
| Para-resonance | |
| 会期 | 2026年1月16日(金) – 3月14日(土) |
|---|---|
| 会場 | SUCHSIZE [MAP] |
| 住所 | 〒557-0001 大阪市西成区山王1-6-20 |
| 開館時間 | 13:00–18:00 |
| 休館日 | 日〜木 |
| 入場料 | 無料 |
| 出展作家 | 田中藍衣 |
| URL | https:/ |
数万年以上の地球規模の時間を内包する鉱物の結晶を素材とする岩絵具。招聘作家の田中藍衣は、この岩絵具に応答するかのような独自のルールをもちいることで、描き方を常に生成変化させ、画中に「私と世界のあり様」を宿す画家です。本展では、この画面に堆積した「応答の連続」を、単なる描画の様式を超えた、自然の摂理や社会との対話へと翻訳し、「私たちの存在のあり方」について考えてみたいと思います。
田中と岩絵具の対話は、粒子サイズを調整する調色、グリッドのフィールド作り、そして描画へと続くシンプルなプロセスの中に、複雑に絡み合います。例えば、粒子の重さゆえに平置きで描かなければならない制約は、彼女に「描く」という能動的な身振りよりも、絵具を「置く」「繋げる」という、画材への介入と受容が入り混じった中動的行為を選択させています。これは、油彩画が画中に光源を描き込むことに対し、絵具の粒子一つひとつが環境の光を受け止め反射することで初めて色が立ち上がるという、日本画の「環境を受容する美学」に通じるものです。
《Knot》のグレーが、近くで見ると赤、青、黄色、オレンジ、黒、白の粒子の集合体で構成されるように、田中は点描のように描き分けるのでなく、あえて調色に注力し、絵筆で描き分けない選択をしています。田中にとって、この「混色しても互いの色を保つ」という岩絵具の特性を活かすことは、個々の粒子(個)を尊重したうえで、全体(関係性)が成立するという、自然環境や社会構造のメタファーとして機能しています。
画面の粒子たちに落ちる光景は刻一刻とうつろい、まるで「土地が呼吸している」ように生気を帯びる《Shift》。かつて美術批評家・ロザリンド・クラウスが指摘した近代のグリッドは、現実世界や自然を遮断し、芸術の自律性をもった平面でした。1しかし、田中の画面のグリッド模様とストロークの連なりは、むしろ光や時間といった自然の要素を画面内に招きいれ、田園風景やランドアートを想起させます。
鉱物を敷きつめたマチエールを「大地」と見なすなら、彼女の制作は、自然に応答する農業の営みに接続されます。そこにあるのは、閉塞的な自律した平面ではなく、鉱物や紙といった事物的な要求への応答であり、世界と地続きに拡がっていく遠心的な開放性なのではないでしょうか。
精神病理学者・木村敏は、世界や自然から一定の距離をとる客観的な合理的世界観に対し、主観と客観を分けない「こと(出来事)」が立ち現れてくる世界観を説きます。2田中が自らに課すルールもまた、近代的な自我の呪縛を排し、自己を有機的に生成される出来事につなぎ止めます。そうして生成変化する絵画は、ただ世界と共に「成っていくこと」のあり様を、視覚的かつ実践的な応答として社会に提示します。そこでは未来への洞察や過去の追想ではなく、その瞬間に立ち現れる「世界の新たなこと」が、私たちを待ち受けているのです。
田中と岩絵具の対話は、粒子サイズを調整する調色、グリッドのフィールド作り、そして描画へと続くシンプルなプロセスの中に、複雑に絡み合います。例えば、粒子の重さゆえに平置きで描かなければならない制約は、彼女に「描く」という能動的な身振りよりも、絵具を「置く」「繋げる」という、画材への介入と受容が入り混じった中動的行為を選択させています。これは、油彩画が画中に光源を描き込むことに対し、絵具の粒子一つひとつが環境の光を受け止め反射することで初めて色が立ち上がるという、日本画の「環境を受容する美学」に通じるものです。
《Knot》のグレーが、近くで見ると赤、青、黄色、オレンジ、黒、白の粒子の集合体で構成されるように、田中は点描のように描き分けるのでなく、あえて調色に注力し、絵筆で描き分けない選択をしています。田中にとって、この「混色しても互いの色を保つ」という岩絵具の特性を活かすことは、個々の粒子(個)を尊重したうえで、全体(関係性)が成立するという、自然環境や社会構造のメタファーとして機能しています。
画面の粒子たちに落ちる光景は刻一刻とうつろい、まるで「土地が呼吸している」ように生気を帯びる《Shift》。かつて美術批評家・ロザリンド・クラウスが指摘した近代のグリッドは、現実世界や自然を遮断し、芸術の自律性をもった平面でした。1しかし、田中の画面のグリッド模様とストロークの連なりは、むしろ光や時間といった自然の要素を画面内に招きいれ、田園風景やランドアートを想起させます。
鉱物を敷きつめたマチエールを「大地」と見なすなら、彼女の制作は、自然に応答する農業の営みに接続されます。そこにあるのは、閉塞的な自律した平面ではなく、鉱物や紙といった事物的な要求への応答であり、世界と地続きに拡がっていく遠心的な開放性なのではないでしょうか。
精神病理学者・木村敏は、世界や自然から一定の距離をとる客観的な合理的世界観に対し、主観と客観を分けない「こと(出来事)」が立ち現れてくる世界観を説きます。2田中が自らに課すルールもまた、近代的な自我の呪縛を排し、自己を有機的に生成される出来事につなぎ止めます。そうして生成変化する絵画は、ただ世界と共に「成っていくこと」のあり様を、視覚的かつ実践的な応答として社会に提示します。そこでは未来への洞察や過去の追想ではなく、その瞬間に立ち現れる「世界の新たなこと」が、私たちを待ち受けているのです。
