坂茂 インタビュー

問いの建て方、問いの解き方
インタビュー / アンドリュー・マークル


Pompidou Center Metz. © Didier Boy de la Tour, courtesy Art Tower Mito.

ART iT アートと建築が共有するもののひとつにモダニズムの遺産があります。それはさまざまな形で世界に広がっており、両者が表現するものや両者に対する理解の社会的な期待を支えています。さて、坂さんは今日の建築の社会的役割についてどのように考えているのでしょうか。新しい価値観を持った新しい人間像を形成する建築という考え、このような考え方には批判的ですか。

坂 茂(以下、SB) 建築が新しい人間像を作り出すとは考えません。また、私がしていることが近代美術や近代建築の遺産に繋がっているとは感じません。私が受けた教育は変わっていて、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエの前に、近代建築におけるアンドレア・パラーディオの影響を理解するために彼のことを学ばねばなりませんでしたし、ミースよりもカルル・フリードリッヒ・シンケルを先に学ばねばなりませんでした。歴史は私の教育にとってとても重要なものでした。
建築家の社会的責任に対する私の考えは私自身の活動に反映されています。モニュメンタルな建築で権力や富を可視化するという建築家の役割に満足できず、そうした特権的な人々のための仕事に加えて、災害地域で活動するボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(以下、VAN)というNGOを立ち上げました。


Top: Container Temporary Housing, Onagawa, opening ceremony, November 12, 2011. Bottom: Paper Emergency Shelters for UNHCR, Byumba Refugee Camp, Rwanda, 1999. Both: Courtesy Shigeru Ban Architects.

ART iT たとえば避難所用簡易間仕切りシステム4(PPS4)や女川町コンテナ仮設住宅のデザインになんらかの価値観が視覚化されているということはないのでしょうか。

SB そのような意図はありません。とにかく被災者の生活状況を改善したいだけです。行政関係者と連絡を取って、避難所や仮設住宅を改善すべきと言っても、まったく話を聞いてもらえないので、唯一の可能性は何ができるかを彼らに見せるためによりよいものを作るしかありません。被災者の生活の改善に十分手が尽くされていないことを示すのが肝心です。達成可能な最低ラインを見せなければいけません。そういう意味では、私が視覚化したのは行政関係者が果たすべき最低ラインと言えるかもしれません。

ART iT ルワンダでの紙の緊急シェルター、日本やトルコ、インドでのそれぞれの紙のログハウスと、あなたの災害支援プロジェクトのデザインは、非常に効率的で、安価で、人道的な配慮もなされているようにみえます。それだけに、これらが十二分に実装されていないことや、このための資金がほとんどあなた自身や個人的な寄付で賄われているということに驚きを隠せません。たとえば、ルワンダに実際に配られたテントはわずか50個のみだと聞いています。

SB 完全に政治的な問題です。ルワンダに関しては、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の高等弁務官が変わって、後任者は別のことに関心を持っていました。国連ではすべての方針や計画が高等弁務官次第で、そこが交替すると、残念なことに開発中の計画が中断されてしまうことがよくあります。ルワンダの場合は国連のコンサルタントとして関わりましたが、そのほかのすべてのプロジェクトはVANを通じて完全に無償で行ないました。

ART iT 政治と言えば、先程、被災地の人々の状況を改善するために、日本政府はもっとやれるのだということを示したいとおっしゃっていましたよね。

SB その通りです。国連に雇われたときは、彼らの方針や行政の政策に従わなければいけませんでしたが、NGOを立ち上げたら、行政の方針を考慮することなく、やりたいことができるようになりました。これがNGO活動の持つ自由です。とはいえ、資金調達も自分自身でやらなければなりませんが。

ART iT 坂さんの建築家としてのキャリアはバブル期に始まっていますが、当時は地方美術館や文化施設、高速道路やそのほかのインフラ設備などの建設に公的資金が流れていました。なかには必要性の怪しいものもあったと思いますが。さて、当時の経験はあなたの建築家としての考え方に影響を与えましたか。

SB 事務所を立ち上げたときは、なんの実績もありませんでした。たしかに当時はバブル期のはじまりでしたが、私には大規模な予算の仕事などまったくなく、低予算のものしかありませんでした。また当時は建設費もどんどん高くなっていったので、費用を抑えたものを作るアイディアを考え出さなければいけません。安普請な建物を建てるのではなく、新しいアイディアや普通とは異なる身の回りの素材を使い、費用のかからない建物を建てたいと考えていました。そういうアプローチを取っていました。いずれにせよ、大規模なプロジェクトを請け負うほどの経験はありませんでした。


Top: Pompidou Center Metz. © Didier Boy de la Tour, courtesy Art Tower Mito. Bottom: New Headquarters for SWATCH, New Production Building for OMEGA. © Didier Ghislain, courtesy Shigeru Ban Architects.

ART iT 今やポンピドゥー・センター・メスやビール(スイス)のスウォッチ新本社とオメガ本社キャンパスなど美術館や大規模なプロジェクトを手掛ける立場ですが、そうしたプロジェクトへはどのようなアプローチを取っていますか。また、それは災害支援プロジェクトとは異なりますか。

SB 明らかに異なります。一方は大規模なプロジェクトのコンペに勝たなければならないというところから始まり、災害支援プロジェクトは自分自身で立ち上げて、予算を組み、資金を自分で調達するわけで、財政状況もまったく異なります。
とはいえ、究極的に仕事は同じです。いいものを作り、予算内で建てる。大規模なプロジェクトであろうと、災害支援プロジェクトであろうと、達成感は変わりません。

ART iT 美術館の場合、機能的な建物を建てる必要がある一方で、コミュニティのための空間、経験あるいは探求のための空間を生み出す必要がありますよね。たとえば、美術館の動線は観客のアート経験に大きな影響を及ぼします。このようなことのバランスはどのように取っていますか。

SB バランスを取らねばならないというのはいい指摘です。美術館という建物の機能的側面は必要条件として当然満足させなければなりません。それは私たちが新たに作り出すので、 機能的で当たり前なのです。それは住居であれ美術館であれ、どんな建物にも最低限必要なものです。しかし、コミュニティに何を新たに提供できるかという側面やそうしたものへの責任は、美術館にとって特に重要なものです。特に税金が投入される公立美術館では。
実際に美術館を訪れる人々の割合はほんのわずかで、現代美術やコンセプチュアル・アートであればなおさらです。そういう意味では、美術館は美術愛好家のみならず、あまり美術館を訪れない多くの人々にも報いなければなりません。ですので、現代美術に関心のない人でさえも興味を持てるようなコミュニティ空間をどうやって創るかということが私にとって重要になります。
そこで私がポンピドゥー・センター・メスに作ったのは大きなフォーラム・スペースです。シャッターを開けておくことで、どこからでも入ることができますし、パブリックにも外部にも完全にオープンです。あなたがおっしゃったように、こうした公共空間は社会への責任として非常に重要なものです。

ART iT アートにとっても外部から試されることは重要でしょう。また、美術館が魅力的な共有空間を提供することで、アート好きではない人が美術館を訪れるのもアートにとっていいことででしょう。あなた自身もほかの美術館を観てみたり、鑑賞者として美術館を体験してみることはありますか。

SB はい。ポンピドゥー・センター・メスに取り組んでいるときは誰もがビルバオ効果の話をしていました。メスという街はちょうどビルバオと同じくらいの大きさで、ビルバオ同様、街の国際的な注目度を高められる魅力的な建築を求めていました。しかし、私は美術館の専門家やアーティストたちはビルバオのあの建築をあまり気に入っていないことを知りました。あの建物は建築家によるとても個人的な彫刻であって、あまり機能的ではないですから。それよりも、キュレーターやアーティストが好むのは、古い工業的既存建築を改装したテート・モダンやディア・ビーコンのような建築だということに気がつきました。このような既存建築を美術館へと改装した例として、ニューヨークのディア・ビーコンはとても成功していると思いますし、あそこには有名建築家が関わっていません。ビルバオよりもこうした空間をキュレーターやアーティストの多くは好んでいるのではないでしょうか。
ポンピドゥー・センター・メスの場合、もし私がアイコン建築か機能的建築かというふたつの選択肢 のいずれかを選んでしまっては、それはとても残念なことなので、両方を備えていることが重要だと考えました。美術館は建築として魅力的で興味深く、一般の人々を惹き付けるものであると同時に、美術館として機能的でなければなりません。いかに両者のバランスを取るかが、私の主要な関心事でした。そういう意味ではポンピドゥー・メスはなかなか成功していると考えています。


Nicholas G. Hayek Center, Tokyo. Photo Hiroyuki Hirai, courtesy Art Tower Mito.

ART iT そうした関心事は、たとえば銀座のニコラス・G・ハイエックセンターなどの商業空間に取り組むときにはどうですか。

SB その場合も変わりませんね。私のデザインの基本は問題解決です。たいていはプロジェクト自体が予算や気難しいクライアント(笑)など、いろいろな問題を抱えていますが、自分自身で問題を作り出さねばならないこともあります。ハイエックセンターの国際コンペの場合もそうです。私のプロポーザルは、スウォッチグループの8つの異なるブランドの店舗がすべてひとつの建物の別々の階に入るという概要から完全に異なっていました。銀座の地価は非常に高く、建物の幅も非常に狭く、表通りだったり、裏通りだったり、ある店舗のひとつの部屋しか前面の通りに面することはできません。私はこれをとても不公平だと思いました。そこで私はどうやって8つのすべての店舗が等価に通りに面するかという問いを立てました。そして、私は建物の内側に公共のパッセージを作り、そこに 8つのガラス張りのショールームを作り、それがエレベータ ーとして機能し、それぞれの店舗へと直接顧客を連れて行くように設計しました。このデザインは私自身が立てた問いによって生まれました。商業施設であれ、文化施設であれ、私は常にデザインが解かねばならない問いを求めているのです。

ART iT 坂さんは若い建築家への教育にもたくさんの時間を注いでいますね。生徒にはどのようなことを教えているのでしょうか。

SB なにか特別なことを彼らに伝えようということはありませんし、責任感についても教えていません。彼らは私のやっていることを見て、自然と建築家の社会的責任を学べばいいのです。ただ、私はいつも彼らを被災地へと連れて行き、世界や異文化に触れさせようとしていますが、とはいえ、彼らは自分自身で学ばなければいけません。それが私の教育の最も重要な側面です。

ART iT 災害にいかに取り組むかという点で、あなたの考え方に生徒からのフィードバックはありますか。

SB いいえ。実際には彼らは私が要求したことをまずやるだけです。彼らにはまだ十分な経験がないので、解決策など期待していません。

ART iT 支援プロジェクトを実施する被災地の人々との関係はどうですか。

SB とてもいい反応をもらっています。本当に感謝してくれていますし。1995年の神戸のとき、避難や避難所の酷い状況を知って、これは再び起こりうるのではと考えていました。私としては、ただただ支援活動として貢献を続けて、そのたびごとに改善していくしかありません。


Paper Partition System 4, 2011. Courtesy Shigeru Ban Architects.

ART iT 水戸芸術館の展覧会はどんなものになる予定ですか。もちろん水戸は3月11日の地震の被害を受けており、そうした状況に対する感受性は強いでしょう。観客にはどのように展示と対峙してほしいと考えていますか。

SB 通常の建築展とは異なるものにしたいです。通常は模型やドローイングがたくさん並びますが、今回は主に建築の大きなモックアップやジョイント、素材を見せようと考えています。また、芸術館の広場には実物大のコンテナハウスのモックアップを置くつもりです。
子どもたちも理解可能な展覧会にしたいとも考えています。彼らは建築ドローイングや建築の理論的側面を理解する必要はありません。子どもたちでも理解しやすいモックアップやサンプル、素材を見せたいですね。また、建築に興味がないかもしれない一般の人々にも、建設プロセスのメソッドを見せたいと思っています。とはいえ、展覧会が始まってみて、みなさんの反応を見てみるしかありません。

ART iT 坂さんはキャリア初期から展覧会の企画もやっていますね。2007年にはロンドンのバービカンでアルヴァ・アアルトの回顧展を企画しています。

SB 実作経験がない中で自分のプラクティスをはじめたので、建築を設計できるようになる前に展覧会のデザインをしなければいけませんでした。そうやってプラクティスを始めていったのですが。
アアルトの展覧会では、生徒とともに彼に関するさらなる分析を展開させていきました。私たちの発見の多くはこれまでのアアルト専門家の分析や批評とずいぶん異なるもので、私にとっても生徒にとっても非常に興味深いプロジェクトになりました。

ART iT 今でも住宅設計を続けることは重要だとおっしゃっていますね。キャリア初期には「家具の家」(1995)や「壁のない家」(1997)のような実験的なデザインのものがありますが、そうしたデザインから展開した現在の住宅設計のアイディアはありますか。

SB 今はまだ何も話せませんが、水戸の展覧会では新しい仮設住宅システムを発表する予定です。アアルト、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライトといった偉大な建築家の経歴を見ると、彼らが死ぬまで住宅を設計し続けていたことがわかります。
住宅を設計することは美術館の設計よりも難しい。経済的には厳しいし、一銭も儲からない。しかし、偉大な建築家たちは住宅設計を実験、そして自らを鍛える場として利用していました。各クライアントとの仕事は骨が折れるし、儲からないので、残念なことに現在では多くの建築家が有名になったとたんに住宅の設計をやめてしまいます。自分自身を鍛え続ける機会を探すのは重要なことでしょう。

ART iT たくさんの良質な住宅や別荘を設計したアアルトですが、AAシステムという低予算の住宅計画にも取り組んでいますね。

SB 実はずいぶん経ってからAAシステムのことを学びました。このシステムについては十分に公表されていません。彼もまた第二次世界大戦という災害の後に、この廉価な住宅計画に取り組み始めたというのは偶然の一致ですね。

ART iT 日本に独特な特徴のひとつとして、東京都市部の過密的な環境においてさえ、自分の土地、自分の家を持とうと考えている人がたくさんいますよね。

SB ご存知でしょうが、ニューヨークやパリでは誰も自分の家を建てる土地を持つなど考えません。まさにジャパニーズ・ドリームですね。実際に東京に住んでいても、その夢を持っているわけで、ちょっと他国の人からすれば普通ではない気がします。

ART iT 生活のための新しい空間の創出という点で、家という空間について尊重すべき指針はありますか。

SB テクノロジーの進歩やグローバリゼーションによって、ひとつの場所に住みとどまる必要がなくなったり、ある場所にいながら、別の場所の人々と働くことができるようになったり、私たちが持っている生活という概念は近年少しずつ変わってきています。自分のアパートを持つ必要さえなくなるかもしれないし、国から国へと移動し続けるかもしれない。ライフスタイルはまさに変化しています。

ART iT 都市コミュニティデザインについてはどうでしょうか。

SB 都市という視点にはあまり興味がありません。都市をデザインするより、プロダクトや住宅、建物を作ることに関心があります。おもしろい都市を作るためには、都市全体のデザインをするより、個々の建物がよい都市を作り出すことだと信じています。美しい建築ひとつひとつがよい都市を作り上げるのです。

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問いの建て方、問いの解き方

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