「サラムドゥル」 スゥ・セオク展

【タイトル】 サラムドゥル
【アーティスト名】 スゥ・セオク
【会期】 2007年9月28日~2008年1月6日

偉大な完成というものはありません。常に不確かで未完のものとして居続けます。
完璧な人生や完璧な芸術などあり得ません。あれば筆を置かなければならない。
人の人生もそこまでです。そうではなく、常に未完成のままいくのです。
だからこそ、魅力があって、そこに人生への期待があるわけです。今日私の手のなかには何もなくても、明日はこの手であらゆるものをつかんでやるという期待。それによって笑顔をつくってみること。それが我々の人生です。誰も絵というものに終止符を打ったことはありません。私が全部描き尽くしたとは言えません。それはひとつの寝言です。
新しい美学? そうですね、リスが回し車を回す最初の一歩、そういうことではないのですか? 千年、二千年前のことを思えば、これからの千年、二千年も今日とそう大きな違いはないと思いませんか? そこでちょっと知ったふうなことを言って、ああだこうだと文句を言う、そういうものではありませんか? 

こんなふうに考えてみたいのです。
画家としての道は、これが美学だ、これが画論だ、これが美術史だ、これが批評だ、などということをパンパン払い落としてこそ始まるのだと思うのです。
なぜか? こういうものはすべてその人たちの遊び場でなされることに過ぎないからです。画家の遊び場ではないのです。その遊び場に同じ仲間のようにして入りこんではいけません。画家の人生は鏡のようでなければならない。鏡はすべてのものを隠さずあるがままを映し出して受け入れます。そして、それをひとつも残しておきません。つまり、すべてのものを観照し受け入れますが、それらに執着することなくどんどん空きをつくってゆくのです。そうしてこそ自分の天地を、自分の宇宙を創造することができるのです。

人生や芸術というものは、ちょっと変わっているだけでワ~ッと騒がれる。犬でさえ見たことのあるものに対しては吠えません、初めて見るものだけに吠えます。それが本質にどれだけ近づいているか。長い時間のなかでいかに退色されずにきたか、いかに色あせていないか、ということを明確に理解していくべきだと思います。長い時間のなかで退色してしまうものは意味がありません。

出典: 「Suh Se Ok /スゥ・セオク」*スゥ・セオクとキム・ビョンジョン(ソウル大学美術大学教授)との対談より抜粋

*「Suh Se Ok /スゥ・セオク」は展覧会「スゥ・セオク(アーティスト・オブ・ザ・イヤー)」(国立現代美術館、徳寿宮分館、ソウル、韓国、2005年)の際に出版された。

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