パトリック・ブラン インタビュー

緑の力、再生と適応
インタビュー/ ARTiT編集部   

写真:野村佐紀子

ART iT あなたは、垂直庭園のコンセプトを1960年代にはすでに思いついたと伺いましたが、それは本当でしょうか。どういう経緯でコンセプトを思いついたのでしょうか。

パトリック・ブラン(以下、PB) 本当です。しかし垂直庭園そのものをすぐに思いついたわけではありません。5、6歳の頃、家に水槽がありました。水槽の中には熱帯魚と水草がありましたが、水質を保つためには水草が、そして水草の成育のためには光が必要でした。それらをすべてを良い状態に保つために、フィルターでほこりを除去する必要があり、さらに環境条件には絶妙なバランスが必要だという事実に興味を持ったのです。その頃は今使っているようなフェルトはまだ存在していませんでしたから、羊毛繊維の布で通常より大きなフィルターを作ってみたりしました。60年代になって、化学繊維が手に入るようになってからは、いろいろな素材を試しました。そうしながら、こういったフィルターが水中のゴミも除去しつつ、水草よりさらに大きな植物を育てられるのではないかと考え始めたのです。
そして、12歳頃に水槽の上のちょうど水面にふれるくらいの位置に大きな布をたらし、フィロデンドロンを育ててみました。そうしたところ、結果的にその大きな布が大きな植物にも水にとってもよりよい状態を生んだのです。その頃は誰も「エコロジー」などとは言っていませんでしたが、その時点である意味真のエコロジカル・システムを考えついたのです。当初は大きな布を支えるために耐水性の木製の板のようなものを使っていましたがなかなかうまくいかず、これもいろいろ試してポリ塩化ビニールパネルに行き着きました。
垂直庭園と言えるレベルに到達するまでには非常に時間がかかりました。12歳から始めて試行錯誤し、18歳になる頃にやっと形にできました。
33年前、1978年に私のこの試みについてある新聞が記事にしましたが、当時はまったく話題にはなりませんでした。その後、1986年にパリの科学産業博物館で初めて展覧会に参加し、植物の壁を発表しましたが、これも成功とは言えず、誰にも興味を持ってもらえませんでした。その8年後1994年にパリから約200km離れたショウモン=スール=ロワールの美術館で開催された、庭をテーマとした展覧会で初めて多くの人達に知ってもらえたのです。


Vertical Garden, Chaumont-sur-Loire, 1994

展覧会を企画したジャン=ポール・ピジェは、長い間ポンピドゥーセンターのディレクターを務め、現代美術に深く関わっていた人物だったので、すぐに垂直庭園が植物に対する新しい考え方やビジョンを指し示す可能性を持っていると考えたのです。18歳で基礎構造を完成させてから多くの人々に知ってもらえるまで24年かかりましたが、自分にとってはまったく苦ではありませんでした。その間に大学で勉強して植物学の博士号を取得し、国立科学センターで研究をする生活で、忙しい日常を送っていました。垂直庭園はそうした日常とは別の楽しみでした。美術館で行なわれる展覧会への参加を依頼されることは、私にとって実験の機会を与えてもらうことで、未だにそれは変わりません。
1998年にはカルティエ財団におけるプロジェクトもありました。そして2001年にアンドレ・プットマンがデザインを手がけたパリのホテル、パーシング・ホールにおいて垂直庭園を完成して以降、多くのプロジェクトの依頼を受けるようになりました。余談になりますがこのパーシング・ホールが完成したのは2001年の9月11日で、ちょうどインタヴューを受けているときに、ジャーナリストがあわてていたことをよく覚えています。


Pershing Hall Hotel, Paris, 2001, photo V.Lalot

ART iT ホテルという公共の場でのプロジェクトを通じて、不特定多数の人が垂直庭園に接することが出来るようになったのですね。

PB 現在では多くの建築家と仕事をしていますが、初めて関わったのが建築家ではなく、女性のインテリアデザイナーであったのは忘れがたい思い出です。
今日まで至る長いプロセスをお話しましたが、いまでは私の作品のイミテーションが至るところに存在するようになりました。ですが、これはきわめて当然のことです。

ART iT イミテーションが存在するのは垂直庭園が本物として認知されているという良いサインでもありますね。

PB そうですね、植物を身近に感じるのは決して悪いことではありませんし、数十年間私が試行錯誤した結果、今はこのシステムがきちんと機能するとみなさん分かっていますからね。イミテーションにもいろいろあってかなり完成度の高いものから、パッチワークのようにあまり美しくない出来のものも多いですね。いずれにしても都会に生きる人達にとって植物の壁を見る事が新しい経験となれば嬉しい事です。

ART iT あなたにとって商業プロジェクトと美術館で実現するプロジェクトに何か差があるのでしょうか。

PB 特に差はありません。商業的なプロジェクトにおいては、たとえば今回のCNACでは予算の余裕があったのでとても珍しい植物を豊富に選ぶ事が出来ました。また、現在手がけていて、近々完成するバーレーンの屋外でのプロジェクトは大きな挑戦となると思います。バーレーンでは夏の気温は50度に達するわけですから、植物の選択は簡単ではありません。さらに植物の選択より難しいのは、気温50度のところで給水することによって、水温が同じように高温になってしまうことです。これは植物にとって適しているとは言えません。夏になる6ヶ月前に植物の設置を終了すれば植物も真夏に備える事が出来るとは思います。


Wall, CNAC Aoyama, Tokyo, 2011

ART iT 商業プロジェクトか否かで実験的かどうかが決まるのではなく、気象条件などより植物にとって過酷な環境が、能力をためされて実験的に感じられるのですね。

PB その通りです。そして、暑い所より寒冷地での実現がより難しいのです。べルリン、ウィーンなどの寒い都市は、冬期に零度以下になって、通常のシステムでは給水が出来なくなるリスクがあります。そうした場所では給水が少なくても植物に水分を供給できるシステムにしなければなりませんね。

ART iT 日本にはとても数多くの品種が存在し、ヨーロッパのそれとくらべると比べると10倍くらいあるそうですね。

PB 理由の一つは夏に湿度が高い、という事です。植物にとって気温と湿度が高いことはよい生育条件です。もう一つの理由は北アメリカやヨーロッパは砂漠地帯と隣接していますが日本の周囲には砂漠地帯がありません。日本から台湾、上海、香港に至る一帯にも砂漠がなく、フィリピン、タイ、マレーシアに続く東南アジアもまたそうです。これは気温が低くなっても、植物が生存のために南下できる環境にあるということです。北アメリカには南に砂漠地帯があり、ヨーロッパは南に山脈があり、地中海があり、その先には砂漠地帯があることによって、植物がアフリカの熱帯地帯に移動する事が出来ないために多くの品種が絶滅していきました。ヨーロッパでは氷河期に太古の品種が絶滅した一方で、こうした地理的条件から、東南アジアでは生き残る事ができたのです。

ART iT 植物を知る事は地形を知る事であり、歴史を知ることなのですね。太古の植物品種にはどのようなものがあるのでしょうか。

PB 銀杏の木は中国のある一部の地域に生息していたものですが、人為的に移植され、今では世界中に広がっています。またソテツも長い歴史を持つ植物です。日本では九州の青島にありますね。クロランティウス、コニファス(パインツリー)、シダ、長い歴史を持つ植物は私たちの身近にたくさんあるのです。

ART iT ところであなたの名前がつけられた植物があるそうですね。

PB 2年前、フィリピンのパラワン島の森で見たことがない種類のベゴニアを見つけました。パラワンは立ち入り可能な未開の森がたくさんあることと聞いていたので、以前から行きたいと思っていた場所でした。フィリピンではミンダナオも植物を見つけるには素晴らしい場所ですが、テロリストが隠れている場所でもあり、危険が伴うので入ることができません。
パラワンでは、内陸部まで車で行き、その後2時間かけて滝のある所まで歩いて登りました。その滝自体は特別ではなかったのですが、ある1カ所にだけ三角形の葉をした黒い斑点のあるベゴニアがたくさん生息していたのです。これまで少なくとも30から40種類のベゴニアを見たことがあったのですが、そこで見たものはこれまでに見たことがないものでした。その写真を撮影し。パラワンやスマトラ付近のベゴニアに詳しい人に問い合わせたところ、新しい品種だと確認してくれたのです。ちょうど彼らがパラワンのベゴニアの学術研究を出版した後だったので、「ベゴニアブランキー」と名付けられたその品種が新たに掲載された本が出版されたのは発見から2年経った、今年6月でした。


Begonia Blancii, Palawan

他にも様々な珍しい品種を見つけてきました。タイの南部で発見したのは、シダの仲間でしたが、これは「シダのように見える」という名前になりました。昔は人の名前をよく用いましたが、近年は発見場所や、形態の特徴を示す名前が主流となっています。バラなど人為的に品種改良されてつけられる名前はラテン語の学名はつけられません。学名をつけることができるのは、自然に生まれた品種に限られています。ですから学名に自分の名前を入れることができたこのベゴニアブランキーを見つけたことは特別に嬉しい出来事でした。

ART iT 近々、学術的な植物図鑑を出版されたとのことですが。

PB これは垂直庭園とは関係のないものです。植物の中でも土を必要としない品種、たとえば岩肌に生息する品種や別の植物に寄生して生息する植物に関する本です。初めてタイの熱帯植物を見に出かけたのは19歳の時ですが、垂直庭園のための熱帯植物を探しに行ったわけではありません。

ART iT 垂直庭園における、植物の配置やデザインに関して聞かせて下さい。

PB デザインにおいて気をつけることとして、植物の特性と位置との関係があげられます。日陰で育つ植物や、水を多く必要とする植物は下方に位置させます。中央は比較的どんな植物でも対応が可能で、上方には木に近いタイプの植物という具合です。植物自体のもつ特性を忠実に反映させることが重要だからです。そして次に、だいたい25種類の植物をまず決めてどの植物がどれくらい育つか、どれがより大きく育つかなど、植物の将来の姿を考えると同時に美的なことを考慮に入れます。形態や色のコントラスト、テクスチャーのバリエーションといった美的な側面は重視しますが、一方で全体を派手にすればよいというものでもありません。また右上がりの流れは肯定的なサインでもあります。庭園設計図は自然によってつくられたデザインであると同時に人為的に作るものでもあります。岩肌に生きる植物はほとんどの場合、縦ではなく横に並ぶように生息しています。ですから概念的な意味だけではなく、横に流れるデザインというものが自然界を反映していると思います。

ART iT このデザインの基本はあまり変化していないのですか?

PB いえ、1994年頃はまったく違いましたし、毎回用意される植物の種類や数によって変わります。植物の育つ過程は予測出来ません。同じ条件の垂直庭園は存在しないでしょう。メンテナンスによって変わることも自然なことです。例えば台湾で行なったプロジェクトでは、完成してからも、あまりにも私のオリジナルデザインに沿って忠実に剪定してしまうので、育っていく過程で変貌させてよいのだと説明したこともありますよ。
すべての垂直庭園は異なり、時間の経過でオリジナルからも異なるのです。

ART iT 今後具体的に何かやってみたい事や現実化したいプロジェクトはありますか。

PB いくつかあります。ひとつはパフォーマンスと植物が共存して、そこに関係性を生み出す空間をつくるプロジェクト、また植物が空間と空間を繋ぐ役割を果たすようなプロジェクトにも興味があります。
テキスタイルデザインも機会があればやってみたいことのひとつです。
そして是非とも実現したい事があります。チリの中央部に生息しているある植物の葉はすばらしい香りを持っています。それはほのかに甘く、しかもスパイスのような濃厚な香りなのです。その香りを使った香水を作ってみたいですね。花からより葉から香りを抽出する方が簡単なはずです。時間がかかるかもしれませんがこれはいつか実現したいと思っています。

画像提供(ポートレートを除く): パトリック・ブラン ©Patrick Blanc 

パトリック・ブラン インタビュー
緑の力、再生と適応

第14号 構築

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