13:肉と眼の見えない結合——都築潤の「ニューエイドス」展をめぐって

2010年11月30日

(以下全て)「ニューエイドス」展展示風景

人が2、3人も入ればもう一杯になってしまいそうなキューブ状の展示室には、壁の三面を比較的大きな絵が一枚づつ占めている。残る一面には、それぞれの壁に対応して同じ絵が映し出された三台のiPadが置かれており、直接、手にとって画面を拡大して見ることができる。なぜiPadと壁の絵なのか———静かだが、不可思議な感触を残す展示だ。
 
都築は、コンピューターを使って絵を描くようになって、あることに気付いたという。モニターのなかでは、イラストレーターとフォトショップというふうに、ドローイングとペインティングはツールの次元で分裂している。ところが、紙に鉛筆で描くような現実の絵の世界に、そのような分裂はない。たった一本の鉛筆でも両者を描き分けることはできるし、自由に混合することも可能だ。都築はモニターのなかの絵にこうした現実の自在さを取り戻すべく、様々な試行錯誤を余儀なくされる。その結果、ある逆転に至るのだ。「線を引く」ことと「色を塗る」こととの分裂は、そもそもコンピューターで描くことに特有の現象ではなく、そんなことには頓着せずに描いていたかに見える現実の絵の世界こそ、元々そうした分裂を抱えているのではないか。つまり、それは絵を描くことそのものに潜む、より根源的な問題ではなかったか、と (*1)





こうして紆余曲折を経て開かれた『ニューエイドス』展は、読んで字の通り、プラトンのイデア論を経てアリストテレスが形式化したエイドス(形相)とヒュレー(質量)との二項対立をふまえたものだ。つまり、コンピューターの画面上にせよ、紙やフィルムへの出力にせよ、物質界に現象する様々な「あらわれ(ヒュレー)」の根底には、それを司る不可視の「原型(エイドス)」が存在する。コンピューターであればデジタル・データとして伏在するこの新たな絵画のエイドスを、ぼくらはいかにして(「見る」のではなく)「観る」ことができるのか———それが本展のもくろみといえよう。
 
ここで現代美術の歴史を参照すれば、かつてジョセフ・コスースは「ひとつ、および3つの椅子」(1965年)で、本物の椅子と写真に写した椅子、そして辞書で言語上の定義を加えた椅子の三つを並べ、三つの異なる椅子の質量的な「あらわれ(ヒュレー)」を通じて、その背後にある「不変の=ひとつの椅子(エイドス)」を“展示”した。都築は今回、コンピュータを使って絵を描くことを通じて、コスースの試みを別のかたちで再提起していると言えるだろう。作家自身は普段、イラストレーターとして活動しているが、この意味で本展での問題設定は、あきらかに美術史的な次元に属している。いや、逆に都築がファイン・アートの世界ではなく、普段からデジタル・データで作画や入稿をしているイラストレーターであったからこそ、この重大な問題に気付いたというべきだろう。





ところで、西洋で美術館や博物館と教会とのあいだには密接な関係がある。重要な美術作品を見るには美術館と同じくらいか、もしかしたらそれ以上の頻度で教会の内部に足を運ばざるを得ない。その際、教会でぼくらが絵を「見る」とき、それが身体を呑み込むようなサイズで壁に描かれているか、じっと見つめるような書物の大きさで描かれているかによって、その体験の様相は大幅に異なってくる。前者は眼だけではなく身体的に働きかけてくるし、後者では体は動かさずに眼だけを固定するような見方を強いてくる。端的に言えば、一方は「受肉的」で他方は「目撃的」なのだ。実はこの見方の違いに応じて、ペインティングとドローイングの基本的な違いも生まれたのではないかとぼくは思う。けっして、色を塗るのがペインティングで、線を引くのがドローイングというわけではない。というのも、都築自身も言及しているように、手で描かれる絵がデジタルなツールに縛られたコンピューター・グラフィックスよりも自在なのは、現実の世界では何色によっても塗られていないような線はなく、一定の幅を持たない色などありえない以上、描き方においても絵の見方においても、線と色はいかようにも変換が可能だからだ。現実の世界でぼくらは、線を色として見ることも、色を線として見ることもできる。つきつめればつきつめるほど、線を引くことと色を塗ることだけに頼って、ペインティングとドローイングの区別をすることはできない。
 
では、世にペインティングと呼ばれる絵が塗られた色面による絵と、ドローイングと呼ばれる絵が引かれた線で描かれた絵とそれぞれ同義に思えるのはなぜなのか。それは、絵具の支持体のサイズに応じて、その絵がもっとも効果的に見える描法がおのずと選ばれざるを得ないからだ。それが壁のような大きさでは「塗られた色面」、書物の大きさでは「引かれた線」ということになる。反対に璧画サイズの絵を線だけで構成し、書物サイズの絵を色だけでかたちづくろうとすれば、ぼくらはそれを見る最適の距離を身体的に、もしくは眼球的に確保することがむずかしくなる。壁の画はあくまで「眺める」ものであり、書物の絵は「凝視」されるべきものなのだ。色を塗るか線を引くかは、結局、この体験の確保から逆算された選択の結果でしかない。こうして、与えられた肉とともに眺めるべくして描かれた絵のことをぼくらはペインティングといい、じっと眼で凝視するべく描かれた絵のことをドローイングと呼んでいる———実際にはそういうことなのではないか (*2)
 




ところが、今回の展覧会では、描かれた絵の背後に「あらわれ」の変換を自由に操作できるエイドスとしてのデジタル・データがあるため、こうした人間の生理的・身体的な特性に逆らった鑑賞が可能になっている。三面を占める壁の絵が身体的にペインティングとして認知されるのに対して、iPad上の画面はあきらかにドローイング(書物)のサイズなのだが、にもかかわらずそれはデジタルな倍率の操作によって自由に拡大することができる。すると、あるところから、それが手の平に乗るドローイングのサイズでありながら、壁の絵との類推から、いま自分は書物のサイズではなく、大きな壁の絵の一部をペインティングとして見ているという感触が生まれてくるのだ。ドローイングとペインティングとの共存と変換を、線や色をめぐるプラトン主義的な理解からでもなく、絵と身体との物理的な距離からでもなく、デジタル・データに固有の、あらゆる「あらわれ」に偏在しうる性質から可能にした本展は、絵画の世界に新しい次元を切り開きつつあると言ってよいだろう。


  1. 都築潤によるニューエイドスのアカウント・サイト@neweidosを参照した。

  2. たとえ書物のサイズの絵で塗られた絵でも、それが自律した画面であれば、ある程度の距離から見ることを要請する。ちなみにカラーフィールド・ペインティングは、身体的に遠ざけても接近して凝視しても適切な身体の位置が得られず、端的に限られた色が塗られているだけという事実性において、質量的というよりも形相的であり、質量の背後にあるイデアを重視した(=特定の絵の見方を排除した)先のコスースに近づいている。


都築潤『ニューエイドス』 
2010年10月18日〜30日 
レクトヴァーソギャラリー(茅場町)


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連載 椹木野衣 美術と時評

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