
| GROUP SHOW: 7 ARTISTS | |
| 会期 | 2025年12月13日(土) – 2026年2月21日(土) |
|---|---|
| 会場 | KOSAKU KANECHIKA(京橋) [MAP] |
| 住所 | 〒104-0031 東京都中央区京橋1-7-1 TODA BUILDING 3F |
| 開館時間 | 11:00–19:00 |
| 休館日 | ⽇、⽉、祝、冬季休廊(12/28-1/5) |
| 参加作家 | ⻘⽊豊、沖潤子、佐藤允、武田陽介、武田龍、朝長弘人、平松典己 |
| URL | https:/ |
KOSAKU KANECHIKAでは、2025年12月13日から2026年2月21日まで京橋にて、グループ展「GROUP SHOW: 7 ARTISTS」を開催いたします。本展は⻘⽊豊、沖潤子、佐藤允、武田陽介、武田龍、朝長弘人、平松典己の作品で構成されます。
青木豊は、絵画の視野を広げ、世界と絵画の関係とその新しい可能性を追究する制作活動を行っています。二次元と三次元を自由に行き来するような作品や、素材の物質性や制作方法自体、そして鑑賞者の視線の動きの相互反応にフォーカスした作品。刻々と変わる絵画の豊かな表情を、時間軸で瞬間としてとらえる試み。また特に青木は一貫して光へ – 光が時間軸、鑑賞者の存在、展示空間などの環境の要素に補完され、有機的に立ち上がるような豊かさを捉え、また一方で光の存在の自明性自体を問い直すこと – アプローチしてきました。実験と新たな発見のプロセスを繰り返すことによって、青木は常に絵画そのものを再発見しています。
沖潤⼦は、⽣命の痕跡を刻み込む作業として布に針⽬を重ねた作品を制作しています。下絵を描く事なしに直接布に刺していく独⾃の⽂様は、シンプルな技法でありながら「刺繍」という認識を裏切り、観る者の根源的な感覚を⽬覚めさせます。古い布や道具が経てきた時間、またその物語の積み重なりに、彼⼥⾃⾝の時間の堆積をも刻み込み紡ぎ上げることで、新たな⽣と偶然性を孕んだ作品を⽣み出します。存在してきたすべてのもの、過ぎ去ったが確かにあった時間。いくつもの時間の層を重ねることで、違う⾵景を⾒つけることが制作の核にあります。
佐藤允にとってドローイングとペインティングは、⾃⾝や⾝の回りの存在を取り巻く⼈間の複雑な内情を記録し解釈するためのツールであり、印象的で正直、時には挑発的なイメージで個⼈的なテーマを探求しています。作品とは⾃分が⾃分のために、⽣きた⼈が⼈のために作り受け取るものだと考える佐藤は、「アートのためのアート」や新しさ、意味を求めることはしません。妄想、羞恥⼼、孤独、哀情、耽溺など、⼀般的に卑猥で不道徳とされる事柄であっても、精神の不可⽋な側⾯でもあるものから回避しようとはしません。⾃⾝の体験の⼼理学的な調査への直接的な⼊り⼝を開いています。
武⽥陽介は、写真というメディウムの可能性を追求し続けています。代表作である《Digital Flare》シリーズは、デジタルカメラを強い光に向けた際に⽣じるフレアという現象を捉えています。その光とは、カメラのシステムがとらえた純粋な被写体ではなく、その被写体とシステムの関係性から⽣じ、カメラフレームの内部に溢れた光であり、それを作品化することを武⽥は「⼿段の形跡、存在の刻印」と表現します。つまり写真において、被写体はカメラシステムの外部にあり、客観化され、カメラはそれを写しとる、という前提を相対化しています。「⼿段(カメラ)と⽬的(被写体)の錯綜した関係性」をこそ被写体とする彼のコンセプトは、写真の歴史においてこれまでに⾏われてきた様々な実験に連なるものであるだけではなく、美しく、強度があり凝縮された作品を⽣み出しています。
武田龍は、偶発的にできたシミや傷から喚起されるイメージを拾いながら絵画を制作しています。そこには彼が幼少期を過ごした田舎の森での経験や質が、視覚のみならず、聴覚や嗅覚、触覚を通して現れてくるといいます。また絵を描く行為をしばしば発掘に例える武田にとって、絵画は言語化することや分類することで失われてしまった無意識の領域をもう一度掘り起こす行為でもあります。
朝⻑弘⼈は、眼前のものがふと違って⾒える瞬間を捉え、それを絵画に起こそうとしています。前景と背景を交互に⾏き来したり、あるものを別のものとして解釈する際の視覚内の細かな移り変わり。これらは絵の具を重ね、拭い、跡を残していくという動作の繰り返しにも反映されています。作家の眼の中で起こる変化は、このように徐々に絵画における絵具の質へと変換され、画⾯に固定されます。⾃⾝に近しい対象を扱う朝⻑にとって、こうした運動は物理的、感情的な距離感を考察する場でもあります。描かれた絵画は固定されつつも再び動く予感を含んでおり、それは眼前の世界に対し作家⾃⾝が抱く寄る辺なさのあらわれでもあります。
平松典己の絵画は、特定のモチーフから出発することなく描かれ始め、90度ずつ回転させ、数週間から数ヶ月かけて油彩を重ねていく中で事後的にモチーフを見つけるようにして描かれています。抽象的な構成と色彩が呼応するように、一見つながりのない背景やストロークの痕跡から、特徴的な人物などのモチーフが浮かび上がってきます。平松は自身の創作過程を、目的を持たない存在の探求と表現しています。
本展では約20点を展⽰します。この機会に是⾮ご⾼覧ください。
青木豊は、絵画の視野を広げ、世界と絵画の関係とその新しい可能性を追究する制作活動を行っています。二次元と三次元を自由に行き来するような作品や、素材の物質性や制作方法自体、そして鑑賞者の視線の動きの相互反応にフォーカスした作品。刻々と変わる絵画の豊かな表情を、時間軸で瞬間としてとらえる試み。また特に青木は一貫して光へ – 光が時間軸、鑑賞者の存在、展示空間などの環境の要素に補完され、有機的に立ち上がるような豊かさを捉え、また一方で光の存在の自明性自体を問い直すこと – アプローチしてきました。実験と新たな発見のプロセスを繰り返すことによって、青木は常に絵画そのものを再発見しています。
沖潤⼦は、⽣命の痕跡を刻み込む作業として布に針⽬を重ねた作品を制作しています。下絵を描く事なしに直接布に刺していく独⾃の⽂様は、シンプルな技法でありながら「刺繍」という認識を裏切り、観る者の根源的な感覚を⽬覚めさせます。古い布や道具が経てきた時間、またその物語の積み重なりに、彼⼥⾃⾝の時間の堆積をも刻み込み紡ぎ上げることで、新たな⽣と偶然性を孕んだ作品を⽣み出します。存在してきたすべてのもの、過ぎ去ったが確かにあった時間。いくつもの時間の層を重ねることで、違う⾵景を⾒つけることが制作の核にあります。
佐藤允にとってドローイングとペインティングは、⾃⾝や⾝の回りの存在を取り巻く⼈間の複雑な内情を記録し解釈するためのツールであり、印象的で正直、時には挑発的なイメージで個⼈的なテーマを探求しています。作品とは⾃分が⾃分のために、⽣きた⼈が⼈のために作り受け取るものだと考える佐藤は、「アートのためのアート」や新しさ、意味を求めることはしません。妄想、羞恥⼼、孤独、哀情、耽溺など、⼀般的に卑猥で不道徳とされる事柄であっても、精神の不可⽋な側⾯でもあるものから回避しようとはしません。⾃⾝の体験の⼼理学的な調査への直接的な⼊り⼝を開いています。
武⽥陽介は、写真というメディウムの可能性を追求し続けています。代表作である《Digital Flare》シリーズは、デジタルカメラを強い光に向けた際に⽣じるフレアという現象を捉えています。その光とは、カメラのシステムがとらえた純粋な被写体ではなく、その被写体とシステムの関係性から⽣じ、カメラフレームの内部に溢れた光であり、それを作品化することを武⽥は「⼿段の形跡、存在の刻印」と表現します。つまり写真において、被写体はカメラシステムの外部にあり、客観化され、カメラはそれを写しとる、という前提を相対化しています。「⼿段(カメラ)と⽬的(被写体)の錯綜した関係性」をこそ被写体とする彼のコンセプトは、写真の歴史においてこれまでに⾏われてきた様々な実験に連なるものであるだけではなく、美しく、強度があり凝縮された作品を⽣み出しています。
武田龍は、偶発的にできたシミや傷から喚起されるイメージを拾いながら絵画を制作しています。そこには彼が幼少期を過ごした田舎の森での経験や質が、視覚のみならず、聴覚や嗅覚、触覚を通して現れてくるといいます。また絵を描く行為をしばしば発掘に例える武田にとって、絵画は言語化することや分類することで失われてしまった無意識の領域をもう一度掘り起こす行為でもあります。
朝⻑弘⼈は、眼前のものがふと違って⾒える瞬間を捉え、それを絵画に起こそうとしています。前景と背景を交互に⾏き来したり、あるものを別のものとして解釈する際の視覚内の細かな移り変わり。これらは絵の具を重ね、拭い、跡を残していくという動作の繰り返しにも反映されています。作家の眼の中で起こる変化は、このように徐々に絵画における絵具の質へと変換され、画⾯に固定されます。⾃⾝に近しい対象を扱う朝⻑にとって、こうした運動は物理的、感情的な距離感を考察する場でもあります。描かれた絵画は固定されつつも再び動く予感を含んでおり、それは眼前の世界に対し作家⾃⾝が抱く寄る辺なさのあらわれでもあります。
平松典己の絵画は、特定のモチーフから出発することなく描かれ始め、90度ずつ回転させ、数週間から数ヶ月かけて油彩を重ねていく中で事後的にモチーフを見つけるようにして描かれています。抽象的な構成と色彩が呼応するように、一見つながりのない背景やストロークの痕跡から、特徴的な人物などのモチーフが浮かび上がってきます。平松は自身の創作過程を、目的を持たない存在の探求と表現しています。
本展では約20点を展⽰します。この機会に是⾮ご⾼覧ください。
