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竹中美幸インタビュー

竹中美幸 -闇で捕えた光
会期:2013年8月30日(金)-9月15日(日)
時間:11:00~19:00(月曜休み)
会場:アートフロントギャラリー

この展覧会の詳しい情報はこちらをご覧ください。

アートフロントギャラリーでは、8月30日(金)より竹中美幸個展「闇で捕えた光」を開催しております。樹脂の滴りが生み出す光や淡い影が層を成し、ドローイングだけでは生み出せない独特の作風で知られる竹中美幸。本格的に作品発表をはじめて約10年を経た今、新たな素材に挑戦した。今回のインタビューでは映像用のフィルムを新たに素材としてみてどうだったか、聞いてみた。
(聞き手:アートフロントギャラリー近藤俊郎)



近藤(以下K):今回の新しい素材、映像用のフィルムを使い始めたきっかけについて教えてください。

竹中(以下T):学生の頃から全国の映画館に配給するような映像用フィルムを現像する会社で働いていました。なかなか暗室での作業に入れなかったのですが、この暗室では手元確認のために感光しにくいセーフライトを使います。明室で作業しているとフィルムの端にはよくこのセーフライトの「かぶり」と言われる部分がでていて、それが立ち入れない真っ暗闇の暗室のなかにある光を感じさせるものでした。後に暗室に入れるようになったとき、空き時間に集めたフィルムの切れ端に暗室であえて光をあててドローイングしてみたりして遊んだのがきっかけでした。

K:それがいつ頃のことですか?

T:10年前です。大学4年の頃で水彩をやりながら樹脂を使い始めていた頃でした。

K:その手法を使って作品にしてみたいと思っていたんですね。

T:いつかもっと形にしたいと思っていました。特に撮影したそのもののフィルム(ネガ)を最初に現像する暗室は完全な暗闇での作業なのですが、完全暗室に入るようになってから静かな世界で音に敏感になるように、光のない世界ではより光に敏感になりました。暗室と明室を行き来するときに視界から散っていく闇の粒や、瞼の裏に残る光の残像のようなものを捉えたいと思うになったのです。

K:樹脂の作品でもつかみきれない光を形にしようとしてきましたね。

T:樹脂の作品では、透明でそれ自体の存在感があまりない素材を水滴状や層にして重ねて隙間を与えることで光や影を捉えようとしてきました。

K:映像用のフィルムではどうでしたか?

T:フィルムでは自分の行為の結果として光を重ねることで捉えがたい対象を顕在化しようとする感覚は樹脂を扱うときと同じでした。一方で、自分の行為の結果が現れるまでに時間のずれがあるのが新たな感覚でした。私は制作中から作品のなかの余白だけでなく「間」を大事にしています。それは水彩が紙に浸透していくのを待つ時間や、樹脂が硬化する時間などですが、今回はフィルムを現像する工程は、いったん行為から切り離されて忘れたころに結果として対面する、という異質なものでした。

K:光を扱うときに、透明な素材を重ねることで捉えようとした樹脂と、暗闇での行為の結果として捉えようとしたフィルムということになりますが、作品として形にする際の相違はありますか?

T:樹脂の際も層を立体的に重ねたようにフィルムも層にすることで捉えた形としてまとめようとしている点は同じように思います。しかしフィルムはもっと空間を覆うような、体感できるような形にしてみたいと思いました。これまでは暗闇で目を閉じると現れる光の残像のようなものや、季節によって移り替わる太陽の光の淡い色合いの違いなど、ともすれば日常の喧騒で掻き消えてしまいそうな瑞々しい感覚をそのまま作品として捉えたいと制作してきました。そうしたささやかな表現が「物」として出来てきたのだと思いますが、今後は見えないもの、消えてしまいそうなものを空間として表現してみたいです。

K:竹中さんの作品は光や影が反映されるという意味で周囲の環境を取り込む作品といえますが、いよいよ空間との関わりを持つことになるとすると、今後の展開が楽しみですね。そこにあるのに掴み取れない空間、作られた「物」と空間の間の関係性が重要になってくるのではないでしょうか。そこに人が入り込み、間をも作品の一部として体験することになるのかもしれません。今日はありがとうございました。
2013年9月6日

竹中美幸 -闇で捕えた光



このたびアートフロントギャラリーにおいて竹中美幸の個展を開催します。これまでアクリル樹脂を使った透明感のある作品で人気の竹中は、このたび新たに35㎜フィルムを使った新作を発表。光の折り重なる層の向こうに見えてくる「何か」を追い求めて新らたな作風を編み出しています。

会期:8月30日(金)~9月15日(日)
会場:アートフロントギャラリー
詳細こちらをご覧ください。

また、7月22日(月)-9月15日(日)にはギャラリーからほど近い代官山 蔦屋書店2号館2階ラウンジAnjinでも展示しております。
2013年8月31日

夜9時まで延長して公開 : 栗林公園 大巻伸嗣 『 Liminal Air Space – Time 』

瀬戸内国際芸術祭2013関連企画
栗林公園で展示中の大巻伸嗣 『 Liminal Air Space – Time 』を夜9時まで延長して公開しています

栗林公園納涼庭園の期間中(8月9日から17日まで)、商工奨励館で展示中の大巻伸嗣氏によるアート作品『 Liminal Air Space – Time 』を夜9時まで延長して公開しています。
風格のある空間のなかで神秘的なインスタレーションを展開しています。瀬戸内芸術祭2013とあわせて是非ご覧下さい。


©Shinji Ohmaki Studio
※実際の作品は風や音、光で変化するものなので写真とは異なります。


詳細はこちらをご覧ください。

■瀬戸内国際芸術祭2013関連企画
  「栗林公園 北庭完成100周・特別名勝指定60周年記念アートイベント」
  大巻伸嗣 Liminal Air Space - Time
■会  場: 栗林公園内、商工奨励館(香川県高松市栗林町1‐20-16)
■会期/時間:2013年7月20日(土)~12月1日(日) 9:00-17:00
  ※栗林公園納涼庭園の期間中(8月9日から17日まで)は 9:00-21:00
■料  金:栗林公園入園料のみ(大人400円、小人170円) 
■主  催:香川県 栗林公園にぎわいづくり委員会
■交  通:JR高松駅から車で7分、JR栗林駅より徒歩20分、JR栗林公園北口より徒歩3分

大巻伸嗣の作品・プロフィールはこちらをご覧ください。

2013年8月3日

市原湖畔美術館オープン記念企画展「磯辺行久」

千葉県「市原市水と彫刻の丘」が約2年の改修工事を経て
この夏、「市原湖畔美術館」としてリニューアルオープンします。


オープニング記念企画展
「磯辺行久 -環境・イメージ・表現-」
2013年8月3日(土)-11月4日(月祝)
市原湖畔美術館(千葉県市原市不入75-1)
詳細はこちらをご覧ください。


【同時開催】
「磯辺行久-その表現の源泉」展
2013年8月9日(金)-8月25日(日)*月曜および8/15-8/19休み
アートフロントギャラリー(東京都渋谷区猿楽町29-18ヒルサイドテラスA棟)
詳細はこちらをご覧ください。

2014年春に開催される「いちはらアートxミックス」の舞台となる千葉県市原市。同イベントに先立ち、市の美術館、「市原市水と彫刻の丘」が名前も装いも新たに「市原湖畔美術館」として今年8月3日リニューアルオープンを迎えます。そのオープニング記念企画として「磯辺行久 -環境・イメージ・表現-」展が開催されます。磯辺は戦後日本の前衛美術を代表する作家として「ワッペン」をモチーフとした作品群で60年代初頭に注目を集めながら、突如その作家活動を中断し、渡米します。アメリカではエコロジカル・プランニングを学びそれをベースとした仕事をしていました。それから歳月を経て、環境の変化などをテーマとする作家として2000年の大地の芸術祭への参加など、そのアーティストとしての活動を再開しています。同展は東京都現代美術館での回顧展以来、6年ぶりの国内美術館での個展となります。初期作品群から1960年代の代表的なワッペンの作品群、そして大規模な新作を含む近年の環境問題に取り組んだ作品で構成されており、二つの活動期間の間にあるアーティストとしての活動の空白の意味を示唆する展示となります。

1960年代は個としての独自性が評価され、アヴァンギャルドに「見える」物質としての作品、あるいはアーティストの個としての行為が重視された時代であったと言えます。磯辺の60年代の作品はもちろん個性的な表現として評価されたものでした。しかしながら、磯辺は商業的なラベルや家紋などの紋章を収集、整理区分し、再提示することで差異や反復を見せる、むしろ本質的には個を排除することを基盤としていた特殊な作家であったといえます。再提示する際の取捨選択、作品としての表現において、その反復のズレが単なる事実の列記でないモノとして作品を優れた作品たらしめていたと考えられます。近年の都市の環境をテーマとしたエコロジカル・プランニングをテーマとした作品群も、実は60年代の氏の仕事と同じ基盤に立っており、それぞれの場の地理、風土、歴史を情報として集約、整理したうえで作家の表現として再構築する仕事であるという意味では、60年代から脈々と続く作業と同じ地平にあるといえるのでしょう。

アートフロントギャラリーでは、市原湖畔美術館での展覧会と並行して、作家の現代まで続く制作活動の手掛かりとして1960年代に作家が収集したラベルをコラージュして制作した未発表作品を展示するほか、初期の代表的なワッペンのシリーズとその周辺にある版画やドローイングなどを中心に紹介します。本展はオジナリティーが最重要視されていた1960年時代のモダニズムのピークに、現代を読み解くキーワードのひとつ「反復」をアートに持ち込み得た異端の作家、磯辺行久の作品を改めて見直していただくチャンスとなると思います。

アートフロントギャラリー 近藤俊郎
2013年8月2日

大巻伸嗣 栗林公園にて新作完成

瀬戸内国際芸術祭2013関連企画
大巻伸嗣 Liminal Air Space - Time

現在の日本のアートシーンを代表する気鋭のアーティスト大巻伸嗣。展示空間を非日常的な世界に生まれ変わらせ、鑑賞者の身体的な感覚を呼び覚ます、ダイナミックなインスタレーション作品を展開します。近年海外では、2009年のアジア・パシフィック・トリエンナーレに参加、2011年に台湾のアジアンアートビエンナーレ、2012年にはシンガポールのエルメスで大きなインスタレーションを発表しています。一方、国内では2012年春、箱根彫刻の森美術館で開催された個展「存在の証明」展において、世界で一番軽い布を使い、空間と時間の域を変容させる作品や、秋の「アートアクセスあだち」では、水を使い、光と影が交錯する空間を創りだした「イドラ」など新たなアイデアを作品化し、発表しています。
大巻の作品は物質としての面白さや美しさを鑑賞する対象というだけでなく、空間の中に存在する光や影、時間を見る側に気づかせる仕掛けでもあります。空気や、水、光の交錯、あるいは踏まれて消えてゆく絵など、大巻が作品に取り込む要素はそこに生まれてゆくもの、消滅してゆくものを感じさせ、私たちが壁と床によって構成されている箱のように思っていた空間が作品によって密度をもった場に変容します。
大巻は2010年の瀬戸内国際芸術祭において高松の港にシンボリックな作品を制作していますが、今回の栗林公園でもその歴史や特有な景観に感銘を受け、この地にふさわしい作品を計画しました。今回の展示場所となる商工奨励館は1899年にもともと「香川県博物館」として建てられた建物で、その風格のある空間にこれまで箱根などで発表した布の作品を発展させ、波を連想させるインスタレーションを作り出します。新たに光や音を加えるなどことでこれまで見たことのないアートと空間を体験できると思います。

大巻伸嗣の作品・プロフィールはこちらをご覧ください。



■瀬戸内国際芸術祭2013関連企画
  「栗林公園 北庭完成100周・特別名勝指定60周年記念アートイベント」
  大巻伸嗣 Liminal Air Space - Time
■会  場: 栗林公園内、商工奨励館(香川県高松市栗林町1‐20-16)
■会期/時間:2013年7月20日(土)~12月1日(日) 9:00-17:00
  ※特別内覧会を7 月19 日(金)19:00-21:00に開催いたします。
■料  金:栗林公園入園料のみ(大人400円、小人170円) 
■主  催:香川県 栗林公園にぎわいづくり委員会
■交  通:JR高松駅から車で7分、JR栗林駅より徒歩20分、JR栗林公園北口より徒歩3分
栗林公園について詳細はこちらをご覧ください。
2013年7月19日

代官山 蔦屋書店 Anjinにて竹中美幸 「透明な存在」

7月22日(月)から9月15日(日)まで竹中美幸のインスタレーション「透明な存在」を代官山蔦屋書店2号館2階 ラウンジ Anjinにて展開致します。



重層するアクリル板にたらした雫型の樹脂は光を反射し、水彩絵具で描かれる繊細な「滲み」とともに、その影を落とします。作品外部の光の条件を取り込んでは現れるさまざまな表情をお楽しみください。

8月30日(金)から開催するアートフロントギャラリーでの個展では、写真フィルムを使った新作を展示します。雫型にたらした樹脂などが生み出す光の効果の展開にご期待ください。

竹中美幸の作品・プロフィールはこちらをご覧ください。

透明な存在 -竹中美幸
会期:2013年7月22日(月)~9月15日(日)
会場:代官山 蔦屋書店2号館2階 ラウンジ Anjin
時間:9時~26時 無休

この展覧会に関する詳しい情報はこちらをご覧ください。
Anjinへのアクセスや営業時間は公式サイトをご覧ください。
2013年7月19日

still life - 田中 栄子 展

アートフロントギャラリーでは7月18日(木)17時より8月4日(日)まで
個展 「still life - 田中 栄子」 を開催しています。


作品イメージ: リバー, 2013年, 164×131cm, キャンバスにアクリル絵具

アートフロントギャラリーの展覧会の詳細についてはこちらをご覧ください。

田中 栄子 - still life によせて

 わたしたちの前を日々たえまなく無数の形象が流れては消えていく。通勤電車の窓から眺めた風景、ビルの谷間からのぞく夕空、色褪せたポスター、ニュース映像やコンピュータ画面、幼時の記憶のイメージやとりとめのない空想などなど。ふと、ある形象に躓き、意識の流れが滞ることがある。わたしは、理由もなく釘づけになり、背筋をひんやりした感触が走る。だが、それも一瞬の出来事で、あわただしい日常にせかされて、わたしは再びいつもながらのイメージの流れに戻っていく。「躓きの石」はすぐさま回避され、取り除かれ、忘れ去られねばならない。
 けれどもそのような形象にことさら関心をよせ、魅了されて、いつまでも立ち留まってしまう人もいる。田中栄子もその一人かもしれない。日常の風景に刻みこまれた聖痕のような、めったに顔を見せない形象に田中は憑かれている。日本の湿潤な風土に根づいた異界の形象は、しぶとく生き延びて社会の深層のあちこちに棲みついているのだろう。それは、高層ビルが林立する都市の暗がりのなかにさえ溶けこんで息をひそめている。
 田中の感受性は、そのような隠れた異界の風景を嗅ぎつけ、ひとつひとつ凝視し、仔細に吟味する。やがて様々な形象は分類され、彼女のなかに蓄えられる。それだけではない。見いだされた風景を彼女は、意図的に選別し抽出し再構成して、人々の前に曝そうと企てる。たとえば一種の「視覚的ノイズ」として神経を逆撫でする直前に、識閾の境界を漂うような残像や、抑圧された記憶のかすかな痕跡まで、彼女は丁寧にすくい取り、キャンバスに定着させようと企てる。そうした不断の努力と工夫の数々が田中のこれまでの作家活動を貫いている。
 しかし、このように見いだされた日常の異化作用を、なまのまま鮮度を保って伝えるのは、じつは容易なことではないのだろう。形象を何気ない風景から切り出し(写真)、そこから余分な情緒的負荷を消し去り(切り絵)、ふたたびノイズの純度を高めて絵画化する(アクリル画とリトグラフ)。異なったメディアの間を自由に行き来するこの一連のプロセス全体が田中の魔術の秘密であり、こうして最終的にもたらされたフラットな色面の構成は、イメージを幾層にもわたって濾過した結果なのだ。だがこの、クリアに見える形象の裏面には、ぴったり闇が貼りついていて、密かにこちらを窺っていることも忘れてはなるまい。      

小林信之(早稲田大学文化構想学部教授)
2013年7月19日

東京 - 元田 久治 展

アートフロントギャラリーでは6月21日(金)より7月14日(日)まで
個展 「東京 - 元田 久治」 を開催してます。


作品イメージ: Indication-Tokyo Metropolitan Government Building, 2013年, 40×46.5cm, リトグラフ

アートフロントギャラリーの展覧会の詳細についてはこちらをご覧ください。

元田久治の作品をこの数年気になって見続けてきた。東京を中心に見覚えのあるランドマークは人の気配がなく、建物や道には痛ましく亀裂が走り、崩壊しかかった都市が描かれる。硬質なリトグラフによる表現にもよるかもしれないが、見慣れた場所が時間と距離を感じさせるような冷めた視点でここではない別の場所として語られる。むろん私たちは、いろいろなものを想起するであろう。例えばアンコールワット。ある都市の繁栄が途絶え、いつしか人々はその地を放棄し、忘れ去り、都市が密林に覆われ、数百年を経て再発見される。例えばAKIRA。そこは手塚治虫に描かれるようなステレオタイプな未来ではない。崩壊した都市があり、捨て去られた近未来都市。未曾有の東北の地震を経験したのちにはより生々しく「災害」を連想するかもしれない。ヨーロッパの街と異なり東京は常に過去を振り捨て変化し、20年後に同じ場所に来ればほとんどが変わってしまっている街だ。そのまちの今の姿がそのまま崩壊している。従って、描かれているのは近未来の遠い状況ではなく、切迫した今と連続した時間の様であるが、何があったかは暗示されていない。東北の地震以降、元田の作品は災害と照らされて語られてしまうことが多いかもしれないが、本来は海岸に打ち上げられた瓶のように、何故そうなったのか分からない途中経過を語らない結論として、今という時間が封じ込められながらも打ち捨てられ、崩壊した今の都市であろう。
熊本から東京に来て、作家が大都市を見たときに感じた違和感が作品のベースにある。東京はめまぐるしく姿を変え、成長しているように見えるが実際は、殻を脱ぎ捨て、次から次へと変化してゆく都市である。再開発ともなれば、あっという間に以前の姿を脱ぎ捨てて変化してゆく。例えばそこのマンションが建つ前に何があったかを記憶にとどめることは難しい。多くの町が変化する一方、そこに根付いたものを振り捨てることが出来ずにいるのに東京はいとも簡単に脱皮する。もちろん東京という町を作家がある程度知っているからこそできる表現なのだと思う。元田は東京以外にもシドニーなど他の都市を描いているが、北京オリンピックの競技場を除き、東京を描いた作品ほど意識的に冷やかに見える作品群はない。比較してみると5年ほど前の東京を描いた作品群では渋谷の風景でも過剰に都市に亀裂を入れ、崩壊させた風景を描こうという主観性が見て取れる。しかしその後の作品ではむしろ時間の経過による崩壊がなされていてより客観的に風景を見ている作家がいるような気がする。近年、リトグラフだけでなく油彩も描くが、直接画面に触れずに、いったん版というクッションを置いた版画の方がより硬質で冷めた客体性を風景との関係では保てているようだ。版画の硬質な表現が都市のもつ異質感、自分との距離感を顕在化させるのに適しているのであろう。
今回の展覧会では東京を描いた作品に絞っている。多くの都市生活者が共有している、東京という都市の異物感を再発見できればと思う。また、版画ではない新作では、空き地に捨てられたレンガなどに興味を持った作家がそこから得た印象をもとに箱庭を新しく描く。それは打ち捨てられて漂流してきた空き瓶のような東京とは異なり、空襲あとのバラックのように、その地にかつてあった何かを踏襲しつつも断片から全体へと新たな東京の生成譚を紡いでいく表現であろうと思う。
アートフロントギャラリー 近藤俊郎
2013年6月20日

吉田夏奈 インタビュー

吉田夏奈 - 海は青い 森は緑

会期:2013年5月24日(金)~6月16日(日)
時間:11:00~19:00 (月曜休廊)
会場:アートフロントギャラリー


この展覧会の詳しい情報はこちらをご覧ください。

アートフロントギャラリーでは、5月24日(金)より吉田夏奈個展「海は青い 森は緑」を開催しております。
自然を題材に製作を続ける吉田夏奈。東京出身の吉田は自分の身の回りの世界から飛び出し、大自然と対峙しながらより大きな風景、その中に身を置いた自分との身体との関係性の中から製作をしている。登山をしたり、ロッククライミングをしたり都会の便利さの中にない身体を使った体験がその製作のベースであって、そこには住む場所と違う非日常と向き合うことがあったはずだ。
その吉田が小豆島に本格的に住み始めて1年以上になる。非日常であった自然が日常となることで吉田の作品はどう変わってゆくのだろうか。今回のインタビューは近年の変化について聞いてみた。



(聞き手:アートフロントギャラリー 近藤俊郎)

近藤(以下K):小豆島にレジデンスをしたことが縁となって、いまや東京を離れて島に住み、そこで製作をされているわけですが、作品はどう変わってきたと思われますか?

吉田(以下Y):まず、素直になりました。クレヨンの原色をそのまま使うことができるようになりましたし。生き死にが目に見えやすくなりました。

K:生き死にというのは自然の変化のことですか?

Y:いえ、都会にいると何事も便利で動き回らなくても足りています。病院だって、娯楽だってすぐ手に届く距離にあってそれに頼って生きてしまう。地方に、特に島にいるということは余所と地続きでないということですが、そこでは不便さの中で自分で何とかしなければいけない。野菜を育ててみたり、必要なものはそこから得るように動かなければいけません。島の人たちも皆そうです。限られた人たちの中で助け合うことも必要です。そうしたことが作品にも出てきました。瀬戸内国際芸術祭の作品もそうですね。それまでやったことのないことを体当たりしながら作っています。



K:これまでの作品も身体で経験したことがベースになっていますよね。それらとの違いはなんでしょう?

Y:これまでは体験をすることと絵を描く事がどこかで分離していたのかもしれません。つまりスタジオに戻って体験を描こうとすると、学んだこと、例えばパースペクティブを使って絵を描くとか、知っていることを知識として使っていたのだと思えます。それが今はどちらかというとそこにいて経験したしたこと、体感して得たことをそのまま作品に向かってぶつけている気がします。勉強したことをベースになっていたのが経験に置き換えられました。結果にたどり着くまでの工程を計算抜きでやるようになりました。自分でも最終的にどんな方向に向かって作っているのか分かりきれないのです。

K:確かに今回の展覧会の作品も平面だけでなくうっそうとした森をつくろうというアイデアからスタートして、平面をそのうちに切り抜き始めて、切り抜かれる支持体もどんどん厚くなり、切り口のがさっとした印象が重要になってきたかと思うと、その数週間後に見せていただいたテストピースではまた違う次元に変化していたり。アートフロントに掲載したテストピースと最終的に展示している作品の印象も随分違います。
これまでの作品はインスタレーション風であったり、空間的な作品に見えたものも、パネルを組み合わせることでパノラマのような空間を仕立てあげていたようなところがありますが、瀬戸内国際芸術祭の作品はもっと本格的なインスタレーションに見えます。アートフロントの新作も、より立体作品らしいものになっています。作品が「平面」でなくますます「立体」になってゆくと思われますか?



Y:壁は辛いこともあります。自分の製作にとって拘束になってきている気がします。これまでは平面を積み重ねることで立体化してきたのですが、立体の方が体験をそのままぶつけられるので、今の姿勢だとやり続ける余地も多い気がしています。絵だと遠近が表現できます。立体でそれを使いすぎるとジオラマになってしまいます。自分が体感して得たものをどう立体に出来るかを考えたところ、空間をコントロールして体感を表現できると思うわけです。例えば瀬戸内国際芸術祭の作品では上の方は島が切り抜かれて立体になっているのですが、画面の下の方が平面の海になっています。海に入るアップアップするような表現を伝えることは、大きな平面を使って見る人に迫ってくるような距離で囲んでしまうことでした。ここでは平面にして包み込むこと。結果、平面を使う切り口でやっています。



K:立体と平面を同居させることも増えますが、最後に素材の変化について教えてください。

Y:平面だとクレヨンを使ってきました。製作のスピード感が重要な要素であるわけですが、今回の展覧会の作品では木を彫りだすことも考えました。でもやってみて、どうしても素材は木であってはいけませんでした。製作のスピード感がなくなると思考が先へ行きすぎてしまいますし。しかし体感が先行しすぎても思考がなくなってしまうので、そのバランスの取れた素材をこれからも探し続けるのでしょうね。

K:今日はありがとうございました。
2013年6月12日

吉田夏奈 - 海は青い、森は緑

アートフロントギャラリーでは5月24日(金)より6月16日(日)まで
個展 「吉田夏奈-海は青い、森は緑」を開催してます。

吉田夏奈は今年の瀬戸内国際芸術祭にも参加。小豆島にて春より大規模なインスタレーション作品を展示中です。



アートフロントギャラリーの展覧会の詳細についてはこちらをご覧ください。
http://artfrontgallery.com/exhibition/archive/2013_05/1011.html

吉田夏奈は身体を使う作家である。そう書くとまるでパフォーマンスの作家の様に聞こえるが、吉田の作品を見ていると作品に介在する作家の仕事が生々しく伝わってくる。山を歩き、崖を登り、海に潜る。そこで体験したことが作品となる。見たものを描くというより、身体を通した体験を再度体験として引っ張り出して表現するという方が近いであろう。従って、作品はある一点に立ち止まって視覚的に見えるものを切り取って描いた風景画ではない。全方位を見渡しながら、登り坂下り坂を全身で記憶する。作品はおのずと広がりを持った作品になるであろうし、単に一点に立ち止まって360度見渡したようなパノラマに留まるはずはない。むしろ作品が身体を使った表現であるならば、見る側の身体をも巻き込んだ体感する作品へと展開してゆくのも自然なことだったと思われる。2011年のオペラシティアートギャラリーでの展覧会では力強さ同時に繊細さも兼ね備えた線で描かれた山がギャラリーの長い壁面を床から天井まで埋め尽くし、見る側も移動しながら作品を体験する展示であった。
2012年のアートフォーラムあざみ野では壁面が90度折れれば、作品パネルもそれに合わせて折れ、空間全体が風景になっていた。それでも完全に空間に合わせて自由自在に対応しきれない堅いパネルが吉田の作風にはひどく窮屈そうに感じたのを覚えている。同年のLIXILギャラリーでは湖を描いた作品が床に置かれ、より絵画という表現から脱していく姿勢が伺われた。
今年の3月末にオープンした瀬戸内国際芸術祭2013では秋まで小豆島で吉田の作品を展示している。高さ4メートル以上もある巨大な円錐が逆さまに天井から吊るされている。観客が身を屈めながら円錐の内側に入ると一面の海の中の風景が飛び込んでくる。この作品を描くために吉田は幾度も小豆島の海に潜ったそうだ。潜るストロークが勢いよく描くストロークに切り替わっていると思われるほど作品は生き生きとしている。視線をずっと上げると円錐の上部に島が立体的に飛び出しているのが分かる。遠くて詳細は見えないが島はもはや四角いパネルに描かれているのではなく、輪郭にそって切り抜かれているのが分かる。
東京での個展としては1年振りとなる今回のアートフロントギャラリーの展覧会ではこれまでのパネルに描かれた作品だけではなく、パネルから脱してギザギザと輪郭を切り落としたレリーフ状の新作の森が並ぶ。輪郭はこの作家の絵画における線と同様、素描のような勢いのあるもので、作家のこれまでの製作の延長にある仕事だと納得できる。森はそもそも視覚的にその形状を全体として捉えることが出来ない。木々の中を進むと風景も変わる。そこには大きな木が倒れていたり、視界が急に開けたり、様々な風景が次々と展開してゆく総体が森と呼ばれるものであるはずだ。一本の木が独立しながら、かつ全体で森としても捉えられるように、吉田の作品も一つ一つの作品の形状が面白いだけでなく、設営しながら組合せを考えるであろうが、大きな森のようなインスタレーションになるのと思われる。私たち森の中を歩くよう様々な風景を見ながら、作家の介在によって広がるアートの領域、可能性がまだまだあったことを再認識できると思う。

アートフロントギャラリー 近藤俊郎
2013年5月24日

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