アートの有用性と教育の遊戯性

アートの有用性と教育の遊戯性
文 / 崔敬華

 

山口情報芸術センター[YCAM]は、2003年の開館以来、情報化によって変化する社会の中で「ともにつくり、ともに学ぶ」という活動理念を掲げ、アーティスト、市民、さまざまな分野の専門家と協働し、作品や展示の制作、ワークショップやソフトウェア/ハードウェアの開発を行ってきた。2019年にキュレーターとして加わったレオナルド・バルトロメウスは、2023年の設立20周年に向けて、アートを通した学びの可能性と、地域におけるYCAMの役割を問い直す長期プロジェクトを立ち上げた。「オルタナティブ・エデュケーション」というテーマを設けたこの取り組みは、パンデミックの渦中において、アートと、その創造や普及に関わる組織はどのように人々とともにあることができるのか、またそのためのメディアとはどのようなものかという問いを探るものでもある。セラムとの協働はこの一環として企画され、メンバーの来日が叶わない状況下、オンラインでのやりとりを通じて実現した。

 


『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:ART iT

 

『クリクラボー移動する教室』と題するセラムの展示は、YCAMのホワイエに、タイトル通り何かしらの教室のごとくテーブルや椅子が設えられている。筆者が訪問したのは平日の午後ということもあり、来場者はまばらだった。展示はゆるやかに区分けされていて、各所に置かれたスタンドにはモニターが取り付けられ、ワークシートのようなものが置いてある。モニターの映像に映るセラムのメンバーは、それぞれのセクションの説明をしている。何をすべきか、手がかりを求めて映像を見ていると、ひとりの日本人男性が近づいてきて、「あそぶっく」という冊子を作るのがこの展示のポイントなので、ぜひやってみてください、と表紙となる紙を手渡してくれた。そこには「アクション・シート」と名づけられたワークシートに取り組み、それを綴じて自分の「あそぶっく」を作り上げよう、とある。「アクション・シート」と展示は連動していて、展覧会タイトルでもある「クリクラボ(「カリキュラム」と「ラボ」を組み合わせた造語)のほか、「知識のマーケット」、「理想の学校」、「キッチン」と名づけられたセクション=モジュール(セラムは自らのプロジェクトを、人々が参加するための最低限のルールや方法をまとめたものしてこう呼ぶ)で構成されている。

 


『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:ヨシガカズマ 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]


『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:ART iT

 

展示されているモジュールの「クリクラボ」では、ジャカルタと山口それぞれの場所で、数人がテーブルを囲み、教育について議論している様子を頭上から撮った映像を見ることができる。それらは会場にあるテーブルの天板に投影されていて、来場者は、話者たちが書くメモや図を見ながら議論をたどれるような造形的工夫がなされている。

「知識のマーケット」は、会期中のイベントとしても開催されたモジュールで、二人一組で丸いテーブルをはさんで向き合い、それぞれが持つ知識を教え合う。相手から何かしらの知識を受け取る参加者は、教わったことを丸いボードに書き留めてゆく。あるいはひとりで、他者と共有したい知識をボードに書き込むことも可能だ。旅の良さを説くものから、微生物の定義、速読の方法、自分史まで、多種多様な知識が記載された「ナレッジボード」が会場両端の壁に架けられ、来場者が読めるようになっている。

 


「知識のマーケット」『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:塩見浩介 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]


「知識のマーケット」『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:谷康弘 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

 

「理想の学校」は、ミニチュアを使って学校の理想形を考えるモジュール。近隣の学校と連携して実施したワークショップでは、学生たちが話し合いながら模型を制作し、「地域の人たちも通える」、「外国人の入学」、「上下関係がない」など、ルールや制度として望ましいことを書き留めたメモも読めるようになっていた。学校そのものや地域の共同体に対して抱いている理想が見えてきて興味深い。

会場奥に設けられた「キッチン」は、当初はお茶を飲みながら人が集う場所として設定したものだが、パンデミックにより実現は叶わず、代わりにセラムのメンバーへのインタビュー映像を見たり、「あそぶっく」を仕上げたり、ほかの来場者が作った「あそぶっく」を手に取ることができるコーナーとなっていた。加えて、筆者にも声をかけてくれたナビゲーターが常に会場にいる。地元の市民たちで編成されたナビゲーターは、鑑賞を目的とした作品を探しがちな来場者を案内したり、あるいは筆者のような参加に億劫になりがちな来場者の背中を押してくれる、この展示には欠かせない存在だ。

これらのモジュールを巡りながら「アクション・シート」にあるテキストを読んだり、質問に対する答えを書いたりして「あそぶっく」を作ってゆく。来場者の思考をナビゲートするメディアとして作り上げたこの「あそぶっく」は、セラムのこれまでの活動から得た経験や洞察、またセラムがバルトロメウスや他のYCAMスタッフ、複数の外部の協力者とともに、YCAMと地域における人々の学びについて積み重ねた長い対話から生まれた着想やアイディアが詰まっている。

 


「理想の学校」『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:塩見浩介 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]


「キッチン」『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:ART iT

 

さて、「あそぶっく」について詳しく述べる前に、セラムについて触れておく。アーティスト、キュレーター、アートハンドラー、デザイナー、教員というメンバーで構成されたセラムは、教育に関するさまざまな問題を取り上げ、ジャカルタをベースに活動を続けてきたコレクティブで、これまでインドネシア各地と日本の他に、デンマーク、台湾、アラブ首長国連邦でもモジュールを紹介してきた。2006年の設立当時、ジャカルタ州立大学の芸術文化言語学部の学生だったメンバーは、時代遅れのカリキュラムを更新しない大学で学ぶことはないと、共同で家を借りて活動の場とし、「share(共有する)」と「room(部屋)」という英単語を組み合わせた造語「セラム」をグループ名とした。各人が持つ知識やスキルを活用して、コレクティブを維持しプロジェクトを行うためのリソースを創出しながら、ジャカルタの都市問題や政治問題を訴えるポスターやコミック、ステッカーを制作して配布した「プロパグラフィック・ムーヴメント」のほか、ストリートチルドレンへの教育支援や、各分野の専門家と人々との対話の場の創出など、数々のプロジェクトを展開してきた。それらの試みは、人々がどのように知識を得ているのか、またそれがいかに個々の生と共同体のあり方に関与しているのかを、共同体との関わりから得られる複数の視座から探究する実践であり、実験であったと言えるだろう。

2014年、セラムは教員やアドミニストレーターを含め、異なる立場で教育に関わる人々と、インドネシアの教育制度や実践について対話し、共有する場としての展覧会『クリクラボ』を初めて開催した。その後「知識のマーケット」や「理想の学校」を含めた、教育の諸側面を考察するためのモジュールの数々を創り出してきたが、その動機の背景には、インドネシアにおける教育の歴史と現状がある。数多くの言語、文化、宗教を抱えるインドネシアが統一国家としてのまとまりを保つには、インドネシア語を共通言語とした教育が重要である一方で、教育制度そのものが抱えている課題は多い。これにはインドネシアの歴史的背景も大きく関与している。17世紀から長きに渡って続いたオランダの植民地支配と、1942年から3年半続いた日本の支配によって、教育制度は自律的な発展の契機を得ることができなかった。オランダは民族や階級で教育制度を階層化し、高等教育を受けられるのを、オランダ語に精通した一部のエリート層のみに意図的に限定した一方、日本の軍政は教育制度を国民学校に置き換え、インドネシアを大東亜共栄圏の一員とする皇民化教育を行ったからである。しかしオランダの高等教育を受けたエリート層を中心に、1920年代から徐々に独立運動が高まる。植民地の統制を目的とした教育制度に反発したインドネシアの知識人たちは、それぞれが掲げる哲学的、宗教的、政治的思想を軸に私的な教育制度を立ち上げた。中でも、民族主義者のキ・ハジャル・デワンタラ(スワルディ・スルヤニングラット)によって設立されたタマン・シスワ(学生の園)は、1930年代から1940年代にかけてインドネシア各地に広がった。1945年の日本からの解放後、インドネシア政府は教育の権利を憲法に定め、12年の義務教育を制度化したものの、教員不足や教育の質のばらつき、地方におけるインフラの供給不足、汚職など、さまざまな難題を抱えてきた。現在の学校制度は、教育文化省の管轄下にある一般学校であるスコラと、宗教省が管理するイスラム教系学校のマドラサがあり、どちらに通うかは自由だとされているが、義務教育を終えられずに学校を出るこどもたちも地方に特に多い。また、2013年に行われたカリキュラムの見直しにおいては、宗教色とナショナリズムがより強固になったとの批判もある。

セラムの活動が、このような教育制度の歴史的な変遷と現状を踏まえた実践であることを、今回の展覧会の来場者は「あそぶっく」を制作しながら知ることができる。例えば、シンプルな時系列とキーワードを使った「クリクラボ」の紹介では、これまでの展開で植民地支配下での教育史を振り返り、教育がもたらすアイデンティティや共同体についての対話を積み重ねてきたことが示されている。先述したタマン・シスワの創立者デワンタラも取り上げられており、彼が提唱した教育哲学「見本として前に立つ、仲間として中に立つ、支援者として後ろに立つ」は、セラムの実践の指針でもあるという。また、市場における交換という行為に着目したという「知識のマーケット」に関する説明は、学校の教えや教師を絶対的なものとする制度や知識の価値づけを、コミュニケーションを通じて再考する場であることを示している。

 


展覧会会場の来場者が作成した「あそぶっく」の一部 画像提供:山口情報芸術センター[YCAM]


展覧会会場の来場者が作成した「あそぶっく」の一部 画像提供:山口情報芸術センター[YCAM]

 

このように「あそぶっく」は、セラムがこれまで行った対話やアイディアを共有するためのメディアでありながら、セラムからの問いかけに個々が思索するためのものでもある。「アクション・シート」には、「あなたは、どんな知識でつくられていますか?」、「教育ってなに?」、「学校で何を学びましたか?」「今のあなたが学んでみたいことはなんですか?」、「あなたの夢を達成するにはどんな知識が必要ですか?」といった問いが提示されている。それぞれの問いにはチャートや吹き出し、マインドマップが使われ、大人こども問わず、どんな教育の経験を持っていても答えを書き込めるようなシンプルさや、ちょっとした遊びの要素が組み込まれている。いざ筆者がやってみると、学校で与えられた知識やそこに内在する価値観が、個人的な経験と結びつき、拮抗し、矛盾するかたちで学びとなったことを省みることにはなるが、それ自体、長く継続しているプロセスということもあり、答えはそうシンプルには出てこない。一方で、自らの学びについて詳察することは、主観性の批判的認識にも通じるということも考えさせられた。

主体は自ら形成するのと同じぐらい作られてもいる。その両方の力となる教育は、個が自らの生を拓いてゆくための知見や知性を会得する契機であり、それを共有する人々の共同体や、時空を越えたつながりを生む一方で、イデオロギーや価値や知の秩序のもとに人々を拘束する。セラムのモジュールは、教育の制度のみならず、それが秩序立て、主体に内在化させる知識や学びそのものについての批評的思考を、さまざまなコミュニケーションの回路やプラットフォームを通じて促す。理想的な主体を想定していないというセラムの実践における創造性と政治性は、主体や制度がどうありうるのかという可能性(オルタナティブ)を探究する場を、既存の制度の内と外に作り出し、立場や距離を超えた人々のコミュニケーションに介在する、触媒としてのテクネにある。

 


『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:ART iT


『セラム「クリクラボ―移動する教室」』山口情報芸術センター[YCAM]、山口、2021-2022年 撮影:ART iT

 


 

セラム『クリクラボ―移動する教室』
2021年10月30日(土)-2022年2月27日(日)
山口情報芸術センター[YCAM]ホワイエ
https://www.ycam.jp/events/2021/kurikulab/
開館時間:10:00-19:00
休館日:火(火曜日が祝日の場合は翌日)
企画:レオナルド・バルトロメウス(山口情報芸術センター[YCAM]キュレーター)

 


 

崔敬華|Che Kyongfa
1977年兵庫生まれ。東京都現代美術館学芸員。2001年ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジにて修士課程(美術史・美術理論)、2006年ルンド大学マルメ・アート・アカデミーにてポスト修士課程(クリティカル・スタディーズ)を修了。インディペンデント・キュレーターを経て現職。これまでの展覧会に『MOTアニュアル2021 海、リビングルーム、頭蓋骨』(東京都現代美術館、2021年)、『もつれるものたち」(共同企画、東京都現代美術館、2020年』、『他人の時間』(共同企画、東京都現代美術館ほか巡回、2015-16年)など。

(取材協力:山口情報芸術センター[YCAM])

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