『まよかげ』が映す現実世界―神話時代からポスト真実の現代までを貫く物語の妙
影絵人形芝居「ワヤン・クリ」の構造を参照した本作。本場ジャワやバリで上演されるワヤン・クリが幕の向こう側(影側)から見てもこちら側(ダランと呼ばれる人形遣いが人形を操っている側)から見てもどちらでも構わないのと同様に、本作でも、観客自らが、幕のどちら側から見るかを選ぶことができる。ただし本作で観客は、本場のワヤン・クリのようにいつでも自由に移動できるわけではない。移動できるのは、演出および語りを担う篠田千明が執りしきる、数回のクイズコーナーの時間のみである。
『まよかげ』では前半に中央で幕が張られ、それが壁のように場内を二分する。観客は幕のない状態も体験するが、上演の大半を幕がある状態、すなわち“分断”された状態で鑑賞する。幕の向こう側に座っているのは、自分と同じくこの公演を観たいと思って同日同会場にやってきた人たちだが、自分とは異なる選択をして、向こう側の位置から見ているというわけだ。幕の脇には、向こう側のようすが垣間見えるモニターが設置してあるが、映し出されるのは暗視カメラを通したライブ映像で、よく見えるとは言い難い。
©陳河好
©陳河好
クイズコーナーでは、ダランを務めるナナン・アナント・ウィチャクソノおよび生演奏で劇伴を担当する西田有里は、小休止する。篠田は普段の発声に戻り、場内の照明が明るくなり、我々観客は現実世界に引き戻される。篠田が出した二択クイズへの回答を考えながら(その回答によって幕の向こうに座るかこちらに座るかが決まる)、他の観客の動きも見やりながら、次の場面での自分の位置を検討する――この束の間の現実の時間に、私は、ここ数年の選挙戦のことを想起していた。神戸市民である私は、あの2024年の兵庫県知事選挙(SNSとYouTubeを主戦場に各候補者に対する真偽不明の情報がばら撒かれた)を体験していたし、またその後2025年の参院選の頃も、電車内で赤の他人がスマホで見ているショート動画やタイムラインをチラと見て驚いたり不安になったりしていた――。私が見ている景色と、向こう側の人が見ている景色は、異なるのだ。景色だけにとどまらない。私が信じる答えと、向こう側の人が信じる答えは、全く相容れないこともある。
約3年前、世界がまだコロナ禍に包まれていた時期、京都芸術センターとオンラインの場を拠点に創作が始まったのが本作だ。ナナンが幼い頃出入りしていたというジョグジャカルタの文化交流施設「バライ・ブダヤ・ミノマルタニ」とも、オンラインで連携した。見えないウイルスや災厄への畏れ、また畏れに端を発する厄除けや魔除けの儀礼が創作段階のテーマで、ジャワと京都の厄払い儀礼、畏れの対象となるもの等について調査探求し、この作品が練り上げられた。ワーク・イン・プログレス公演だったがほぼ完成形となった初演は、2023年初頭だった。あれから約3年が経ち、現実世界の状況はますます混乱している。あのコロナ禍の頃のほうがまだやさしい世界だったといえるような気もするし、本作は、あの初演の頃のほうが現実離れしたファンタジーの雰囲気をまとっていたような気もする。今、現実世界では、各々が信じる言説/タイムライン/インフルエンサー/為政者がそれぞれにあり、他者とのあいだに壁を築こうとする気配が満ちている。初演と今回の京都芸術センター凱旋公演を鑑賞した私は、現実が『まよかげ』に近づいてきた、という感覚を得た。
©陳河好
物語は、ジャワで厄除けや魔除けのために行われる儀式「ルワタン」で上演されるワヤン・クリ演目〈ムルワカラ〉の前日譚という設定である。〈ムルワカラ〉に登場する恐ろしい魔物であり人喰いのバタラ・カラが、『まよかげ』の主人公である。古典や神話を参考に、カラの誕生から人喰いの魔物になるまでの物語を、ナナンが書き下ろした(ちなみにカラの父バタラ・グルは、シヴァ神であるとされている)。さらに、本作に登場するワヤン人形の多くはたかくらかずきがデザインし、それらはジャワの職人によって彫り上げられた。醜くおぞましいとされるのが、古典に伝わるカラである。たかくらデザインのカラもおぞましい姿だが、どこか愛くるしい。ワヤン人形といえば横向きであるのが一般的なのに、本作のカラは真正面を向いてドタドタと動き、なんだか滑稽で憎めない。
カラは本作の冒頭、海底にて誕生し、すぐにクジラと友達になる。しかしクジラは真っ赤な海の中に消えてしまった。クジラを探して陸に上がり、カラは旅をする。その道中で、神々はカラに言葉や感情を与えていく(果たして、カラはそれを望んだのだろうか……)。成長したカラは、赤ちゃんのようだった無邪気さを脱し、人間から忌み嫌われる存在になった。暗闇の中で繰り返されたカラと何者かの問答のシーンでは、西田の声に不思議な魅力があった。ナナンの声と篠田の声、カラを演じた二人の声のあいだをなめらかに繋ぐ橋渡しであったことは間違いないが、あのよく響く声は、カラを導く天声のようでもあった。さて、カラはどこへ行く?
©陳河好
終演後帰路につき電車に乗っていると、赤の他人のスマホのタイムラインが目に入る。現実世界も、まるでワヤン・クリだ。影から見るのと反対側から見るのでは、同じ事物も異なって解釈できる。そして自分の理解を越えるものに面したとき、畏れは発生する。カラとは何か――? カラは畏れであり、超越した神でもあり、人間の鏡、あるいは人間の影だとも言えまいか? 当日配布されたパンフレットに記載されたQRコードを読み込めば、たちまち自分のスマホで自分のそばに、ARのカラを召喚できる。カラは、いつでもここにいる。
ジャワのみならずアジア広範囲に伝わる哲学を、ポップに大胆にまとめあげた労作。この現実世界が『まよかげ』をさらに育て、きっと、新たな古典となるだろう。
【公演情報】
篠田千明×ナナン・アナント・ウィチャクソノ×たかくらかずき『まよかげ/Mayokage』
日時:2025年11月21日(金)~11月24日(月)
会場:京都芸術センター フリースペース
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山本佳奈子
物書き(エッセイ、評論、インタビューやルポ等)。1983年生まれ、尼崎市出身。アジアを読む文芸誌『オフショア』の編集・発行人。共編著書に『ファンキー中国 出会いから紡がれること』(灯光舎)。
