65:再説・「爆心地」の芸術(31)終わらない国際展 ー Don’t Follow the Wind近況(2)

2017年3月31日
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大林宣彦(写真中央)。『HOUSE』(1977年)撮影現場にて 提供:PSC/大林宣彦事務所

大林宣彦監督のことは、もちろん以前から知っていた。特に中学生の時、地元の劇場で初日に駆け込むようにして見た『HOUSE ハウス』(1977年)の衝撃は、とんでもなく大きかった。この映画は、アイドルとホラーが掛け合わされるという、それまでの劇場映画には例のない設定で、封切り前からありとあらゆるメディアで宣伝が繰り広げられており、夏休みに入ったばかりの小中学生の期待を否でも応でも高めていた。だが、内容は想像をはるかに上回るものだった。ホラー映画というよりは、お化け屋敷そのもののような映画だったからだ。その衝撃の大きさはだから、映画は「お芝居」ではなく「お化け屋敷」でもありうることを初めて知ったことに通じていた。その頃、全国の映画館で封切りされる日本映画は、松竹や東宝といった大手興業会社が製作から配給まで仕切っており、そのことからもわかるように、まだまだ演劇の延長線上にあって、円熟した俳優たちの巧みな演技や個性的な魅力が一番の売りで——子供向けの怪獣映画でさえ、怪獣が欠かせぬ「主役」だったのだ——せいぜいが監督の演出の力量を見るくらいが通を気取る楽しみ方だった。


『HOUSE』(1977年)予告編

そこに、テレビ・コマーシャル上がりの個人映画作家で、先に挙げたような大手映画会社での下積みの経験など皆無の大林監督が異例の抜擢をされ、大上段に構えるどころか、当時まだ 12歳であった自分の娘が風呂上りに思いついたアイデアを原案に、それまでの日本映画を全否定するようなアナーキーそのものと言ってよい(実際、この映画では主役さえはっきりしない)映像体験を、いきなり全国へと向けて大々的に送り出したのだ。いかにテレビを通じて怪獣や怪人、星人、改造人間など慣れっこになっていたとはいえ、映画のポテンシャルなどまだまだ未知の思春期世代がショックを受けないはずがない。案の定、『HOUSE』はたいへんな賛否両論を巻き起こした。もっとも、それはある意味、映画の王道でもあったわけだが、そのことを受け入れるには、リュミエール兄弟もジョルジュ・メリエスもいまだ名すら聞かぬ身には、とうてい及ばぬものがあった。

その後、映画の黎明がどんなものであったかようやく知り、パノラマやジオラマといった見世物の延長線上に映画が生まれ、さらにその先に人造的なセットによるハリウッドという仮想世界が成り立つことを知るようになった頃、私はすでに大学生になっていた。

それでも、京都の劇場で見た同じ大林監督による『時をかける少女』(1983年)の衝撃は、依然として大きかった。当時、今のようにDVDもないような時代では、京都、大阪、神戸の映画館を連日のようにはしごして、1日に3本、3館を回るのも当たり前のことだった。なおかつこの1983年という年は、6月に森田芳光監督『家族ゲーム』、10月に相米慎二監督『魚影の群れ』が公開されるという、戦後映画史でも特筆に価する当たり年で、『時をかける少女』はそのさなかの7月に初日を迎えていた。そんななかにあってなお、この映画が持つ異例な斬新さは、ひときわ際立っていた。

そのことは、この——あえて言えば筒井康隆による原作ではなく——映画が21世紀になってなお、細田守監督らを初めとする多くの新世代の映像作家によってリメイクされ、現在進行形で継承され続けていることひとつとっても、あきらかだろう。とりわけ、昨年の日本映画界で最大の話題をさらった新海誠監督による『君の名は。』は、大林監督による『時をかける少女』のラストシーン(タイムスリップすることによる記憶の更新とそれへの抵抗)と、やはり大林監督がその前年の1982年に手がけた『転校生』(若い男女の性別が内面はそのままで唐突に入れ替わる)を掛け合わせたような設定になっていたから、そこに大林映画からの大きな余韻を感じ取った者は少なくなかろう。



映画『転校生』(1982年)資料写真 画像提供:PSC/大林宣彦事務所



『時をかける少女』(1983年)予告編

その大林監督に私が「再会」したのが、東日本大震災以後に作風をさらに激変させ、見る者を驚愕させた超長編映画『この空の花 長岡花火物語』(2012年)であったことは、これまでもいろいろな機会を通じて書いてきたので(本連載では第27回)、それについては繰り返さない。肝心なのは、映画『この空の花』を通じて大林監督と直接、知り合う機会を得ることで、たんに批評家として大林映画を論評するだけではなく、私自身の存在が大林宣彦ワールドの一端に<組み込まれ>、同時に監督自身の言う「エンドマークのない映画」の中でしか起こりえない化学変化を<投げ返す>役割を与えられたような緊張感が今なお続いていることだ。そして、私にとってそのまたとない「入口」となったのが、2015年の3月11日から始めた「見に行くことができない展覧会」“Don’t Follow the Wind” でもあったのだ。

私は「帰還困難区域」の中で<開かれる=閉じられる>この異例な国際美術展の試みについて、展覧会が始まる前から折に触れ大林監督に伝えていた。というのも、大林監督が『この空の花』以降、原子力の問題に前より遥かに直接的に触れるようになっていたのは、その後の映画を見れば一目瞭然であったし、もともと大林監督の出身は広島で、何度となく映画の舞台に据えられた古里=尾道で生まれ育ったとはいえ、家が代々医師であったため、広島への原爆投下による被爆の実態は常に身近な現実としてあり、また実際、映画の道に進むことなく医師を継いでいたなら、多かれ少なかれ被曝者たちへのその後の救済になんらかのかたちで関わっていたはずだったからだ。そのことには大林監督自身、誰よりも意識的であったに違いない。すでに『この空の花』以前から(というよりも、そもそもことの始まりである『HOUSE』からして)大林映画の中で何度となく原爆の投下場面が繰り返されてきたのは、たとえそれがごく僅かな場面であったとしても、いや、だからこそ余計に見る者に違和の念を与えるには十分なものがあり、大林宣彦という映画作家のなかに核をめぐる「しこり」のようなものが長く尾を引いていることをおのずと連想させた。東日本大震災によって引き起こされた東京電力福島第一原発事故は、そのしこりがしこりでなくなり、映画作家として生涯でも最大の主題——それを大林監督は「シネマ・ゲルニカ」と呼ぶ——と化して、いまや全面的に展開されることに至ったことを意味していた。

ましてや、大林監督は「古里映画」の最初の提唱者にほかならない。放射能による汚染によってある日、突然「古里」に帰ることができなくなってしまった人たちに思いを馳せぬはずがない。たとえ「帰還困難区域」などという異様な呼称を余儀なくされても、そこに住んでいた人たちにとって、自分が生まれ、育った故郷であることに変わりはない。大林監督が『転校生』で、みずからの古里である尾道を舞台に据え、そこでの時間が移ろいゆくのを少しでも食い止めようと抵抗したのは、古里のありかが、いかに時の経過と深く関わっているかを知り尽くしていたからでもあった。おそらくはそこに、『転校生』と『時をかける少女』とを結ぶリンクもあった。たとえ過去に自分の性別が誰かと入れ替わってしまうようなことがあったとしても、入れ替わっていた時の記憶を失わずに「その後」を生きようとする『転校生』。たまたま身につけてしまったタイム・トラベルの能力から、時の狭間をさまよう流浪者になってしまうところを、未来から訪れた愛する者に救われることの代償に、彼のことを永遠に忘れてしまう危機に瀕する『時をかける少女』。このふたつの映画には、大林監督ならではの特異な「時間」概念が、凝縮され備わっていた。私にはそれが、原発事故による避難指示で「古里」の内と外が「転校生」のように入れ替わってしまい、元に戻れるのがいつのことになるのか誰にもわからない−−いわば「時をかける」状態のまま、あいまいな未来へと向けて凍結され続けている「帰還困難区域」と、どこかで通じるように感じられたのだ。

私は、手にする唯一の道具が言葉でしかないひとりの批評家として、東日本大震災以降、日本語の中に不意に宿ることになった一連の聞き慣れぬ言葉——「ベント」「シーベルト」「ベクレル」「除染」「廃炉」「帰還困難区域」といった数々の奇妙な概念に批評的な充当性を与えることで、その非人間性に拮抗する必要を感じてきた。私が大林監督に“Don’t Follow the Wind”に関わってもらえないかと思うようになったのは、大林監督の時間概念と古里をめぐる思索と創作とのあいだで、「帰還困難区域」を批評的に把握し直すことが可能なのではないかと考えたからにほかならない。しかしそのためには、大林監督にこのプロジェクトについて知ってもらうだけではなく、なんらかのかたちで参加してもらうことが必要であった。というのも、「3・11」以降、私は『この空の花』を通じて改めて実感させられたように「エンドマークのないフィクション=現実」のさまよい人となっており、そこからの出口を切り開くには、批評家としてみずから大林監督に働きかけるしかなかったからだ。しかし、いかに大林監督が古里映画と深く関わってきた作家とはいえ、放射性物質で高濃度に汚染された「帰還困難区域」は、とうてい気軽に誘えるような場所ではない。私は考えあぐねていた。だが、その機会は昨年の夏前、大林監督と会食をしていた際に、思いもよらず監督の方から私に投げかけられた。「ずっと待ってたんだけど、その展覧会にはいったいいつ誘ってくれるの?」と。(続く) 


著者近況:2017年4月23日(日)に、町田市立国際版画美術館の『横尾忠則 HANGA JUNGLE』関連イベントとして同館で講演予定。
詳細:http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2017-333

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