける未来性のようなもの。
HN 同意します。「既に踊られたダンス」が「未だ踊られていないダンス」になりうる可能性と、それらの衝突を有機的に組織することが、コレオグラフィー的な観点における重要な方法論だと考えます。いかなる運動(movement)の組織が何を連結し、超過し、提案できるか、そしてそれが通過した時間をいかに記録するか、やはり私には重要な問題です。
[1] 日本語の読みは「さい・しょうき」、ハングルでの表記は최승희、読みはチェ・スンヒ。恵比寿映像祭のラウンジ・セッションでは、《半島の舞姫》との関連から呼称についての前置きがなされた。
[2] 明治大学国際日本学部特別講義「映画と美術のあいだー日本と韓国の映像作品を中心に」(日時:2019年11月17日、会場:明治大学中野キャンパス・ホール)|講師にナム・ファヨン、藤井光、コメンテーターに山下宏洋(イメージフォーラム・ディレクター、映画プログラマー)、大坂紘一郎(ギャラリーASAKUSA代表)、多田かおり(東京都写真美術館恵比寿映像祭キュレーター)を招き、馬定延の進行で開催。ナムは、視聴覚での個展『IMJINGAWA』で発表した映像インスタレーション《イムジン河》の一部を上映するとともに、制作過程を語った。なお、特別講義のシンポジウムや作品資料をまとめた記録集『映画と美術のあいだー日本と韓国の映像作品を中心に』が2020年3月に刊行されている。https://www.meiji.ac.jp/nippon/info/2019/6t5h7p00001z6u01.html
ナム・ファヨン|Nam Hwayeon
1979年光州生まれ。映像やパフォーマンスなど多岐にわたる実践を通じて、個人が経験する身体的な時間と歴史的な時間が交わる軌跡を描き出す。さまざまなアーカイブ素材を基にしたその実践は、歴史的な文脈から引き離した人々やモノ、空間を、現在に置き直すことで、その意味や重要性の再検討を迫るとともに、認識が生きている時代の影響を逃れえないことを明らかにしてきた。
2000年代後半より、第7回光州ビエンナーレ(2008)をはじめ、韓国国内の中心に複数の企画展で作品を発表するとともに、ソウルのパフォーマンスの芸術祭Festival Bo:mなどでパフォーマンス作品の発表機会も増やしていく。2015年には、オクウィ・エンヴェゾーがアーティスティックディレクターを務めた第56回ヴェネツィア・ビエンナーレ企画展「All the World’s Future」に参加する一方、国内ではアルコ・アートセンターで個展『Time Mechanics』を開催。2017年にも同じくソウルの視聴覚で個展『Imjingawa』を実現。2019年にはサイレン・ウニョン・チョン、ジェーン・ジン・カイゼンとともに第58回ヴェネツィア・ビエンナーレ韓国館の代表に選ばれ、同館で作品を発表。2019年から2020年にかけて、デンマークのオーフス現代美術館で個展『Abdominal Routes』を開催している。日本では、水戸芸術館 現代美術ギャラリーで2011年に開かれた展覧会『クワイエット・アテンションズ:彼女からの出発』に参加。2012年の第4回恵比寿映像祭の上映プログラム「ディープストラクチャー−韓国現代美術特集」で映像作品を上映、2017年には東京・四谷の韓国文化院で開かれた展覧会『リズム風景』に出品。2020年の第12回恵比寿映像祭「時間を想像する」では、東京都写真美術館の地下1階展示室に、映像インスタレーション《半島の舞姫》を展示した。
最新の展示としては、ソウルのアート・ソンジェ・センターで個展『Mind Stream』を開催し、2012年から取り組んできた崔承喜のリサーチを基にした一連の制作の集大成を発表(新型コロナウイルス感染症の影響により、当初予定されていた2020年3月12日から4月26日の会期が延期となり、3月24日から5月10日の会期で開催)。同展では、崔承喜が日本で初めて発表した舞踊からタイトルを付けた新作パフォーマンス《Ehera Noara》(2020)を5月10日に発表。また、同じくソウル市内のアルコ・アートセンターでは、第58回ヴェネツィア・ビエンナーレ韓国館帰国展が5月8日から6月21日まで開かれている。
馬定延|Jung-Yeon Ma
明治大学国際日本学部特任講師、多摩美術大学研究員、韓国『月刊美術』東京通信員。東京藝術大学大学院映像研究科修了(博士・映像メディア学)。著書『日本メディアアート史』(アルテスパブリッシング、2014)、共編著書『SEIKO MIKAMI: 三上晴子-記録と記憶』(NTT出版、2019)、共訳書『Paik-Abe Correspondence』(Nam June Paik Art Center, 2018)、論文「光と音を放つ展示空間-現代美術と映像メディア」(『スクリーン・スタディーズ』、東京大学出版会、2019)など。