ガブリエル・オロスコ インタビュー(3)

2015年3月26日
不可避の様式
インタビュー / アンドリュー・マークル
Ⅰ. Ⅱ.



Boogie Frutti (2008), tempera and gold leaf on linen canvas, 200 x 200 cm.


Ⅲ.


ART iT ここまで、永久運動、摩擦、衝突、崩壊といった物質世界と、「円」との深い関係について話していただきました。そういう意味では、あなたの絵画やドローイングは幾何学的な見掛けにもかかわらず、直線による純粋な幾何学から一歩進んだところにあると言えるのではないでしょうか。

GO そうは言っても、座標軸も使っているので、円がただそこに浮かんでいるというわけではないことを忘れないでください。座標軸は、ある可能性の方向を指し示しています。点、もしくは中心といったものがありますが、それらは座標軸を通じてさまざまな可能性と相互に繋がっているのです。ひとつの円が東西南北へ、上がったり下がったり、それもまた東西南北からくる別の円と繋がります。それらの円は絶えず結合と循環を繰り返す物質として存在しています。三角や四角を使うことはありませんが、こうして座標軸を導入し、そこを円が動いて、角を生み出したり、その軌道が四角を描き出したりするでしょう。まるで原子が動いているように。最小の結合体である原子をつくりだすとき、原子同士の隙間のことやその結合の仕方を考えなければならず、そこで円と同様に座標軸が重要になりました。座標軸をつくると円が分割されるので、そこに4つの色を使うようになりました。それらの色をチェスのナイトのように動かすことで、3次元の立体的な動きに見えてきます。また、「Samurai Tree」シリーズの絵画と同じように、絵画の色彩は転位と運動という3次元を提示しています。

ART iT 「Atomist」を制作しているとき、既に軌道のことは考えていましたか。それとも、シンプルなアプローチに従っていたということなのでしょうか。

GO 軌道というアイディアは一貫したものです。「Atomist」における色彩も先程話したチェスのナイトの動きと同じルールに基づいています。あれらの色はその写真自体の網点から取られていて、拡大したものをイメージの上に無作為に重ねています。写真印刷の最小単位を拡大したり、そのメディウムの上に重ねたりすることで何が起こるのか、そうした物体の再現を見てみたかったわけです。写真の時間、もしくは、スポーツのイメージの中の動きの認識をどうしたら再利用できるか。座標軸はそのために間違いなく充用なものでした。ガスや空気のように、ただ複数の円が漂っている作品を想像してみてください。それはまったく異なるものになるでしょう。ここには写真と重力を結びつける構造や、視覚的なもの、認識の合理的な状態—おそらくはグリッド—があるが、同時に、この構造はイメージに重ねられた幾何学的な形体もまたイメージという独立した単位として機能することを意味しています。それは表面にステッカーを貼るのとは異なり、ふたつのものが突然接触しています。その形体は表面を超えて、イメージのさまざまなレイヤーと戯れ、同時に、イメージから独立している。そのバランスを見つけることが重要でした。






Above: Untitled (2001), gouache on paper, 8 x 18.5 cm. Collection Fundación Jumex Arte Contemporáneo. Below: Horses Running Endlessly (1995), 8.6 x 87.6 x 87.6 cm. Courtesy Gabriel Orozco and Marian Goodman Gallery.


ART iT 写真を取り除き、このプロセスを色彩のみで構成される絵画に展開させていったのはなぜでしょうか。

GO 私はドローイングをノートに描きはじめ、最初は真っ白な紙、それから、グラフ紙のようなグリッドが描かれたページ、そして、写真の上にも描くようになりました。あと、航空チケットや搭乗券といった既に情報が記された紙片(ファウンドオブジェ)にも描いていましたね。1995年の光州ビエンナーレでは、ライトボックスを使用した「Light Signs」を発表しました。非常に抽象的で、いっさいイメージがない作品で、安価な工業技術で生産されたものでした。それは絵画ではなく、もっと街中のロゴみたいな、薬屋のロゴとか交通標識みたいなものでした。その後、スポーツのイメージも試してみるようになりました。
さまざまな形で応用可能な道具としての幾何学と戯れる、こうした個人的でほとんど子どもみたいなアプローチのことを考えていて、絵画について考えているわけではありません。思考方法なんですよね。そうしていろいろと試した後に、私は伝統的な技術を用いた純粋な絵画で試したいと考えました。写真やチケットといった逸話的な要素のない、ただ絵を描くという行為でも、意味を立ち上げる幾何学システムや人の関心を引くイメージとして維持されるのかを見てみたかったのです。単純に興味がありました。これが2004年、今から10年前のことですね。

ART iT 絵画のフレームの内側に描かれるモチーフは、仮に無限に広がっていくこともありえますか。

GO それは常にフレームのところで完結します。もちろん無限に広がっていけるけれども、それぞれの円の大きさはフォーマットの大きさに関連しているし、その連続はフレームのところで終わります。不完全な形の円はなく、もっと大きなものを用意すれば、もちろんさらに広がっていくでしょう。より大きな物体になるものがミリサイズのドットにまで縮小されているような感覚がありますが、すべてが平面で、四角いフレームという限界も必ずあるわけです。大きなサイズの絵画作品「Boogie Frutti」(2008)のように、重なり合う円を導入することでシステムを脱構築することもあります。この作品では円と色彩の間隙を探求して、乱雑かつ遊戯的で、自分自身の規則を少しだけ破ったものになっています。






Left: Atomists: Jump Over (1996), computer-generated print, 210.8 x 179 cm. Right: Atomists: Offside, two-part computer-generated print, plastic coated, 196.9 x 156.8 cm. Below: Installation view of "Gabriel Orozco-Inner Cycles" at the Museum of Contemporary Art Tokyo, 2015, with Ping-Pond Table (1998) in foreground and works from "The Atomists" in background. Photo ART iT.


ART iT そういう絵画に身体は関与していますか。

GO 重力と繋がりを装っている点で、この絵画にも身体が関与していると思います。この絵画は四角の中心からはじまり、水平に動いたり、垂直に動いたりします。垂直性は重力と当然関わります。ですので、すべての絵画はその中心に消失点、もしくは、そこからイメージが外部へと連れ出される事象の地平線、座標軸の重点を持ちます。そのイメージは抽象的ですが、ダイアグラム、風景、身体、プラネタリウムという点で、何層にも渡って共鳴や関連性を生み出し、座標軸の動きも身体の対称性との関連性を生み出します。同様に、「La DS」(1993)も身体の対称的なコードや視野の投影、もしくは動きの中の身体の軌跡を扱っています。どちらのアプローチも、なぜ私たちが運動や転移に作用する「対称」を手にしているのかを問いかけます。
また、マンダラのことも参照できるでしょう。マンダラやヤントラを見る訓練は、身体や集中力や呼吸、自分自身を空っぽにして、それ自体ある種のゲームのようなものを見ることができるという意識の焦点化に関係しています。それはまるで公園に出かけて、偶然チェスや囲碁をやっている人に出会うようなことです。あなたは観客として即座に我を忘れてゲームに没頭するでしょう。ゲームにおいてそれまでに何が起きていたのか、その時点では関係ありません。なんにせよ、今、目の前で起きていることに集中するのです。それは美術作品が素晴らしかったり、何かを伝達するときにも起こることでしょう。しかし、そのゲームを知る必要はあります。当然、チェスを知らなければ、気にすることなどないでしょう。いかなるゲームも抽象的で、その背後にある論理を理解する必要がありますが、ゲームを見始めた時点で既にあなたは関与しているわけで、脳が集中しはじめ、他者が遊んでいるのをただ見ることに数分を費やすのです。

ART iT その意味で「Corplegados」シリーズの作品は興味深いですね。のぞき穴があり、ただの表面ではなく、そこから「覗き込む」ことができます。それどころか、両面フレームなので裏側から見ることもできるし、ある意味では身体をそこに「押し込む」ことができます。
そうした認識が作品の内側からのぞき穴を通して見るときに引き起こされますね。

GO 「Corplegados」は非常に変わった作品です。親密で複雑な方法の中で、私自身の旅を取り入れようとしたもの、私自身の移動を作品へと位置づけたものです。おそらく、写真作品やより基礎的かつ直接的なアプローチと比較して関連づけるのは簡単ではありませんが。使用している紙は日本製で、衣服の型紙のためのものです。実際の衣服をつくる前に、形を決めて、切り抜き、それ自体ほとんど着ることができます。非常に耐久性のある素材ですね。折り目をつけて引っ張っても、そのままの状態を保ち、軽くて丈夫。だからこそ、私は身体に繋がるような大きさで切ることに決めました。それは身体のためにつくられた紙でしたが、完成させるべき白地図として、分割して、折りたたみ、鞄に入れて持ち運んでいました。旅の合間にその紙を壁に拡げて、インクを使ったり、そこに書き込んだり、コラージュしたりとさまざまなことをして、そうすることで、それはある種実存的な地図となります。とはいえ、それは非常に抽象的なもので、逸話的なものではありません。最終的に、目のところをカットしたのは身体を参照した紙の比率に関連しています。あの作品を開くと、紙の裏側が見えるので、そこを通して見ることができます。「Corplegados」は気に入っていますが、そのほかの私の作品に比べて非常にエキゾチックなところがあります。「Corplegados」は実存的な地図だと言えるでしょう。




Installation view of works from "Corplegados" on display in "Gabriel Orozco-Inner Cycles" at the Museum of Contemporary Art Tokyo, 2015. Photo Eiji Ina, courtesy the Museum of Contemporary Art Tokyo.


ART iT しかし、あなたは意図的に観客にその地図の裏側を見る機会を与えていますよね。

GO その通りです。おそらく、それが「抑圧されたものの回帰」と呼ぶものなのでしょう。あらゆる継ぎはぎや作品の背後を見るわけですから。ときにそれは退屈なものです。見たら圧倒されると言っているわけではありません。背後にたくさんの情報を含んでいるものもあれば、そうではないものもある。それが人生というものなのです。





ガブリエル・オロスコ|Gabriel Orozco
1962年ハラパ(メキシコ)生まれ。ありふれた物や何気ない風景の中にひそむ詩的な要素を現出させる実践で知られる1990年代以降の現代美術を代表するアーティストのひとり。都市空間を移動しながら彫刻的空間を収めた写真作品や、立体、インスタレーション、絵画など思惟を促す作品を制作している。1993年の第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ・アペルトやニューヨーク近代美術館の「Projects」で作品を発表すると、その後もパリ市立近代美術館、サーペンタイン・ギャラリー、ニューヨーク近代美術館、バーゼル市立美術館、ポンピドゥー・センター、テート・モダンなどで個展を開催。ヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタなど数多くの国際展に参加している。日本国内では2001年に横浜トリエンナーレ2001に参加。
日本初個展『ガブリエル・オロスコ展 —内なる複数のサイクル』が東京都現代美術館で2015年5月10日まで開催されている。

ガブリエル・オロスコ展 —内なる複数のサイクル
2015年1月24日(土)-5月10日(日)
東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/